知事リレー講義
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   2010年 12月 21日           名古屋市 河村たかし 市長


   「 庶民革命〜生みの苦しみ真っ只中  」 




1.自らの経験と若い人たちへのメッセージ

私の父は、名古屋で古紙を回収する仕事をしており、私は学生時代からその会社の手伝いをしていた。大学を出た後は、すぐにその会社に入社した。商売屋の長男は、他の生き方をなかなか考えられず、家の仕事を熱心にやっていたが、父親はあまり商売で競争をするなと言っていた。そのため、私は商売するからには上場するぐらいの気持ちでないといけないと思っていたが、父親は大規模にすることは反対した。そのことで論争し、28歳のときに検事になりたいと思い、名古屋の法律学校に入学した。私は商学部出身で、法律の勉強はほとんどしていなかったが、択一試験は1年で合格した。そのとき既に結婚していて、子どももいたため、昼間は仕事をして勉強は土日や夜にしかできず、論述試験には9回不合格となり、挫折してしまった。

 

その経験から、「人生再挑戦主義」ということを考えた。皆さんも、思うようにならなければ、一発選挙に出てみるのが良いと思う。飲食店で成功するにはものすごい努力が必要だが、選挙は間違って通ることがあるため、挫折したら選挙を考えるということを覚えておいてほしい。しかし、選挙は門戸が狭いため、誰にアドバイスを求めるかが大事である。私は選挙に2回落ちているが、本当は総理大臣にならないといけないと思っている。

 

日本と外国の政治が決定的に違うのは、外国は政治家がボランティアで、多くは市民並みの給与でやっているため、早く辞めて交代するという点である。以前シドニーに行ってきたが、そこでは議員は大体8年の任期で変わるといっていた。しかし、日本では職業として議員をやっている。

 

34歳で愛知県議会選挙に出たが、その選挙に落ち、その後やはり司法試験でがんばろうと思い一年間勝負したが、また駄目だった。そして名古屋へ帰り、家業の古紙屋でやっていくのも無理だと感じた。大学を出た年の4月1日に、どこへ足を踏み出すかで人生が相当決まることをみなさんも承知しておいてほしい。日本はやり直しができないわけではないが、誤ると大変困難なことになる。

 

逆境や挫折と言ったが、ある本には、「日本の読者が言う逆境は逆境ではなく、単に思うようにいかないだけで、本当の逆境とは、アウシュビッツへ向かうユダヤ人のようなことを言う。」というようなことが書かれていた。勝手に逆境と思うなということで、まずは自分が何をやりたいかを一つ確定しないといけない。それを決めるのは難しいが、自分はこういう人生を歩みたいということを決めなければならない。人間は条件の中で物事を考えるから無理だと思うため、自分は何でもできるスーパーマンだと思えば良いということも書かれていた。

 

まず自分の目標を実現するために、あらゆる条件を取り払い、そのためには何をしたら良いかをイメージし、そのために行動を起こせるかどうかが重要である。条件を取り払ってイメージすると、その行動を起こすには勇気が必要だが、それでも失敗することがある。そのときは人生を笑って楽しく生きることも必要である。司法試験に連続で落ち、選挙に落ちたときはさすがに悩んだが、そこで人生再挑戦できる仕組みを考えないとならないと考えた。第一歩の選択は間違うことがあるが、それでも努力をすればやりなおせるような社会の制度を作らないとならないと思った。

 

社会の制度を作るのは政治家で、法律を作ることで制度が作られる。憲法41条は、国会が唯一の立法機関であることを規定している。そのために、衆議院議員になろうと思った。このようなステップで考えると良く、うまくいかなくても目標を定め、あらゆる条件を取り払い、合理的な方法を考え、恥を捨て、勇気を持って行動し、それでも失敗すれば笑うということである。このことが若いみなさんの参考になればと思う。

 

