2003年7月31日(木)
<<毒をもって毒を制す>>
本日もいくつかの事務的な用事と「情報処理」の試験答案の採点のため、昼前 から出勤。数学の採点でこれぐらいの分量の答案ならすぐに終わってしまう。 しかし情報処理の採点は、あまりの格調の低さに途中で胸糞が悪くなってきて、 たびたび中断を余儀なくされる。あげくには、「よし、こうなったら『毒をもっ て毒を制す』だ!」とばかりに、生協にUSBケーブルを買いに行くなどという おゲレツな逃避行動に走ったりしていたため、ずいぶん時間がかかってしまっ た。

この採点で一つだけわかったことがある。情報処理の講義中、あれだけ多くの学 生が眠りこけていたのは、内容があまりに簡単すぎて馬鹿馬鹿しいからだろう と思っていたが、そうではないのだ。彼らは後先考えずにただただ眠っている だけだったのだ。

とにかく、今日で全ての採点業務は終了。成績表や答案の束を事務に持っ て行き、その後、4月からの4ヶ月で溜まりに溜まった、つまらない通達文書 や会議の資料などで乱れてきた机の上を整理し終わったらもう夕方。

2003年7月30日(水)
<<根性を認める>>
午前中は自宅で「暴走の準備」。午後は出勤し「暴走の準備」の続きや、 それ以外の細かい雑務など。

「暴走」の内容は、私が日々研究している時に使っている基礎事項なのだ が、その内容を最初勉強した時(それは30代後半の頃だった)はそれこそ七 転八倒しながらであった。今、講義の準備としてもう一度振り返るととてもよ く理解できて、大変よろしい。心配なのは、この講義を聞く学生達が、かつての 私と同じように七転八倒しないかどうかである。

ところで、J. P. Serre は、数学者志望の若者に対しては「まず最初に数 学者になるのは諦めなさいと言うべきで、それでもどうしても数学者になりた いという人だけ励ませばよいのです」と一貫して主張しているそうである。な らば、指導教授に何度も「諦めなさい」と言われても無視し続けていれば、そ のうち教授は彼または彼女の根性を認めて励ましてくれるようになるとでも言 うのか?そんな事は無いはずである。

ただ、偉い数学者の中には、学生に対して非常に早い時期に「君には才能 が無いから、数学者を目指すのはあきらめた方がいい」という事を言いたがる 人が少なくないようである。これはたぶん理解の速さとかセンスの良さだけを 見て言ってるんだろうから、適当に聞き流しておけばいいかも知れないな。というの も、色々な人の話を聞くと数学者としてモノになるかどうかは、そういう事と は別の事が関係するみたいだし。

2003年7月29日(火)
<<親和会宴会>>
昼前に出勤。塾屋のS太郎くんから”泣きつきメイル”の返事が届いていた。 なあーんだ、ウィンドウズでもUNIXと同じような設定をすれば良いのかという 事で、たちどころに問題は解決。これにておゲレツ・プロジェクトは終了した。 やっぱり塾屋のS太郎くんは偉大である。

その後、色々雑用じみたことをやっているうちに「情報処理」の前期試験。 この時間帯には教授会と前総長の「有り難いお話」があったらしいが、試験監 督だから大っぴらにサボれるというわけである。教授会や「有り難いお話」よ りも試験監督、試験監督よりも(ノルマの無いたまの)営業の方が面白いに決 まっている。

夜は親和会宴会。例によって数理科学科からの出席者は私だけかと思いき や、Ar先生も出席していた。 親和会も色々な所に連れて行ってもらったので、 私も多少目(と舌)が肥えてきたようだ。今日行った所は2回目だが、酒も料 理もサービスも全般的にイマイチであった。料理は何だか変に凝りすぎてかえっ て「おいしい!」という基本的な感動が薄いし、この季節の琵琶湖湖畔の店な のに鮒寿司が付いてなかったのも不満。サービスも「大量の客をさばく」とい う感じがやや露骨に出過ぎ。

皆勤賞を狙うかの如く親和会には毎回出席してきたが、私はこの宴会で誰 かと会話を楽しむ気は無いので、楽しみは料理と酒だけである。それがダメと なれば、わざわざ出掛けて行く意味は全く無い。これからは今日と同じ所が会 場になった場合はパスすることにしようと思う。

2003年7月28日(月)
<<泣きつきメイル>>
午前は打つべしI君の院ゼミ。斉次イデアルと射影代数多様体。次回のゼミは 9月下旬。それまでに「死んだつもりで全てを忘れて予習に励むべし!」とハッ パをかけておいた。勿論、「死んだつもりで全てを忘れる」だけではいけませ ん!

