オレゴン便り

オレゴンの生活を気ままに報告いたします。
   詳しいことはここを参照。


第一週(9月10日 - 9月16日)
     台風15号が紀伊半島に近づいているため、天候調査次第では飛行機の出発が見送られるかもしれないと言われる。
     渡米初日から大変である。運良く飛び立つが、息子が飛行中暴れていたため一睡もせずサンフランシスコに到着する。
     さすがに息子もぐったり疲れ、ユージンへの乗り継ぎでは、ものすごく寒いにかかわらずぐっすり眠っていた。
     娘も飛行機の中では、息子に蹴られたりして眠れなかったため、一緒に仲良く眠っていた。
     ユージンにはスパーマンと密かに呼んでいるChrisが娘と一緒に迎えてきてくれ、彼の車でユージンの宿泊先になる
     峯宅に無事j同日9月10日に到着した。峯さんご夫婦といろいろお話をしてその日は終わったが、次の日朝早くから
     電話でたたき起こされることになった。例のテロ事件についての峯さんの友人から連絡であった。
     最初は何が起こっているのかわからなかったが、テレビで放映される映像を目の当たりに見て、ダイハードII以上のことが
     現実に起き呆然としてしまった。このおかげで峯さんご夫婦の日本行きが一週間延びることになった。
     この影響はこの田舎でも多少あり、イスラム系の人が危害を受けたり、罵声を浴びたりして、死者が出るほどに発展してゆき、
     第二次世界大戦の日系人対象の強制移動や昔の魔女狩り裁判などを思い出してしまった。
     オレゴン大学でも留学生、訪問研究者対象に緊急ミーテイングが開催された。
     いくら21世紀になったとしても、所詮、人間の深層にある精神構造は昔と変わらないのであろう。
     この種の差別がすぐ起こるというのがアメリカの弱さかもしれない。
     第二次世界大戦においてもこの種の出来事がアメリカ本土で起こらなかったので、この事件はものすごい影響をアメリカ国民に
     与えている。テレビでは日米戦争の沖縄戦の映像を流し、今回の事件の行為を神風特攻隊と重ねて国民に説明し(あるいは
     恐怖を植え付けている?)、報復措置の正当性をコマーシャルのように流している(America's New Warと)。
     メディア操作は日本以上にすごく、これがデモクラシーを掲げる国かと疑ってしまうほどである。
     
     小学校の手続きは12日に行い、13日に予防注射をして無事歩いて3分のハリス小学校へ通うことが決まる。

 

第二週(9月17日-9月23日)
     今週は夏休み最後の週であり、学生もぼちぼち集まってきている。新入生対象の大学案内ツアーも頻繁に行われている。
     研究室の鍵もようやく手に入れ、一緒に部屋を共有する日本人の研究者とお会いする。
     微分幾何を専門としている方で芥川さんという話好きの方だ。4月から一年間の滞在で日本からいらっしゃていて、
     ちょうど彼の友達が短期の滞在でこちらにきていたところ。例のテロ事件のため帰国できるかどうか悩んでいるようだが、
     研究の方は至ってうまくいっているようで、悪魔のささやきについて述べていた:
     「一週間のつもりで米国に来たが、やがて一ヶ月、一年とときが流れ、一生いることになる」
     このような例がたくさんあるようで、それだけは避けたいと述べていた。
     結局、今週は車の免許の修得(学科)とウエストコーストへの車での遠出でおわる。
     さすがにオレゴンコーストといわれるだけあって日本にはないダイナミックな様相に驚く。フローレンスの近くの灯台にも上る。
     日本の幕末にできたものらしい。

第三週(9月24日-9月30日)
     今週から新学期が始まる。とりあえず、月、水、金の9時からHuaxinの講義に参加することにする。
     また、火、木はKasparovの講義に出て、Baum-Connesの予想に関する最近の彼の論文の解説を聞くことにする。
     これは運がいい。
     アメリカの講義にシステムについて多少述べると、一つの科目は週に三度開かれ、各講義は50分間と日本の高校と同じ長さ
     で行う。そのほか、週に3回office hourというのを一時間ほどもうけなければならず、その時間は学生が大挙してさながら補講
     と同じ形態になる。つまり、一科目について6 x 50分教官の義務があることになる。
     日本の場合、基本的に学生は勉強をしないので、offce hour を設けても教官室に尋ねてくることは滅多にないが、こちらは瀕
     繁に学生が来て、しかも自分で納得するまで動かない。もちろんこれは日本と異なり成績が就職の際影響するかららしいが、
     それにしても勉強するのはいいことだ。
     また講義は、8時からくまれているので、学生も教官も大変である(と思うのは日本人のみか?)。
     一年契約できているインド人の幾何学者は、週に3日かしか研究する時間がないとぼやいていた。
     よほどのことがない限り、就職しても最初の数年は一年契約で行かなければならないので、
     彼も必死である。 日本では、就職は大変であるが、一度してしまえばたいてい永久就職なので、
     後は野となれ山となれである。
     そのぬるま湯から出るためにも、外留は必要であると思うし、なるべく出た方がよい。
     
     車の交渉がうまくいかず、移動はバスのみで家族から不満が出ている。
     私は、毎朝30分ちょっとかけて歩いて通学しているので問題はないのだが。この散歩は非常によく、立命大に通うときの
     ような車もほとんど無いし公園の中を散歩しているように緑が豊富なので気持ちがいい。  

    

第四週(10月1日-10月7日)
     先週から出席している講義は大学院生用ではあるが、演習問題がたくさんだされ、それを講義の時間に教官の前で解説を
     しなければ単位は頂けれない。もちろんこれは教官によって異なるが。
     そこで学生間で発表の準備を決める段階になったとき、例によって私を学生だと思ってリーダ格の学生から意見を求められ。
     私は学生でないというと非常に驚いていたが、いつものことなのであきらめている。しかも、子持ちで、一人は小学3年生と
     なると私の年は何歳なのかと疑問を持たれてしまう。
     こちらでは当然ながら20代と見られ、ひどいときには10代に見られてしまう。
     研究室のコンピュータは、事務室にねむっていたものをうまくかすめ取り、そこへ日本語の環境を無理矢理入れ、Internet
     Exploreは日本語で読めるようにした。しかし、キーボードでは打てない。
     Chrisの奥さんの手助けで、Kendal Hondaという会社からCivicを買うことがようやくきまる。こちらは、日本と異なり中古車は
     意外と高い。私の車は、去年でたばかりのものなので、新車と同じ値段。まあ命を買ったと言うことで納得した。
     さて、交渉は成立したが、お金の支払いをどうするかで悩んでしまった。まだ、お金の振り込みの手続きが、例のテロ事件の
     ため遅れてしまい交渉成立の次の日に手にはいるかどうかがわからない。そこで、日本の銀行へ電話をし、なんとか翌日つく
     よう交渉した。平行して、免許証もとれ(実施試験をパスし)、ようやく基本的な生活の準備ができた。
     土曜日に試乗もかねて近くの公園へHuaxinと彼の子供たちと行く。公園といっても、小高い丘を登る場所で結構しんどい。
     科研費の書類も書き終えた。しかし、研究の方は泉君の論文を読んでいるのみ。


   第五週(10月8日-10月14日)
     とうとうアメリカは報復措置にでた。(America strikes backがテレビのコマーシャル文句)
     空港の警備は州兵がでて安全管理をし、また、搭乗手続ききも厳重におこなれるため、出発の二時間前に空港へ行かなけれ
     ばならない。実は今週末に研究集会がアリゾナであったのだが、当然参加はしなかった。
     Chrisの勧めで、今週からGreg氏の講義に出席する。Euler特性類を理解したいためである。ついでにHusemollerの「Fibre
     Bundles」も読もうと思う。果たしてうまくいくかどうか?
     火曜日に小学校の父兄集会に参加し、娘の担任の教育方針について伺う。こちらは、噂道理教科書および授業の構成は
     担任が決めるので、担任の力量が問われる。彼は優秀な先生とちまたでは評価されており、娘のような非英語圏の生徒を
     何度か持った経験がある。娘は、クラスの授業とELCの授業を適度に受けているようで、ホームワークは両方からでるので
     少々大変。
     それでも大分英語の本も読めるようになってきて、本人は楽しんでいる。
     おもしろいことは、教室にトイレがあることと、ネズミをペットに飼っていることである。自宅でも飼っているらしい。
     もう少しかわいいのを飼育すればいいと思うのだが、美的感覚の違いなのかと思ってしまう。
     今週は研究の方で少し進展あり。今までの荒い評価が、UHF環の場合にかなり厳密に評価できた。
     土曜日に5番街というしゃれた場所に行く。もちろん息子がいるので、しゃれた場所は外から眺めるだけであるが、
     娘と嫁さんはショッピングを楽しんでいた。女性は女性同士という訳か?!
     日曜日にChris, Kasparov, そしてジョージア大学のお客さんとクレータ湖へ行く。その名のとおり、火山の爆発でできた
     カルデラ湖である。この日は快晴で湖は静かで神秘的であった。ここを訪れる今年最後の機会でないかとChrisと話し合う。
     ユージンから片道2時間半はきついが、これぞアメリカという場所を通り楽しかった。
     しかし、遅れて帰宅したのが嫁さんの逆鱗に触れ、このあと2,3日大変な目に遭う。知っている方は想像がつくであろう。

 第六週(10月15日-10月21日)
      今週は、前半は嫁さんとの冷戦後半は数学との格闘で終わった。
      やはり、Milnerの本レベルは学部の時にやるべきではないかと思ってしまう。時間ばかり過ぎ、なかなか進まない。
      修士の時に日本海に沈む夕日を見て今日も偉業しか理解できなかったと嘆いた頃を思い出す。
      そのころより少しはまともになっていると思うのだが、数学に王道なしである。
      日曜日にウイラメッッテの国立公園へ行く。ディー・ライト展望台という溶岩でできた場所に遊びに行く。
      日本にはない風景であるのでおもしろかったが、あられが降ってきてとても寒かった。
      また、片道に2時間ほどかかり子供には不人気であった。

