■さんしゃびと »

2015/7/25

No.45「産社の魅力」
●1976年卒業:加賀美 長稔さん

自分の基礎になった遠藤ゼミ

 産社を選んだのは、他の学部と異なり縦割りではなく横断的に習いたい事が幅広く選択肢として選べるという期待が持てたからで、実際もそうであった。

 ゼミは遠藤ゼミでしたが、自分のやりたいことをさせていただき、其れが今の自分の基礎になっているかもしれないと感じています。幅広く学べた事は結果的に幸せなことで、今までの人生において生かされて来ました。

 卒業を目の前にした頃は当初留学の話やオーストラリアでの就職の話がありましたがいろいろな事情により残念ながら実現できず、そんなことから国内就職の準備をしていなかった為にいわゆる就職浪人する羽目になってしまいました。しかし遊んでいても申し訳ないため、零細な旅行社に勤めたら社長が結婚詐欺師というのが分かって退職。そんな状況なら忘れないように語学学校に入って取り敢えず次のチャンスまで待とうと思っていたら、スキーで大腿骨を骨折し、病院に100日入院することになってしまったり、ついていない時期がありました。

卒業し、タイへの道を選んだのは

 しかし怪我から立ち直った時に外務省関連の仕事で募集があり、応募。1977年10月から4年間在タイ王国日本国大使館に勤務したことが縁で帰国後一時期永田町で奉公したものの、代議士の死去に伴い秘書業をやめました。其れまでの縁から日本、タイ、台湾3カ国を対象としたコンサルティング事業の準備を始めていた時に、タイでの知り合いに呼ばれ、当時のワールドトレードセンターバンコクの運営を一緒にしようと言うことから、日本での会社設立準備を中止してタイに戻りました。仕事は社長顧問でしたが、コンサルタントと同じようなことで日本マーケット対象の助言をしておりました。

 バンコクで今現在は経営母体が変りセントラルワールドと言う名前に変りはしましたが、そこにある伊勢丹は当時私が取っ掛かりで進出が最終的に決まったものです。しかしその頃タイは不況の真っ最中で、プロジェクトの進行が遅れていたときに某日系製造業から話があり、転職することになりました。正にゼロから、会社の設立や従業員の募集からのスタートでしたが、最大時ワーカー3500人と言う規模にまで育て上げることを致しました。大使館では庶務総務、永田町では秘書、その後バンコクではマーケティングを含む仕事、そして製造業とIT関連を除く全ての仕事に携わってきました。

タイで広げる立命館の輪

 現在はビジネスコンサルタントを3年前に始めましたが、これだけ幅広い経験をこのタイで持っている者はまずいないと思っております。 これも産社で自由にやりたいことを学ぶチャンスがあったからだと思います。 産社校友会の古谷会長とも当時のワールドトレードセンター時代に当時のジャスコの一号店開業の時に責任者でおられ、私の関係者の牛乳を店内に置かせていただけるように便宜を図っていただくお願いでお会いする機会がありました。 当時が懐かしいものです。

 現在タイにおける校友会の会長をしておりますが、産社の卒業生も意外と多く感じております。

 今後は産社校友会も考えて行こうかと思います。ありがたいことに吉田総長、福元校友会副会長も来られ、タイ国校友会の総会にご参加いただきました。タイ国においても校友会活動を広げて行きたいと考えております。

●加賀美 長稔(かがみ ながとし)

卒業年月日 1976年3月 卒業
出 身 地 神奈川県
現 住 所 タイ バンコク
勤 務 先 コンサルタント
ゼ ミ 名 遠藤晃ゼミ
所属サークル
団 体
一時カヌー同好会