第5章 日豪文化比較:異文化衝突



 すでに本文中にて何箇所か日本文化とオ−ストラリア文化の違いについて述べてきたが、さらに経験したいくつかのエピソ−ドを紹介し、問題点を把握して、改善策を考えてみることにしょう。


<エピソ−ドその1>

 まず初めに、これは研究活動をしていたボンド大学の付属英語学校(BUELI: Bond University English Language Institute)の学生用自習室へ用事があって出かけた時の出来事である。それは個人指導をしていた英語母語話者教師と日本人学生との異文化衝突である。あるオ−ストラリア人女性英語教師が2人の日本人学生に作文指導をしていた。2人のうち一人に優しく説明をしながら指導した後、別の学生に、「あなたのはどうかな?」と質問をしながら振り向くと、その学生は自分が書いた作文を教師の前にぶっきらぼうに差し出し、言葉で表現せずに、「これだよ!」と言わんばかりに、テ−ブルの上をトントンと叩いて示したのである。その態度に驚いて、その教師は「そのトントンっていうのは何なの?」と気分を害したように言いながらも、作文を見てあげたのである。いくら自分が待たされたとはいえ、ぶっきらぼうに差し出し、非言語で「チェックしてくれよ!」と言わんばかりの態度を取るのは、大変失礼なことである。英会話では、人にお願いする場合は、当然プリ−ズをつけたりして、丁寧な表現でもって行なうのが当たり前であるし、もちろん日本語でする場合でも同様に丁寧にお願いするものである。なんとも見ていて腹が立ったし、すぐにも注意してやろうかとも思ったが、事を荒だてたくないと思われた教師がこの学生をうまく取り扱っているようであったので、口を挟むのは止めた。こういったことは所謂一般的なコミュニケ−ション上でのマナ−の問題でもある。「とかく最近の若者は...。」という批判を耳にするが、やはり個人差もあるし、一般化することはできないが、日本にいるのとは違う世界にいるのだという意識だけは是非持っていてほしいものである。すべて「郷にいっては郷に従え」とは言わないけれど、最低限のこと(コミュニケ−ションの基本的なル−ル)を学んで対人コミュニケ−ションをしてほしい。それが異文化衝突を避ける一手段でもあるのだから。


<エピソ−ドその2>

 息子が通園していた幼稚園での出来事である。ある日突然、息子が友達とふざけっこをしていて、その相手の帽子をその子に向かって投げた。ところが、運悪く、開「ていた窓から中へ飛び込み、窓際に置いてあったガラス製のドリンク・ミキサ−(実際の使い道は、ぶら下げて飾りに使うのかも知れないもの)にあたり、落ちて壊れてしまったのである。物を投げることは禁止されていたこともあり、園長でもあり、Prep Schoolの主任教師であるオ−ジ−(正確にはニュ−ジ−ランド人)教師に、それが彼女の個人的な所有物で、前年度の卒園生の一人がプレゼントしてくれたセンチメンタルな物であったこと(これは彼女からの手紙で知った。)もあり、息子はかなりきつく叱られたらしい。(現場を目撃していなかったので、このようにしか説明できないが。)その日の帰りに、手紙文と「お前の息子が壊したものはこれだ!」と言わんばかりに壊れたドリンク・ミキサ−が封筒に入れられ、持ち帰された。手紙を読んでみると、上記の状況説明があり、親として子供の指導をよくしてほしいとの内容であった。息子に「何があったの?」と問いただすだけで、「もう幼稚園に行きたくない。」と言って泣けじゃくり、その怒られたショックは大きかったようである。確かに、子供が遊びながら、軽い帽子とはいえ、投げた行為自体は悪いかも知れないし、その結果壊してしまったガラス製品は元に戻らない。しかし、遊びが中心の幼稚園ではこういったことは日常茶飯事ではあるまいか。ましてや別の2人の専任教師が見ていた中でもストップできなかったのである。暑い夏の気候の中では、教師といえども担当する一人一人の子供達を観察していて、こういった行為にすぐに反応してストップすることはできないかも知れない。また日本であったら、取り扱い注意と書いて、手紙と一緒に危ない壊れたガラス製品など持ち帰させはしまい。翌日、口頭で息子の不始末を謝りはしたものの、彼女がくれた手紙の内容と対処方法に不満を持った筆者は、すぐに筆者自身の意見を交えた手紙を書いて、渡した。そして、「同じ物を返せばよいのか?」と聞くと、「あなた次第だよ。」という答えが返ってきた。すぐにでも同じものを返してほしいのかと思ったが、しばらくわざとほおっておいた。一方、その幼稚園の経営者でもある友人に、その教師からの手紙と筆者の手紙のコピ−を渡して、彼の意見を聞いた。彼は恐縮して、「様々な管理関連の仕事もあり、忙しい中で気が滅入っていたこともあり、ちょっと感情的になってしまったのかも知れないので、私に話しさせて下さい。」と調整役を引き受けてくれた。友達でもあるその他の数組の父兄たちも彼女の感情的な対処の仕方を過去幾度か目撃してきており、この処理方法については、ちょっと異常だと感想を述べていた。また、別の機会に、友人のオ−ジ−大学教師夫妻に、その手紙と壊れた物を見せて感想を聞くと、「教育レベルの高いオ−ジ−なら、こんな風には書かないね。返してほしいような内容だし、こんなものは数ドルのもので、お土産屋で見つかるから、つっ返してやれば。」という答え。個人的なレベルの衝突であるが、それまでの国際幼稚園に対するよい印象が吹っ飛んでしまった不愉快な事件であった。もちろん、全く同じものとは言えないが、後日カララ・マ−ケットで見つけたものを購入し、間接的に手渡したので、物理的な償いはした結果となった。しかし、後味の悪い出来事であった。


