戦争責任、戦後責任、未来責任を自分はどう考えるか


政策科学部 1回生 梅本美貴
sen

 戦争責任、戦後責任として日本は何を果たさなければならないか。

 第一に、被害者に対する経済的補償がなされなければならない。
 1951年9月8日、日本はアメリカを中心とした連合国との間でサンフランシスコ講和 条約を締結することにより、占領状態を脱し主権を回復した。同時に、日本はアメリカとの 間で日米安保条約を結んだ。その背景には、1949年の中華人民共和国の樹立や1950 年の朝鮮戦争の勃発があり、アメリカはそのアジア戦略を見直さざるを得なくなり、日本に 再軍備を求めてきたのであった。日本は再軍備に金をかけなければならず、その結果、日本 は再軍備と安保条約による軍事基地提供と引き換えに、戦争賠償の免除を得たのであった。 そして日本は日華平和条約や日韓請求権協定を結び、1972年には日中共同声明がなされ たが、冷戦構造の進行の中で行われたため、戦争賠償の問題を巧みに免れてきたのである。 しかし、日本は戦争賠償をまったくしなかったわけではない。韓国に対する有償、無償の5 億ドル、ヴェトナム、インドネシア、マレーシア、ラオス、シンガポール、フィリピン、ビ ルマ、インドなどに対する賠償を合わせて、総額で6565億円、接収された「在外資産」 約3500億円の放棄、およびサンフランシスコ講和条約締結前の中間賠償約1億6000 万円を含めて1兆円強である。だが、この賠償は直接被害者に対して支払われたものではな く、時には彼の地の独裁政権を支えるために使われたり、あるいはその一部が日本の保守政 権に還流されたりした。ドイツと比べると実に7兆円対1兆円ということになる。そしてこ の不十分な賠償についてさえ日本は戦後のアジアに対する再進出の足がかりとして利用した のである。つまり、輸出困難なプラント類や、従来輸出されていなかった資材を賠償で供与 して<なじみ>を作り、将来の輸出の基盤を築いた。では、日本人戦争被害者に対する補償 はどうであろうか。1952年以来、日本政府は軍人恩給を支給しているが、その合計額は 1993年で約35兆円、そして年間2兆円近い金額が日本人の戦争被害者に対して支払わ れている。この35兆円という数字と、前述した対外的な戦争賠償約1兆円という数字を比 べてみると、そのあまりに大きな差に言葉を失う。
 戦争賠償には、その他いろいろな問題が残っている。

 政府は「従軍慰安婦」「サハリン在留韓国、朝鮮人置き去り問題」「台湾軍事郵便 貯金」の三件については、何らかの解決策を考えてはいるようであるが、しかしそれ 以外、とりわけ強制連行・強制労働問題等についての解決策はまったく考えていない。
 冷戦構造が崩壊し、日本が経済大国になった今、極めて不十分なものであった経済 的補償を私たちは深刻に考えなくてはならない。

 前述したように被害者に対する経済的補償がなされなければならないことはもちろ んである。しかし、戦後補償を国家財政の問題としてのみ捉えてはならない。同時に 私達は、自国の現代史(それは遅れて列強の仲間入りをしたことからくるアジアに対 する植民地支配と侵略戦争の歴史であったのだが)と向き合わなければならない。そ こで、私達は三つのことをしなければならない。

 一つは戦争被害の徹底的調査を行い、その責任の所在を明らかにすることである。
 1946年5月3日、極東国際軍事裁判が開廷された。しかし、冷戦構造の進行も あり、起訴のための選択にあたってはアメリカの意向が強く反映した。その結果、A級 戦犯は28名であり、そのうち7名に対しては絞首刑の言い渡しがなされ、病死した 2名、および気が狂った1名を除く25名全員に対して有罪判決が言い渡された。こ れに対して、B・C級裁判では総計で984人に対して死刑判決がなされるといった厳 しいものであった。つまり、これらの裁判で浮き彫りにされた事実は、権力と特権を 持った者が持たない者を犠牲にしたことであった。
 日本における戦争責任の追及について決定的な問題点は、日本人自身の手による戦 犯裁判がなされなかったことである。財界、官界、法曹界、マスコミ、その他各界に おける戦争責任の追及こそ日本人自身の手によってなされなければならなかったので ある。天皇の戦犯問題も、アメリカの極東政策上の配慮からこれが取り上げられない ことになり、天皇制は存続した。戦後補償の問題は結局のところ天皇制の問題に行き 着かざるを得ない。戦争の最高責任者の一人である天皇が訴追を免れたことが、すべ ての戦争責任をあいまいにしてしまった。
 私達は、あの十五年戦争を太平洋戦争として認識することによってメ巨大な工業力 を持つアメリカと日本の軍部が無謀な戦争を始め、そして負けた。広島、長崎には原 爆も落とされた。日本人も被害者だ。アメリカに負けて、アメリカによって平和憲法 が与えられた。世界に類のない平和憲法を持った日本はこれで戦争責任の問題から免 責された。日本は平和国家になったんだ。メと、勘違いをしてきたのではないであろう か。そして将来に向かって、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのな いようにすることを決意」(憲法前文)することで事が足りると考えてきたことはな かったであろうか。私達は憲法の平和主義、戦争放棄の理念の持つ積極的な側面をさ らに推し進めなければならない。しかし、憲法九条には天皇制を存続させるための、 すなわち、天皇の戦争責任追及に対する「避雷針」としての役割もあったということ を、歴史的な事実として見据えておかねばならないであろう。私達が憲法の理念を本 当に実践するにあたっては天皇制との対じを避けることはできない。

