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2015/5/29

No.43「岩手県庁で東日本大震災の子ども支援対策を経験して」
●1976年卒業:奥寺 高秋さん

卒業後35年目、岩手県から。

 2011年3月11日の東日本大震災で、岩手県庁児童家庭課総括課長だった私は、子ども支援対応に取組みました。その記録小冊子を立命大の産社校友会に送付したところ、校友会HPのお話しがあり、その経験を紹介することとなったものです。

 立命館を卒業して35年。あの日の午後2時46分、盛岡は震度6強の強震で、その30分後、非常電源で映される庁内TVには釜石港が映り、見たことのない大津波が釜石市街地を押し流す様子がライブ中継されました。本当に恐ろしい映像でした。

 県庁児童家庭課の最優先の取組みは、躊躇なく、両親を失った被災孤児の把握と保護と決めました。要保護児童の対応は児童相談所を有する県しか出来ない業務です。隣県等の専門職員の応援を得て混乱する各避難所を巡回しての調査結果の第1報は4月1日で44人、全員が親族等の監護下にあり一時保護の必要無しというものであり、心底ホッとした瞬間でした。結果的に岩手の孤児は93人でしたが、ほぼ全員が祖父母等の親族里親のもとで養育され、児童養護施設への措置はゼロでした。親族里親として養育手当が支給され児童相談所が18歳まで養育状況を長期にフォローしていくこととなりました。

岩手県庁児童家庭課総括課長として

 孤児となって心配された経済的支援では、今回は官民ともにかなり充実したものとなりました。大半の支援制度が給付型であり重複も可というものであり、漏れなく申請すればかなりの金額を受給できます。今の日本社会は決して捨てたものではないと実感できました。

 片親を亡くした遺児は岩手で478人となりましたが、経済的支援は孤児とほぼ同等の扱いが多く一安心ですが、多数の父子家庭が生じており、福祉関係に不慣れな父親たちへの支援が課題となりました。これには県独自の遺児家庭支援専門員の配置などの対応策を考えました。

 次の大きな課題は子どもの心のケアで、専門の児童精神科医は岩手ではたった1人という大変厳しい状況。ここから医師達のネットワークを活かして沿岸部3か所に順次心のケアセンターを開設していきました。結果的に、2年後には岩手医科大学内に全県をカバーする子どもケアセンターが開設され、長期的なケア体制が整備されました。

 沿岸の多くの保育所が全壊しましたが、保育下の犠牲者は岩手では奇跡的にゼロでした。これは国や県の指導の下、保育所では毎月1回の避難訓練を実践していたことが大きく功奏しました。厚労省のクリーンヒットと言えるし、もっと評価されて良いことです。何より、1次避難から2次避難へと懸命に子ども達を守り抜いた保育士達の奮闘を讃えたいと思います。

なすべき何かを必ず感じる

 そのほか、妊産婦の内陸部への移送事業や、避難所での子どもや女性の性的被害防止対策、子どもの遊び場不足や学習支援対策の遅れなど、得難い経験からの自身の率直な感想を述べた記録として冒頭の記録小冊子としてまとめました。

 大津波から4年の被災地は復興工事が最盛期です。震災遺構も各地にあるので、是非現地を訪れて見て欲しいと思います。現地に立てば、なすべき何かを必ず感じられるはずです。

 立命館での学生生活は自由に行動できた楽しいものでした。当時の過疎過密問題などに関心があり、四国や中国地方に出かけて現地を確認したりしました。今も地方消滅危機の地域問題があり当時と変わっていません。学生時代にこそ、日本や世界の各地に出かけて実情を見ることはとても有意義だと思います。

●奥寺 高秋(おくでら たかあき)

卒業年月日 1976年3月 卒業
出 身 地 岩手県
現 住 所 岩手県
勤 務 先 特別養護老人ホーム 日赤鶯鳴荘
ゼ ミ 名 遠藤晃ゼミ
所属サークル
団 体
社会地理学研究会