 第七週(10月22日-10月28日)
      今日から雨期が始まったようだ。青森における秋のようで空は曇り、時折雨が降る。
      オレゴニアンはその雨の中傘もささずに平気で歩いていく。風邪を引かないのであろうか?
      そういえば沖縄の人も傘をささない。実際、スコールのような雨なのでさしても意味はないのだが。
      例によって、Greg氏とKasparov氏の講義の理解に苦しむ。それでもKasuparov氏のは作用素環なので理解はできるのだが、
      証明して見ろと言われればできる自信がない。自分の言葉で書けない限りは理解したことにはならないので
      もう少し時間が必要。一月から、K-homologyのセミナーをする予定なのでそれまでに何とか理解したい。
      今週のトピックは木曜日にガスを止められてしまったということ。ガスが止められると、暖房をそれでまかなっているので
      もし二月ならばそれは死を意味する。単ある行き違いで止められたのだがいきなりと言うところがアメリカらしい。
      近所の人の助けを借りて何とかあけてもらうことができた。
      英会話は基本的に困らないのだが、当然身につけておくべき常識は、経験から身に付くことが多いのでその辺のギャップは
      まだまだある。たとえば、お店で何かを注文するときに注文がそれですべてであるという決まり文句がある:
      That's it であるのだが、意味を考えるとおかしいのであるがこれが慣用句。ガソリンスタンドでキャッシュで払うのか
      カード−で払うのかと聞かれカードで払うというとYou got itといわれる。これも慣用句。などなどいろいろある。
      日曜日は、ニューポートという場所に水族館を見に行く。子供は当然満足。帰りは、オレゴンコーストを南下し
      大人も満足といい休日を過ごす。しかし、運転は私一人なので帰ってバタンキューである。

 第八週(10月29日-11月4日)

   今週のメインはハロウイーンである。日本では、商業レベルではあるのだろうが、それを習慣としているところでの
      イベントの力の入れようは違う。小学校へ娘を普段道理送っていくと、今日はwacky dayと称して生徒も先生も
      まじめに着かっざっていた。娘の担任はMs.Bensonとしっかり女装しているし、校長先生は男装している。
      シンデレラもいれば王子様もいる。どうも入れからそのまま着ているらしい。田舎かもしれないが、大学への通勤途中
      いきなり家からその種の服装で出勤する人々を見ると驚いてしまう。さすがに大学の先生はそこまではしていない。
      それでも、私が講義を受けているGreg氏は、Golden Keyを胸につけて正装していた。学生の中には、ゴリラのぬいぐるみ
      を着ていたのもいるが。夕方から学生主催のハロウイーンパーティがあり、子供たちをその場所へ連れて行くと、
      学生が自分たち寮に子供たちに案内して、子供たちは、各部屋からキャンディー、チョコレートをたくさんもらっていた。
      私の子供たちも一年分くらい集めたようである。各家も訪ねることができるが、こちらは年上の子供たちが多く、
      シンデレラのように着飾った中学生(高校生?)が自宅へ訪ねてきたが、カナダほど子供たちは来なかった。
      
      研究の方は、論文書きが一通り終わり、最終的に何を解けばいいかがわかったが、それは簡単にいきそうもない。
      とりあえず、この方面の過去の文献とHuaxin関係の論文読みを通じて新しいアイデアを探そうと思う。
      
      

 第九週(11月5日-11月11日)

   月曜日にスパーマンことChrisのコロキウムがあった。ここは、代数とトポロジーが強いた、彼らを意識して
      何故C*-環を研究するかという動機を述べながら最近の彼の結果を述べた。他のアメリカの大学に比べると、作用素環
      はここでは活発に見えるらしいが、やはり日本と同じように多少寂しさが感じられる。代数幾何やトポロジーのような
      大きな問題が無いためか、歴史が浅いためなのか。まだほんの60年ぐらいしかたっていない。それでも、最近は他分野との
      境界でいろいろおもしろい結果が出ているので、これからもっと発展するかもしれない。
       
      今週でKasparov氏の講義が終了する。講義内容は、彼らの最近の結果の入門と概説であったが、
      きちんと追っていこうとするとその理論の深さがわかる。Baum-Connes予想についてであるが、かなり広い群で成立する
      ことが示されている。まず予想の意味を理解することが大変なのであるが。Kasparovさんの優しい人柄に触れたことが
      良い思い出である。

      Saturday marketは今週で終了した。冬が近いため次回からは、場所を移して(体育館)で開催される。
      カナダのWaterloo同様ここでは新鮮な野菜や豚の挽肉を購入している。牛肉は比較的手にはいるが、豚の挽肉は
      なかなか無く、あったとしても良いのに恵まれない。
      日曜日は遠出をしたかったが、娘は欲しいものがあるらしく買い物で終わってしまった。所詮女性である。
      早く息子が大きくなって、一緒に車で世界を巡りたいと願っている。

 第十週(11月12日-11月18日

   今週は、息子の水疱瘡とバイオがウイルスによって使えなくなったりと散々であった。
      月曜日なVeterans dayと言う祭日で、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍した人々を敬う日であるらしい。
      小学校は休みであったが、大学は通常道理講義はあった。市内ではパレードの催しもあったがいたって静かであった。
      とうとう病院との接触が始まる。水疱瘡らしいので嫁さんが連れて行くと、早速隔離をされた後診断を受ける。
      それほど強く無いので、かゆみを押さえるためお風呂に入れる薬のみを処方され、あとは直るまで自宅で隔離。
      そのため娘の小学校への迎えもできない。朝は私が小学校へ送っているので良いのだが。
      しかし、歩いて5分の場所なので問題はない。本来安全上よくないが。
      小学校の話をついでに述べるといろいろと日本と異なることに直面する。アメリカ化を目指している(?)文部省は目を
      ふさぎたくなるであろう。たとえば、教育は飴と鞭といわれるが(あるいは言われたが)、ここでは飴のみではないかと
      思ってしまう。たとえば、何か良いことを生徒がしたりするとstarというカードを先生が与え、その日のstarカードのいい子は
      評価され、お菓子をもらったりする。このstar制度の良いところは、友達が友達を評価するというシステムで、黒板にその日の
      starに値する友達の名前を書くスペースがあけられていて、気がついたときに書くらしい。
      日本でも本読みカードというのがあるが、こちらもあり、読む時間に従ってあらかじめ書いてあるキャラクターをマークをして
      いき、すべて埋まったら先生と食事ができる。これが何で楽しみかというと、そのときご褒美にピザが食べれるからだ。
      昼食は教室ではなく、カフェテラスでみんなと一緒に食べるので、教室で気に入った友達3人を誘い先生と昼食を取るのは
      子供にとって大きなイベントらしい。そのおかげで娘は日本の中学2年程度の本はもう読めるようになっている。
      また、様々なイベントをクラス対抗で行い(学年で区別はしない)、一番いいところはご褒美にお菓子をもらう。
      どうも何かあるとお菓子が飛び交っているようだ。こんな事は日本では考えられないことであり、この種のお金は、どの予算で
      おりるのか興味がある。ちなみに、starシステムはここでは普通らしく、テレビ番組で、参加者が
      参加者を評価して勝ち残っていくというのがある。小さいときからこの習慣に慣れているので、大学で教官の評価
      をするのも当たり前なのであろう。だからといって正当な評価をしているかどうかはわからない。日本と同じように
      単位の厳しい教官に対しては講義担当を変えて欲しいとかあるかもしれない。日本ではお互い慣れていないので、
      評価する方も評価される方も感情的になる傾向がある。私は機械的に成績のみで評価をしているが、
      飴を用いる必要があるのかな。次回は、大学について述べましょう。
      ちなみに娘の通っている小学校のホームページアドレスはこちら。また、ユージンの教育に関してはこちら

 第十一週(11月19日-11月25日)
      今週はThanksgiving Vacationがあった。カナダの時はあまり印象が強くなかったので、こちらも大したことではないと
      思っていたが、どうも様子が違った。テレビのコマーシャルや新聞のチラシからThanksgiving dayの次の日からはショッピング
      ディが始まるらしく、お店もお客も力を入れている。朝5時から始まるお店にどれくらいお客が来るかと思っていたが、日本の
      福袋買いと同じく開店前から行列ができ、お巡りさんは車を裁くのに忙しかったらしい。らしいというのは、我々は11時頃
      見物がてら買い物に行ったので、それほどひどい目に遭わなかった。しかし、確かにいつもより人は多く、パーキングの場所を
      探すのに苦労した。普段は閑古鳥が鳴くほど静かな所でも大安売りをしているためか、あるいは祭りみたいためか
      混んでいる。ちなみにユージン市は大津市程度の人口であるが、お店の数は大津市より多い(と思う)。そのため、
      地元オレゴンの有名デパートでさえ、いつもは人はぱらぱらでこれで経営が成立するかと心配するほどだ。
      
      さてThanksgiving dayの語源は日本で知られているであろうか?ハローインほど有名でないのでわからないのが当たり前だと
      思う。私も娘に言われて、「First Thanksgving Day」という本を読んだところ、メイフラワー号でイギリスからアメリカへ到着
      した後、冬越えで多くの人が亡くなったが、次の春、生活の仕方、トウモロコシ、カボチャなどの栽培のし方を英語が話せる
      二人のNative Americansを通じて学んだ。そうして秋には初めての収穫をすることができ、そのお祝いと感謝の気持ちを
      込めてNative Americanの人々を招待したことが始まりだそうです。そのとき、ターキーを移民の方で用意したそうで、
      これが今ではThanksgiving Dayのメインになっている。(何故、英語が話せたか?一人の方はイギリスへ奴隷として連れられて
      数年後戻った方だそうです。)
      
      我々は当日(毎年11月の第3木曜日)家の管理人の家族の方からパーティに招待され、ワイン片手に訪ねた。
      管理人の方は家のオーナーとの出会いも関係あるらしいが、日本人の方とのつきあいが多くあるらしく、我々以外に
      シアトルで働いている日本人夫婦や日本で語学教師の経験のあるアメリカ人の方、日本に長く住んでいたことがあり、
      一ヶ月に一回我が家で仕事をするインド人の家族の方(日本語はぺらぺら)などが招待されており、オーナー自ら数時間
      かけて焼いたターキーを食べながら感謝祭を楽しんだ(「Grace !!」と叫びながら)。
      人との出会いは偶然が多いと思うが、メールで知り合った方の家を借りることができ、その人を通してまた新しい人と出会い
      新しいことを経験していく。最近は年を取ったせいか一期一会の言葉をかみしめている。
       
      さて例によって毎日ショッピングに付き合わされたが、最終日の日曜日に近くのワイナリーに行くことができた。
      そこで、testingをして二本ほど手に入れた。香りはフルーティ、色は濃いルビー色、味は程良く濃くなかなかよい。
      ユージン市の周りに5つ、ポートランドの周りには数十のワイナリーがあるので滞在中に制覇したいと密かに思っている。

      数学はというと解析セミナーで研究発表をした程度。いつものことであるが、発表後はひどく落ち込み、小田さんの
      CDを娘と歌って気を晴らした。いつになったらこの種の苦しみから抜け出せるのか。
      偉い方はそんなことはないのであろう。

