知事リレー講義
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   2009年 12月 17日   野中 広務 氏

 

   「 最近の政局と地方自治 」
 

 

【 生い立ちと戦時 】

私は、先に紹介いただいた経歴が示すように、尋常小学校と旧制中学校を卒業しただけの学歴しかない。私が学校で勉強していたときは、戦争中であったため、皆さんに想像をして頂くのは難しいだろう。学校では勉強したり、軍事教練を受けたりして、日本を世界に冠たる国として発展をさせ、天皇陛下のために命を捧げることが、日本男子の本望であった。そして、私自身もその模範的青年であった。

 

旧制中学校を卒業後、私は鉄道省大阪鉄道局に就職した。当時、山登りとスキーが趣味だったため、国鉄に入れば全国の山々までの鉄道運賃が無料であるということで、鉄道省を就職先として決めた。

当時、大阪鉄道局の局長は後に内閣総理大臣となる佐藤栄作氏であった。佐藤氏については、敗戦時に米軍が進駐軍として大阪鉄道局に入ってきた際に、佐藤氏を気づかう若手の職員が話し合って女性用のトイレにかくまったこともあった。

また、乗車券の様式の仕事をしていた時に、こんな話があった。新しい乗車券の様式に関する稟議を上げる際に、大阪、京都、神戸駅の担当助役のところに行って、不正利用事件を防ぐために必要である旨を説明し、賛意を得た。その後、大阪鉄道局内の38人の決済を貰い、最後に局長である佐藤氏のところに行って、様式変更の必要性を説明した。佐藤氏は「ウン」と言って、簡単に決済を下ろしてくれた。

しかし、稟議書に押されている佐藤氏の印鑑の向きが逆になっていた。そこで、「(稟議)内容がお気に召さないのですか」と質問したところ、赤ペンで二重線を引いて修正し、真っ直ぐに佐藤と記された印鑑を押してくれた。

その後「佐藤局長に印鑑の押し方を指南した者がいる」と言って、ずいぶん周囲から冷やかされた。

 

ところで、昭和20年の3月に待望していた陸軍に入営した。すぐさま高知県の部隊に配属され、幹部候補生の試験を受けた後に香川県丸亀市にあった歩兵第12連隊の連隊本部に入った。連隊本部に入った後に、中国大陸への派遣命令を受けたが、既に多くの船舶が撃沈されていたため、中国大陸に行きの輸送船が無く、やむなく高知県の原隊に戻った。

高知では、民家に下宿していたが、夜になると海軍の若いパイロットがよく来ていた。彼らは、「明日、九州の鹿屋基地に行くので、皆さんとお会いするのは最後になる。食べ切れないので、皆さんで食べてください」と言って、上等なウイスキーやタバコ、チョコレートを置いて、特攻作戦に赴いた。私は、このような戦争の悲惨な姿を見たことを、皆さんにお伝えしたい。

 

1998年に中国の江沢民国家主席が来日した際に、小渕総理と首脳会談をした。私は内閣官房長官として臨席した。当時の新聞やマスコミは、江沢民氏が小渕総理に対して大きな声で失礼な言葉をかけ、天皇皇后両陛下との宮中晩餐会においては、中山服(人民服)を着て出席したと言うことをしきりに書きたてた。

江沢民氏は小渕総理に対して、もっと1930年代から1945年への戦争の歴史を日本の若者に教えてくださいと言った。江沢民氏は、日中戦争の際に自身の家族が犠牲になった話をし、目に涙を浮べながら訴えかけていた。

日本の1930年代から1945年までの歴史を皆さんがどのように習ったかは知らないが、この時代の歴史教育は、授業時間の関係などから欠落している。日本の若い政治家は何も知らず、日本の過去の行いを批判することすらしない。



【 政治への志と平和への想い 】

25歳の時に初めて園部町議会議員選挙に出馬し当選した。出馬以前から参加していた青年団活動を通じて、竹下登氏や田中角栄氏にも出会い、大きな影響を受けた。

私は、全てを知って下さっている所から出馬すると心に決め、初当選以後当選3回、リコール選挙を含めて通算8年の在任期間中に、副議長を経験した。

当時、園部町議会の議長は元小学校長、町長は特定郵便局長であった。戦前の地方において、酒屋・タバコ屋・郵便局長は素封家であった。

 

明治政府は、地方の有力者である人物を特定郵便局長にして、財政を支えることを考えた。

特定郵便局制度は、小泉元総理によって制度自体が傾かされたが、亀井郵政担当大臣が再建を行おうとしている。私は、亀井氏とは長い友人であり彼に郵政問題を解決してくれるように期待をしている。

明治政府は若い世代が命がけで維新を成し遂げたが、近代化の根幹は特定郵便局に存在していたと言える。私は、特定郵便局を地方における最先端の行政の仕事にしたいと思う。

小泉元総理によって郵便・簡易保険・貯金の3社に分社されたが、亀井氏によって再統合をしようとしている。

 

政治には表もあり裏もある。私は6年3ヶ月前に衆議院議員を引退した。52年間政治家として仕事をしてきた。私は、皆さんに過去の歴史を学び、今の平和が簡単に出来たものではないということを学んで欲しい。

