知事リレー講義
ライン
   2010年 11月 23日           滋賀県 嘉田由紀子 知事


   「 地域主権時代における自治体の挑戦  」 




1. はじめに

 4年前、2006年に滋賀県知事選挙に立候補した。今日の講演では、知事に立候補した理由と2期目における県政について具体的に話をしようと思う。その柱となるのは地域主権改革である。

都道府県という組織は、明治の初期以来ずっと国の出先機関だった。第二次世界大戦前は知事も国から送られてきた。戦後、住民が選ぶようになって、民選知事、という形になったのだが、いかに都道府県の骨を抜くか、というのが戦後60年の政治だった。

30年前に県職員になった時、県の仕事は本当に不自由であった。たとえばどの政策にしても、国の方で決めてくる法律、技術、予算に従わないといけないのである。県が独自に権限と財源と知識をもっていたら、琵琶湖はあそこまで環境を破壊せずに済んだと思っている。そして少子高齢化などの問題ももっと早く手が打てたはずである。

国から財源、権限、技術、知識をもっともっと自治体で、自分たちの地域の政治は自分たちで、というのが地域主権改革である。それをやりたいという思いで知事に4年前に立候補した。




2. なぜ政治家に


今日伝えたいもうひとつのことは、政治も行政もみなさんの暮らしと大きく関わっていて、投票に行かないと自分自身が損をする、ということである。今の日本の投票率は大体20代は20%、30代は30%、そして60代・70代が一番高く、70%になる。政治家から見たら、票をもらわないと、当選しないので、票を入れてくれる人向きの政策を出していくことになる。

だから今、子ども手当てとか、若い人の就職というのが問題になる。これは大事な政策と思っているが、意外と反対する人が多い。それは、高齢者向きの政策を出す方が票をもらえるからである。子どもなり若者向きの政策を出そうとしても、そもそも若い人が投票に行かないから、なかなかそこに財政が回らない。政治の問題なのだ。この講義のみなさんには、地域主権と併せて、政治に関心を持ってもらいたい。

実は、私はもともと政治とはまったく無縁の場所にいた。そして滋賀県生まれではなくて、埼玉県生まれである。私は中学校(15歳の時)の修学旅行で比叡山の延暦寺とか琵琶湖を見て「こんなところに住んでみたい」と思った。それでこの関西の大学を選んだ。

併せて、アフリカに行きたいと思っていた。アフリカでの生活を経て自然とともに賢く暮らす仕組みを勉強したいと思い、その後大学院でアメリカに留学した。ちょうど1972年にストックホルム会議があって「成長の限界(Limits of the growth)」と言われた。

そのときに、アメリカの大学の先生に日本での研究を薦められ、日本に帰り滋賀県の研究を始めた。それが70年代末から80年代で、県職員として、琵琶湖の周辺のフィールドワークをやり始めた。フィールドワークでは生活での水の使い方やその社会の仕組みについて研究をしていた。

一方、琵琶湖周辺では開発が進んでいた。琵琶湖総合開発が、下流の大阪・兵庫にたくさん水を送るために上流に人工的なダムを作っていた。八ッ場ダムのように、上流に水を溜めるダムを作って、下流の水道の水を供給するということを考え、日本中に現在まで2000ほどダムを作った。だが、近畿圏の場合には既に琵琶湖がある。しかし琵琶湖総合開発が進んでいて琵琶湖にも堤防ができていった。

しかし、琵琶湖は単に水だけではない。そこには生き物がいるにも関わらず、生き物にどのような影響を及ぼすのか、ということについては全く配慮されていなかった。また、周辺に住む人々の暮らしぶりが大きく変わった。

その現場をずっと昭和40年代、50年代にかけて見ながら生き物や文化や歴史に配慮しないと琵琶湖の良いところが失われると思った。琵琶湖研究所の研究員に1981年(31歳のとき)に採用されたとき、環境配慮をしながら琵琶湖の開発をすべき、という提案をしたのだが、殆ど聞いてもらえなかった。