人生でうまくいかなくても、あまり自分のせいにせず、世の中が悪いと思うことも必要である。これは非常に良いことで、人間はなかなか弱いもので、自分のせいにすると折れてしまう。うまくいかなくても、自分は正しく、世の中が悪いと思うと、自分の状況を客観に見ることができるため、もう一回挑戦しようという気が起きてくる。これらのことを、62歳の私から若い人へのメッセージとして覚えてほしい。






2.政治家のあり方


私はよく全国に講演に行くが、北海道紋別市に行ったときの経験を話したい。紋別の人たちは、昼も夜も関係なく懸命に働くが、年収が300万円程度と聞いて大変立派だと思った。そのときは、国会議員、道議会議員、市議会議員が一緒だったが、議員は皆年収が1000万円以上だった。それを見て、世の中を変えなくてもよいが、自分たちの考えを変えたほうがよいのではないかと思った。昼夜なしに働いても年収300万円だが、紋別の人は間違いなく日本中の人に幸せをプレゼントしている。例えば、懸命に漁業をやり、ホタテを全国に届けてくれるため、そのおかげで京都でも安くておいしい回転寿司が食べられるといった形であらわれる。

 

では、議員は何を作っているのだろうか、ということをつくづくと感じた。税金を払うほうが苦労し、税金で食べるほうが楽をする世界は間違っていると思う。日本中が不景気だといわれるが、それは正確ではなく、税金を払う人は大変で、税金で食べるほうは年収何千万の世界が待っているというのが現実である。官僚は民間より給与は良いのは確かだが、官僚ではなく議員や首長を問題にしないといけない。日本は官僚国家ではなく、「職業議員国家」だと思う。

 

そのような話を名古屋市長選の前に喋っていたら、それなら自分がボランティアでやってみろと言われた。嫌だったが、実際にやってみようというと思って取り組んだ。私は当時60歳で、厚生労働省が発表する60代の平均給与は800万円だった。日本のシステムでは、政治家は自腹を切って政治活動をすることになるため、やせ我慢になるが、物の弾みでやると言ってしまった。住民税は前年所得に対して課税されるため、国会議員の給与に課税された初めの年は大変だったが、今年に入ってからは800万円あれば生活していけると思った。








  

3.今の政治の嘘と減税の必要性

 

日本の今の政治をとりまく大きな嘘を紹介したい。

一つ目は財政危機で、今では日本中が財政危機だと言われており、国債は孫の代に負担を与えるため、国債を発行せず増税を行うことが正しい道だとよく言われるが、それは嘘である。

 

二つ目は、政権交代すれば政治が良くなるということである。皆さんも実感していると思うが、単に政権を変えれば良いというのは間違いで、政権交代は目的ではなく手段だが、民主党は政権交代すれば良くなるということを言っている。

 

財政危機に関して、経済学部でマクロ経済の勉強をすると、初めに貯蓄投資バランスというものが出るが、これは貯蓄=投資という考え方で、預けた金は全て必ず投資されるというものである。要するに、銀行にお金が預けられたら必ず誰かに貸さないとならないというもので、ISバランスともいう。ある銀行が以前、預貸率が75%だと発表したが、それは例えば、10万円貯金しても7万5千円しか借り手がいないということを意味する。残りの2万5千円で、アメリカ国債を買ったり、京都市や京都府や日本の債券を買ったりしている。財政健全化法ができ、なかなか地方で起債ができなくなったが、最後は国が借りてくれることになる。

 

日本の国債が900兆円を超えたが、その借入は95%が国民の貯金から成り立っている。もし、国債が、金のない中での借金なら、なぜ金利が安いのかという疑問が出てくる。日本は国も自治体も金がないと言っているが、その金がないときに借りようとしているのなら、通常なら金利は高くなるはずだが、日本の金利は安いのが現状である。それはお金が余っているためである。庶民の懐にはないが、銀行にはお金がある。国債の金利は銀行を通すため分からないが、GDPでは国民所得に入っている。国債をめぐる嘘にだまされてはいけない。

 