先日の塾屋のS太郎君への泣きつきメイルの返事が返ってきてきたので、 午後はおゲレツ・プロジェクトを再開。他の事務的仕事と平行して行う。今日 は先週から懸案のMeadowの不調をとりあえず解決し、万能解凍ソフトeoと数式 処理システムMacaulay2をそれぞれダウンロード・インストール。これでプロ ジェクト終了かと思いきや、またまたMeadowが「むずがって」、Macaulay2が Meadow内で立ち上げたシェルから起動できない。(Meadowはルべーグ積分とは 違うので)「そんなにうだうだと手間隙掛けないとまともに動かないような気 難しいソフトなんが、使わなければ良いのである」 ( 6月30日の日誌参照) という訳にもいかず、今日もまた塾屋のS太郎君に泣きつきメイルを出して、 プロジェクトを中断。

2003年7月27日(日)
<<「暴走」の準備>>
日曜日である。朝は少しだけゆっくり目に起きて色々野暮用。午後はずっと線 形代数の試験の採点を仕上げる。講義の最終回での過去問演習をしたのが効い たのか、満点が9名も出てそれ以外の答案も結構良く出来ていた。

夜は「暴走」の準備、つまり大学院の講義ノート作り。  

2003年7月26日(土)
<<伝説の講義>>
本日土曜日なれどしばらくゲーテに行くことは無し。その代わり午後から出勤 して線形代数の採点に励む。採点は疲れるし、おゲレツ・プロジェクトは気が 滅入るしという事で、通勤時間はドイツ語、夜は大学院の講義準備などをやっ てバランスを取ろうとしている。

ところで、学部では線形代数だの離散数学だのといった初等的な講義とか、 情報処理といった自らの思想信条に著しく反する講義とか、初等的でも自らの 思想信条に反するわけでもないけれど、「大学1回生終了レベルのみを想定し た4回生後期の講義」という多少設定に無理のある可換環論および代数幾何学 入門の講義とかをやっているが、どれもこれも学生さんに気を使って遠慮しな がらの講義である。その反動というわけでもないが、大学院の講義ぐ らい好き勝手な事を好き勝手に喋りまくって暴走してみたいもので ある。

法学の事はよくわからないけど、次のような話を聞いたことがある。東大 法学部で長年司法試験に関連した講義をして人気があった教授が、定年を控え て「こんな講義はもう沢山だ!最後の年ぐらい自分の研究に関連した事を講義 したい!」と宣言した。そしたら途端に受講生が激減したという。

ああ、わかるなあ、この教授の気持ち。しかし、この教授は受講生減を嘆 いていたようけれど、それはちょっと甘いな。学問とは厳しいものです。教室 に誰も居なくても、一人で伝説の講義をやるぐらいの根性で臨まなければいけ ません。

2003年7月25日(金)
<<この世の終り>>
今日こそはパソコンの設定をやらねばならんなと、この世の終りのような気分 で出勤。うまくすれば先日の線形代数の試験の答案が届いていて、採点モード に逃避できるかと思ったが、まだ届かず。

まずは、昨日の離散数学の採点基準について、一晩熟考の末、追加合格を認めるこ とにした。修正作業の結果、数理科学科2回生はA+判定2名、A判定11名、 B判定20名、C判定11名、不合格14名(うち受験放棄による棄権3名) となった。

それから、仕方なくパソコンの設定作業に突入。ネットワークに接続し、 FFFTPとWinSCP3とAcrobat ReaderとTeXをインストールして、動作確認するま では順調に進んだ。しかし、やはりMeadowが前回同様にもたつき、結局漢字環 境がうまく動かないわ、ホームディレクトリはちゃんと参照しないわ。頭に来 たので、座敷童S太郎君に泣きつき質問メイルを出して本日終了。ふと気づく と、しっかり夕方になっていた。