 第十二週(11月26日-12月2日)
      今週でFallセメスターが終了した。Greg氏の位相幾何の講義は楽しく、最終講義では熱のこもった説明をして一部の学生から
      拍手が出たほどだった。私に位相幾何の勉強する機会を与えてくれて意義のある講義であった。Euler類の定義はわかったが
      使いきれるほど証明が身に付いていないのでこれから検討しながら振り返る予定である。しかし順序が逆であるのは奇妙
      であるが、より一般的であるC*-環のK-理論を勉強した後でもともとの起源となった位相幾何を勉強し直している。おかげで、
      より理解が深まってきたように思える。平行してディラック作用素の指数理論も勉強しているので(K-homology)、
      後にこれらが頭の中でつながれば幸いなのだが。次回のGreg氏の講義はアテヤの指数理論である。これまた必見。
      いつもながらタダで参加できるというのは幸せである。

      今週の木曜日に娘の小学校での合唱会があった。これはブックフェアーもかねており、こちらの収益は図書の購入に割り
      当てられるからと学校から催促が来ていた。さて合唱ではあるが、カメラなどを持ってきて子供たちの撮影に力を
      入れている方もいらしたが、子供たちとの距離も非常に近く一緒に参加しているという雰囲気があり、実際三年生と四年生の
      混合ではみなさん一緒に歌っていた(私はできなかったが)。披露した場所もカフェテリアであり演台など無くアットホーム的
      であった。息子はそんなことより体育館のマットで遊びたかったらしい。すぐ避難したが。

      金曜日に同室の芥川さんと友人のインド人数学者と夕食をともにした。インド人の彼はバラモン出身であるためか仏教のことも
      知っており、良寛、親鸞、禅などについて話をした。もともと仏教はヒンズー教から出てきたためか、結構通じるものがある。
      般若心経のさわりを言うとサンスクリット語であることを理解していた。自分は小さいときからそのような環境にいたためか、
      密教に興味があり、たまにそれに関連する本に目をとおす。インドでは、大槻教授がびっくりするようなことがよく披露されて
      いるようである。
       
      お約束の大学について述べると、授業料はいたって日本の平均に比べて高く、立命館よりも高い。
      例えば今年の例を取ると、基本料金(Tuition and Fees)は$14,483であり、そのほか細かいものが学部によっていろいろ
      とられる。(ここを見よ)生活費を込めると大分高くなることが想像できる。宿泊施設などもあるがそれほど安いというわけ
      ではない(上記と同じ場所参照)。そのような経費をこちらの学生は基本的に自腹で払うので、セメスターをキリ買いし、
      アルバイトをして学費をためるのが普通らしい。うちのオーナーの息子もそのようにしている。有名どころでは宇田多ヒカル
      の例がある。それで大概必死に勉強すると解釈すればいいのであるのであろうか?もちろんいろいろな奨学金があるので
      それを利用すれば学費はタダになるかもしれない。大学院に関してはTA制が充実しているので、生活費もタダになるのも
      珍しくないらしい。(河東さんのホームページを見よ)私のように担当する講師と知り合いになれば、いくらでもタダで講義に
      参加できる。アメリカで生活するにはタフにならなければならないといわれるが、このようにして自然と鍛えられていくの
      である。

第十三週(12月3日-12月9日)
      先週暴風雨の中歩いて大学へ行ったためか風邪を引いてしまった。風が強いため、オレゴニアンのまねをして傘をささず
      歩いて、大学に着いたときはびっしょり濡れてしまった。オレゴニアンはこのときどうしているのだろう?オレゴンアンブレラー
      を購入すればいいのか。この傘は特殊で、風が強いときは、風に逆らわず反り返るようになっていて丈夫である。
      しかし二人が濡れずにいれるほど大きいので、日本ではひんしゅくを買うであろう。

      二日ほど家で休んで大学へ行ったが、みなさんクリスマスホリデーの帰省準備のため、あるいはもう帰省したためかいたって
      静かであった。Chrisの学生のBen氏も明日朝6時ポートランド発の飛行機でメキシコへ帰省するといっていたが、朝早くここを
      立つと聞いてさすがタフであると感心してしまった。今は最低2時間前に空港へ行かなければ、セキュリティチェックで乗れなく
      なる危険性もある。つまり、夜中の2時頃に出発するというわけだ。当然Kasparovノート解読は来月までお休み。

      車のメインティナンスのためKendall Honda に愛車を持っていく。二時間ほど待たされたが、その間バナナを食べたり、コーヒー
      を飲んだり、コンピュータをしたりと、存在するアメニティを一通り試した。これで来年3月まで安心して乗れるはず。
      山の方は雪が降っているので、いまはあまり遠出はしない。クリスマスホリデーにポートランドへ行こうかと思っているが、
      それもどうなるかわからない。実はこの日は、例のパールハーバーの日であり、何をいわれるかとびくびくしていた。
      新聞では歴史的解説や、パールハーバーでの生き残りの方のコメントなどがかかれていた。(もう60年経っている)
      テレビを見ると、パールハーバー戦のみならず、日本のしたことを検証する番組があり、なかなかシビアであった。
      日本ではとうてい出演しないであろう旧日本軍の兵隊や憲兵などが出演し、番組の質問に答えていた。
      多分誰もが思うだろうが、なぜあれほどアジアの人々にひどい行為をしたかというのが取り上げられていた。
      注意して欲しいのは、数的な問題ではなくその行為である。ここではこれ以上書かないが、そのためアジアの多くの人々は
      「日本人」という抽象名詞を恐れ嫌う。番組では当然今の戦争に関してもコメントがあり、いかに正統的であるか主張する。
      しかし正しい戦争はあり得ないわけで、これまた悲しみだけが生まれてしまう。難しい。
      映画パールハーバーの宣伝もテレビのコマーシャルでやられており、近くのスーパーでは次の日山積みされて売られていた。
      強いアメリカ、アメリカの統一、常に国民に宣伝されている。日本の昔を思い出してしまうのは私だけ?

      今週は少し数学で進展があった。指数2の場合、安定階数の新しい公式を作ることが出来た。これはベストな評価であり、
      それを保証する例もある。たまにこんなことがあるので数学はやめられない。

    

第十四週(12月10日-12月16日)
      今週は日記を眺めてもおもしろい話はない。日記と書いたが、実はこちらに来てから毎日欠かさず日記を娘と
      一緒に書いている。一緒に書くといっても文章は私で、絵は娘担当というわけで、これを数年後に眺めたらおもしろいだろうと
      期待しながら書いている。カナダの時は嫁さんが書いていたが、その日記は読ましてくれない。
      日記といえば交換日記が定番ではあるが、私はそのような機会に巡り会うことがなかった。ただ、女の子に囲まれて
      育ったため、小学校を転校してから転校前の小学校で仲良しであった女の子と高校卒業まで手紙の交換をしていた。
      これも今から考えてみるとすごい経験だなと思う。そのやりとりした手紙はまだ実家に残っているが、今読むと笑ってしまう
      ことが書かれていると思う。とりあえず、今のところ娘には嫌われていないようである。
     
      さて今週は、ある論文を読むのに時間を費やした。わからないわからないと呪文のように唱えながら、一行一行読んでいく。
      もちろん書かれている主張が理解できれば、お話としては終わりだが、それをふまえて新しい例の構成とか普遍量の計算
      をするとなると、証明まで踏み込まなければならない。それで読もうと試みるのだが、自分の思考と違う人が書いている
      わけなので、理解できないことが出てくる。それを理解できれば新しい道具が手にはいるわけで、今後の役に立つ
      かもしれない。論文中他の論文を引用しているときはそれも気になってしまい目を通す、そうなると下手をすると、
      デフレスパイラルならずサイティングスパイラルの罠に落ちてしまう。そこでどこで止めるかが問題になる。
      結局は、わからないところは自分流の証明をつければいい。そうすると、意外と相手の述べていることが一般化でき
      新しい結果を得ることがある。頭のいい人は、北斗のけんのケンシロウのように、一度見たテクニックは頭の中にいれていくのだ
      ろうが私はそうはいかない。先日も10年前に読めなかった論文がようやく読め少しは理解してきたと認識したばかりだから。
      
      そうこうしているうちに、先週解いた結果に頭が向き始め、もっと一般化が出来るのではと感じ始めてきた。そうなると、大抵
      出来ることが経験的にわかるので(理由はわからない)、金曜日に一日かけて計算をしたら運良くできた。これで、指数の言葉
      を用いて範囲でのあるクラスのC*-環の安定階数の計算式が完成できた。

  

 第十五週(12月17-12月23日)
      今週も先週の論文読みに費やしたが、結局まだ読み切れずに終了。今年中に読み終わることができるだろうか?
      
      数学教室の方の奥さんが亡くなり、そのカソリック形式の葬儀(funeral mass) に初めて出席した。
      服装はどうするのかChris氏に尋ねてみたが、かれも久しく参加していないため分からないと言う。ともかく、派手な服は
      避けた方がいいという彼の助言をもとに、唯一持っているスーツを着ていることに決めた。途中、数学教室の同僚に会い、
      彼に場所を案内してもらうことにする。入り口でサインをし、礼拝堂に入り、儀式は一時間30分程度行われた。途中、コーラス
      を本を見ながら唱したり、牧師さんのありがたい言葉、聖書の引用などがあった。驚いたのは、幸せを祈るため、隣人の方と
      握手をする場面があったこと。幼稚園の時はカトリック系であったため、毎日聖書を読み、聖歌を歌っていたが、
      それ以来である。ほんの50歳でなくなった彼の奥さん(数学者)の冥福を祈った。
      
      土曜日に思い切ってポートランドへ行った。途中、ウイラメッテ・バレーワイナリーがあり寄りたい思いを押さえながら、2時間
      弱かけてポートランドへ着いた。ところが、地図を持っていかなかったので、目標のオレゴン科学博物館の場所が分からず
      フリーウエーを行ったり来たりしてしまった。そこで郊外のデパートで地図を購入し無地到着。
      大津科学博物館と琵琶湖博物館を足した内容が展示されていたが(水族館はない)、恐竜の骨があるのはさすが
      アメリカだと思った。また、赤ちゃんの誕生、人間の身体のしくみを非常にリアルに展示していたのは驚いた。養老さんも
      喜ぶのではと思った。帰りは暗い道をとばしたが、一人で230マイルの運転はしんどい。
      
      日曜日はハリー・ポッターの映画を見に行く。デンマーク滞在の時、一度娘を連れて行ったときは、アニメの画像の中で
      ベットが動いて空を飛ぶシーンで泣いてしまい退散した記憶があり、果たして最後まで見れるのか不安であった。
      料金は2歳児といえでも子供料金が取られるが、4人で18ドルは安い。日本の一人分である。これがあと数ヶ月もすれば、
      多分ビデオが市場に出始めたら1ドル50セントで見れるらしい。この事実を知ってしまうと、日本の映画代が本当に高いことが
      理解できる。作戦としては、とにかく食べさせて黙らせることにし、ポップコーンを入り口で買い、飽き始めたら食べさせるという
      ふうにして2時間半持たせることに成功した。後ろの方では、失敗したらしく、子供たちが暴れはじめ、途中出たり入ったり
      を繰り返していた。映画自体はなかなかおもしろかった。娘も英語が理解できるかと不安であったらしいが、満足したらしい。
      この映画の初日に本を破いてこの映画の悪影響を訴えていた団体があったが、中世のおどおどした記憶が流れているので
      あろうか。日本人は多分そのようなことは思わず、楽しむと思う。
            

