2003年12月15日(月)
<< Ich will nie wieder kommen.>>
午前中は自家養成サクラI君の院ゼミ。3次元射影空間内の2次曲面の話。昼 食とインフルエンザの予防接種を大急ぎで終えて、午後は卒研ゼミ。加群層の ところを終えて、層のコホモロジー論に突入。卒研ゼミのあとは、特急でゲー テに向かう。本日毎年恒例のゲーテのクリスマス会。

ゲーテのクリスマス会は、ゲーテに通う生徒がそれぞれ何か食べ物を持ち 寄って参加し、ゲーテ側は飲み物を用意する。会は18時30分頃から始まり、 最初皆でクリスマスの歌を歌い(当然ドイツ語)、生徒の有志がピアノなどの 楽器を演奏したり、ソプラノだのテノールだので歌を歌ったり(当然ドイツ語) してから食事の時間となる。途中、くじが売られ、会食がかなり進んだ頃にく じの当選発表がある。一等はゲーテの講座半期分無料券(6万円相当、豪 華!!)、それ以外にゲーテのロゴの入ったカレンダーやナップサック、CD などが当たったりする。私は以前ナップサックが当たって、スポーツクラブ に行くときに使っている。

この手のパーティーは、参加者たちが自分達で会を盛り上げて楽しもうと いう気持ちを持っていないと成功しない。その気持ちは、持ち寄る食べ物の質 に如実に表れる。つまり気合いが命なのである。

数年前のゲーテのクリスマス会は素晴らしかった。皆がピザだのフライド・ チキンだの、手作りサンドイッチだの、コロッケだの、サラダだの、寿司だの、 お握りだの、ケーキだの何だのと色々持ち寄り、1時間ほどして食べ物が少な くなってきた頃、まだ食べ足りない人のために、先生の一人がドイツの露天よ ろしくソーセージを焼いてパンに挟んだものを作ってくれた。飲み物は、グ リューワインという、赤ワインに薬味を入れて暖めてアルコールを飛ばしたも の(基本的にはお子様の飲み物である)の他に、冷たい白ワイン、赤ワイン、 ビール、その他のソフトドリンクが出されていた。一言で言えば気合いがみな ぎっていたのである。

しかし、残念ながら年を追う毎に参加者達の気合いは薄れてきた。気合い の入った食べ物を持ってくる人も少数ながら今だに健在ではあるが、ちゃんと した食べ物というよりは出来合いのお菓子のようなものを申し訳程度にしか持っ て来ない人が増えてきたようだ。自分達で盛り上げて楽しもうという意識は薄 れ、お客さん気分で顔を出して、楽しませてもらおうという腰の引けた参加者 が増えてきたのだろうか。

そして遂に今年は目を覆わんばかりの惨状となった。私はゼミを終えてか らすぐに大学を発ち、途中山科駅で待ち合わせた家族に炊き込みご飯お握り1 3個を持たせてもらい、地下鉄とバスを乗り継いでゲーテに到着したのは開会 35分後。それは恐らく会食が始まって15分かせいぜい20分程度しか経っ て無かったと思われる。しかし、私がゲーテに到着した時は、お菓子のような ものが申し訳程度に残っているだけであった!

私は思わず言葉を呑んだ。そして次の瞬間こみ上げる怒りとともに吠えた。 「何じゃこれは?酷すぎる!滅茶苦茶だ!!」と。40人が安い木戸銭程度のつも りで(?)カステラやスナック菓子などのお菓子を持ってきて、10人が料理 らしいものを持ってくる。そして、さあお腹がすいたと50人が一斉に料理ら しい食べ物に手を出したらどうなるか。まさに上のようになるのである。「大 衆は一体何を騒いでいるの?パンが無ければケーキを食べればいいのに」のマ リー・アントワネット的世界が寒々と広がる中、お菓子で夕食を済ます気には なれず、私は京大生協ルネに駆け込んで夕食を取ってから出直すことにした。

さらに、ゲーテに戻ってから気づいたのだが、予算削減の影響か何だか知 らないが、ゲーテ側が用意した飲み物が異様に少ないことも判明した。去年は グリューワインとビールだけで白・赤ワインが無くなっていたが、今年はとう とうグリュー・ワインと申し訳程度のソフト・ドリンクだけになり、アルコー ル類は絶滅した。嗚呼、われの持たざるものは一切なり! これでは、ゲーテ 側もちょっと気合いが足りないのじゃないか、と言われても仕方あるまい。

