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2010年9月11日 講師: 水月 昭道

えん罪事件と刑罰/仏教的視点から考えてみる

 【罰への誘惑 ―そこに潜む罠― 】
 日々、さまざまな事件・事故のニュースを耳にしないときはない。誰かが傷つけられたり、製品の欠陥で被害者が出た、などと。私たちはそのたびに悲しんだり、時に大きな怒りが胸の内に湧き上がることも珍しくない。こんな時、悪いことをした者たちは罰せられるべきだ、という気持ちがこみ上げてくるはずだ。私たちは、世の中の不正義に対してとても敏感なのだから当然である。
 一方、やってはいけないことであっても、容認される場合もある。介護疲れで、ついに間違った行動にでた時などがそうだ。結果だけをみれば、簡単には赦されないはずだが、裁判員裁判でも、「同情すべき点もある」などとして執行猶予がつく場合が珍しくない。
 不思議にも私たちには、相手に罰を与えたくなる一瞬とそうはならない場合があるようだ。一体なにがそうさせるのだろうか。罪とは? 罰とは? 本講座では、人間とは何か? という視点を仏教に寄り添いながら深め、この難題と少々格闘してみたい。



 とてもおもしろかったです。私はふだんの生活の中で善人と悪人の境のあいまいさと、自身と周りの価値観のキャップについて考えていました。 講座の中で「ただ“できない”から悪いことをしていないだけ」にとても感銘を受けました。
 お話を聞いて、一番に思った事は、“ならば、私達はただただ自分を正当化するために善人でいようとするのか”です。 昔、「法は悪人を生む」というような話を聞きました。「法にとっての悪人(罪と罰)」と「私達が心に持つ罪悪」の違いや差はあるのでしょうか。 社会を円滑に進めるための法に、人の心にある罪悪を当てはめようとするから、“冤罪”の概念が生まれるように思います。 法をあくまで一つのルールとしてあつかい、報道なども含めて、公平な執行と情報開示ができればいいなと願います。

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