立命館土曜講座 開催講座一覧


2015年10月17日  

幕末の中川家(弓箭組と北陸道鎮撫)

@ 山陰道鎮撫総督と馬路のひとびと―西園寺公と中川家のひとびとの出会い― 講師:長谷川 澄夫
  京都の高等学校で生徒のみなさんと日本史の授業を楽しく学びなら、地域の歴史のほりおこしに努めてきた。学校勤務を終えて同市馬路町自治会の町史編さん事業の編集に参加させていただいた。町民のみなさんと楽しい本づくりをすすめるなかで多くの貴重な地域の史料に出会うことができた。その中のひとつが、立命館大学創立者の中川小十郎先生の生家(通称「堀の内」)の史料で、その整理作業に参加させていただいた。 丹波の馬路村(亀岡市)は中川氏・人見氏の「両苗((りょうみょう))」といわれる郷士が村政にあたっていた。戊辰戦争がはじまると新政府は山陰道鎮撫のため西園寺公望を総督として派遣、馬路に兵をすすめた。馬路のひとびとは丹波の郷士たちに呼びかけ「弓箭組((きゅうせんくみ))」を組織して宮津・鳥取・松江と遠く従軍した。小十郎の実父(禄(ろく)左(ざ)衛門(えもん))や養父(武((ぶ)平(へい)太(た)))はその代表として活躍したが、このような西園寺公と中川家の人々の出会いが、後の小十郎と西園寺公のつながりの契機となったのである。このたびの史料整理の成果をもとに、中川先生や馬路の地域の新しい歴史研究がすすめられることを願っている。

A 北越戦争と中川家―戊辰戦争における京都・丹波地域の郷士―  講師:寺澤 優
  京都の秋を彩る時代祭。その行列のなかに「山国隊(やまぐにたい)」と「弓箭組(きゅうせんぐみ)」があります。両隊ともに丹波の郷士集団で、明治維新の際戊辰戦争に新政府軍として参加しました。鳥羽伏見の戦いを受けて、慶応4年1月旧幕府勢力を鎮圧するために、各地に鎮撫使が派遣されます。山陰道の平定のために鎮撫総督として派遣されたのが西園寺公望で、その西園寺の護衛となったのが、弓箭組および中川小十郎の実父である中川禄左衛門と養父武平太たちでした。比較的容易に平定が進んだ山陰道とは対照的に、北越方面では抵抗勢力が多く、越後長岡では新政府軍は厳しい戦いを強いられていました。3ケ月に及んだ山陰道鎮撫ののち、西園寺公望と中川氏、弓箭組は北越方面への加勢を命じられます。しかしながら、この北越戦争に参加した西園寺及び、丹波の郷士集団の動向に関してはこれまでほとんど知られておらず、歴史上空白となっていました。立命館大学が所蔵している「中川家史料」にこの謎をひもとく資料があります。今回の土曜講座ではこの資料を使って、北越戦争での西園寺及び丹波郷士の動向とともに彼等のみた戊辰戦争、明治維新についてお話したいと思います。

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