人心の荒廃とどまるところを知らず。Ich will nie wieder kommen! (もう 二度と来ない!)と呟いて、私はさっさと帰宅した。

2003年12月14日(日)
<<出町柳>>
朝はゆっくり起き、野暮用。初冬の晴天。建物の壁に鈍く反射する陽の光が美 しい。子供の頃からずっとこの陽の光を楽しんできたような気がする。朝昼兼 用の食事をとってから、また野暮用、Deutsche Welleをさらっと聞いてから、 少し数学。夕方も出町柳近辺で野暮用。夜は数学とドイツ語を少し。

2003年12月13日(土)
<<遊びの無限サイクル>>
ゲーテの土曜日である。今日はゲーテのクラスでETK パーティ(Essen, Trinken und Karaoke)と称して、河原町通丸太町の町屋を改装した「まんざら 亭本店」で essen und trinken した後、河原町通りを下って三条「ジャンボ・ カラオケ」でKaraoke. メンバーは先生、清少納言、塾屋、松下巨漢社員、数 学者になりたかった技術者、輝くフリータ、ドイツ語命娘その1、ドイツ語命 娘その2。ガラス職人も参加予定だったのだが、体調不良のため急遽欠席。

どうやら、遊びの天才(!)清少納言が遊び計画を思いつき、土曜日以外は仕 事一色の生活を送っているという塾屋がうんうんと嬉しそうにうなずいて、松 下巨漢社員がよっしゃ!決まりや!!と一吼えして計画決定!という遊びの無限 サイクルが回り続けているらしい。今回のETKのみならず、いつの間にか次回 のクラス納会パーティと新年会の計画も決まっているそうだ。こんなに遊んで ばかりで良いものだろうかと少し呆れているのだが、よくよく考えてみれば、 彼らは一週間しっかり働いて週末にわっと遊ぶという、極めて健全な暮らしを 送っているに過ぎない。

大人になってから遊び友達に恵まれるという事は、そう多くあるものでは ない。特に、色々な職業や立場の人品卑しからぬ人々と一緒というのは、かな り珍しい経験ではないかと思う。だから、この際彼らとはできる限りちゃんと 付き合おうかと思う。

2003年12月12日(金)
<<死んだフリ>>
12月10日の日誌の最後に「この授業で先生に発言を求められたらどうしま すか?」という授業アンケートの質問の実際の例を挙げたが、これに続けて次 のような質問を付け加えたらどうだろう。

*上の質問で「(1)嫌なので黙っている」を選んだあなた。もし、「黙って ないで、何か発言して下さい」と、教師からさらに強く発言を求められたらどう しますか?
(1)死んだフリをする
(2)無視する
(3)逆切れして暴れる
(4)仕方無く何か発言する

「嫌なので黙っている」というメンタリティーの人が、教師に少々強く言 われたぐらいで何か発言するとは考えにくい。大抵は(2)を選び、(4)を 選ぶ人は稀と思われる。うちの大学では(3)を選ぶ学生は皆無であることを 祈りたい。

ちなみに、私は通常、この学生なら何らかの発言が期待できると確信して いる場合しか発言を求めないが、一度しくじって数理科学科の一回生の講義で 本当に「死んだフリ」をされたことがある。今、その学生とキャンパスで出会 う度に、「あ、『死んだフリ』した学生だ」と思って見ている。彼がどんな風 に卒業していくことになるのか楽しみであもある。そして彼が卒業して何年か した後、偶然街でばったり出会ったりしたら、「やあ、君は確か一回生の時、 私の講義で発言を求められて『死んだフリ』した人だね」と声を掛けようかと 思う。ま、そんな機会は無いと思うけどね。

本日研究日。昨日に引き続き、自宅および山科駅前SBUXにて、論文を 突っ突き回す。夜はドイツ語の予習など。

2003年12月11日(木)
<<後先考えず>>
研究日。昨夜一通り読了した論文を色々と眺め直すべくいじりまわす。午後は 野暮用のため山科をうろついた後、山科駅前SBUXで道草、その後ラクト山 科のCDショップを物色。夜はDeutsche Welleのドイツ語版を少し聞いて気分を盛り上げた後、ドイツ語の予習な ど。

