第2章 出発と現地到着



 出発は住んでいる地点から最短距離の空港(筆者の場合は名古屋空港)からするにこしたことはなかったのであるが、実家(栃木県宇都宮市)に車を置いていく都合もあったので、新東京国際空港(成田)からの出発となった。子供連れということもあり、土曜日夜のカンタス航空便での出発にしたが、エコノミ−クラスの席も満席という程ではなく、横3席を使って寝ている人々を見かけたので、余裕がある状況だったようである。飛行時間6時間20分で、オ−ストラリアの北の玄関口の一つである、クイ−ズランド州ケアンズ(Cairns)に到着した。まだ真っ暗な早朝の5時前であった。しかし、降り立つと、ムッとした南国特有の湿度が高い状況に遭遇し、「おお、ハワイと似たような熱帯気候の所へ来たんだな。」と感じた。30分前に到着していた他の日本からの便もあり、空港内は日本人旅行者が多かった。点検、給油などをする関係なのか、予定時間より30分程遅れたが、再搭乗してケアンズを出発した。その後も順調に飛行し、約2時間後、無事ブリスベン国際空港 (Brisbane International Airport) へ8時30分頃に到着した。国内線専用の空港に隣接して作られていて、1995年12月開港予定の国際空港に比べると、規模はかなり小さいが、かえってそれが分かりやすくてよい。それほど混んでいなかった申告する側(赤色の表示がある税関審査側)へ進んだのが良かったのか、入国検査もスム−ズに行き、到着ロビ−に出られた。空港内にある銀行が混んでいなかったので、数日分の生活費などに必要なため、すぐに旅行者用小切手を現金化した。そして、日本で予約しておいたレンタカ−を借りて、約80km離れた目的地であるゴ−ルドコ−ストへと向かったのである。空港からちょっと走ると、有料橋を渡らねばならなく、いきなり小銭(2ドル20セント)が必要であったが、そのことを事前に調べておかなかったので、空港の銀行で両替したばかりの50ドル札を恐縮しながら出した。「着いたばかりで小銭を持っていないので、これでいいかい?」と言うと、「もちろん、問題はないよ。」と言ってくれ、笑みを浮かべながらおつりをくれた。ゴ−ルドコ−ストへの道はフリ−ウエイではあるが、単純なものであったし、疲れも出たからか、亜熱帯気候の暖かい天候の中で家族は後部座席でイネムリをしていた。一方、筆者は全く知らない地理に興味を持ちながらも、眠い目を擦りながら、必死に運転していた。ゴ−ルド・コ−ストに到着してから、少し道に迷ってグルグルと余計に走り回ってしまったが、なんとか無事に最初の目的地である滞在するアパ−トへ到着できたのである。


ゴ−ルド・コ−スト(Gold Coast)

 滞在地となったゴ−ルド・コ−ストは、到着したブリスベ−ンからゴ−ルド・コ−スト・ハイウエイを南東へ車で1時間ぐらい走った所にある名実ともに南半球では有名なリゾ−ト地である。ゴ−ルド・コ−ストは人口約34万人で、北はサンクチュアリ・コ−プ(Sanctuary Cove)のあるホ−プ・アイランド(Hope Island)から南はエWャ−・ポイントのあるク−ランガッタ(Coolangatta)と南北に42km、東西に約12kmと細長い都市である。1994年にゴ−ルド・コ−スト市にアルバ−トシャア郡(Albertshire)が合併したが、2つの地域を総称して、一般的にゴ−ルド・コ−ストと呼ばれている。

 約25km北のメイン・ビ−チから、著名なサ−ファ−ズ・パラダイス(Surfers Paradise)など13箇所のビ−チがあり、2kmごとに海水浴場としての設備が整っていて、その海岸線は大変美しい。また、サンクチュアリ・コ−ブ・マリ−ナなど6つの大規模なマリ−ナがあり、マリ−ン・ライフを楽しむ人にはまさに天国と言っても過言ではない。

 眩いビ−チ・ゴ−ルドの大変魅力的であるが、周辺の美しいグリ−ンの輝く風景も見逃せない。車でわずか30分から1時間程で、南西にはスプリング・ブルック(Spring Brook)、ラミントン国立公園(Raminton National Park)、特異な生態系を保つレイン・フォレスト(rain forest)、ヒンズ・ダム(Hinz Dam)のあるアドバンスタウン湖(Advancetown Lake)などの森林保護地域、北西方面にはマウント・タンバリン(Mt. Tamborine)などのなだらかな山岳地帯が広がっている。要所には、バ−ベキュ−設備やキャンプ場の施設も完備されており、山歩きが好きな方にブッシュ・ウオ−ク(bush walk)のコ−スも整備されている。