その後、間が悪いと言うべきか良いと言うべきか、線形代数の答案が届く。

2003年7月24日(木)
<<どーんと気が重くなる>>
本日「離散数学」の答案を採点をするため昼前に出勤。と、先日発注しておい たパソコンが届いていた。世の中にはこういう時嬉しくなる人も多いのだろう けど、私は、またおゲレツ・プロジェクトを始めなければならないかと思うと、 どーんと気が重くなるのだ。一応パソコンを箱から出してちょっと動かしてみ たのだけど、面倒臭いのでしばらく放置することにした。

夕方に採点終了。数理科学科2回生はA+判定2名、A判定11名、B判 定20名、C判定7名、不合格18名(うち棄権3名)。他学科を含む3回生 以上も、A+とA判定が少ないことを除いてほぼ同様の分布となった。以前は、 数学の学生と情報の学生ではっきり差が出た(情報の方が出来が悪かった)の だが、最近はそういう傾向は顕著には見られない。

2003年7月23日(水)
<<試験監督・採点モード>>
昼前より出勤。営業報告書など事務的な仕事を少しして、午後は線形代数の前 期試験の監督、少し間をおいて教室会議。今日は議題が少なそうだと油断した のだが、結局7時前ぐらいまでかかった。自主規制を守って、今日は発言を極 小に抑え、心の健康を保つ。合間合間に、大学院の講義準備に関連した事を少 し考える。そうこうしているうちに、事務から昨日の離散数学の試験の答案が 届いた。7月一杯は試験監督・採点モードになりそうだ。

昨日は離散数学の試験監督をN先生に交代してもらって営業に行ったのだ が、たまには試験監督よりも営業というのも気分が変わって悪くはないな。あ くまで、「たまには」だけどね。

2003年7月22日(火)
<<てんで仕事する気なし>>
午前中は自宅で大学院の講義準備などをし、午後から営業で京都府内の 某私立高校へ。 今回は、営業プロ担当者氏が同伴するので「よし! あんたに全部任せた!」ということで、私はてんで仕事する気なし。 期待通り営業プロ担当者氏は、高校の先生との会話の中で のちょっとしたチャンスを見逃さずにすかさず「発進」し、 あれこれと”アピール”していた。 なるほど営業のプロというのはこういう風に仕事をするのかと感心したが、私は 基本的には時々合いの手を入れたり、端でぼんやりしているだけで済んだ。

やはり、半時間ぐらいの短い時間できっちり仕事して来ようと臨戦体制で 望む営業のプロと、とにかく半時間乗り切ればいいんだ、ぐらいしか考えてな い私とでは、まるでやり方が違うな。

今日の営業の本当のお目当ては、そこの高校で英語の教師をやっている 通称Pちゃん。高校および大学時代の友人で、年賀状のやりとりはしているものの 大学卒業後は10年程前に河原町三条の書店で偶然会ったっきり。営業が終わっ た後で、営業プロ担当者氏を追い返し、受付から多忙なPちゃんを呼び出してもらって少 し立ち話。元気そうだったし、基本的には楽しく高校教師の仕事をやっているようだ。 近いうちに一度飲みに行こうと約束して分かれる。

珍しく夕方5時頃に帰宅したので、先週末に行きそびれたスポーツ・クラブへ。 夜もまた講義準備。

2003年7月21日(月)
<<へま>>
今日は出勤せずに夕方から京都市内の教会に 京都・バッハ・ゾリステンのコンサートを聞きに行く 予定だったのだが、色々「へま」をやらかして午前中から出勤。「へま」は10 分程で片付いたので、研究室で後期の大学院の講義ノート作りを少し。昼過ぎに 大学を出てコンサート会場へ。

明日は高校への営業活動。更新は明後日以降の予定。

2003年7月19日(土)
<<これではかないません>>
本日嬉し恥ずかしゲーテの最終日。これまでのゲーテの講座の中で最も 長く苦しい学期であったけど、いくらかでも力がついたのかしら。

その後四条で先生も含め有志9人程で打ち上げ。 印哲は「来る」と言ってたけれど、結局姿を見せず。 通常、より初級のクラスの打ち上げでは、 「公用語」は日本語で一部ドイツ語が混じる程度。 しかし中級後半クラスの今回は、恐れていた通り宴席が ドイツ語圏と日本語圏にはっきりと分かれた。 日本語圏が出来たのがまだ幸いだったが。