数学の研究問題を見つけることは、慣れてくればそれ程難しくないけれど、 それが自分に解けるかどうかは別の話である。不幸にして解けない場合、その 理由としては次のようなものが考えられる。第一に、問題の設定が悪い。第二 に、問題の設定自体は良いのだが、問題の難易度と自分の実力との間のギャッ プが大きすぎて良いアイディアが出てこない。第三に、第一第二のことばかり 心配して臆病になっている。

第三の理由は案外馬鹿にならないのではないかと思う。これが、数学者に 必須の素養として「楽天的である事」が挙げられ由縁であろう。最初から悲観 的では、どうしょうも無い。しかし最初楽天的でも経験を重ねると色々失敗も 多くなり、色々失敗するとだんだん悲観的になってくる(良く言えば用心深く なる)ものだが、これが数学研究の一番の敵ではないかと思う。後先考えずに やる事が肝心かも。

2003年12月10日(水)
<<雑用に励む>>
12月は何かとあわただしい。本日昼前に出勤。午後の気合いの線形代数の講 義を挟んで、夜遅くまで雑用に励む。

線形代数の講義で授業アンケートなるものをやれと言われたが、今日は講 義の流れの都合上結局できなかった。しかし、最近は結構笑わせてくれる質問 が含まれるようになったものだ。

*普通教室のどのあたりに座ってこの授業を受けていますか
(1)後ろの方
(2)中ほど
(3)前の方

がらんとした教室で後ろの方にへばりつくように座っているのは、一般に授業 に対する消極性の表れと解釈される。そして、授業に対する改善要求や不満を 答えたとしても、(3)→(2)→(1)の順に説得力が無くなっていく。腰 が引けている人の言う事なんて、誰も聞きはしないのである。

*先生は私語に対して注意するなど授業環境をよくしようと努力していると思いますか
(1)全く思えない
(2)あまり思えない
(3)ある程度思う
(4)非常に思う

私語は完全に放置しているから(1)に思えるかも知れないが、そこがシロウ トの浅はかさである。(2)が正解。何故ならば、気合いで授業環境をよくし ようと努力しているからである。このメラメラと沸き立つ気合いがわからんかね。(4)はどのよう な意味でも明らかに間違い。

*この授業で、先生から発言を求められたら、どうしますか?
(1)嫌なので黙っている
(2)やむお得ないので発言する
(3)積極的に発言する

この質問が一番面白い。圧倒的に(1)が多いだろうなあ。

2003年12月9日(火)
<<心頭滅却すれば伝説の講義>>
暴走講義の火曜日である。この格調高き日の講義に限って三種の神器(スポン ジ、ワイパー、バケツ)を使うのだが、今日は寒くて手がかじかむ。小学生時 代の冬の掃除当番を思い出してしまった。そういえば、小学生の頃も何故かバ ケツが好きで、それを持って毎日嬉しそうに走り回っていたような気がする。 雀百まで踊りを忘れず、だな。

本日暴走講義の教室には3名の学生が居たが、彼らが何をしに来たのかは 知らない。謎の確率論屋N君は、どうやら暴走講義を聞きにきたらしいが、後 の2名は不明である。

それにしてもN君は謎の塊である。さすが夢見るH先生のお弟子さんだけ のことはある。情報学科出身で現在確率論をやっているとすれば、線形代数 レベルを超える代数のバックグラウンドは持ち合わせていないと推察するのが自然であろ う。そのN君が何故数学科3回生レベルの代数の素養を前提とする暴走講義を、 (他の学生達が全て脱落した今でも)涼しげな顔をして聞いておれるのか。私 のゼミで3年近く鍛え上げた自家養成サクラI君(情報学科出身)でさえも、暴 走講義では白目をむいて半分気を失っていたというのに。これがまさに謎なの である。謎は謎のままにしておいたほうが楽しいから、特に解明したいとは思 わないけどね。

謎の学生や不明の学生の事を気にしていると調子が狂ってしまいそうなの で、(夢見るH先生の教えを思い出して)彼らを案山子だと思って心頭滅却し て講義に励む。0次のTorがテンソル積と一致することを軽く示し、いよいよ 極小自由分解の特徴付けの証明に入る。この証明をやるために、これまで 準備してきたようなものである。心は既に伝説の講義であった。

