第1回研究会「暴力論の基礎考察」 2004/06/25
第2回研究会「アルジェリア戦争以降の思想の場 ファノン、フーコー、サルトル、サイード」2004/07/30
第3回研究会「権力と暴力」 2004/09/24
第4回研究会「暴力問題への倫理学的アプローチ」 2004/11/05
第5回研究会「暴力・審判・救済」 2004/12/18
第6回研究会「暴力以前の力 暴力の根源」
第7回研究会「心理学における攻撃問題について」 2005/01/21
報告者:谷 徹(立命館大学文学部教授)
報告の要旨
谷氏の報告は、「暴力」概念の語源的考察に始まり、ソレル以降の「暴力」論全般を見渡し、整理する、 という内容のものであった。谷氏は、哲学的暴力論を「社会的暴力論」(ソレル、ベンヤミン、アーレント) 「生命的暴力論」(フロイト、ジラール)「現象学的暴力論」(ハイデガー、レヴィナス、デリダ)に区別し、 それらの問題設定の要点に触れながら、暴力論が探るべき問題領域を明確にされた。 谷氏は、暴力概念の「根源的二重性」に注意を払いながら、 集団的次元と個人的次元の両面に渡って暴力論を考察する必要を主張された。 谷氏の報告は研究会第一回の報告として、総論的概括として申し分のない内容をもつものであり、 終了後出席者から多くの質問が寄せられた。
討議の内容
総論的な内容を持つ谷氏の報告に対して、今後、各論をどのように形成していくかについて議論が行なわれた。 また、フロイトの暴力概念について、 最近の心理学ではエディプス・コンプレックスを生得的なものと見ない考えもあることが指摘された。 谷氏が報告の最後に引用したスーパーマンの「アメリカ的」正義の考え方について、「正義」と暴力の関連が質問された。
報告者:加國 尚志(立命館大学文学部助教授)
報告の要旨
加國氏の報告は、暴力をめぐる、フランスを中心とした現代思想(ファノン、サルトル、フーコー、サイードら)
の変遷の背景をアルジェリア戦争(1954-62)に見る。
そして現代思想の変遷の分水嶺を、1961-62年と見る。
この背景から、従来の(ヒューマニズムに代表される)西洋思想が隠しもつ暴力性に対する「告発」的な批判が、
外部と内部からなされたと論じる。(外部からの批判を行なった思想家は、内部的に見れば相互に批判的だったが、
そこにはアルジェリア戦争を背景とした共通性があった)。
しかし、さらに、この両側面の二重分割のなかで暴力を問題にする視点として、
サイード(とそのファノン評価)の思想を捉える。
加國氏の報告は、とりわけフランス哲学の背後に潜む暴力問題の捉え方を鮮やかにあぶり出す刺激的なものだった。
討議の内容
加國氏の報告は、現代哲学の背景を示すものとして、 多くの質疑を引き出した。ひとつには、(西洋思想の)外部と内部へのサイード的二重分割の問題から、 それに近いと思われるデリダの立場(とりわけレヴィナス批判の文脈での)との関係についての議論につながった。 また、グラムシにおけるヘゲモニー論のなかで文化的支配が問題になるが、 これに関連して、ヨーロッパ内部で植民地化が起こったことから、マフィアの成立との関係が問われた。 さらにまた、多くの思想家が、暴力と芸術の関係を問題にしているが、芸術に、暴力に対抗する力があると考えられていたのか 、そうでないのかといった問題も討議された。
報告者:竹山 博英(立命館大学文学部教授)
報告の要旨
これまで権力は制度化された強制力、暴力だと考えられてきた。 それに対して、権力と暴力の対立を主張するとともに、 制度化された権力が伴う権威の問題を取り上げてきたハンナ・アーレントの暴力論を手がかりに、 報告者は、マフィアといわれる組織犯罪を、その「名誉ある組織」と呼ばれるピラミッド型の軍隊的組織について、 また、そうした組織が形成されてきた歴史的背景、 つまり、スペインブルボン王朝による植民地支配やその後のイタリア独立の時代を通して、 脆弱な支配体制を保管する役割を、武装した集団を組織した農地管理人が担ってきたこと、 そして、かれらの内部への暴力と外部への暴力の実態、とりわけ、第二次大戦において連合軍のシチリア上陸作戦のために、 マフィアの組織が利用されたこと、そして戦後、都市の公共事業への進出と麻薬密売に従事しはじめたマフィアが、 公権力への暴力を振るい始めた経過などについて、報告した。 そして最後に、報告者は、マフィアを、権力と暴力との中間的なものとして位置づけ、 権力を補完する存在が暴力を伴うという問題を提起した。
討議の要旨
長年マフィア研究に携わってこられた報告者が、マフィア研究の動機も含め、 専門外の参加者にもわかりやすく、シチリア・マフィアにおける権力と暴力の問題を解明された。 映画などを通してある意味で美化されたマフィア像しか知らない参加者から、 目から鱗だという感想が出されたが、それは共通した思いであったといえよう。 出された主な質問には、非合法的な富の蓄積という経済的目的のための組織犯罪ということなら、 人間の行為の動機としてある意味で了解しやすいが、それが「名誉」ということとどう関連しているのかという質問や、 売春や姦淫に対する否定的な心性質が何に起因するのか、その宗教的背景はなにかといった質問が出された。 報告者からは、それらはまだ確定されないが、シチリアの美しさと住民の優しさと、 経済的目的のために人を殺してもよいというマフィアとの落差にいまでも理解を超えるところがあって、 かれらの心性についての問題はまだ今後の課題だという説明があった。