 

 第十六週(12月24日-12月30日)
      今週のメインは、クリスマスである。Thanksgivingが過ぎ、クリスマスがホリデーの最後のイベントらしく、それが終わると
      さばさばしているもので、新年の迎といっても日本のように盛り上がりはないらしい。実際、クリスマス後のモールは
      それほど人出もなく静かなもので、上野のアメ横のような混雑は全くない。
      
      クリスマス・イブの日にChris邸に夕食の招待を受け、楽しい一夜を過ごした。彼の奥さんは中国人なので、料理は
      中華料理であり、アメリカのスタンダードなクリスマス料理は無かったが、味は最高であった。こちらは、ちらし寿司とワイン
      をもって参加した。彼の両親もちょうど来ており、昔日本を訪れた際の思い出に話が弾んだ。大阪万博へ彼も来ていたこと
      を知り驚いた。私はそのとき小学一年生で、テレビを通してみていただけだった。彼には子供が三人いるのだが、
      娘は馬が合わないのかとけ込みない。息子の方は、元気に遊んでいたが。
      実は5年前にも娘は会っており、そのときもおもちゃの取り合いのけんかをして結局遊びに至らなかった。
      彼の息子は偉大である。5歳にしてマイナスの世界を発見した。
      ちなみに彼の家は、ものすごくでっかい。私の借りている家は、4ベットルームでそれほど小さくはないのだが、それが
      小さく感じてしまうほど大きかった。しかし、彼の家の近くにもっと大きい家が、クリスマスデコレーションで光り輝いている
      のを見たときは、さすがアメリカと感嘆してしまった。世に言う、
       「日本人の奥さんをもらいアメリカの家に住み中華料理を食べて過ごす」
      のが最高の生活だと。しかし、この命題も崩れてきている。なぜなら、日本人はよりアメリカ的になってきているから。
       
      土曜日はHuaxin邸に夕食をかねて遊びに行った。夕食の前に少々数学の話をした。彼の出した質問を半分解けたので、
      その報告と今後の展開について討論した。夕食は、当然中華料理で、Chris邸に比べてより中華的である。
      話がいろいろ弾み、時間が経つのも忘れてしまうほど。子供たちは何度か会っていることもあり、折り紙をしたり、歌を歌ったり
      と楽しく遊んでいた。結局11時頃までおじゃましてしまい、次の日は朝遅く起きる羽目になった。

   円安に悲鳴を上げながら今年も暮れようとしている。  

 第十七週(12月31日-1月6日)
      大晦日に噂の魚屋を7th streetにみつけ念願のマグロの刺身を買う。それと親子丼で年を越すことになった。
      ここでも日本のゆく年・くる年のような番組があるが、ニューヨークと時差が3時間あるため盛り上がりがいまいちである。
      番組も気を使って、例のTimes SquareのNew Year count daownをこちらの時間にあわせて放映していたが、どうもバラバラ
      の感を抜けきれない。Eugeneのダウンタウンでもcount downをしていたらしいが、いたって静かである。
      元日は、アジアンショップで購入した日本酒のmomokawaを飲みながら、嫁さんが作った煮しめと雑煮を食べ、日本の正月
      気分を味わった。ちなみに、このmomokawaは、ポートランドの近くで作られている。まだ訪ねていないが、ワイナリーの本に
      載っているので一度いこうと思っている。あとは、娘とゲームをして新年の初日を終える。
      
      二日目から当然ながら大学へ行く。何人かのスタッフと会い挨拶を交わし、図書館で雑誌を借り、昨日から考えていたことを
      煮詰める。その間娘はコンピュータでゲームをしていた。次の日は、シャビールさんというインド人の方とカフェローマという
      大学の近くの喫茶店へ行き楽しい時を過ごした。シャビールさんは私の家のオーナーの仕事を手伝っている方で、一ヶ月に
      一度家に仕事をするためにくる方で、いったいどういう方か気になってはいた。いろいろ話をするとシャビールさんの人生は
      おもしろい。彼のお父さんは、大阪で貿易商をしていたらしく、そのため日本で子供時代を過ごし、その後イギリスへ留学。
      高校終了後、ロンドンで会計士の勉強をし日本へ帰国。その後お父さんの手伝いをし、80年代終わりサンフランシスコへ。
      ここに5年間滞在しその間大学へ行き学士を修得。そしてユージンへというわけで、非常に国際的な人生を歩んでいる方で
      ある。当然会話は日本語である。しかし、私は関西弁がいえないので、シャビールさんは関東弁の合間に英語を交ぜていた。
      ちなみに私のオーナも国際的な人生を歩んでいる。
      
      金曜日に冬休み最後のイベントとしてポートランドへ一泊二日の行程で遊びに行く。ここ数日は、雨も降らず天気も良かった
      が雲行きが少々怪しい。初日は動物園へ行き、娘は大いにはしゃぐ。動物の数は少ないが、工夫がされており十分
      楽しんだ。その後ホテルへチェックイン。宿泊したホテルは、地球の歩き方でも紹介されている場所で、長期滞在も可能な
      キッチン付きのなかなか良い部屋を提供してくれる。日本人のスタッフもいる。(夜でも外がうるさいのが欠点だが)
      ホテルの近くに、Powell's Booksというかなり大きいbook storeがあり、数学の専門書を何冊か購入した。
      ここは、親書と中古書を取り扱っており、値段も通常より安く提供している。なかなか良い雰囲気である。
      ちなみに、foreign mathematicsの棚に、寺田文行氏の受験参考書が売られていたのには驚いた。
      二日目は、午前中前述の本屋へゆき、チェックアウト後は昼食をかねてPioneer Place Shoppingセンターへゆく。
      モール自体はそこそこ大きいが、我々に関係あるところはないらしい。一巡したあと、Children museum へ行き、それで
      この旅行は終了した。ポートランドは、まだまだみる場所があるのでまたくるつもりである。私としては、Powell's Books と
      いくつかのmuseumで時を過ごしたいがそれは子供次第である。春になれば、コロンビアリバーの雄大な自然を満喫できる
      のでそれを楽しみにこの暗い冬を乗り越えていこう。
      
      数学はというと、ポートランド出発前夜に取り組んでいた問題が解け一段落した。
      あと少しで、ここ10年来取り組んでいる問題が解けそうだが果たしてうまくいくかどうか。
    
    第十八週(1月7日-1月13日)
       Winter quarter seasonがはじまった。それで前回同様Huaxin氏とGreg氏の講義に出席する。Huaxin氏の講義は、
      相変わらず少ないが(日本でも作用素環の講義はそんなもの)、Gregさんのは盛況で12人が受講している。そのうち
      クレジットに関係ないのが二人いるが(芥川さんと私)、さすが代数幾何は人気があると感心する。AtiyahのK-Theory
      を基本的に解説するようだが、きちんとレジュメを作成するという熱のいれよう。来週以降も楽しみだ。
       
      珍しくHuaxinとChrisと別々に数学の話をした。今は、Huaxinの提示した問題に興味があり調べているがなかなか
      分からない。しかし、基本的に興味を持ったものに取り組むのが大事だと思うのでじっくり時間をかけてみるつもりである。
      K-Homologyのセミナーも芥川さんと始めた。私が話し、芥川さんが質問するという形で行う。彼にとっては知識を得るという
      ことで利益があり、私にとってはどれだけ理解して自分の言葉で表現できるかということで役に立つ。もちろん、これが新しい
      世界を切り開くことになるというのが望ましいことだが、「おもしろいから」という素朴な気持ちで勉強するのも悪くない
      と思っている。私の師事している(?)友達が常に口にしているが、「おもしろいから」何かをやるという、非効率的な生き方が
      以外と大事なのでは。
       
     日曜にMonster Inc.を見に行った。日本的な風景がしばしば登場しておもしろかった。息子は怖いと多少ふるえてみていたが。
    
    第十九週(1月14日-1月20日)
      娘に指摘されたことだが、もう5ヶ月も経てば帰国をしなければならない。なんと時が経つのが早いのだろう。
      娘はせっかく友達ができたのにと今から別れが来ることを残念に思っている。それほどこちらにとけ込んできているのを知り、
      驚きとともに強さを感じてしまう。土曜日に、仲のよい友達の誕生会に招待された。本人が通っているジムの部屋を借りて、
      みんなでトランポリンをしたりケーキを食べたりして楽しんだようだ。
  
      Winter quarter も2週目に入る。Gregさんの専門分野に触れているせいか、本人もますます講義に熱を入れている。 
      参加者は、それを見て楽しい。芥川さんのたまにする質問がGregさんに緊張を与えているようで、いい機会に巡り会っていると
      感じている。Huaxinの講義も是非拝聴したいという場所に入ってきた。論文を通して彼の議論は理解はしているが、その舞
      台裏を見ることが出来るのはなかなかない。他の受講生には悪いと思いながらその辺をちょくちょく質問をする。
  
      土曜日に夕食をかねて、芥川さんとインド人の友達を招待した。嫁さんも料理に力を入れて、純日本料理でお迎えをした。
      私も驚くほどおいしかった。インド人の友達とイギリス人について議論に花を咲かした。Wallace&Gromitというビデオを見な
      がら、いろいろと説明してくれた。ビデオ自身は楽しいのだが、何カ所か分からないところがあり、それについて説明して
      もらったのだが、イギリス人は調べがいがあると感じた。昔の林望先生の本は一通り見たが、イギリスに関係の深い彼からの
      説明には納得するものがある。彼に紹介された本をとりあえず読んでみようと思う。
  
      今週も映画を見に行ってしまった。SnowDogsなのだが、アラスカの雄大さにため息が出てしまう。所々に出てきたいる皮肉は
      監督の趣味なのだろうか。

  第二十週(1月21日-1月27日)
       月曜日に市内に雪が降り、多少積もった。Martin Luther King Jr. 氏に関係する祝日のため
      小学校はなかったので、子供たちは大喜びで遊んでいた。ただ、みぞれのように水分が多いため
      雪だるまは作れなかった。新聞によると、市内に積もったのは、6年ぶりだそうだ。そのためか、テレビで
      も雪合戦やそりで遊んでいる人々を放映していた。(大人も大喜びである)