 

私は去年だけで4回、一昨年は3回、中国や韓国を訪問している。もっと南の国々からも招待はあるが、北東アジアにおいて、4つのことを解決しなければならないと思っているので、なかなか踏み切ることが出来ない。

中国とは国交正常化して35周年になるが、腹の底からお互いに信頼している関係かどうか。中国は平和なアジアを構築してくれる国になるか。私はアジアの中心として中国は発展すると考えている。優秀な人材と広大な国土、豊富な天然資源、近代化の波は地方にまで流れている。

 

私は現在84歳であるが、中国・韓国・北朝鮮・ロシアと信頼を持てるような国にするために残された余生を使いたい。中国の奥地には、現在も日本との戦争の傷跡が残っている。

先日、私の東京の事務所に中国から12歳になる少女と35歳になる父親が来た。少女は左半身に遺棄化学兵器の被害を受けたと訴えていた。

 

私が内閣官房長官在任中に、中国における遺棄化学兵器に関して外務省の阿南惟茂氏が報告しに来た。私は、遺棄化学兵器は日本の資金で処理すると述べ、遺棄化学兵器を中国人と中国の政府の許可を得て処理をしたい旨を、中国政府に伝えた。

一昨年、現地を訪問したが、山から兵器を運び出しているものの、そのまま野原に放置している姿を見て驚いた。日本はこの件を解決しなければならないと思う。

 

また北朝鮮はもっとひどい状況だ。私は、1999年まで北朝鮮と8回交渉をした。こちらから何も渡さない形で拉致被害者の奪還交渉をすることは非常に厳しい。

朝鮮労働党統一戦線部長キム・ヤンゴン氏は、国際部長時代から知っているが、非常に優れた人物で、常に金正日総書記の近くにいる。キム・ヤンゴン氏が中国外交通商部の部長に私のことを話して、その部長から連絡を貰ったこともあった。

 

日本は朝鮮半島を自国の領土として統治し、創氏改名などを行った。朝鮮戦争の後、北朝鮮は厳しい状況であるが、韓国は自由主義陣営の中で、我々と胸襟を開いて話をすることができる。

日本と韓国には日韓議員連盟が存在し、交代で交流事業をやっているが、韓国側の国会議員は全て出張費全額が国費負担であるが、日本側は政府負担が無い。

 

かつて、竹下登氏が会長を務めている際に、韓国側より外国人地方参政権を与えて欲しいとの要請があった。韓国側は、日本の各地方に住んでいる在日韓国人が、コミュニティを作り税金を支払っていることを理由に、地方参政権を与えて欲しいという立場で、日本で実現した場合は、韓国においても同じようにやると言ったため、議員連盟として協定書を書き、弁護士である公明党衆議院議員冬柴氏に法案策定を依頼した。

インターネット上では、被選挙権と参政権を間違った認識で捉えて書き込みをしている人々がいることが残念だ。

私は日本が戦争から今日までの歴史を学び、中国・韓国・北朝鮮・ロシアの4カ国で北東アジア共同体をつくることを考えている。

 

シベリアには、太平洋戦争の時に軍民併せて50万人の人々が不当に抑留された。私は、必ずこの人たちの遺骨を持って帰りたいと思っている。

 

また靖国神社について言及したい。靖国神社は、軍人として戦地で亡くなられた方々等を祀っている神社である。昭和27年のサンフランシスコ講和条約を受けて、BC級戦犯として処刑された方々も合祀した。是非、多くの人々に、靖国神社の中にある遊就館を見て欲しい、この資料館はまるで戦勝国が作ったような内容の展示がされている。日本は過去を省みない。

 

私は学歴がないが、自治大臣などの要職に就くことが出来た。総理をやって欲しいと言った話があったが、「私は首相には200%ならない」と返事をしてきた。なぜなら私は、学歴がなく、英語を使うことが出来ない。確かに同時通訳を使うことは可能であるが、首脳会談は終了後懇親会のときに首脳同士の人間関係が深まるので、懇親を図ることが難しいから、就任要請はすべて断った。



【 最近の政治家や官僚への意見 】


 

日本の内閣総理大臣の中には、ふり仮名が付いているのに原稿を読み間違える人物がいたが、作家の瀬戸内寂聴先生は、中学の一番必要な時期に国語の勉強していないと酷評していた。

 

最近、惜しい政治家を1人なくした。元衆議院議員の中川昭一氏である。中川氏は非常に保守的な政治家で、私の発言などに対して、よく元総理の安部晋三衆議院議員などと一緒に文句を言ってきたが、薬害ヤコブ病などの問題では、社会的弱者救済のために一生懸命働いていた。

 

しかし、G8会議の際に、中川昭一氏は飲酒が原因で失敗をした。私は、幹事長代理をやっていたときに何度も飲酒癖について注意をしていたが、G8会議の際には、財務省財務官と国際金融局長が随行していたが、あのような記者会見を防ぐことが出来なかった。

