■さんしゃびと »

2016/3/26

No.51「産社での学びから今の仕事へ」
●2011年修了:久保 裕一さん

大学時代を振り返ると

 現在、在インドネシア日本国大使館の広報文化部で文化担当の専門調査員として勤務している久保と申します。

 今、どんな仕事をしているのかご紹介させていただく前に、大学時代のことを振り返ると・・・正直に言うと、大学に入った当初は、以学館の雰囲気、産社の雰囲気に戸惑い、なかなか、はたまたどうしたものかといったところでした。そうした中で、ひょんなきっかけで留学生をサポートするグループ「TISA」に入ったことで、大学での広がりの糸口を見つけられたような気がします。その年、私が1回生であった2004年の12月にスマトラ沖地震・インド洋大津波が発生し、今働いているインドネシアを含むインド洋沿岸各国に多大な被害をもたらしました。翌1月にはAPUの被災地出身の学生たちの支援活動を受ける形で大学としてスリランカ、インドネシアの被災した小学校を再建するといったいくつかの復興支援プロジェクトが立ち上げられました。私はその学校再建プロジェクトに携わるようになり、2005年、2006年には当時大阪ドームで開催されていた入学式で募金活動を行った他、キャンパス内外での支援アピール活動などをしていました。

在インドネシア日本大使館の文化担当の専門調査員へと

 そうした中、2005年の夏休みが終わった頃だったと思います。私たちのグループの面々が大学の国際課、ボランティアセンターの方々に呼び出される機会がありました。そこで、やっと具体的な支援対象学校が決まりそうで、ついては、立命館から1名、APUから1名学生も一緒に訪問し、どういった支援ができるか調査してはどうかという話がありました。そこで、私が選ばれた訳ですが、その期間中は学生にも関わらず出張扱いになり、その期間の講義、少人数クラスなどすべて出席扱いとなったことを覚えています。未だに、よくそんな措置になったものだなと思うばかりです。そして、スリランカに数回訪問し、現地で防災活動などをしていたところ、2006年にインドネシアでジャワ島中部地震が発生し、インドネシアに赴くようになりました。以後、気づけば、どっぷりとインドネシアにはまり大学院でもインドネシアの地域社会のあり方をテーマに定め、博士課程の途中まで研究を続けました。

 その後、博士課程在籍中に現在勤務している在インドネシア日本大使館の文化担当の専門調査員の募集があり、以前から関心のあった仕事ということで受験したところ、合格することができ、今に至っています。

 主な仕事としては、文化、教育、青少年交流などですが、平たく言うと、インドネシアの日本ファンをもっともっと増やし、そして、特に若い世代の交流を進め将来にわたっての親日派・知日派をつくる仕事です。インドネシアは一般にかなり高いレベルで親日の国と言われていますので、その雰囲気を壊すことなく日本ファンをより増やしていくことが自分の仕事だと思っています。具体的には、日本の文化をインドネシアの人々に紹介し、正しい日本の姿を理解してもらったり、日本の多様な側面を感じてもらうことで、日本ってこんな国だったんだということを分かってもらうということです。

 ここインドネシアでは多くの校友の方が活躍されており、その中でも産社卒の方には私もよく助けられています。2014年にジャカルタ日本祭り(今、インドネシア各地では日本祭りが数多く行われています!その中でこの祭りでは事務局として関わっています。)ではジャカルタの人々に「雪」を体験してもらおうということになり、日々30度を超す南国で雪を降らせました。その降雪マシーンを使用するにあたって、前日になって電気系のトラブルが起こりました。私含め、関係者は顔面蒼白になったところでしたが、偶然、その数日前に開かれた校友会で出会った先輩に連絡したところ、その先輩の会社にトラブルを乗り越えることができる機材があるということで助かったということがありました。 今、思い出しても、その繋がりがなかったならばと思うとぞっとします・・・

産社らしいマルチディシプリンな学びが今に

 その他、私の仕事としては大使館に来られた学生(小学生から大学生まで)を対象に日本紹介の講義をすることもあります。一度にお話できる人数は最大で100名程度ですが、草の根での日本紹介の積み重ねで日本ファンが増えたらと日々、仕事に取り組んでいます。この学生の受け入れについては、日本人の学生を受け入れることもあり、産社からも篠田先生、江口先生のゼミの訪問を受けまして、日本とインドネシアの関係についてお話させていただきました。篠田先生は1回生前期の基礎演の担当教員でしたので、少々緊張しながらお話したことが思い出されます。(篠田先生については、一時帰国した際に急逝されたことを伺い大変驚きました。)

 産社は、国際関係学部や政策科学部、経済学部、理工学部のようにインドネシア人留学生が多くいたわけでありませんし(むしろ、今でも1人もいないのではないでしょうか!?)、いわゆる「社会学」が今の仕事に直接関わっているかというと、そうでもないのですが、産社らしいマルチディシプリンな学びは確実に今の自分の糧になっていると思います。これは、学部から博士課程まで一貫してお世話になった國廣先生からマルチな学問分野をどうまとめ、どう昇華させるのかという教えが役立っているのではと感じています。また、1回生後期の基礎演の担当でもあり、修士論文の副査をお願いした乾先生からの現場、フィールドを大事にするという教えも草の根での仕事をしていく上で非常に重要になってきていると思います。

 今後も日本とインドネシアの友好関係の強化と相互交流の発展のために頑張っていきたいと思います。

 

(内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり、何ら大使館の意見を代表するものではありません。)

●久保 裕一(くぼ ひろかず)

卒業年月日 2011年3月 博士課程前期課程修了
出 身 地 愛知県
現 住 所 インドネシア共和国 ジャカルタ
勤 務 先 在インドネシア大使館
ゼ ミ 名 國廣敏文ゼミ
所属サークル
団 体
TISA, CheRIts