      水曜日に嫁さんが、歯医者に初めてお世話になった。管理人のジムさんから紹介を受けた歯医者さんに
      行ったのだが、事前に本で調べたような手順でおこなわれ無事終了。私も到着した一週間後に、かぶせていた
      部分がとれたのだが、帰国するまで我慢するつもりである。

      プリンターのインクジェットを購入しに専門店に行ったのだが、在庫がないため注文する羽目になった。しかし、
      同型のプリンターがおかれているのにないというのは不思議である。当然カード支払いになるのだが、カードの
      読みとりができないらしく、小さな小売店のようにカードの型を取ったのには驚いた。最新の機器を販売している
      のに変である。以前はそうでなっかったのに。在庫をおかないというのは、昨今の景気を考えると納得がいく。
      しかし、この種の不思議さにたまに出会ってしまう。例えば、プリンターにはケーブルがついてこない。そのため
      ケーブルも一緒に購入しなければならない。よく知られているように、運転免許の実務試験を受けるために、
      自分で車をDMVに運んでいかなければならない。(仮免許は、ペーパー試験合格後修得できるが) 
      どうも日本人の感覚とアメリカ人の感覚の違いであると思われる。
      歯にまつわる感覚の違いとして、診察の前にアンケートで自分のスマイルが好きであるかという項目がある。
      何故か?娘のクラス写真を見て納得がいった。こちらの人は、写真に写るときは、歯を見せて笑顔を作る。
      まさしく「はいチーズ」である。日本人には無理であろう。
    

 第二十一週(1月28日-2月3日)
      とうとう二月になってしまった。アメリカ生活も5ヶ月目を迎えようとしている。
      一週間の流れも決まっており、月から金は数学、土日は家族とレクリエーション。
      最近は、週末に映画を見るのにはまっている。息子も気に入っているらしく、「ハリーポッタへ行く」という。
      息子にとって、初めて見た映画がハリーポッタであるため、そういうらしい。今月もピーターパンがあるし、
      そのほか近いうちにET, スターウォーズ(epsode 2)などある。The lord of the ring が今上映されているが、
      娘に拒否されているの残念だ。

      久々に床屋に行ったのだが、相変わらず文句を言われてしまう。私の髪は、普通の人に比べて硬いので、
      3人分刈っているみたいだといわれてしまう。アメリカ人にしては丁寧で、こちらの要求道理30分ほどかけて
      やってくれる。それで12ドルだから、日本の散髪料の高さにはゾッとしてしまう。チップを二ドル渡した。

      数学はと言うと、最近はHuaxinの論文読みと彼との討論で出てきた問題に取り組んでいる。彼の論文は、
      意外と荒いので、それを一つ一つなおしていくのだが、そのためか論文のacknowledgementに名前を
      載せてくれた。同室の芥川さんがいう、日本人は細かいこともきちんとやるというその例にあたるのか、
      私は、基本的に論文を読むときは、納得するまで精読する。でもこのスタイルでは、大定理はできない。
      と、分かっちゃいるけどやめられない。(メロディが頭のなかを駆けめぐる)
      出てきた問題が意外と最近勉強しているindex理論とも絡んできそうなのでおもしろそうである。
      ホモロジー論、K-理論を勉強していると、トポロジーの美しさと偉大さに感心してしまう。

 第二十二週(2月4日-2月10日)
      とうとうアメリカへ来まして五ヶ月目を迎えてしまった。滞在予定の半分が過ぎ去ったことになる。
      満足度はというと、数学以外は不満はなく十分楽しんでいる。(家族はどう思っているのだろうか?)
      
      今週木曜日の4時頃から、Eugene一帯に突風(snake storm)が吹き、町は大打撃を受けてしまった。
      風の力は、時速70マイルで日本の台風に比べると大したことはないが、かなりの地域で木やポールが倒され、
      停電を引き起こした。
      5時頃偵察のため外に出てみると、フリーウエーに通じる道路を警察が封鎖していたり、信号機がない
      交差点で車を忙しそうにさばいていた。スーパーに、チャッカマンと電池を購入しに行ったが、自家発電は
      レジの機械のみを動かすのみで、店内は暗く、探すのに手間がかかった。嫁さんは、ろうそくをともしながら
      夕食を作り、その間ラジオで情報を収集した。結局、深夜まで復旧しなかったが、久々にラジオが聴けて
      学生時代を思い出してしまった。娘は、シンプソンが見れないとぼやいていたが。
      ちなみに、こちらでは、暖房はガス動いていているが、電気を用いてコントロールをしているため、
      停電になると死活問題になる。それほどこちらの冬は寒くないので大丈夫であるが、
      シャワーに入れないというのは女性にとっては問題。一部では断水にもなったらしい。
      場所によっては、復旧に時間がかかっているらしく、現在でも復旧していないところもあるらしい。
      また、倒木で車に閉じこめられたり、家が被害を受けたりと深い爪跡を残した。UO内でも、
      10数本ほど木が倒れたらしい。多分、植林が多いため、根があまりしっかりしていないのであろう。
      不思議と我が家は無事であった。

   土曜日に、ビデオや書籍を市立図書館に返却しにいったが、途中snake stormの痕跡を見ては、「ワーオ」と声を
      上げてしまった。日本ではまだそれほど充実はしていないが、こちらではビデオ、カセット、CDなど結構よい品
      を図書館から借りることができる。本数に制限があるかはよく分からないが、みなさんたくさん抱えながら物色を
      している。私は、アメリカの記録関係のビデオを借りて鑑賞しているが、今週は、朝鮮戦争の記録映画と
      リンカーンのドキュメンタリーを借りることに決めた。アメリカの二十世紀の記録という10数本のシリーズものも
      あるので今後のも楽しみである。息子好みとして、ロッキーマウンテンの鉄道とイギリスの鉄道の2本を借りた。        

第二十三週(2月11日-2月17日)
      今週のメインは、バレンタインデーである。
      日本と異なり、男女問わず親しい人にチョコレートをあげるらしい。
      日本と同じようにお店はコーナーを設けて頑張っている。
      噂では、一年で一番稼ぐときらしい。恋人同士で花をあげるらしいので、花屋もかきいれどきである。
      例によって、小学校はこの日のために、メールボックスを作らせ、各自バレンタインカードをクラスメートの
      メールボックスにいれるようにしている。当日は当然チョコレートがクラス中飛び回る。
      予想出来ると思うが、ホワイトデーはこの国では存在しない。やはり、日本のお菓子メーカは商売上手である。
      私もけんかしないように、チョコレート付きの熊さんのぬいぐるみとカードを二つ用意した。
      (もちろん奥さんにも)

      土曜日にHuaxin一家を夕食に招待した。食事の評価はよく、また、芥川さんおすすめのホワイトワインも好評
      であった。芥川さんは、このワインを日本に輸入して一儲けが出来るのではと言っている。味は確かにいいが、
      果たしてうまくいくかどうか。やはり秘密にしておいて、個人的に楽しむのが言いと思う。

      最近は、晴れの日が続いている。つまり、雨が余り降らなくなったというわけだ。
      もう春なのだろうか?

 第二十四週(2月18日-2月24日)
      一ヶ月遅れで勝良君が火曜日にEugeneに到着した。ビザ問題で多少手間がかかったが、来てしまえば
      もう問題はない。 それで、当座に必要な手続き(ガス、水道、電気、電話、銀行など)を行い、日用品を
      Walmart, Targetなどのデスカウント店で購入することにした。売り上げNo.1のWalmartは品ぞろいもよく、
      確かに安い。コマーシャルでは、毎日値段は下がるようだが。
      
      数学教室の手続きも終わり、研究室も確定し、後は来週研究室の鍵を手に入れれば研究は再開出来る。
      勝良君は、飛び級のため、本来は修士二年生であるが、現在は博士課程一年である。しかも、論文は、すでに
      二本書き上げているという優秀さ。さすが河東研の学生である。
      まあ人生は長いので、彼のように早熟でなくとも勉強を続けていけば、やがて花は咲くかもしれないので
      これを読んでいる同世代の人は焦る必要はないと思う。ただ、彼のような学生は、世界では珍しくもなく、
      たくさんいることを知っていてもよろしいのでは。
      
      日曜日に、ピーターパンの新しい映画を見に行った。
      中学生の時読んでいた頃を思い出してしまった。
      あのころは・・・・・。  

 第二十五週(2月25日-3月3日)
      今週から来週にかけて大坂家はイベントが続いてしまう。
      3月2日は、嫁さんの誕生日、3日はひな祭り、7日は結婚記念日、15日は娘の誕生日
      と忘れてはいけない記念日が続く。
      それに先立ち、芥川さんとの食事会を金曜日に開いた。他に、芥川さんの共同研究者のBoris,
      共通の友達のHarrish, そして最近到着した勝良君も交えて、Eugene雄一の(?)インド料理屋
      Taste of India で和気相合におこなった。Borisは必ずパーティの前に一旦帰宅し、シャワーを浴びて来るという
      おしゃれ好きである。そのとき嫁さんの祝いに何をすればよいかBorisに尋ねたところ、ワイン、花束、ケーキ
      あるいはチョコレートを勧めてくれた。チーズケーキでニューヨークチーズケーキというものがあるらしく, 
      それを購入できるお店を紹介してもらった。
      誕生日当日は、娘とカード、花、手芸、チーズケーキ、ワインと用意しお祝いをした。花には満足していたようだ。
      残念ながらニューヨークチーズケーキは手に入らなかったが。
      
      ひな祭り用のあられをAsian shopで探したがなかったので、勝良君のおみやげの雛お菓子で
      代用することにしたが、これが子供たちには大当たり。真輝はその後残りを一人で食べてしまうほど
      気にいったようだ。彼は、なかなか渋いものが好きで、お茶と和菓子があればいい。その点娘は、全くダメで、
      チョコレートが主。海外生活でチョコレート好きになったと理解していたが、息子の例を見るとそうでもないので
      持って生まれた性格なのかと納得してしまう。兄弟なのに性格が異なるのもおもしろく、娘は内向的、息子は
      外向的。これからどのように成長していくか楽しみである。

      26日に一月まで得た結果を発表したが、例によってうまく出来ず落ち込んでしまった。
      これでは、商売下手になったしまうので、売り込みを研究しなければならない。
                    

 第二十六週(3月4日-3月10日)
      今週からGregさんの講義は、学生がプレゼンテーションをすることになる。先週のこともあるが、彼らのうまさを
      見せつけられてしまうと落ち込むとともに次回は見習おうと思ってしまう。5分間で終わる些細な結果を30分まで
      持たせるかどうかが勝負であり、このようなことは、この国で自分を売り込むためには必要である。
      もちろんまともな結果を得ていればそれほどうまくいかなくても話を聞いてくれるであろうが、そのような結果は
      なかなかないというのが現実である。 一月の数学教室のジョブインタビューを見てもみなさん売り込みには
      必死であった。次回5月末の研究集会で話をするので、それに向けて準備をしっかりしょうと思う。  
      とりあえず今月中に論文を書き上げよう。