報告者:北尾 宏之(立命館大学文学部教授)
報告の要旨
北尾氏の報告は、倫理学の立場から暴力の諸問題に光を当てるものであった。
まず、倫理学から暴力問題にアプローチするということそのものについて検討がなされた。
そして、いくつかの具体的な暴力事例を比較し、そこから、暴力の本質を規定するものとして、
外形、強制の有無、加害の有無、暴力の主体と客体、意図の有無、といった基本的視点(とそれぞれの問題点)が示された。
さらに、倫理学そのものの検討によって、功利主義的な帰結主義倫理学、反功利主義的な権利基底的倫理学、
行為者中心型倫理学、行為構成条件の倫理学が検討され、それぞれの問題点が示された。
われわれに問いを喚起する刺激的な報告であったが、
それは、倫理学が暴力現象を扱うという側面と、暴力が倫理学に挑戦を投げかけているという側面が、
この報告において緊張関係にあったからであろう。
討議の要旨
討議は、報告の中間段階と、終了後の二度にわたってなされた。 暴力を、そうでないものから切り分ける基準について、議論がなされた。 一度目は、たとえば法の秩序内での「正しい」ものと、それを超えた「真なる」ものとの関係などが、 議論の中心軸となった。また二度目は、とりわけ行為構成条件の倫理学のカント的な議論の性格がさらに立ち入って検討された。 そして、理性的討議と暴力の結びつきという指摘に対してこの倫理学がいかなる位置をとるか、 また、この倫理学が討議倫理学とどの程度まで整合性をもつか、などが議論された。 今回から、大学院生も参加して、議論がさらに活発になったように思われる。
報告者:服部 健二(立命館大学文学部教授)
報告の要旨
服部健二氏の報告は「暴力・審判・救済」という題で行われた。 服部氏は1997年神戸での殺人事件で逮捕された少年の仮退院に対する遺族の反応から話を始められ、 5月22日の土曜講座での「法と暴力」の内容を踏まえながら、 精神障害者が心神喪失者として法的責任を免じられる現在の刑法概念が持つ、 近代的人間観の限界を指摘された。服部氏は、刑法学者フォイエルバッハ以来、 人間が理性的存在である、ということを前提として精神障害者の自己回復の機会が奪われてきたことを説かれ、 またヘーゲルを批判する方向でキェルケゴールやベンヤミンらの旧約聖書解釈や法権力概念を通覧した後、 ヘーゲルの「良心」の概念のルター主義的起源について考察された。結論として、 行為的良心と批評的良心の和解の場としての歴史的審判の領域を確保する必要を説かれ、 この文脈で精神障害者の犯罪の問題を考えたい、と締めくくられた。
討議の内容
「暴力・審判・救済」と題する服部氏の報告に対して、会場からさまざまな質問が寄せられた。 服部氏がフーコーのように近代の精神医学や刑法処罰の制度に対する批判を試みているのかどうか、 という質問に対しては、服部氏はフーコーのように近代そのものを否定してしまうのではなく、 精神障害者に自己回復の機会を与えるような議論を始めることが必要である旨を説かれた。 またヘーゲルの良心概念に対して、義務に基づく理性的人間観にやはり意味があるのではないのか、 という質問、またキェルケゴールやニーチェらのパーソナリティが抱える問題についてなど、多岐にわたる質問が出され、討議は白熱した。
報告者:今村 仁司(東京経済大学 経済学部教授)
暴力論研究会講演会第一弾 「暴力以前の力 暴力の根源」のページをご参照ください。
報告者:八木 保樹(立命館大学文学部教授)
報告の要旨
人間の攻撃性を増大/減少させる要因について報告がなされた。 最初に、攻撃性の増大要因として、当人の期待に達しない場合のフラストレーション、挑発を受けた場合、 不快な環境、攻撃的な対象(銃など)が見える場合、暴力場面の目撃などが挙げられた。 また、暴力映像などは攻撃性を増大させる。厳罰は攻撃性を減少させない。 カタルシスは、緊張を和らげるが、攻撃性を減少させない、などが示された。 次に、暴力が引き起こす不快感を鎮静化させる満足は、繰り返されると低減し、暴力のエスカレートを産む。 退屈と自己顕示、没個性化と自己焦点化は、それぞれ暴力に結びつく。 ナルシシストが自我脅威を受けた時には攻撃性が高まる、などが示された。 最後に、自己焦点化を軸にして、自尊心の高い人と低い人が他者に苦痛を与えた時(認知的不協和場面)に、 その正当化のために、いかに相手を低く位置づけるかが、報告者自身の実験によって示された。
討議の内容
この報告は、社会心理学的な観点からの攻撃性を検討するものであり、さまざまな議論を呼び起こした。 とりわけ、自分が相手に攻撃したこと(の悪)を正当化するために、 相手を、低い存在とみなして嫌悪するという「認知的不協和」の場面をめぐって活発に議論が交わされた。 これは、某国による某国への攻撃の場合にも当てはまるであろう。 また、今回の報告は、他者との関係におけるrewardという観点が重視されたが、 これに対して、この観点がある種の交換関係を前提しているとして、 (交換とは次元の異なった)「贈与」の関係が人間の社会形成の根底にあるのではないか、という議論もなされた。 人間の「理性的」側面とは異なった次元での攻撃性の研究は、これまでの研究会の報告に対して、 新たな視角から暴力問題を照らし出すものであり、きわめて興味深いものであった。