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2015/10/25

No.48「母校に誇りと喜びを感じて」
●1969年卒業:吉田 定雄さん

1期生入学時の思い出

 昭和44年(1969年)卒業・第一期生の吉田(旧姓:江見)定雄です。まずもって、学部創設50周年おめでとうございます。

 

 50年前、私たち915名(定員300名)の第一期生が入学しました。

 歴史観光都市京都市にあって伝統ある立命館大学に入学できた喜びは、今も忘れられません。裕福でないにも関わらず、工面して私学に進学させてくれた今は亡き両親・協力してくれた兄姉には感謝の一言に尽きます。(当時の学費は私学で最低額)

 入学直後は、学生の多さ(?)に圧倒されました。あまり余裕のない広小路のしかも旧恒心館は、窮屈なことこの上なしでした。数か月経つとかなり余裕が出てきた?のが、後で理解でき懐かしい思い出です。後日談によれば、学部事務室、とりわけ初代細野学部長と大島事務長は、随分苦労されたようでした。それと恒心館食堂のトンカツ定食の美味しかったこと。安価なのに生協食堂の実力に感嘆したものでした。

 また、初体験の受講登録に戸惑ったこと。基礎演習に面食らったこと。第二外国語に苦労したこと。懐かしいです。

学生生活の一端

 御所の芝生での昼寝、親しい学友との語らいは、広小路に学ぶ学生の特権そのものと満喫しました。大学構内は窮屈でも広い庭!は、嬉しい限りでした。

 授業にも慣れて充実の学生生活を堪能しつつ、夏休み・冬休み中の百貨店でのアルバイト、家庭教師の複数掛け持ちなど多忙な毎日を送り、様々な体験が出来たことを今持って嬉しく思います。幸いにもうまく授業科目を登録し、三回生までで卒業必修単位を取得できて、残りの1年間はゆとりある充実の学生生活を送り、興味ある科目や他学部の授業に潜り込むことも度々ありました。学友と新京極や河原町の繁華街迄ぶらり散策したり、古本屋を回ったり、学生野球のライバル対決「立同戦」に西京極球場へ繰り出したり、思い出には限りがありません。

 残念なのは、学生運動の盛んな時期で、卒業式当日のゴタゴタが在ったことでした。

卒業後そして今、未来!

 卒業後は地方公務員(高槻市)に奉職し、無事定年まで勤めることが出来ました。

 その後は年金生活に入り、先祖から引き継いだ約35アールの水田を耕作して、自給米の生産に勤しむ傍ら、定年前から拝命した保護司として、社会を明るくする運動など更生保護の仕事に、そして地元のJA・自治会・公民館・氏子総代・檀家総代・その他公益法人等の役員としての任務に、多忙な毎日を送っています。役割を与えて頂き元気で動き廻れることが、認知症予防と健康に役立つことに感謝です。

 今年の9月に古希を迎えて、過ぎし日々を懐かしく振り返りながら、地元市に新しく開校した「大阪いばらきキャンパス」、隣接する市民公園(岩倉公園)に、孫を連れて足を運ぶ回数が増えつつある今日この頃です。

 目まぐるしく発展を続ける母校に、日々誇りと喜びを感じています。

 「東京オリンピックの観戦!リニアモーターカーへの乗車!」など・・・・・ささやかな目標に向かって、ゆっくり生きようと自身に誓っています。(平均寿命は全うしたい!?)

●吉田 定雄(よしだ さだお)

旧 姓 江見 定雄(えみ さだお)
卒業年月日 1969年3月 卒業
出 身 地 大阪府
現 住 所 大阪府
勤 務 先 農業(自給自足)
ゼ ミ 名 富山康吉ゼミ
所属サークル
団 体
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