昼休みは明日の線形代数の講義の準備を少しやって、午後は4回生の可換 環論・代数幾何学入門講義。その後来年度の国外留学の説明会(来年4月から 8月まで、またドイツに長期出張する予定)。今度から留学予算が大幅に減ら されたことを知り、Ritsも景気悪いんだと知る(年がら年中どんちゃんどんちゃ んと景気良さそうに見えるんだけどな)。

2003年12月8日(月)
<<安否情報>>
朝一番で歯医者に駆け込む。数日以内にまた神経を抜いてもらわねばならなく なるだろうと思う。痛てて。。。それから出勤。午前は自家養成サクラI君の 院ゼミ。3次射影空間内の二次曲面について。この話題を中心とした総合報告 がI君の修論になる予定。

本当はI君にはもうひと頑張りしてもらって、三次曲面の27本の直線の話 までやって欲しかったのだが。私は代数幾何学プロパーの人ではないので、重 要な話題でも単に耳学問で知っているだけという事が沢山ある。とくに曲線論 とか曲面論あたりの話はかなり手薄である。しかし、(スキーム論などを使わ ない)古典的な扱いに限ってしまえば学生とのゼミで勉強できる事は沢山ある。 これは格好のゼミ・テーマである。しかし、自分が興味のあることを、学生を 使って楽チンに勉強しようという虫の良い魂胆が、常にうまく行くとは限らな いのである。

その後、またもちょんまげ天国のK川先生と生協で昼食をとり、午後は卒 研ゼミ。帰納極限とテンソル積や直和との可換性、テンソル積の性質、Hom加 群層が層であることの証明、Hom加群の性質など。かなり純代数的な話なので、 私自身が結構楽しんでしまう。

卒研ゼミの合間に、ここ2週間ほど Web日記の更新の無い、元本学助手および非常勤講師兼非常勤講師手配師 にして現在半額料理の名人にしてTR大教員のA木氏を、偶然7階のトイレにて発見。未 更新期間が長いので安否を心配していたのだが、これで生存が確認された。

徳島大学の集中講義に行く前は、山のような雑用を先延ばししたような気 がするのだが、それが何だったのか忘れてしまったので、のほほんと過ごす。

夜は院生達の鍋パーティに招待される。結構おいしかったです。 院生の皆さん、ご馳走さまでした。

2003年12月7日(日)
<<馬鹿みたいな一日>>
朝10時半から歯医者に行って色々脅かされて、憂鬱な気分で野暮用をして、 昼食食べて、楽な生活をしているはずなのに睡眠不足だけは溜まっていたため か思わず昼寝して、起きて、あくびして、散歩して、山科駅前Sbuxで論文など を少し読んで、CDショップで99Luftballonを探して見つからず、晩飯食べて、 少しぼんやりして、野暮用して、ドイツ語の宿題を少しをやろうと思ったとこ ろで野暮用を思い出して、さて寝ようか、その前にゲーテで借りてきたDVD を ちょっと見てなんて思ったらハマッってしまってまたぞろ夜更しして等々、それ で終わってしまって睡眠不足のおまけまでついた馬鹿みたいな一日。

2003年12月6日(土)
<<打倒清少納言への道のり>>
ゲーテとスポーツクラブの土曜日。今日も清少納言と机を並べて、厳しく精神 を鍛え挙げるドイツ語バトル。途中演習問題で、「以下の会話文で空白部分を 埋めよと」いうような問題をやった。日本語で言えば「そこんところを『ひと つ』お願いしますよ」とか「それは『ちょっと』出来ない相談ですね」の『ひ とつ』や『ちょっと』に相当する語句を入れるのだが、彼女は「シュツッツガ ルトではこう言うのよ」と、かなり変わった解答を主張していた。しかし、先 生に「でも、それはちょっと変ですよ」とか言われて、少ししょげていたよう だ。清少納言の解答は例えて言えば、「それは『ひとつ』(ちょっと)できな い相談ですね」とか「それが『一つ』(なかなか)うまく行かないんですよ」 と何でも『ひとつ』で済ませてしまうような話らしい。まあ、(恐らく彼女に とっての黄金時代だったと思われる)シュツッツガルト時代に、変な口癖のある ドイツ人から影響を受けたのでしょう。