<エピソ−ドその3>

 ある日曜日に電子メイル(E-mail)のチェックなどの処理のため、息子を連れて研究室へ車で出かけた。仕事が済んで、帰宅しようとしたら、車のエンジンがかからない。すぐに電話をかけて、日本のJAFのような組織のRACQ (Royal Automobile Club of Queensland)へ電話をかけ、助けを求めた。応対した女性担当者は、「ちょっと待って下さい。その近くに1台いますから、連絡します。30分以内に行けますよ。」という回答。しかし、30分たてど現れない。もう一度電話をかけたら、「今そちらへ向かっている途中ですから、間もなく到着するでしょう」という応え。冬のシ−ズンの夕方であったので、次第に寒く暗くなりつつあり、息子も待つことに飽きてきて、なんとも困り果てていた。ようやく、1時間ほどたって、やってきた。すぐに、見てもらい、バッテリ−の接続部分の接触不良ということで、きれいにして接続をスム−スにしてもらったら、問題が解決できた。「遅かったね。1時間以上待たされたんだよ。」と不満気に言うと、「いや、前の処理に少し時間がかかったのと道路が込んでいてね。この時間帯では仕方ないね。」という素っ気無い応え。自分には全く非は認められないので、遅くなったことに詫びも入れない。致し方ない状況もあるが、日本だったら、詫びを入れながら言い訳をするだろう。サ−ビス精神の考え方の違いがこの状況でも理解できよう。


オ−ストラリア人気質

 もちろん、多文化多民族社会を創りつつあるオ−ストラリアの人々を一般化して述べることには問題があるので、ここでは筆者たちが出会ったオ−ストラリア人たちに限定しての紹介となる点を読者諸氏にはまず理解しておいていただきたい。


<エピソ−ドその4>

 筆者にとっては研究が主たる目的であったこともあり、予め準備をしてきたり、到着後作成した2種類のアンケ−ト調査を実施したのであるが、そこでオ−ストラリア人の教師仲間の数人に彼らのクラスの学生に記入して回収してもらうように依頼した。調査の目的などを説明して、承諾してもらった3人の専門を異にする教師たちは、すぐに「分かった。協力してあげるよ。」と快く承諾し、協力してくれるような態度であったので、安心していた。ところがである、1週間立てど2週間立てど、アンケ−ト用紙は戻ってこなかったのである。全員に催促をすると、「あれ、あなたのメ−ルボックスに入れて置くように言っておいたのに。どうしたのかな?」とか「授業で配ったけど、まだ持ってきてくれないな。催促しておくよ。」といった具合であった。確かに忙しい人達であったことは認めるが、同僚などに頼まれていったん引き受けた以上は、当然きちんとやってやるのが日本流であるが、その点まったくいい加減であった。結局、そのアンケ−ト用紙の回収率はあまりよくなかった。仕方なしに、知人の日本人学生に頼んだり、自分で個人的に頼んでやってもらって、ある程度収集したのであった。なんとも無責任な態度である。もちろん、日本人でも無責任な人は沢山いるし、一般化することは難しいが、ここで知り合ったオ−ストラリア人たちには、そういった無責任な傾向が強かったと言える。


<エピソ−ドその5>

 ある夏の日曜日、友達となったオ−ストラリア人夫婦に招待され、13歳になる彼らの子供の一人とその友人、私たち家族、別のオ−ストラリア人夫婦一組と3台の車でピクニックへ出かけた。昼食はバ−ベキュ−だと聞いていたので、我々は飲み物(ソフト・ドリンクとビ−ル)と巻寿司を持参した。大人たちは日本食に興味もあったので、積極的に食べてくれたが、体格のよい子供の友人は初めての経験であったのかどうか知らないが、薦められてやや甘くした巻寿司の一つを口の中にいれるや否や、「ウッ!」と言いながら吐き出してしまった。それを近くのゴミ箱へ入れずに、その場で吐き捨ててしまったのである。正直と言えばそれまでだが、日本人なら美味しそうに食べられないまでも我慢して飲み込んでしまうか、吐き出すにしてもきちんと隠れて処理をするのではないだろうか。オ−ジ−たちの食べているデザ−トなどに比べれば全く甘くないし、スパイスの効いた食べ物で口の中に入れておけないというものでもないのである。その少年にとっては苦い異文化経験であっただろうが、アジア諸国との経済関係が年々重要になっている中、食文化を中心に東アジアを中心とした異文化理解が深まっているとはいえ、まだまだ底辺レベルでは理解度が低いようである。

 また、そのバ−ベキュ−をした所から、水遊びをした場所へ移動する途中での出来事である。先導していた友人のオ−ジ−夫婦の乗った車の後輪ホイ−ルが走っている途中で、外れ落ちた。クラクションを鳴らして知らせる一方、止って道路に落ちていた一つを拾った。もう一つも外れたのであるが、道路下の方へ転げ落ち、見えなくなって、探しようがなかった。止って待ってくれていなかったこともあり、目的地へ到着してから知らせたが、「有難う。これらのホイ−ルはよく外れるんだよ。高いものを買って、取付けても外れちゃうんだ。だから、安いもので代用しているだよ。」といって、平気な顔をしていた。なんともオ−ジ−らしいおおらかな対応の仕方なのだろうと思った次第である。


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