また、同席していた日銀総裁も全く何もしなかった。随行している官僚がしっかりしていたら、あのようなぶざまな姿を世界中にさらすことは無く、衆議院議員選挙に落選することは無かった。

 

民主党は、先の日銀総裁の同意人事の際、財政と国際金融に対して見識を持った元財務官僚の日銀副総裁武藤敏郎氏の人事に、元財務官僚という理由だけで反対し、結果的に日銀プロパーである副総裁白川方明氏が総裁になったが、日銀総裁の人事では、財政と国際金融の両方に対して見識を持った人間でなければならないと思う。

 

元総理福田康夫氏は、保守的な歴史認識を持っていない人物であった。かつて、福田政権の時に、民主党前党首小沢一郎氏から大連立の話があった。福田氏は政治上の安定が必要と考え大連立を飲む意思であったが、結果的には民主党内で反対になったということである。  

 

また、麻生氏は就任当初に雑誌『中央公論』に20088月の改選を示した。その時に選挙をすれば勝てたが、結局決断が出来ず20098月の選挙で自民党は完膚なきまでに敗北した。

 

小沢氏や平野博文官房長官、元総理中曽根康弘氏らが、中国の国家副主席習近平氏と天皇陛下との会談を宮内庁に迫ったとされている。

天皇陛下の体調を考えた1ヶ月ルールを無視した要求に対して、宮内庁長官羽毛田信吾氏はこれを拒否した。その後、小沢氏は「政府の一役人が日本国憲法の精神、理念を理解していない」として、羽毛田氏に対して辞任を迫ったが、羽毛田氏は小沢氏や民主党の対応に対して批判を行った。

私は、舞台裏がどうなっていたのかは別として、大変悲しいことであったと思う。

 

小沢氏は長い話をしないし、本会会議の答弁やクエスチョンタイムも面倒だという。そんな人物は総理にはならない。彼はリーダーを横でコントロールすることを好む人物である。

 

民主党は官から民へ、公務員さえいじめていたら良いと思っている。事業仕分けでは、各省の担当者を呼びつける。今まで偉そうだった官僚が呼ばれて詰問されている姿を見て喜んでいる国民が居るかもしれないが、あれは全て財務省のお膳立てである。

 

今度の予算では、大きな額の国債を発行することになっている。私は、いろんな政策によって国民を買収する買収の選挙だと言った。こんな国を作っていたらダメだが、自民党も正面から攻撃できる人材がいない。

 

私は議会政治に大きな危惧を持っている。今回の事業仕分けのように、表に出ていない部分でどんな芝居が隠れているか、どんな芝居が演じられているか、そういった部分を見るようにしていただきたいと思う。

 

民主党は土地改良事業費を半減させ、予算を農家の所得保障の予算に充てるといっているが、私が土地改良事業連合会の会長をやっているのでその当て付けでもあろう。美しい田んぼを作ったうえで、所得保障を行わなければ、やはり意味が無い。

水田は、山から流れてくる水を保ち洪水を防ぐ防災機能を持っている。エネルギー革命で山林資源がおろそかにされ、水田の管理もがおろそかにされている。これから環境が重要なものとなるが、日本の美しい国を守っていくことが大切だ。

 

地方自治の問題については、各都市の市長や県知事は勝手なことばかり言っている。

お城に例えれば、市町村は内堀であり、都道府県は外堀である。都道府県は健全な市町村を作り上げるために動く必要がある。

嘉田滋賀県知事が大戸川ダム建設反対を表明している。これに呼応する形で山田京都府知事、橋本大阪府知事も加わり3人で建設反対を表明している。

皆さんは、淀川の堤防の土手が劣化していることを知っているだろうか。大田川ダムは建設計画からすでに31年経過している。私も、あるダムの構想段階から完成まで携わった経験があるが完成までに50年かかった。ダム建設においては大変多くの犠牲者が存在し、また多くの人々が責任を取って辞めていったという背景が存在する。ダムが無駄だというのは簡単だが、先人の苦労を忘れてはいけない。

もし大戸川ダムが無く、堤防が決壊すれば、建設に反対した3人の府県知事達に個人補償をしろと言いたい。

私は、32年間地方自治に携わっていたので、今の地方自治に対する風潮には、問題を感じる。


 



 質疑応答

   鳩山政権の東アジア共同体について。

東アジアをEUなどのようにするのは良いが、北東アジアとの戦争の傷跡も考えるべきだ。

ただ、東南アジアの各地にも日本兵の遺骨が残っているので、この問題も解決すべきだ。

小渕総理のときに、母なる川を守ろうというスローガンの下で、中国での植林事業を立ち上げ、日本の学生と共産党青年団と合同で植林をしている。日本には、毎年黄砂が飛んでくるが、中国では万里の長城を作ったときに森を燃やして以後、そのまま植林をしていない。

 

    政治家を目指す学生に対して、メッセージをお願いします。

政治家は、いろんな道がある。町議会議員から国会議員まで経験をしたが、小泉政権下における政策に対して反対の立場であり、彼らの政策を見ていて同じ国会議員として恥ずかしいと思って引退をした。

志を持ち尊敬されるような国をつくるという気概を持つことが最も大切である。















 


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