私は25歳で長男を授かったが、その途端自分が弱者になった。仕事か家庭か、の二者択一を迫られるようになった。保育園に入れようと思っても全然相手にしてくれなかった。当時私は大学院生だったが、「大学院生で保育園」と福祉事務所から逆に怒鳴られる。「学生のくせに贅沢だ。子どもなんか産むな」とも言われた。それは76年くらいの時で、今もまだまだ不足しているが、今とは大違い。

みなさんのお父さんお母さんの世代の頃は男女雇用機会均等法ができる以前であり、私たち女性は就職試験の会場さえ入れてもらえなかった。大学に入るために一生懸命勉強をして学部時代に会社の志望理由を見つけても就職の受験資格さえなかった。女性にとって、70年代は公務員になるか研究者になるかしかないというような時代だった。そこで私は社会の何にも守られていないことがわかって、途方に暮れた。

そのときに「政治って大事だ」と思った。「自分はなんて社会に裸同然の状態に追い出されるんだ」「仕事しながら子ども生んで、当たり前の要求がなんでサポートされてないのか」と強く思った。だから環境の問題、そして子育ての問題について「これは政治が変わらないといけないのだ」というのを綿々と考えてきた。

国は補助金を地方に配る時には条件をつける。このような中央からの補助金の仕組みを変えてほしいというのも、選挙に立候補した一つの理由でもある。補助金について言えば、知事自身にとっては驚くことであるが、戦後60年間中央集権を維持するために設けられた詳細な規制がある。

たとえば琵琶湖周辺に合うような農業のやり方を提案したが、国のマニュアル通りに圃場整備をやらないと補助金がもらえないから知事の提案を実現することは難しい、と担当者に言われたことがある。このように、農地を作り換える圃場整備のやり方一つ、技術指針についても細かく指示がつき、そのとおりにやらないと国からの補助金はもらえないのである。

しかし、本来地方が使うお金だから地方が税金からもらえばいいはずである。いま日本の中で、行政の仕事の6割が地方である。しかし、財源は4割しかない。国が6割の財源を持って残りの2割のところには、補助金交付と引き換えの条件をつけるのである。

日本の自治体は、基本的な財源は国税から回ってくるので、国から補助金がないといけない。昨日も知事会で国に規制撤廃を求めた項目が23項目あった。その項目の中には病院をリハビリテーション化するために設けられた規制や保育ママ制度における施設開設の際に設けられた規制が含まれている。 





  

3. なぜ知事選挙へ、子どもの未来にツケを残さない

 

私は琵琶湖が大好きで、滋賀県には多様な価値があると思っている。しかしそれが忘れられている。先ほどのダムについても、確かに必要なダムもあるが、今計画されているあるいは今建設中、まだ建設されていないダムは、優先度が低いのである。

現在は、水道の水はもう東京の首都圏でも余り始めている。八ッ場と同時に大戸川ダムというのも計画されているが、とにかく高コスト体質である。

ダムは何のために造るのか。それは洪水を防ぐことで、それは命を守るためである。命を守るためにダム以外の方法はある。それなのに手段としてのダムが、手段であるというのが忘れられて、目的化している。道路でも新幹線でも同じことが言える。

4年前に立候補した時に、新幹線の新駅を造るか造らないかが、今で言うマニフェスト論争になった。私は「いらない」という意見を表明し、一方当時の現職は「必要だ」とい言い、一つの争点になった。3万票ほどの差で、県民のみなさんが「駅はいらない」という方向を選んだ。







4. 草の根型選挙(一期目の知事選挙)

 

昨日も芦屋で女性市長、稲村和美が誕生した。芦屋で女性市長が2代続いて誕生したように、普段投票に行かない人も含めていろんな人が、もっと選挙に参加するべきである。

ただ、普通選挙というのは「地盤」、同級生ネットワークや何か団体がある、あるいはその代表であるなど、「カバン」、お金、「看板」、国とのパイプがあることなど、これら3つが必要となる。実は、全国の知事の中で、半分以上が霞ヶ関の官僚経験者である。これは、看板になる。