今の政治家は借金の話ばかりをするが、なぜ金利が安いのかを聞くと答えられない。民間で金が余ったときは、政府が堂々と使わないとならず、リチャード・クーの著書では、経済学の基本の需要供給曲線を基に、金利が下がっているのにお金を借りる人が増えないのは何故かということを説明している。それは、経営者が不況になると、バランスシートをきれいにするため借金残高をなくそうとし、そのため借金を返そうとするというもので、金利が下がると、借りるのではなく返すほうに動いてしまうということである。そのため、お金が余ったときは政府がきっちりと使わないとならない。

 

私は国会議員のときに、国家の経営は税金ではなく公債でやったほうが良いのではないかと思っていた。戦争前の国債の状況がどうだったかということを調べた。日露戦争のとき、日本国債はよく売れていたが、満州事変のころから日本国債は売れなくなり、金利も上がり、3%を越えていた。これは、借りる人がいないために金利が上がったためで、国債が戦争への道につながるというのは間違いである。ギリシャ国債の問題があったが、あれは国債が悪いのではなく、国の運営がまずかっただけである。国債の金利が上がるということは、危ないということが外からわかるということを意味する。

 

要は、極力民間で金を回して使わないといけないということで、そのために減税の必要性が出てくる。



4.市民税1割減税をめぐって

 

名古屋市で市民税の1割減税をやろうとしたが、議会で否決された。また私は、国会議員をずっとやっていれば、消費税を1%下げたいと考えていた。商売やっているとわかるが、より良いものをより安く提供することが必要で、私は32年商売やっていたが、お得意様から財源を心配してもらったことはない。財源がありませんなどと言ったら、取引を切られてしまう。減税がすべてではないが、第一歩だと思う。

 

国会議事堂に爆弾が落ちて議員が全員死んでも、世の中がまわらないということはないし、私が急に逝っても名古屋市の機能が止まることはない。行政サービスは議員や市長がやっているのではなく、役人がやっている。

 

では政治とは何のためにあるのか。私は税金を安くするためにあるというのが一つの考え方だと思う。減税をしないなら、政治は必要だろうかという疑問にたどり着く。議員は何度も同じことを言うが、減税をしないことには何もならない。行政改革を言うが、例えば、スーパーの店長に無駄遣いをなくしなさい、天下りをなくしなさい、などと言ったら怒りに触れるだろう。少しでも安くするために努力しているためである。

 

皆さんは、スーパーや業者には安くするよう価格競争を要求するのに、政治になると価格競争は考えなくなる。価格競争をやるのは税金を払う側の社会だけで良いのだろうか。一種の税金と考えられる水道料金を例にとると、ある市で世帯数が倍になると、料金収入も倍になるが、水道管は倍もいらないし、水道局の職員の倍も必要とならない。しかし、なぜ水道料金を下げないのだろうか。そこで、名古屋市は今年10月から水道料金をほぼ1割下げた。また、名古屋市では、学生定期券を、自宅から学校の間だけではなく、バス・地下鉄全線乗れるようにし、値段も下げた。当たり前のことだが、たくさん乗ってもらうとたくさん売れるようになる。学生を乗り放題にするために、コストが余分にかかるということもないが、売り上げは増える。

 

とにかく市民サービスをみんなで考える、より良い公共サービスをよりやすく提供しようとしている。減税をやらずに行革はできない。スーパーが努力するのは、価格競争があるからである。市役所を二つ作って競争させれば良いという議論もあるが、削減すべき枠を作らないと努力しないため、今減税に取り組んでいる。

 

事業仕分けが悪いとは言わないが、仕分けしたお金がどこに行くかというと、役所の中で場所が変わるだけのことである。商売では経営改善をすると、売値を下げて顧客に喜んでもらい、それで売り上げを増やすという仕組みになっている。しかし、政治は減税せず、役所の中で居場所を変えるだけである。

 

減税して外にお金を出さないとならない。もっと良い福祉にまわせばよいというような議論もあるが、福祉に無駄はないのかということも考えないとならない。今の政治は、独占体であること、減税がないことが無駄の原因となっている。政治家の話を聞いていると、なぜ減税に触れないのかと思う。市民税でも固定資産税でも良いが、一度国の人に消費税1%下げてみろと言ってほしい。おそらく、怒るか、財政危機の話を持ち出すかだろう。私は、減税をしない限り、政治はいらないと思っている。