先生を中心といたドイツ語圏には、尋常ならざる熱意でドイツ語に取り組む ”数学者になりたかった技術者”氏と、嬉しがりの清少納言。そして、何と、 塾屋!お前もか?!も混じって延々とドイツ語で楽しくやっている。

私は酒が回ると耳が遠くなる。まあ、例え聞こえたとしても脳味噌のドイ ツ語担当部分がアルコール漬けで死んでいる。アルコール漬けになってなくて も、元々あっぷあっぷしている。これではかないません。最初はドイツ語圏で 必死に食い下がっていたのだが、途中で「何で打ち上げの時まであっぷあっぷ せにゃならんのだ!?」と怒りが沸沸とこみ上げて来て脱落。私の脳味噌は 「本日のドイツ語は終了しました!」と高らかに宣言し、巨漢社員が著しく盛 り上げている日本語圏に脱出。日本語圏には、我等が立命館BKCにも仕事に 来たことがあるという殴り込み通訳、音大には行ってなかった事が判明した” 謎の音大主婦”、そしてドイツ仕込み硝子職人が居た。

巨漢社員はやっぱりいい奴である。私とほぼ同い年で、花嫁募集中で、 海外営業で鍛えた飛びっきりの英語の達人で、ピアノもうまいんだそうである。 そして会社の仕事で世界じゅうを飛び回って、人種と民族の壁を持ち前の 質量エネルギーでぶち破り、人々に感動をふりまき笑いを 取っているそうである。見てくれは少しおっかないけど、話を聞いていると最高に 楽しくて、そして何度でも言うが、いい奴である!

今回のクラスは平均年齢が高く(たぶん30歳台後半以上)、一癖も二癖 もある人ばかりで面白かった。大体いい歳して中級以上のところまで ドイツ語習ってるなんて、”何かワ ケあり”の人しかいないのであろう。とくに、嬉しがりの清少納言と気のいい巨 漢社員の名コンビが果たしたムードメーカーとしての役割は実に大きい。 皆さん、またいつか会いましょう。

2003年7月18日(金)
<<自明の結論>>
今日は出勤しない予定だったのだが、色々あって午前中に大学へ。 15時過ぎまで、あちこちに電話を掛けたりメイルを出したり、 Webで調べものをしたり、人に会ったり、前期試験前で質問にやってきた 学生達の相手をしたりと、「ダイナミック・アカデミックな」時間を過ごす。

その後ゲーテに急行。図書室でドイツ映画のビデオや朗読CD、雑誌など をまとめて借りる。明後日から9月の始めまで図書館が閉まってしまうからだ。

ところで、今日の朝刊で今度のCOEの採択結果が発表されていた。 おそらく多くの大学で、 「我が大学を世界に冠たる研究の中心にするための委員会」なるものが作られ、 この委員会のために多くの大学教授達が膨大な研究時間を返上したことであろう。 つまり、大学は今生き残ることで精一杯で、研究どころではないのであろう(と、 とりあえず他人事のように言っておく)。

勿論こういう委員会においては、 「世界に冠たる研究をするには、まずこの委員会を即刻解散 して研究の現場に戻ることが急務である」という、少なくとも私には自明と思われる結論は、 あらかじめ排除されている。

幸い私はまだ、そういう不毛とも思える委員会に引っ張り出された経験は無いし、 今後も無い事を祈りたい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。今日も感謝の一日が終わる。

2003年7月17日(木)
<<混乱はいつもの事>>
山鉾巡行の日である。そういえば私は学生時代を含めて通算17年京都に住ん でいるのだけど、一度も祇園祭を見に行ったことが無い。何だかもったいない 気もするのだが、確か京都出身の芸能人(たぶん上岡龍太郎だったと思う)が 「祇園祭なんてヨソの町の祭りだし、『別にい』って感じで子供の頃から一度 も行った事がない」というような事を言っていた。そんなもんなんかしらね。

本日、昨日の営業報告書など事務的な仕事を色々片付けるために、ゲーテ 行きを明日に変更して昼頃から出勤。ついでにWindows updateなるお下品な 事もやってしまった(単に2,3回クリックするだけだけど)。

