立命館土曜講座 開催講座一覧


2007年9月29日 講師: 山本 勇次

ネパールの観光都市ポカラにおける老舗ホテルのサバイバル術

 鎖国時代のネパールのポカラに始めて訪れた日本人は、『チベット旅行記』の著者、河口慧海である。ポカラは、当時インド・チベット間の塩貿易の中継地とし発達していたが、1959年にチベットが中国の自治解放区となると、ドウラギリ山麓タコーラで塩貿易を独占していたタカリ族がポカラやカトマンドゥに降りてきた。その後、ポカラは、世界のヒッピーのメッカになり、彼ら好んで長期滞在したのが、フェワ湖畔である。
 1973年に高速道路でカトマンドゥやバイラワと直結されると、外国人客が長距離バスで多数押しかけ、一気に国際観光都市になっていく。ヒマラヤのパノラマに魅せられた長期滞在客が集まるフェワ湖畔には、タカリ族がゲスト・ハウス、レストラン、みやげ物屋を開店して、賑わいを見せるようになった。老舗Dホテルの前身は、1960年代初頭、ラマ僧還俗者が当地に創設したチベット薬屋である。それ以来、原資を蓄え、徐々にホテル業に転身した。それ以来、ホテルDは、半世紀弱の間、ネパール王国やポカラの変動に絶えながら、今も健在である。
 筆者は、1978年以来、Dホテルをポカラの定宿としているが、この四半世紀のポカラの変遷を辿りながら、このホテルのサバイバル術をお話ししてみたい。  

前のページに戻る

このページのトップへ