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2017/9/30

No.69「産社的バイオマスのココロ・・・バイオマス産業社会論」
●1981年卒業:菊池 貞雄さん

あこがれの京都だったが・・・

 昭和50年に北海道帯広からの修学旅行で出向いた京都は、素晴らしく輝いて見えました。あこがれの京都で日常生活を過ごすことができるということで、「大学進学」は迷わず立命館を目指しました。歴史や古文で親しんだ名所旧跡が至る所にあり、散歩をしていると「吉田兼好庵跡」などという碑に偶然に出会うことができるような地でした。

 産業社会学部は変わったカリキュラムを持っていて、専門性を高めることはもちろんですが、社会を構成する要素をまんべんなく学ぶことも重視されていたと思います。「社会学概論」や「社会問題論」「福祉論」「統計学」なども当時の私にとってはなにか遠い世界の話題のように感じましたし、広く学習することの意味も当時はおそらく理解していなかったと思います。

 だんだんと京都文化や歴史のことも日常になりすっかり関心が薄れてしまい、写真をとったり、ギターを弾いたりという日々のなか、社会的に宙ぶらりんな学生の立場に焦燥感を感じながら4年間をおくりました。卒業の頃には京都や大学との別れに惜別というほどの感情もなく、かえってせいせいしたという気持ちで北海道へ戻っていったのです。

産社的シンクタンク設立にいたるまで

 卒業後の10年は建設機械の販売営業職でしたが、休日はよく渓流にフライフィッシングに出かけました。十勝平野は中心部に畑作地域があり、丘陵・山岳部に酪農地帯があるため河川上流部の美しい渓流には乳牛の糞がドンブラコと流れていました。

 北海道の基幹産業である酪農業の現場では、酪農家の仕事の中で乳を搾ること以外に最も過酷な仕事は実は糞の片付けです。牛一頭から65kgのふん尿が出るので100頭飼っていると、一日6.5tものふん尿が出てきます。完熟堆肥にするためには3ヶ月かかるとして、200tものふん尿を処理し続けなければいけません。糞の片付けが主な仕事では、高齢化による継続の困難や、悪臭のなかで働く仕事では後継者が育たないし、お嫁さんもこないはずだと様々な問題を感じていました。

 まさにその頃、立命館の先輩が社長をされている帯広の建設コンサルタント会社に、その方の引きで転職しました。そこで酪農の糞を嫌気状態で発酵させると、農場が綺麗になり、地下水・河川が綺麗になり、悪臭がなくなるというヨーロッパからの情報を得たのです。京都議定書の年、1997年のことでした。

 そこから農村活性化に携わっていくのですが、高齢化対策、後継者問題、農産物のブランド化、自然環境を生かした観光事業、地域情報の発信や地域コミュニティの現状把握とコミュニケーションのあり方など事業を進めいていくと、まさしく「産社」で学んだキーワードが続々と出てくるのです。その時初めて気付いたのですが、当時は嫌々勉強していた産社の授業でしたが、その学びのおかげで早く問題解決にたどり着くことが出来たのです。

産社的な今を誇りに

 現在は、家畜糞尿処理のコストを削減し、エネルギーを取り出すことの出来る再生可能エネルギーの一種である「バイオガス(バイオマスエネルギー)」のコンサルタント「バイオマスリサーチ」を10年前に起業しました。また15年前には社会的課題を解決する「NPOあうるず」を設立し、社会的弱者の支援をおこなうソーシャルファーム、農村地域の農家のブランドづくり(地域ブランディング)、また農産品デザインをおこなう地域デザイナー育成も行っています。

 横断的な産社特有の学域。人生が変わった転職先会社の社長が校友会の先輩。昔せいせいしたと思って別れた京都と立命館の世界で、今は息をしているのだと感じています。

 

 産社的ココロでバイオガスを論じる会社は私のところだけであること、それこそ現在の私の誇りなのです。

●菊池 貞雄(きくち さだお)

卒業年月日 1981年3月 卒業
出 身 地 北海道
現 住 所 北海道
勤 務 先 バイオマスリサーチ㈱
ゼ ミ 名 須藤泰秀ゼミ
所属サークル
団 体
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