 二つめは被害者に対する真摯な謝罪をすることである。
 私達はあの十五年戦争について、アメリカとの戦争という意識しかない。しかし、 実際はアジアとの戦争であり、真の被害者はアジアの人々である。政府はアジアの被 害者に対して真摯な謝罪をするどころか、反省なき行動と発言を何度もしている。こ のような行動を許している私達日本人にも問題がある。私達は加害者としての自覚が 不足しているのである。
 アメリカの広島・長崎に対する原爆投下は、たった一発の爆弾で広島では死者7万 人以上、負傷者5万人以上、長崎では死者2万人以上、負傷者4万人以上もの被害者 を出した。それは、非戦闘員の保護をうたったハーグ条約、ジュネーブ条約等の国際 法に違反する人類に対する犯罪である。しかし、アジアの人々がこれを”解放の閃光” として歓喜したという事実も考えてみなくてはならない。私達はそれを批判すること はできない。今、アジアの人々から求められている戦後補償をするとともに、併せて 人類に対する犯罪であるアメリカの原爆投下の非も問いただしていかなければならな い。この作業は原爆投下に歓喜したアジアの人々とも手を携えて行わなければならな い。そのためにはまず私達自身がアジア・太平洋戦争について侵略戦争であったとい うはっきりした歴史認識を持ち、被害者に対して真摯な謝罪と補償をなすことが不可 欠である。このような歴史認識を持つことなく、対アジア外交をやりやすくするため に、あるいは国連の安保常任理事国入りを果たすために、この際、謝罪をしておいた ほうが得策だという観点からなされているとすれば、それは結局のところ打算でしか ない。私達は再び同じ過ちを繰り返すことになる。

 三つめは後世のための歴史教育を行うことである。
 現在、日本で行われている歴史教育には、いくつかの問題点がある。一つは教科書 検定である。1952年、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立したこと により、各界で公職追放されていた人々が追放を解除された。これ以降、教科書の国 家的統制が強まった。1955年の保守党の合同以降、教科書検定審議会のメンバー が一新され、戦時中、大東亜戦争を正当化する史観を展開していた高山岩男らが中心 となったからである。彼等は、「太平洋戦争については日本の悪口はあまり書かない で、それが真実であってもロマンチックに表現せよ。」などという意見を述べた。そ もそもいろいろな角度から論じられなければならない教科書の記述について、国家が 一定の見解、それも誤った見解を押し付けようとする検定制度にこそ問題がある。さ らに問題がある。学校の授業の中でわずかに語られるアジア・太平洋戦争では、もっ ぱらその悲惨さ、それも広島・長崎に対する原爆投下や東京大空襲など、日本人の被 害を中心として取り上げられる。戦争の中身について掘り下げることなしに、ただた だ戦争の悲惨さのみが語られるのである。そして平和主義の基本理念を持つ日本国憲 法の制定は、悲惨な戦争を二度と起こすまいとする決意であると解説されることによ って、本当に必要な戦争責任の追及や戦争被害者の救済が十分に論じられることがな いまま、戦争に関する議論は終了してしまう。日本の若者達が、日本の加害責任につ いての正しい認識を持ちえないのは当然である。私達は学校教育において、日本の近 ・現代史と向き合い、正しい歴史認識を身につけることによって、初めてアジアの人 々と友好関係を結ぶことができるのである。

 「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在をも見ることができない。非人間的 な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい。」

1985年5月8日、ヴァイゼッカー大統領 「荒野の40年」

 謝罪と補償と歴史教育を骨子とする戦後補償の実現は、戦争責任の追及と不可分で あり、日本国憲法の平和主義の理念に基づいてなされなければならない。そして、私 達は自国の現代史と真摯に向き合い、戦争責任の問題は世代を超えて担っていかなけ ればならない。

sen

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