この3つについて、私の場合でいえば、埼玉県出身なので地盤はない。もちろん中学校・高校生の時の同級生もいない。団体もいない。カバンについていえば貧乏学者だったのでお金が無い。看板についていえば「学者に何ができる。」と言われた。「政治経験がない。未知数だ」ということも言われた。

そこで、徹底して草の根選挙をやった。もともと昭和40年代末からずっとあちこちの集落を歩いて色んな人と知り合い、昔の琵琶湖のことについて聞いたりしていたので、今回も琵琶湖の人たちから話を聞いた。そのときに立候補した場合の応援について聞いたら、県民から良い反響があった。

それから地元で座布団会議、完全に草の根集会をやった。その時の相手は3期目で自公民という完全に相乗りの推薦だった。私は自民党・公明党・民主党に推薦願いを出しに行ったことがあるが、応援をもらえなかった。

結果的には県民が知事を選んだ。軍艦のような現職に対して、県民はこちらの手こぎ船の人を知事に選んだ。つまり、ここでは保守・革新であるとか特定の政党等とは関係ないのである。本当に滋賀のこと地域のことをやってくれそうかどうかということで、県民が1票を入れてくれたのではないだろうかと私は思っている。

 




5.二期目にむけて(県民参加のマニフェストづくり)

 

知事に当選してからの4年間で、ダムに関しては止めるべきものは止めてきた。この4年間、滋賀県の職員と知恵が「県民が選んだ知事が決めた方向だから」とその方向をぶれずに支えてくれた。

大戸川ダムを止めるために下流との合意に至るのに2年かかったが、大戸川ダムの中止というのは、滋賀県の技術職員が自分たちで汗をかいてデータを出してくれたからできた。また、担当者が「合意できるかどうかはわからないところについては一旦先送りにして、まずは合意できるところから行きましょう」と提案するこの知恵が、知事の政策遂行を助けてくれた。だから政治と行政が一緒に同じ方向を向かないと変革はできないのである。

同様に、当選後新幹線の駅を計画していた土地区画整理事業を、駅なしで区画整理を一旦ゼロに戻した時も、滋賀県職員の協力と知恵があったから実現できた。このような50haもの土地区画整理事業を、ゼロに戻したという事例は今までにない。元々、区画整理には変更規定はあっても中止規定はない。そこである担当者が「中止ではなくて50haから0ha変更」と提案したのである。

大事なのは本当に県民にとって今の優先度として、どこに予算を回すのかについて県民と選びながら作り上げていくことである。4年間の間にも100か所近くいろんな座布団会議を開いたが、2期目に知事に立候補した時には、草の根でできるだけ地域を回り意見を聞いてそれを基にマニフェストをまとめた。4月から7月まで県内21ヵ所を回って、1600人から意見を聞いて、マニフェストとしてまとめた。それが「滋賀の未来をひらくマニフェスト」になった。幸い、県民から40万票を超える支援をもらった。




6.県民の不安を安心に変える県政を(県政世論調査に見る不安感)

 

今、県政の世論調査なり座布団会議で見えてきた不安が沢山ある。それは、人口減少や高齢者ばかりが増える少子高齢化に対する不安や、目の前に仕事がないなど雇用悪化の不安、そして琵琶湖の将来に対する不安である。

さらに、地球規模の環境問題でいえば、この間の名古屋のCOP10、生物多様性条約などが挙げられる。この条約が批准されたのは90年代のブラジル会議だったが、条約の中身をどうするのかについては結局20年近く決まらず、それが名古屋議定書としてやっと中身が充実されたのである。温暖化対策、生物多様性も含めて、この不安をどうやったら安心と希望に変え得るかというのが、滋賀県政のこれからの4年間の仕事と思っている。 









7.
未来戦略プロジェクト

 