今日は梅田でクリスマス市(Weihnachtsmarkt)が開かれているらしく、先生 を先頭に、数学者になりたかった技術者、塾屋、お美人、ドイツ語命娘その1、 ドイツ語命娘その2、ガラス職人、そして清少納言の8名が、レッスン終了後 連れだって大阪に繰り出していったようである。来週土曜日はETK (Essen(食 事), Trinken (酒) und Karaoke(カラオケ))パーティーで、その2日後の月 曜日はゲーテのクリスマス・パーティ。先日は先生のマンションでパーティやっ たし、その前はゲーテの10月祭(Oktoberfest)。よく遊ぶクラスである。こ れが独身者のノリなんだろろうか(先生は既婚者だけど)。

先生に「何であなたは今日一緒に来ないの?」って聞かれて、「去年行っ たけれど、ドイツで見たクリスマス市に比べたらちゃっちくて...」と答えた のだが、「でも、今年は去年よりも規模が大きいのよ」とのこと。「あ、そう なんですか。」それで会話が終わったのだけど、後で「夜に大阪に行くのは嫌 いなんです。帰りの京都行きの電車が満員で、酒なんか飲んだ日には最悪です」 と言えばよかったと、ちゃんとドイツ語訳まですらすら出てきたのだけど、何 故かその場では思い付かなかった事を後悔する。これが、ふと思いついた事を (シュツッツガルトなまりのドイツ語で)ぱっぱと言える、清少納言と私の大 きな差である。打倒清少納言への道のりは長い。

ところで、エッセンのクリスマス市で、とてもおいしそうな豆のシチュー を出している店があったのだけど、あれを食べなかった事を今でも後悔してい る。梅田のクリスマス市に行っても、ソーセージとビールとグリューワインだ けなので、ちょっと元気が出ない。

2003年12月4・5日(木・金)
<<うどん三昧>>
徳島大学工学部の情報工学系の大学院で集中講義。今年はヤング図形の話。昔 情報学科の講義でやってた内容のダイジェスト版。以前はラムダ計算の話やゲー ム理論の話をしたこともある。毎年学部か大学院の集中講義を頼まれているけ れど、ここの学生は私の講義を結構「へえー」ってな顔して聞いてくれるし、 かなり本質的な質問をしてくる人もいれば、色々勉強していてレポートで「反 論」を綿々と書き連ねてくる人もいる。こんな風に彼らは概して反応が良いの で好きである。また来年も頼まれたら講義しに行きたいな。

勿論、食事はうどん三昧。ただし、朝7時から営業しているうどん屋があ る事を知らず、朝食1回分だけうどん以外のものを食べてしまったのが心残り である。徳島はじゅうぶん讃岐うどん圏のようだが、本場香川県の讃岐うどん も一度食べてみたいものだ。来年集中講義をするとすれば、高松経由で 四国入りし、途中下車してうどんを食べようと思う。

2003年12月3日(水)
<<へえー>>
午後の線形代数気合いの講義のために昼頃出勤。生協でちょんまげ天国のK川 先生と一緒に昼食をとり、講義の前後は雑用に励む。やはり12月になると色々 とせわしくなってくるなあ。

そういえば卒研のT君は今「層の理論」を勉強していて、層のコホモロジー のところにちょっと入るぐらいは進みそうである。しかし、層の理論の代数幾 何学への応用のところまでは、流石にたどりつけそうにない。やはり代数幾何 学って巨大過ぎて、本論に入るまでが大変である。

私は、層の理論は代数幾何学などで使うための道具であって、道具は使っ てこそ面白いのだと考えている。だから、T君に道具の勉強だけで終わってし まいそうな課題を与えてしまったことを、少し後ろめたく思っている。しかし 彼女は層の理論の勉強自身を結構楽しんでくれているようなので、ちょっと安 心。

そういえば私も学生の頃はそうだったように思う。教授達から見れば単な る道具でしかないようなものでも、結構へえーと思って感激したりしていた。 数学の勉強というのは一般には辛く長い道のりだけど、こういう「へえー」 というのがあると楽しくやってけるんだよね。