 ゴ−ルド・コ−ストの気候は、別名サンベルト(Sunbelt、一年を通して午後3時の気温が17〜23°C)とも言われ、世界的にも数少ない恵まれたリゾ−ト地である。ゴ−ルド・コ−ストのあるクイ−ンドランド州は、Sunshine Stateと言われる所以である。

 ゴ−ルド・コ−スト・ハイウエイ沿いのゴ−ルド・コ−スト北部には、米国のデイズニ−ランドのミニ版のようなドリ−ム・ワ−ルド(Dream World)やユニバ−サル・スタジオのようなム−ビ−・ワ−ルド(Movie World)、また海岸沿いにはシ−・ワ−ルド(Sea World)といったテ−マ・パ−クがある。

 また、多くの日本人観光客たちが滞在するゴ−ルド・コ−ストと言われる美しいビ−チ沿いにサ−ファ−ズ・パラダイスという商観光業の中心地区があり、日本人好みのブランド商品やオ−ストラリア製品のおみやげ品のショッピング街や日本食も食べられるレストランが多く、賑わっている場所である。日本語を話せるオ−ストラリア人や日本人を店員にしている店も多く、日本語のサインも結構見受けられる。主なおみやげ専門店は、ワ−キング・ホリデイで来ている若者かどうかわからないが、通りかかる日本人(観光客)に「お安いですよ。如何がですか?」「見ていくだけでいいですから、寄っていって下さい。」などと声をかけていた。日本人(観光客)は、お得意さんといった所だろうか。筆者や家族もそこと通ると、同様に声をかけられたが、滞在最後に少し訪れた以外は笑顔を見せながら無言で通り過ぎたことが多かった。


<異文化衝突その1>

 シ−・ワ−ルドの「イルカと一緒に写真を撮ろう」という場所で、日本人の新婚さんグル−プが私達の前に並んでいた。そこは本来プロのカメラマンが撮って、数時間後でき上がった写真を買うというスタイルの所であった。私が目撃した光景はこうである。あるグル−プの新婚さんたちが、私達の少し前にいく組か並んでいた。順番が来ると、数組のカップルが自分達のカメラでもお互いに写真を撮ろうとして、プロのカメラマンの近くへ行って写真を撮った。その専属カメラマンは、もちろん英語で「ここでは勝手に撮らないで下さい。ル−ルで決まっているのです。」と忠告した。しかし、英語わからなかったのか、あるいは無視したのかどうかを確認できなかったが、勝手に撮って行ってしまった。ところが、その後のスペイン語を話す国からやってきた家族の一人が、同じように写真を撮ろうとしたら、やはり注意された。その人は英語が堪能であったので、「前の日本人たちは撮って行ったのだからいいじゃないか!」と強行しようとした。しかし、その専属カメラマンは、「あの人達は英語がわからなかったので、仕方なかったのです。しかし、あなたは英語がわかるので、ル−ルを守っていただきたい。」と言ったが、「君が撮影する私の家族の写真も購入するのだから、いいじゃないか。」と反論した。結局のところ、納得して撮らなかったが、「もっと厳しくチェックしてコントロ−ルせよ。」と文句を言いながら立ち去っていた。日本人は、グル−プ・ツア−で旅行する人達も多く、一緒に旅行をしているとよく2〜3組のカップルなどと仲良しになって、訪問地での写真を自分達のカメラでもお互いに撮りあうものであるから、その行為自体は十分理解できるのではあるが、そこは時と場所をわきまえねばならない。例え、英語がわからなかったとはいえ、そういった状況における非言語情報で、写真撮影を差し控える必要があることは十分理解できた筈である。団体行動にも個人行動にもそれなりのル−ルがあり、ましてや異文化でのものは自己文化のものとは異なるのであるから、十分に注意して行動をする必要があると言えよう。筆者がその新婚さんカップルに注意をしてあげればよかったのであるが、時間制限で次から次へと撮影し、長い行列を作って待っている多数の人達に不快感を与えてはと思い、敢えてしなかった。


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