県民の不安を解決するために8つのプロジェクトを立ち上げた。プロジェクト全体の大きな方向としては、人生の応援団として不安なく楽しく暮らせる滋賀を目指す、という目標である。

そこで、4つの目的、@不安なく楽しく暮らせる滋賀、A人と自然が繋がる美しい滋賀、Bたくましく活力に満ちた滋賀、C安心・安全な滋賀を達成するために、8つのプロジェクトを今つくりつつある。この中身を、予算内で確実に成果が得られるように検討している。

 

(1)子育て・子育ち応援プロジェクト

今、医療系の産婦人科医や助産師が不足している。助産師、産婦人科医を増やすのも県の仕事である。小児科医も人手が足らず、特に24時間子どもを診ている場合もあり、とても疲れきっている様子である。

また、子どもを安心して生み育てるために医療知識の普及を一つの柱にしたい。若い父母に対しては、電話相談などを通して子育ての際の不安な面に関する知識や支援を普及するべきである。それから子どもたちの生きる力を育むこと。

都道府県の予算の34割くらい、滋賀県の予算5000億の中で1700億くらいが、教職員の人件費にあてられている。先生の給与は県が払っているという点では、教育の充実というのも県の大事な仕事である。

そのうち特に滋賀県として力を入れているのが、子どもたちに自然に触れる機会を多く与えるようにする事である。なぜならパソコンが普及しているために、川で魚を捕まえ里山に入ってカブトムシを捕まえるような機会が少なくなってしまっているからである。

私は、どんなに文明が進んでも人間は内的に自然だと思っている。それは内面的自然と言われるもので、人間の体というものは、自然と同じように循環しているものである。この内なる自然と外なる自然と繋がる事が必要なのである。逆に両者が繋がらないことが人間の精神不安を招いているのだと信じている。

滋賀県の場合には、山や田んぼそれから湖など外なる自然がたくさんあるので、そこで子どもたちに十分な経験をしてほしいと思っている。そのために、子どもたちに自然体験をという「うみのこ やまのこ たんぼのこ」に力を入れている。

例えば小学校5年生になると、全員が夏休みに、湖で12日の宿泊研修をする。「うみのこ」という船で、琵琶湖の中に船がないと行けない浮島の漁村まで、12日の間、2つか3つの他校の人たちと同じ船に乗って、交流をしながら船の中で泊まることにしている。28年前に始めたので、今では2世代で乗っている人も中にはいる。「うみのこ」には3億円くらいかかっており、完全に県の予算であるが、それでも価値があると思っているので、こういう政策を続けている。 

 

(2)働く場への橋架けプロジェクト

県としては、国に対して、ハローワークという職業の紹介・あっせんの場を提供するための権限と財源と人を、自治体に委譲するよう要請している。なぜなら、国の役人ではできない仕事がある。

一つは、今みなさんの就職を確実にフォローすることである。まさに就職の困難な状況であり、県としてはなぜ就職できないのかについて、カウンセリング、聞き取りを行う必要がある。

大企業と違って中小企業は人が欲しくても雇えない。中小企業の求めている人材を教育からしっかりと育成し、産業と就職ニーズとをつなぐ仕組みをきちんと整えなければならない。

また、子育て中の母親が就労を希望する場合、ハローワークに行くだけでは不十分であり、保育園とセットで考えないといけない。その場合、住居地と職場と保育園の場所・サービスも考えないといけない。

あるいは資格を持っていて、5年から10年ほど職場から離れてしまっている人の再就職という課題もある。再就職するためには訓練が必要なので、そのためのきめ細やかな整備が必要である。

滋賀県では今若い人たちへの支援に力を入れている。特に一度も就職した事が無い、一度は就職したが現在辞めている人がすごく多いのである。そのような若者に対して、半年間県が毎月12万円の給料を出して雇用することにしている。その間に、企業で働く際に必要であるコミュニケーション能力や自己分析能力を磨いてもらうのである。