5.地域委員会

 

名古屋市では、民主主義の形をとる地域委員会を取り入れている。小学校区を単位として、18歳から立候補を受け付け選挙を行い、街の姿をどうするかを話し合っている。



6.市議会議員給与引き下げをめぐって

 

今名古屋では、市議会議員の給与を1600万円ほどから800万円ほどに下げられないかということで揉めている。政治家は、高い給与をもらいしっかりやるべきだという意見と、市民レベル給与にして、ボランティアでやるようにしてなるべく早く交代するようにすべきであるという二つの意見がある。

 

このような二つの考え方があるが、政治の特徴は任期制があるということである。例えばラーメン屋さんには任期がないが、政治家には任期制があり、市長では4年、市会議員では4年などとなっている。よく同じ人が政治家に再度当選するが、それは形としては一旦やめて再度就任するという形になっている。政治を稼業にすることは、任期があるため、そもそも生涯設計の場にはならないのではないかと思う。

 

政治が稼業になると増税が起きる。それは、税金で生計を立てていくため、どうしても増税をしようとするためである。逆に早く交代すると、民間でも生計を立てることになるため、減税が起きることになる。





7.減税のメリット

 

減税は可処分所得を増やすことにつながる。アメリカやイギリスには減税があるため、その分を寄付するという気にもなる。その減税された分を寄付するということは、税金の使い方を全部役所に任せるのか、一部を自分たちの思うところに回るようにするのかといった大きな違いが出てくる。

 

納税者に「ありがとう」と思うことが大切で、納税者があってこそ福祉や教育があるのである。商売ではお客様に「ありがとう」と言うということは、より安くより良いものを提供するということである。

 

それは、政治では安い税金で良い公共サービスを提供するこということになる。今は財政危機論から増税派のほうが圧倒的に多いため、減税の議論を広めるのはしんどい。政治は社会の制度を作る仕事なので、良いこともできる。それは、税金を安くすることだと思う。








8.学生皆さんへの激励

 

私は40年ほどみなさんより長く生きているが、その経験から、「親孝行したいときに親はなし」というのは名言だと思う。皆さんもぜひ立派になっていただきたい。皆さんの世の中なので、つぶさないようにしっかりやっていってほしいと思う。





 質疑応答

問:市に野球チームがあると、経済効果や文化的側面からしても有効だと思うが、政治家として中日ドラゴンズが危機になったときにどういう対応をするか。

答:名古屋には中日新聞という大きな新聞があり、中日ドラゴンズのファンも多い。例えば、外から大物選手を呼ぶ基金などを作るなどすれば良いと思う。

 

問:最近名古屋と言えば、中京都構想が話題だが、その都構想について教えていただきたい。

答:例えば、県と市の重複行政を解消するということがある。今まではあまり一緒に議論されてこなかった市民税と県民税を一緒に考え、共に減税するなどということが考えられる。市や府や県などの仕切りより、大事なのは市民にどのようなメリットがあるかということで、減税が具体的なメリットの一つだと思う。また、重複しているものとして、道路の横断歩道は県が引き、区分体の線は市がやっている。業者も機械も同じものでやっているため、一緒にやれば安くすることができる。外郭団体でも重複しているところがたくさんある。税金を安くして、日本全国や海外から企業を呼び込みたいが、名古屋市は土地が狭いため、愛知県と一緒にやるとより効果があると思う。経営統合本部を一つにし、売り込んでいきたいと思う。格好そのものより、地域として外に発信できる機能をつけたいと考えている。技術で東京に勝ち、文化で京都に勝ちたい。

 

問:来年知事選、市長選、住民投票が同じ日に行われるが、それが住民にどのようなメリットを生むか。

答:例えば減税を支持するならば、住民投票に賛成し、市長選では河村市長に入れるなどの形で、分かりやすくすることができる。増税か減税かは大きな対立軸だが、分かりやすくなる。









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