明日から徳島大で集中講義。日誌の更新は12月8日以降。

2003年12月2日(火)
<<祝!伝説の講義>>
本日午前は大学院暴走講義。先週同様、眠り天才君が独りぽつりと教室 に座っていた。
「結構頑張って出てくるねえ」
「ええ。先週も僕一人だったしー」
「だから?」
「だから、いやー、僕だけでも出ないとまずいかなーと...」
「えー!?そんな気遣いは無用だよ。青春は短いんだし、 もっと自分の時間を大切にしなくっちゃ。私だって、 『いやー、あとは眠り天才君さえ居なくなったら楽勝 (?)だな』って思ってるんだぜ」
「えー、そうなんですか?」
「そうなんですよ」
「誰も居なくなってもいいんですか?」
「誰も居なくても私はいつも通り講義しますよ」
「じゃあ、ゼミの予習もあるし、この講義聞いてても全然理解してないし、 申し訳ないですけどー」
「申し訳ないことはない!一瞬の煌きを求めるがためにこの教室で費やされる 膨大な空白の時間を、極めて効率が悪い投資とは思わないかい?修士の2年間 なんてあっという間に終わっちまうんだよ。君は自分に必要な勉強に全力を尽 くすのが良いと思う。」
「じゃあ、僕帰ってゼミの予習をします。来週からも来ないということで、よ ろしくお願いします」
「はいな。健闘を祈る!」
ということで、眠り天才君は去って行った。

そして、いよいよ「伝説の講義」が始まった!

本日Tor関手が加群の自由分解の取り方によらずに決まることの証明。10分 程伝説の講義を進める。流石に慣れない事なので、いつもの調子というわけに も行かず、いつの間にか説明抜きで黙々と黒板に証明を書き連ねるという講 義になっていた。と、その時、先週欠席していた謎の確率論屋N君が教室に入っ てきた。何の用だろう?
「先生、伝説の講義ですか?」
「ええ、そうですけど(ところで貴女は何の用ですか?)」
どうやら彼女は暴走講義を聞きに来たらしい。たった10分の伝説の講義か。 短い夢だったなあ。じゃあ、ミュートを解除しなくっちゃまずいかしら。
「音声付きでやりますか?」
「ええ、お願いします」
かくして、普通の暴走講義に戻る。途中、誰も居ないと思って油断して黒板消 しを使っていた事に気づき、あわててバケツに水を汲みに行ったりもしたが、 N君のための出血大サービスとして、先週の講義の概要説明も含めて、粛々と 講義を終える。

午後は可換環論・代数幾何学入門講義。その後、明日の線形代数の「気合の講義」 の準備、および、木金曜日の徳島大学での集中講義の準備など。

2003年12月1日(月)
<<微妙過ぎる問題>>
とうとう12月になってしまった。陰鬱な冬の曇天。皆さん、生暖かい天気だ などと言っているが、何故か私にはうそうそと寒い。さては清少納言のごんご ん咳によって風邪でも移されたのかしら。

午前中は自家養成サクラI君の院ゼミ。積代数多様体が代数多様体である ことの証明など。I君はかなり苦労して色々考えてきた形跡が見られる。修士 論文の方も、何とかやっつけてくれることであろう。午後は卒研ゼミ。直像層 (direct image sheaf), 逆像層(inverse image sheaf), 加群層など。逆像層 はかなり難しい概念だと思う。流石のT君も若干梃子摺っているようだった。

久々に顔を合わせたS藤先生は、 11月27日の日記<<利用価値>>の記述が御不満らしく、おかんむりであっ た。何でも「自分は神様なんて思ってはいない!」とのこと。

しかし、 座 敷童S太郎君の雑記(「一歩前へ」10月9日)によれば、S藤先生は 「俺みたいなアホがこの分野では”神様”みたいなんだよな〜。それを思うと 世の中どうかしているよ」とか言っているみたいである。これを信じるとすれ ば、「自分は神様なんて思ってはいないけれど、周りは自分のことを神様(み たい)だと思っている」という慶賀すべき事実と謙虚な心の美しい調和 が存在するというのが正確なところのようである。

しかしその事実をことある毎に自慢したがるのだから、結局「俺は神様 (みたい)なんだぞ」と自慢するのと何処が違うのかは微妙過ぎる問題である。 正直言って私には区別がよくわからない。単に思っている事とやっている事が 食い違っているだけなのか、それとも私にはわからないけど両者にはちゃんと した違いがあるのか。

別に神様だったら照れずに「俺は神様だぞ!頭が高い」って威張ってりゃ あいいと思うけどね。私ならそうするけど。それに、神様じゃないんだったら、 一体何をあんなに自慢したがるんだろう?ってことになるしね。