解析学の世界

解析学について私見を時間があるときに書いていきます。


解析学とは:

解析学と聞き何を想像するであろうか?微分積分を基礎にした分野のことを思うであろうか?
高校の教科書を眺めると、数学Iでは2次関数と三角比、数学IIでは三角関数、指数関数・対数関数、関数の値の変化、
数学IIIはほぼ全体、数学Bでは複素数と複素平面が解析に含まれるであろう。
もちろんこれらは他の数学の分野にも含まれる。もちろん他の教科書の部分も解析に入ると主張できる。
抽象的な表現であるが、現象(数学の言葉で定式化できる対象)を極限操作、収束判定を用いて調べる分野といって良い。例えば、微分を用いての関数値の変化を調べるといったもの。 
経験的にいえば、”不等式”から現象を理解する!? (代数は等式を用いて理解する!?)

現在日本では(私見ではあるが)、「解析=微分方程式」という風潮があるように思える。過去に隆盛を誇った(?)関数解析や複素解析は余り人気がないように思える。私の研究分野は関数解析を基礎にしているので少し寂しい。噂では、関数解析を専門にしている人は少なくなってきている。確かに、私の分野である作用素環論に絞れば日本で40人くらいであろうか?(もっといるとしたらごめんなさい)

関数解析学

関数解析学とは、個々の現象を表す関数を調べる代わりに、その関数の束からなる空間を考え、現象を理解する分野といって良い。
例えば、区間[0.1]上の連続関数の列{f(n)}の極限fがいつ連続になるかという古典的問題も[0.1]上の連続関数全体からなる空間C[0,1]を考えたとき、どの位相でC[0,1]がバナッハ空間になるかという問題に置き換えることができ、その本質がよくわかる。ここで「位相」、「バナッハ空間」という高級な言葉が出ているが、ようはC[0,1]にごく自然にベクトル空間の構造を入れたとき、どのような物差し(ノルムという)で関数列のコーシー列の極限が再びC[0,1]に入るかということである。(これはノルムでごく自然に定義される距離空間が完備であることを意味する)
もっと一般に関数ではなく、"作用素"という写像を対象にする。
例えば、n次元実数空間からm次元実数空間への写像はもはや単なる関数ではなく、ベクトル値関数と呼ばれるものである。
この分野の一つの頂点は1950年代であるらしい。(私は生まれていないのでわからないが) 不動点定理やフーリエ解析、ヒルベルト空間論など今では様々な分野で応用されている道具はそのころまでには一通り完成していたであろう。
普通講義では、バナッハ空間論の3大定理(ハーン・バナッハの拡張定理一様有界性の定理開写像定理)を抽象的に淡々と教え込まれるので一般に受けは良くないと思う。私個人はそれでも好きではあったが、自分の講義では関数空間C[0,1]など具体的な例をなるべく踏まえ、その有用性を示しながら進めるが。
現在バナッハ空間論の分野は難問を除いては意味のある問題はないように思える。(ただし私の勉強不足であろうが)
実際コンパクトな距離空間Xを分類することとそれ上の関数空間C(X)を分類することは同値であることは、バナッハの学位論文で既に示されており、(ベクトル空間+ノルムから導かれる距離に関して完備という)バナッハ空間の分類問題を考えることは広すぎて何もしないことと同じことを示唆している。
ヒルベルト空間は、バナッハ空間であり、かつ、複素空間上で定義されているような内積を持っている空間である。これはフーリエ解析を抽象化したものといって良い。もともとヒルベルトはフレッド型積分方程式を見通しよく解くために導入した概念であり、問題を適当なヒルベルト空間(俗に言うL^2空間)上の線形作用素である積分作用素の固有値問題に置き換えて整理した。
上の二つの空間論の延長の流れとして、一つはコロモゴロフ派の可換バナッハ環(バナッハ代数)そしてC*-環(C*-代数)の流れ、もう一つはフォン・ノイマンのノイマン環(ノイマン代数)がある。これらを称して作用素環論(作用素代数論)という。「環」という言葉が意味するようにバナッハ空間に代数構造を入れたものを対象にする。そして閉じている位相の強弱によりC*-環、ノイマン環と区別する。

私の専門:作用素環論

作用素環論とは、一言でいえば、「無限次元線形代数学」といってよいと思う。
偉い先生のお言葉では、「非可換な数論」であるらしいが、私はその境地までいってはいない。


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