      プレゼンテーションのポイントは、大きい声で聴衆を見て話す(Harrish談)

      さて結婚記念日。結婚十年目であるので噂では大きなイベントをしなければと思っていたが、結局はワイン
      を開けて祝ったのみ。落ち着いて祝うことは当然できず、いたずら真輝を追いかけて時が過ぎる。
      久々に雪が降ったのでロマンティックになるのではと思っていたが。 
 
      ところで我々の家のオーナーである峯さん夫婦が戻ってきたが、相変わらず忙しくゆっくりあって話をすることが
      できない。税金の申告や仕事関係の整理なので忙しいらしい。土曜日に30分ほどあう機会があったが、
      今が人生の気転の時期らしく少々悩んでいた。人生そのような時期が何度かあるらしい。
      私の場合は、40の手習いよろしくと感じで、勝良君の厳しい指導の下でK-Homologyを勉強している。
      これが今後の研究にどのようには反映されるか楽しみである。

第二十七週(3月11日-3月17日)
      今週はwinter quarterの最終週。大きいイベントは娘の誕生日。
      小学校もそのためか最後のお金集め(?)に必死である。ブッシュ政権の税金カット政策のため、それを補うように
      財源が削られていく。そのため、教育関係はかなり削られる見通しで、来年度で閉鎖される小学校も
      ここユージンでいくつかあげられているほど。効率的に財源を分配するため、お金を与える代わりに実力テストを
      課すことを条件に入れるようだ。当然教育関係者は反対しているが。そのためかどうか、娘の小学校で
      フェステバルが開催され、日本の夜店のようなコーナーや(サイレント)オークション、くじ引きなどがあった。
      収益は小学校で有効に使われるようだ。日本と異なりお金集めに対しては、悪い(?)、というイメージがなく
      堂々と機会ある毎に催される。サイレントオークションとは、各家庭が持ち寄ったいらないものや校長室の部屋
      の前に展示されていた各企業、団体からの寄付されたものがテーブルに並べられていて、各品物の前にある紙に
      自分の希望値段を書いていくもので、オークション時間内で書かれたもので一番高い値段を提示した人に落札
      される。そのため、欲しいものがあったら時間内に何度も値段をチェックし適度に上げないといけない。
      時間が近づくと迂路往路する人が増え大変熱気があるようだ。嫁さんと娘は立体パズルを落札した。
      
      最近手伝いをするからお金をくれと娘から言われるが、このような考え方もこちらにいると自然にでてくる
      かもしれない。(学校では、ことある毎にお菓子が飛び交うため)
      日本では余り受け入れないと思うし私自身も嫌であり断るが、その一方でこの国でボランティアというものが
      日常盛んになされているのを見るとお金に対する対処を曖昧にしていない分できるのかと思ったりする。
      また、おきまりのPTAの役員決めも日本と異なり積極的にみなさん動くのを見るとそのようにアピールしないと
      この国では生きれない厳しさも感じてしまう。
      
      娘の誕生日に好きなものを買ってあげようと思いトイザらスへ行く。娘が選んだのは、チェッカーとモンカラ。
      最近は休みになるとモノポリーをするよう強要されるように娘はボードゲームにはまっている。そのため、
      この日記を書く暇がない。   

第二十八・九週(3月18日-3月31日)
      spring breakを挟んでしまうため2週間まとめて書くことにする。
      Huaxin氏との相談の結果、勝良君も一緒にCalifornia北部のRedwoodに3泊4日で行くことになった。
      ここは、1000年クラスの原生林が保存されている国立公園で車が通れるほど幹が太い木がたくさんある。
      (奈良の大仏にある柱抜けの車版)金曜日に、小学校、中学校の授業終了後勝良氏のアパートへ集合すること
      になったが、なかなかHuaxin家が時間が過ぎても来ない。15分ほど遅れて到着し、5時間ほどの移動を
      はじめる。雨の降りしきる中、I 5(アイファイブ)を南下し、GrantspassでI 5を降りガソリン補給をかねて休憩する。
      199に乗りかえ第一日目の宿泊地Crescent cityに向かう。途中山越えの時、山々の移動する雲の美しさ
      目を奪われる。Crescentに近づくに連れ、道が険しくなり、闇の中太い幹の木々がところところで確認出来た。
      無事午後8時に到着し、簡単な夕食を部屋で取る。2日目は、7時起床、8時出発の少々きつめの行程。
      Huaxin氏が是非行きたいといっていた、the avenue of the giantsへ向かう。途中、またしても強い雨の中の
      移動であったが、つかの間の晴れ間に、海岸の景勝地を訪れる。パンフレット片手に移動し、ピクニック地で
      昼食を取るが、雨の中の昼食で大変であった。その後、Drive thru the treeの場所に行き、木のトンネル内で
      記念写真。帰りに寄ったFonders Grove内のLoop Trailは圧巻であった。幹の太い木がところ狭くあり、普通の
      木が枝に思えてしまう。宿泊地は、Eureka cityで、夕食は高級中華料理屋であった。当然真輝があばれて
      落ち着いて食事ができなかった。3日目は、Crescentまでの、Redwood国立公園をゆっくり移動。
      天気はようやく晴れて良好。 途中雌のElkを見ることができた。Elk Prairieの1.3マイルtrailで迷ってしまうという
      ハプニングもあったが、子供たちは至って元気であった。真輝も一生懸命歩いた。Klamathの近くの岸壁沿いの
      ピクニック地で昼食を取る。今日は晴れのため、落ち着いて取ることができた。昼食後岩登りなどをして楽しむ。
      Klamathのdrive thru the treeをやめ、Crescent 北東部のStout Groveに向かう。Howland Hill Roadは、ガイド
      に書かれたように道は舗装されておらずでこぼこ道だが、大木が迫っている中を通のは楽しかった。Stout Grove
      で車を降り散策をする。ジュラシックパークにいるようで恐竜があらわれても不思議さを感じさせない。
      夕食は、Crescent Beachで夕日を見ながらインスタントラーメンを食べるという、なかなか楽しいものであった。
      夕日が沈む頃は寒くなり震えてしまったが。4日目は、オレゴンコーストを北上する。Pistol Riverの海岸で休憩を
      かねて散策し、バイオロジーについて話が弾む。ここでも岩登りに興じる。Bandon北部のlakesideで昼食を取る。
      ここでもインスタントラーメンその他を食べる。lakesideのベンチでHuaxin氏と勝良氏は数学の議論をしていたが、
      私は真輝の相手でそれどころでなかった。2時に出発し、無事Eugeneに4時に着いた。

      旅行出発日に芥川さんは帰国してしまった。これで私は研究室に1人となり、気軽に幾何関係の質問をできる人
      がいなくなってしまった。大分、芥川さんのおかげで位相幾何に抵抗がなくなってきた。
      旅行終了後の次の日、芥川さんの部屋から勝良氏への荷物運びをする。一時間ほどで終了し、買い出しに
      出かける。木曜日は大学へ娘と行くが、勝良君と彼の友達と結局はフリスビーをして終わってしまう。
   
      金曜日は、娘の願いでポートランドへ行く。途中、Oregon city の End of the Oregon Trail Interpretive Center
      へ行く。Oregon cityは、南北戦争後”Go West"と移動しはじめた人々が取ったオレゴントレイルの最終地であり、
      ここへ6ヶ月かけて移動しFree landを手に入れた。一時間ほどの解説でその過酷な行程が少しわかるように
      なっている。また、本や移動した人々の日記を見ると大変であることがわかる。
      なんせ、基本的に歩きの移動であるから。オレゴントレイルというコンピュータゲームで疑似体験ができるが、
      到着前に亡くなって終了と慣れないうちはなってしまう。このソフトは、ここではヒット作だそうだ。
      娘が行きたいところは、OMSIという科学博物館で、3時間ほど十分遊んで満足したらしい。
      夜8時頃Eugeneに到着し、としちゃんラーメン屋で夕食を取る。

      土曜日は、イースタ祭の準備と称して、プラスチックの卵を購入しに行く。そして、チョコレートなどを中に入れて
      家中に隠し、イースタ当日に子供たちが探すそうだ。とにかくそれをしたいと娘は言うので、前夜に嫁さんと準備
      する。娘は朝起きて早速24個の卵を息子と一緒に探していた。

      日曜日は、Salemへ行き、State Capitolを40分ほど眺めてきた。前庭にある桜の美しさに驚いてしまった。
      州都いってもEugeneより小さく見る物もあまりないようだ。早々退散し、帰宅し、庭掃除をしてspring break
      がようやく終了した。運転は私1人なので、この一週間は寝付きがとてもよかった。

      研究は当然できず、合間を見て論文を書き終えただけであった。

 第三十週(4月1日-4月7日)
      今週からspring quaterが始まった。今回は、Huaxinの講義と友人のHarrish氏の講義に参加することに決めた。
      Harrish氏は、微分幾何の初歩について解説してくれる。使う道具は簡単で、微積と線形代数がわかれば十分
      である。いきなり多様体ではなく、三次元空間内の幾何の解説であるので、立命館でもおこなえばいいと
      思うのだが、この種の話題はあまり日本の大学では取り上げられていない。内容としては、小林先生の
      「曲線と曲面の微分幾何」にあたると思う。これを大学院の講義でやるのを見てもわかるように、アメリカの標準
      的な大学の数学の内容はそれほど高くない。とはいえ、アメリカの強さは、常に外国から優秀な研究者を
      受け入れるシステムがあることと、一部のものすごく出来る人がいるため、世界一のレベルを維持している
      ように思える。

      今週の土曜日からサタデーマーケットが始まった。やはり今週は初日のためかものすごく混んでいた。
      いつも昼食に食べているPadTaiの出店は、予想通り長い列ができており、15分くらい待つほどであった。
      久々に、そこでアルバイトをしている私の家のオーナーの息子さんに会った。
      また日曜日から、夏時間が始まった。そのため一時間時間が早まり、夜八時でも明るい。

  第三十一週(4月8日-4月14日)
       今週は、2日に一日の割合で朝3時、4時過ぎまで起きて研究している。
       1月から読み始めたある種の性質に関連する一連の論文とHuaxin氏の一連の論文を一通りながめ、
       Huaxin氏と議論してきた予想の反例を見つけたらしい。きちんと証明をつけなければならないが。
       (また反例を構成したのかと言われそうだが。)
       定理も作らねばと思い、何とか一つ構成した。とはいっても、論文としてまとまるまではできたことにならない
       ので、身体をこわさない程度に今月は集中してまとめてしまうつもりだ。