来週火曜日も京都府内の某高校に営業に行くのだけど、営業プロ担当者 (入試アドバイザーとか呼ぶそうだ)を同行させるだのさせないだのと、相変 わらず事務方は混乱しているようだ。混乱はいつもの事だから気にしないけど、 さっさと「同行事務職員無し」の線で決めてくれた方が、こちらも動きやすい んだけどなあ。

事務方も大変なんだろうけど、彼らのペースからできるだけ距離を置くよ うにしないと、こちらの仕事(つまり教育とか研究)まで調子が狂ってしまい、 共倒れになってしまいかねないな。

2003年7月16日(水)
<<あんた、何しに来たの?>>
本日高校への営業活動の日。私と同じく、今日営業に出掛ける教員は 私を含めて11名らしい。いかにダイナミック・アカデミックの立命館とい えども、昨日の夕方6時前から大慌てで11名分の営業プロ担当者を確保 するなどという芸当ができるわけはなく、予想通り夜9時頃に 「高山先生には一人で営業に行ってもらいます」という電話が入った。

これは幸いなことである。なぜならば、私は 真面目に営業活動してこようなんて鼻っから考えてない からである。同行事務職員が一緒なら、真面目に仕事をしなければならない ではないか。冗談じゃないぜ。

何度でも言おう。私は相手が聞きたそうにしてない限り何かを話すのは大嫌い な人間である。 聞かれた事には誠心誠意答える、 聞かれた以上の事は答えない、 聞かれもしないのに自分の事をべらべら喋るのははしたない。 これが原則である。 この原則の故に、私はある所では饒舌になり、別の所では 借りて来た猫か蛤の如く沈黙を守り続けるという「二つの顔」を 持つのである。

なぜならば、はしたなくも自ら自分のことを喋って自分を売り込まない限 り、人はその人に関心を持たないことが多い。関心を持たなければ、その人に 何かを質問することも無いし、従っていくら誠心誠意答える用意があっても、 会話が成立しない。会話が成り立たなければ、黙っているしかない、というカ ラクリ。私自身が相手にあまり興味が無ければ、こちらから何かを聞く事もない。 すると、いよいよ「蛤のように押し黙る」こととなる。

要するに、私は世の中で一番営業に向いてない人間であり、 そういう人間を営業に行かせて、しかも営業プロ担当者もつけないし、 必要な資料も揃ってないとなれば、 「では、私の好きなようにやらせてもらうしかないですね、ふ、ふ、ふ」 となるしかないのだ。

さて、高校の先生方にお会いしても原則は変わらない。 聞かれた事には誠心誠意答える用意は出来ている。 しかし、私の経験では高校の先生が個々の大学のことについて 突っ込んだ事を色々聞いてくる事は無い。 大学教授が直接出向いているのだから、相手はこれはいい機会だ とばかりに色々聞いてくるであろう、というのは単なる大学側の うぬぼれでしかない。

だからこそ、あの手この手でこちらから効果的なアピールをしないといけ ないのだろうが、そんな「はしたない真似」はできない。となると会話を成立 させるには、こちらから何か聞き出す以外に無い。そして、聞く事が無くなっ たり、相手が面倒臭そうなそぶりをした時に切り上げるのである。

ということで、こちらの高校ではどんな様子でしょうかね。ほー、なるほど、 そうだったんですか、という調子で色々話を聞いて、30分ぐらい雑談ばかり やって切り上げてくるのである。 あちこちの高校の様子は、個人的にかなり興味があるので、 この際だから色々聞いておこうって感じ。 勿論、最後の方で相手の先生が「ところで、あんた何しに来たの?」って顔してきたので、 少しだけ--- つまり、相手が「もういい」という素振りを見せる直前まで --- 大学の説明もしたけどね。そりゃあ、聞かれた事にはちゃんと答えます。

結局今日はちょっとしたハプニングで、2人の先生に30分ずつ、合計 1時間ぐらい相手して頂き、色々貴重な話を聞くことができた。 片道2時間掛けて出掛けていった甲斐があったな。 兵庫県某市某高校の先生方、貴重な時間を割いていただき、どうも有難う ございました。