このような「三方よし」人づくり事業というきめ細やかな取組みは国ではできない。また、ハンディのある人、障害のある人、高齢者にも就労支援が必要だということで、働く場への橋架けプロジェクトを実施している。

 

(3)地域を支える医療福祉、在宅看取りプロジェクト

この問題の根っこは、どんどんこれから高齢化が進んでいくと、現在滋賀県内では毎年11000人が亡くなっているが、この後20年後30年後には1万7,8千人が亡くなる。その増える分を病院で吸収しきれない。昔、1950年代から60年代では、8割が自宅で亡くなっていた。2割は病院だった。今は8割が病院で亡くなっている。2割が自宅である。このまま8割が病院で亡くなると、病院のベッド数を数千台増やさないといけなくなる。これは大変なコストなだけではなくて、資料にあるように、「自分は最後どこで看とられたいですか」という質問をしたところ、半数近くの人が「馴染みのある自宅で」を希望している。いずれ誰にでも訪れるのだから、安心して死ねる仕組みにする事が大事である。

今回の7月の知事選挙で、「死の問題をタブーにしない。一緒に考えましょう」と言って、あちこちの座布団会議で唱えた。選挙で「安心して死のう」なんて、マニフェストに書いている人はまずいないので、最初は不安だったがみんなとても真剣に聞いてくれる。そのためにはまず生活介護というものが必要である。社会として医者が自宅で往診出来る事、看護師も場合によっては24時間対応ができる仕組みが必要である。

最近は「往診の歯科医」という新たな現象も始まっている。12週間前に往診の歯科医の道具について県が医師会に予算をつけた。

だから、みんなが安心して在宅で看とってもらえるというこの仕組みも県としての大きな仕事である。

 

(4)低炭素社会実現プロジェクト

京都プロトコルなどいろいろ導入できていないものがまだある。何故世界でアメリカや中国が汗をかかないのに、日本だけが苦労をするのか。

それ以上に、琵琶湖の場合には、具体的な数値目標を掲げて温暖化対策をやろうとしている。

国は2020年までに25%削減、鳩山由紀夫イニシアティヴで去年の11月に国連にあるニューヨークで演説をした時の数値目標を掲げたが、一方、滋賀県は2030年に50%削減を掲げている。

2006年の7月に知事に就任したときに、琵琶湖の政策について、私自身にはかなりイメージがあったのだが、温暖化対策をどうするかに対して、消極的な空気が全体としてあった。本当に琵琶湖だけでやっても、そもそも日本は世界のCO2排出量の4%である。そのうちの100分の1なので滋賀県の排出量は0.04%である。滋賀県で排出削減をしようとしてもたったの0.04%である事に加えて、もしかしたら経済界が反発をして、企業が逃げる恐れもある。そのような懸念もあり、知事としてはだいぶ頭の痛いところではあった。

しかし、2007年の13月の琵琶湖は、水循環がうまくできず、平均気温が例年よりたった1.5度上がるだけで、機能不全を起こす事が分かったのである。つまり、琵琶湖は水の塊が小さい、太平洋や大西洋のように大きくないので微妙な変化も受け止めて、まさに坑道のカナリアのように危険を知らせてくれる、そういう場なのだということが分かった。

琵琶湖は地球環境問題での小さな窓、小さいけれどもクリティカルな窓なのである。だから、琵琶湖について本格的に温暖化対策をしなければならない。

現在、2030年に50%削減という目標を掲げて、条例と行程表づくりを始めている。温暖化対策というのはライフスタイルや産業構造、まちづくりから交通体系まで、全てに影響を与えるのである。そのうち一番大きいのは産業と交通である。それを190の項目、個別の政策に合わせて、それで2030年までに、例えば車だったらエコカーを何%にする、という風に積み上げをしている。  

 

(5)琵琶湖の再生プロジェクト

琵琶湖総合開発という下流のための水資源開発の結果、壊してしまった琵琶湖の生態系を取り戻さないといけない。そのためにダムなしでやれるならそれが一番だ。何故ならその事でみなさんの未来のために環境が守られるからである。