       勝良氏が、日曜日に一時帰国してしまった。2日に一度のセミナーで、いろいろ彼に説明していただいている
       ので、彼の不在は痛手である。ここ二ヶ月彼のおかげで大分K-Homologyに慣れてきた。

     第三十二週(4月15日-4月21日)
       先週出来たらしい結果を論文にまとめる前に気になっていることを調べて今週は終わってしまった。
       できた定理をHuaxin氏と討論したが、余り面白くないといわれ、もう少し微妙な状態を記述する定理を
       構成することになり、とりあえずできた反例を論文にまとめることを先にすることに決める。

       今週と来週にかけてBasic Notionというセミナーで、Chris氏が作用素環論について話をすることになった。
       想像していたとおり、参加者は少ない。作用素環論は、米国では少しは知られているからもう少し参加者が
       いると思ったが、やはり、代数とトポロジーが主なオレゴン大学ではダメである。これがバークレーあたりなら
       もう少し多いかもしれない。日本では、当然少数であり肩身が狭いのだが、60年代に比べると格段に
       増えているのでこれからの発展がのぞまれる。私の指導教官によれば、その当時は世界で40人程度で
       あったらしい。今は、日本でその程度はいるのでものすごく増えたわけである。(ちなみに、今年のICM北京
       では作用素環論の分科会がある)

       日曜日に、Sea Lion Caveという、オレゴンコーストのフローレンスにある洞窟に遊びに行った。つまり、アシカ
       を見物に行ったわけである。洞窟内では、当然アシカが騒いで鳴いていたが、洞窟の歴史をみると面白い。
       Native americansのサインなど壁にあるが、これを公的(?)に発見した人のものになったのかどうか。
       これを経営している人が、その子孫なのか、そちらの方が興味がある。オレゴントレイルの場合もそうだが、
       結局誰のモノでもない(その当時所有意識をnative americansの人びとがそれほど明確に持っていたか?)
       土地をヨーロッパの移住者は勝手に取ったわけなので。しっかり経営をしているSea Lion Caveを見ると、
       そう感じてしまう。

 第三十三週(4月22日-4月28日)
       今週はHuaxin氏との共著の論文打ちで終わってしまった。また、Chris氏との講義録の作成も
      始まってしまったので、これからTex打ちが続くようだ。
      
      待望のある春が来たせいか、まだspring quarterの半分も終わっていないのに、学生はパーティを
      楽しんでいるようだ。そういえば、デンマークにいた頃は、長い暗い冬が開けたときは、みなさんものすごく
      はしゃいでいたように記憶する。昔は、そのためバイキングと称して、血の騒ぎを押さえるため他国に侵入して
      いったのかと納得してしまった。それだけ、冬は長く暗い。夕方3時頃には暗くなり、朝9時頃まで暗い。
      ここオレゴンはそんなに冬は厳しくないが、ただただ雨の毎日であった。そのため晴れると、キャンプセットを
      持ってピクニックに行くのだろう。

      日曜日は、セーラムで開催されているAgri festivalへ遊びに行った。毎週開催されているsaturday marketと
      滋賀でいうブルーメの丘とを足したような感じであった。無理矢理(?)人前で羊が散髪されたり、
      ラマの大会があったり、トラクターでのバスがあったりした。ラマをペットで飼っているというのはさすがアメリカだ
      と感心してしまう。クイズに答えながら、各ブースを回るのがあり、娘は一生懸命答えていた。
      大分英語がわかってきている。 来週あたりから、セントラルオレゴンを訪ねようと思っている。
         

 第三十四週(4月29日-5月5日)
      日曜日の天気が芳しくないらしいので、Bend行きを止め、土曜日に近くのMt. JuneのハイキングにHuaxin家と
      行くことになった。登山の入り口までの車の移動が結構難しく、途中何度も行ったり来たりする。
      登山は2.3マイルの短い距離ではあるが、やはり山登りである。早速真輝をバックパックで背負うことにする。
      まだ所々に雪があることに驚いた。頂上に着いて見渡した景色はすばらしかった。Mt.Hood, Three Sisters等
      が雪に覆われた姿でくっきりと現れていた。娘は、Huaxin家の子供たちと遊ぶのが大好きで、長女のユウシン
      と一緒に行動していた。楽しそうに会話をしている姿を見ると、娘の成長に感心してしまう。
      しかし、最近カタカナを忘れてきているのに不安を感じるが。

      行き帰りの道々の木々をよくよく眺めると、新緑が満ちてきているのに気がついた。緯度的には青森より高い
      位置にあるから、今時分そうなるのは当たり前なのだが、雪もなく比較的暖かい冬を過ごしてくると、感覚が
      鈍ってしまう。それ故か、最近は大学で夕方から連日のように春を祝うイベントがあるのだろう。
      
      Huaxinとの共著の論文は、何度か証明をやり直し、結局(Huaxinが)唖然とするような簡単な方法で示すことが
      でき、あとは魅力あるようにまとめるだけである。大方の人はアブストラクトとイントロダクションしか目を通さない
      ので、内容まで目を等したくなるような構成をしなければならない。とりあえずお互いいる間に次のプロジェクトを
      はじめることになった。

第三十五週(5月6日-5月12日)
      勝良氏が月曜日に帰ってきた。そこでHigsonの本のわからないところを説明していただき、なんとかChapter 7
      を終了出来た。この調子で行くと帰国前にChapter 9まで終われるかどうか不安になる。

      土曜日にCastle Rockと言う小高い山のピクニックにHuaxin家,勝良氏とゆく。前回と異なり、道は適度に固く
      車での登山口までの移動もそれほど苦にならなかった。名前の通り、頂上周辺は岩で覆われている。
      そこからのThree Sistersのながめは美しかった。今回は、登山道に雪はなく、比較的楽であった(と思った)

      まだ、朝は冷え込み吐く息が白いときもある。しかし、晴れの日は昼間は暑くT-シャツ一枚で十分。
      この寒暖の差のため、まだジャンバーは欠かせない。

   第三十六週(5月13日-5月19日)
      月曜日は久々に雨であった。朝大学への行く途中、たまに挨拶を交わすおじいさんが、今日はいい雨の日だと
      声をかけてきた。確かに、先週草刈りをしたときは、大分土が乾いていると感じたものだ。

      例のように、頭の中で気にしていたところが解けそうな気がし始め、月曜の夜から次の日の
      夕方6時頃まで集中的に計算をとりつかれてようにした。おかげで、疲れ切ってしまったが、二ヶ月前に
      出来なかったことが証明出来うれしい。水曜日にHuaxin氏に計算報告をし、当面の問題の方針を討論し、一つ
      目安が出来た。すぐ出来そうな気がするが、それをするまとまった時間がとれないのが残念。

      土曜日にSalemのSilver Fallsに行く予定であったが、Huaxin氏の娘の調子が悪いのでキャンセルとなった。
      そこで、来週の研究集会の準備や図書館から借りているドキュメンタリーのビデオを見ることにした。
      日曜日は、噂のSpider-manを見に行ったが、予想通り暗く重々しい。子どもにとっては退屈な映画だと思う。
      
      来週からはシャロットのGPOTSに出かける予定。どうなることやら。  

第三十七週(5月20日-5月26日)
      今週は火曜日からNorth CarolinaのCharlotteで開催されたGPOTS(Great PLane Operator Theory
       Symposium)に参加してきた。移動だけで12時間かかり大変であっが、無事UNCCへ到着する。
      レセプションの建物を早速勝良君と探すが、見つからず部屋で勝良君のサンドイッチを食べることにした。
      10時頃に同室の楠田氏と富山先生が部屋に帰ってきて、久々の挨拶を交わす。富山先生は私の指導教官
      であり、最終日に現地の関係者のかたから、それ故部屋を同室にしたと聞かされた。初日の最終の時間に
      私の講演の時間が組まれていたが、相変わらず参加者は少数である。5時半過ぎに聞きに来る奇特な方は
      それほど多くはない。土曜日に我らがホープの勝良君の講演があり、そのときのChairmanが私であった。
      勝良君はプレゼンテーションをきっちりこなしすばらしかった。その後5人ほどの講演のChairmanをこなしたが、
      時間をオーバーする人が何人かおり、少々大変であった。勝良君によれば、おどおどしていたらしい。
      まあ、学生のような私が、えらい人に交じってやっていたので威厳というものは最初からない。
      後期に一回生の講義を持つことになっているが、最初は驚くだろうと想像している。学生のような服装をしている
      私が、いきなり前に立ち説明をはじめるのだから。ネクタイでもすればいいのかな?

      飛行機の移動でシアトル空港で乗り換えをすることになったが、それほど楽しい場所ではなっかった。
      まだ、Charlotteの方が良かったような気がする。

第三十八週(5月27日-6月2日)
      先週の研究集会の疲れのせいか、夜は風呂から上がるとすぐ寝てしまう。子どもより早い。
      今までの疲れが一気にでているのだろうか。

      土曜日に最後のピクニックと称して、Huaxin一家と勝良君とセーラムの近くのSilver Falls に遊びに行った。
      ここは、たくさんの滝があり、それを見ながらなだらかな道を散策するのは気持ちがいい。雰囲気が、私の故郷
      の十和田湖周辺に似ており懐かしさを感じてしまった。ふるさとに戻りたいという気は毛頭ないが、やはり生まれ
      故郷はいいらしい。

      日曜日は、引っ越しに必要な段ボールを探しに行ったが店がしまっており購入出来なかった。
      親戚などへのおみやげ探しもしたが適当なものがないらしい。
      車のセールのため、娘と一緒に洗車とワックスがけをした。もう少し大きくなれば、このように娘と一緒に
      することはなくなるのかと思いながら穏やかな午後の一時を過ごした。

第三十九週(6月3日-6月9日)
      今週でスプリングクオーターの講義は終了する。
      木曜日に娘のクラスの劇があったので小学校へ観劇しに行く。劇の準備の間の娘の先生への応対をみると
      普通のように会話をしているので、その成長ぶりに驚いてしまう。当たり前だが、来た当初は会話はほとんど
      できなかった。劇はなかなか楽しかった。娘のせりふは一カ所のみであるが、その姿を見ると非常に日本的で
      自分の母親を思いだしてしまった。日本人は、日頃背中を丸めて歩いているせいか、西洋式の劇は難しいと
      感じてしまった。こちらにいると、歩いているときでさえ背中をしゃんと伸ばしていないと変に思われてしまう。
      そして、ユージンのような田舎では、道であったら笑顔で挨拶。もちろんシャイな方もいるけれど、白い歯を
      見せて、「ハロー」というのが基本。それと、何かにつけて、自分の意見をアピールするのが大事なことなどで、
      子どもでさえ一生懸命に主張する。ただし、大人の会話の途中での出しゃばりは禁句。ヨーロッパ
      (ただしラテン系は別だと思う)ほどではないが大人と子どもの世界の区別はここ米国にもある。
      よくニューヨークへダンスの修行へ行くという話があるが、日本人の場合は、そのダンスの中身ももちろんだが、
      その背景にある日常生活のテンポを身につけるのも大事だと感じてしまう。

      これまた数学と関係ないが、へそ出しルックというのが日本で流行っていた時期があったと思う。
      (今もそうなのかな?)こちらではそれは当たり前で、もっと過激な服装をしているのが当たり前。
      デンマークなんてもっと過激で、4月になり、太陽が顔を出すようになると、みなさん裸で日光浴をしている。
      それが家で隠れてというわけでなく、公共の公演で当たり前のようにしている。一説には、そのためドイツで
      望遠鏡が発明されたと言われるほどである。日光浴には理由があって、長い暗い冬で手に入れられなかった
      自然のビタミンの補給をしている。子どもたちは、それでも十分でなく冬の間薬で補っているが。
      
      劇とかダンスというのは、背景にある人間の生活が絡んでくるので、欧米式の劇をするのは大変だなと
      納得する。さて数学はというと、これまた欧米式のものをやっているが、これは頭の世界のお話なので、それほど
      日常生活は関係ないように思える。ただ、日常に置ける数のとらえ方は違う。日本でものを数えるときは、
      10を基本に数えるが、米国ではダース(12)が基本であるようだし、キログラムを使わずポンドを使用して物を計る。
      ただし、これは米国が固執して変えないためという感じがするが、国によっていろいろなとらえ方があると思う。
      
      頭の中で構成出来る数学ではあるが、その過程には、他の人との会話が重要になってくる。そのため、
      自分の研究と関わり合いがあるところへ一定期間滞在するというのは大事なこととなる。
      オレゴン大学へ来たのもそのためであるが、その甲斐があったかどうか?

第四十週(6月10日-6月16日)
      今週から引っ越しの準備に追われている。
      先週の日曜日と今週の月曜日で車の件は終了した。新聞に広告を出してなるべく高く売ろうと思っていたが、
      参考ついでに購入したデーラーへ行き、そのときお世話になった販売人に相談してみた。ホームページで公開
      されている値段を踏まえて交渉が始まり、期待より1000ドル低いところで値段はほぼ決まった。嫁さんは当然
      それでは満足出来ずさらに強く押すと、値段は上げれないが、残りの期間新車をかしてくれるというところで
      話が落ち着いた。結局それで交渉を終え、即日お金が入り終了。新車は、フォードのFocusで、私たちが最初の
      オーナーになったらしく、ホンの50マイル程度の走行距離しか走っていなかった。もう少し押せば値段が上がった
      かもしれないと嫁さんが主張していたが(さすが関西商売魂)、彼の持ち分のお金がそこまであったかどうか。
      私は満足して、Focusに今乗ってる。

      木曜日で小学校は終了した。終了式というのはなく、各自先生関係者に挨拶をしたり、記念写真を撮ったりして
      終える。私も担任の先生と話をしたが、彼は娘の驚異的な成長に驚いていた。実は4月に州の実力テストが
      あったのだが(これによって小学校のランクが決まったりするため先生方は一生懸命である)、普通ならば、娘の
      ような来米一年程度の外国人ははずされるらしい。ところが、ESLの先生と相談した結果、英語の理解力が
      かなりあるため受けさせることに決め、箱を開けたら、現地の人と肩を並べて平均はとれており、
      科目によってはそれ以上の成績であったことに驚いたというわけだ。
      私も驚いたが。テストの内容は大したことはないと思うが、問題はそれを理解出来る英語力があるかどうか
      であり、日々の努力のおかげでそのハンディはほとんどなくなったらしい。確かに、スペリングテスト、本読み
      などはトップクラスであったらしい。算数に関しては、日本人のお得意であるからこちらは別。
      小学校をろくに通わず遊んで暮らした私としては、娘のまじめさの驚いてしまう。
      賞状も4枚頂き、娘は満足して終了した。

第四十一週(6月17日-6月23日)
     オレゴン便りをオレゴンから書くのは今週で終わりだと思う。
     来週の今頃は娘の小学校の手続き、帰国報告と飛び回っていることと思う。
     
     今週は、サマースクール前の一週間の休暇である。最後の休みであるので、この間セントラルオレゴンを
     旅行することに決めた。初日は、コロンビア川添えにあるMulnomah Fallに行くことに決め、一路ポートランドへ
     向かった。I5を北上し、途中84へは入り有名なview pointで休憩をする。よくポスターなどで見かける場所であるが
     やはり美しい。ここあたりは、108ほど滝があるそうで目的地に着く前に途中二つほど眺めていった。
     目的地の滝はその美しさもすばらしいが、落差が米国内で5番目である。その頂上へ上ろうと、えっこら1時間ほど
     かけて上っていった。娘は、疲れたと怒っていたが、やはり頂上に着くとそのながめは格別であった。
     この日は、Troudaleのモーテルで一泊。
     次の日は、五つの山が見渡せる場所へ朝早くから出発する。雲行きが怪しかったが、14マイルの道をとばして
     行く。頂上へ近づくに連れ、雪が見え始め、頂上の駐車場は半分ほど雪で埋まっていった。view pointまでさらに
     15分ほど歩き到着。残念ながら、Mt. Hoodの裾のみしか見えなかった。この後、ポートランドの動物園に向かうが
     雨のためOMJIに変更し4時頃まで遊ぶ。この日は、一旦ユージンへ戻り休息する。

     3日目は、目的地をBendにし126をとばす。途中、マッケンジーのインフォメーションセンターでClear Lakeの情報を
     仕入れる。Clear Lakeでは昼食を取り、雨の中山越えをする。山を越えたとたん晴れ間が見えSistersで休息。
     ここは、昔の西部の雰囲気が保たれている場所で、カウボーイ御用達のお店が結構ある。Bendへ5時頃着き一泊。
     4日目はメインのCrater Lakeへ向かう。片道二時間弱の道であったが、ずっと道のみというところをひたすら走る。
     さすが米国とその大きさに感心してしまう。Crater LakeもLakeに近づいて上って行くに従って雪が見え始め、
     Lakeのところは、道以外は結構雪で覆われていた。Lakeは、秋の時と異なった美しさを見せており、見る人を
     あきさせない。ピクニックエリアは雪で使えないので、車で昼食を取り、その後2時間ほどゆっくり散策をする。
     子どもたちは、Lakeよりも雪遊びで楽しんでいた。Bendへ帰りこの日も同じモーテルに泊まる。
     最後の5日目は、Bend近郊の国立公園を回った。最初、ボルケニック・モニュメントで散策をしたりして溶岩跡を
     みる。立て看にはあの人類初のアポロの宇宙飛行士がここで練習をしたと書かれたあり、なるほどと感心した。
     溶岩山には車で上り、頂上からまた溶岩原を眺めた。そのあと近くにあるLava River Caveへ行く。
     ここはあまり観光化されていないので、洞窟内は真っ暗でランプを借りて入ってゆく。明かりはランプのみで、
     前も後ろも真っ暗。何がでてきてもおかしくないという状況で、息子は車に帰ると叫びはじめた。とりあえず行ける
     ところまで行こうとなり頑張るが、最後まで行かずあきらめもどった。50分ほど洞窟内をうろうろしていたが、
     なかなか楽しかった。
     洞窟の外のピックニックエリアで昼食を取り、最後の目的地ハイデザート・ミュージアムへむかった。
     ここは、この地域の動物を説明したり、native americanの歴史、西部時代の歴史や生活の様式などが説明され
     ている。本当はここではなく、スミス・ロック州立公園へ行きたかったが、娘の意見で今回はあきらめた。
     ハイデザートのあと車は、ユージンに向かって出発。雪に覆われたスリーシスターズ、ジェファーソンなどの山々に
     感動しながらSistersを抜け、Clear Lakeを通り越したところの滝で休息。雪解け水のせいか、ものすごい勢いで
     流れる滝を見て今回の旅行は終了した。ざっと900マイルの行程であった。

  

 第四十二週(6月24日-6月30日)
      日本に無事帰国して書いている。
      この週で米国滞在は最後であり、引っ越しの準備に追われた。
      とは言っても、Higsonの本読みセミナーは、しっかり移動の前の日まで行いなんとか9節までまで終えることが
      出来た。(途中6節をとばしているが)勝良氏には大変お世話になった。
      水曜日に、Ben夫婦、Harrish, 勝良氏が我々家族を夕食会に招待してくれて、楽しいひとときを送った。
      出会いがあれば当然別れがあるわけで、この10ヶ月の時を一緒に過ごせたのは良かった。Harrishも8月に
      インドに帰るようだし、オレゴン大学も寂しくなると思ってしまう。
      
      土曜日に、ユージンに別れを告げサンフランシスコに移動する。朝早くの飛行機に乗ればその日に日本に
      帰れるのだが、子どもがいる以上それは無理。それで、サンフランシスコで一泊することに決めた。
      とはいっても、市内観光をゆっくりする時間はあるはずはなく、ホテルの周りを散策して終わった。
      夕食に、ホテルの前の日本料理屋に入り、10ッカ月ぶりにさんまを食べることが出来た。その味に感動して
      しまった。 日本に帰っても食卓に上ることはほとんどないが、サーモン以外の魚を食べるのはうれしい。
      そういえば、カナダ、デンマークと続けて外留したときは、魚恋しさあまり、ポルトガルのリスボンにイースタ
      休暇であそびにいったとき、家族3人でいわしを夢中に食べたことを覚えている。あのとき隣にいたアメリカ人が
      我々の食欲に驚いて声をかけてきたが。

      次の日、タクシーで空港に向かったが、運転手が話し好きのロシア人であった。(オレゴン大学のBoris氏
      より英語はうまかった)私が、大学の教官であることを知ると、彼もモスクワのとある大学につとめていたが、
      なかなか米国で同じ地位を見受けるのは難しいと愚痴をこぼしていた。 確かに、ソ連崩壊の時米国は、
      たくさんの優秀な研究者をソ連や東ヨーロッパから受け入れたが、ごく普通な研究者は難民のかたちで米国に
      流出したらしい。米国でポストを手に入れるには、米国の学位が建前上必要なので、修得するのは難しくない
      が時間がかかってしまう。また、英語が流暢に話せないと採用は難しい。彼は、日曜以外は家具屋を営んで
      いるらしいが、米国人のライフスタイルのためあまり儲からないらしい。米国人は、ガレージセールなどで安い
      家具を買い、それほど家具にお金をかけない。彼の前途を祈った。

      予定通り飛行機はサンフランシスコから飛び立った。
      
      
 



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