だから大戸川ダムは止めた。山田知事と橋本知事とに、私が就任して2年目の2000年の823日に琵琶湖の意味の説明をし、大戸川ダム建設中止に理解を求めた。 

 

(6)滋賀の未来成長産業プロジェクト

環境保全は決して産業にマイナスではない。一つの良い例は1970年代初頭に、マーシャル法というのがあって、排出ガスの規制をした。その排出ガスの規制をしたから技術が進んで、トヨタを筆頭に日本の車が世界に対して有位になった。

同じように、石油はいずれ枯渇する。脱石油社会に向けてのエネルギー体系を開発することで、世界に対して先に発信が出来る。だから、環境保全は決して産業にマイナスではない。環境産業でしっかりと技術開発をして、産業を興していこうというのがこのプロジェクトである。

例えば、知事選で争点になった新幹線の駅を止めた後の計画地には、世界でも最先端の技術を持っている京都のジーエスユアサと三菱自動車とが一緒になって、リチウムエナジーという電池を作る会社が進出する予定である。電気自動車普及のエッセンスはいかに電池を安くするかである。今一台400万円近くするが、それは電池が200万円ほどかかるからである。それを安くできたら十分私たちは電気自動車に乗れる。

また、例えば太陽光発電であるとか、電器産業は関西が強い。太陽光の8割、電気自動車の電気の7割は関西から生産されている。

 

(7)地域の魅力まるごと産業化プロジェクト

京都が近くにあるためか、県職員あるいは滋賀県民は残念ながら郷土に対する誇りが弱い。しかし、滋賀県には他府県にはない特色が数多く存在する。例えば琵琶湖や比叡山延暦寺が挙げられる。滋賀県に生まれて育った最澄は天台宗の開祖である。平安京成立は794年だが、それよりも9年前の785年に伝教大師は比叡山延暦寺を建てた。そして琵琶湖は天台薬師の池と言われているくらい、比叡山との繋がりがある。このような滋賀県の潜在的な力をもっと発信するべきである。

 

(8)みんなで命と暮らしを守る安全・安心プロジェクト

ダムは建設に何千億円もかかる上、川の中だけでしか水を閉じ込められない。それにも関わらず、国土交通省河川局がダムを造りたがるのは、無理もない事なのである。なぜなら、河川局は川の中だけしか管理が出来ないからである。

しかし、自治体なら、農地や都市計画も含めた地域全体で最も合理的な方法とはどういう事か、水郷ダムの被害対策も含めてトータルに住民の側から命を守る方法を提案できる。

河川局だけではそれが出来ないので無理をして川の中だけでダムを造ろうとしてしまう。それが戦後ここ3040年のいわば縦割りの中での治水政策だった。





8.
関西広域連合の挑戦

 

関西は関西でまとまって、広域連合で取り組まなければならない。琵琶湖淀川水系というのは滋賀県だけがと言うのではないので、府県を超えるところで取り組まなければならない。

関西広域連合は111日に総務省に許可設立申請をし、12月初旬には設立される見込みである。その設立のねらいは、関西における広域行政を展開することである。

国と地方の二重行政、特に地方支分部局と法律上言われている出先機関を廃止して、きちんと都道府県の連合体としてこの仕事を受ける。

このことが地方分権の突破口を開くことになるのである。 

医療連携について言えば、今ドクターヘリというものがある。これは個別の都道府県でやると高くつくのであまり機能的ではない。これを関西広域連合で医療連携としてやろうというものである。  

また、例えば電気自動車を広めようという場合に、電気自動車の充電スタンドは関西圏のいろんなところでどこにどれだけあるかという情報がないと、なかなか上手く広まらない。

広域環境保全、それから資格試験なども、関西広域連合で取り組んでいきたい。









9.
これからの地域主権への覚悟

 

これからの地域主権というのは、地域のことは地域で決めることである。現場の声が求めている事項については、やるかやらないかの問題である。強い姿勢で県政を担っていきたいと思っている。








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