2004年3月15(月)
<<失踪>>
ドイツ出張の事なんかすっかり忘れた気分で、適宜昼睡やWebのドイツ語ニュー ス漁りなども交えてほぼ終日、某文献の世にも複雑怪奇な証明の解読に悪戦苦 闘しながらすごす。一体どうやってこういう証明を思いついたのだろうという 事も興味があるところだが、まだ不明な部分がいくつか残されていて、完全に はわからない。ここから何か新しい問題を掴めないかと思っているのだけど、 ちょっと無理っぽいという気もしている。 夜は歯医者。あと1回で開放される予定なのだが、どうかしら。

夕方、テレビで高橋尚子のシドニー・オリンピック落選会見をやっていた。 あれって、私が二度めの大学院入試に落ちた時と似たような気分なんじゃない かしら。ああいうものを、あのタイミングで、荒れることも乱れることなく、 いつもの優等生的受け答えでやってのけられるというのは、ちょっと、いや、 かなり凄いな。私なら陸連の発表があった直後に自棄起こして失踪してますね。

2004年3月14(日)
<<はちはち>>
春らしい穏やかな晴天。今日も午前中は眠い眠い病の根治治療に励み、 午後は野暮用。

夕方頃、千本通りから上長者町通りに入って、路地をごぞごぞっと行った所に ひっそりと建っている、"はちはち infinity cafe"という店に、ゲーテ筋から うまい!と評判のドイツ・パン(ライ麦パン)を買いに行く。ご覧の通り、何の 変哲も無い古い民家。恐る恐る玄関を入り、行儀よろしくおいと呼んだが返事が無い 。これではまるで「草枕」の世界だなと思いながら、 業を煮やして靴を脱いで、無断でどかどかと中に 入っていくと、やはり古い民家でしかない。居間で談笑している数名は客らし く、廊下で私と目が合っていらっしゃいませなどと言った若い女性がおそらく 店員で、奥の流し場でごぞごぞやってるのが店のオヤジなのだろうといった調 子。客なのか近所の人間なのかよくわからない人間もうろうろ出入りしているので、 何が何だかよくわからない。店のつくりとしては、 民家を改造したのではなく、民家をそのまま店にしている。 なかなか鄙びた風流な店だけど、数学をやれる所ではないなと判断し、今 日のところは予定通りパンだけ買って帰る。今日焼きたてのパンは一日置いた 方が良いらしく、明日が楽しみである。

帰りのバスの中で、佛教大の学生らしき若者を何人か見かける。今日は この大学の卒業式らしい。バスが京都駅に着く頃、 昨夜読んでいた証明でどうにも良くわからなかった部分が解決する。

2004年3月13(土)
<<ほんまかいな>>
眠い眠い病の根治治療のため、昼前までぐっすり眠る。今日は京都薬大の卒業 式だそうで、昼頃近所に野暮用に出た時、それらしい格好をした若い人達を何 人も見かけた。午後は体調の向上・維持のためにスポーツ・クラブでもと思っ たが、風邪をひきそうな怪しい気配を感じたので、早めの自宅静養につとめる。 Web でドイツ語放送を聴いたり、ドイツ語新聞を拾い読みしたり、数学をやっ たり。そういえば、自宅に居てもドイツ出張の事などてんで考えなくなったの は、早めの放浪療法が効いたからであろう。

そういえば、今年の数理科学科の入試では、純粋数学系の志願者に比べて 応用数学系の志願者がずいぶん少なかったそうである。「コンピュータも!数 学も!」という清濁合わせ呑むクロスオーバ系の受験生層を当て込んで、今年 から応用系の定員を大幅に増やした矢先なのだが。

しかし、実はそういうタイプの生徒は今や絶滅の危機に瀕しているのでは ないかしら。”数理情報分野あります”とちゃんとパンフレットに書いてあっ た情報学科でも、そういうタイプの学生は毎年高々1,2パーセントぐらいし か入って来なかったし。つまり、世の中は既に「数学スキスキ、かっこいい!」 系の生徒と、「数学大嫌い&コンピュータ面白そう」系の生徒に二極分化してい ると見る。そうなると、情報数理ナンチャラ分野は、前者のタイプの生徒にして みれば「情報」が邪魔に見え、後者のタイプの生徒にしてみれば「数理」が 敬遠する最大の理由となる。

特に私学関係者の間では「数学系の学科の志願者を増やすには、コンピュー タなどの応用数学系を拡大するしか無い」という考えが根強いけれど、ほんま かいなという気は以前からしていた。益々そういう気がしてきたな。

それにしても、私は日頃から、気まぐれな学生の趣向などいちいち気にしていられない、 と超然と学問に打ち込むというスタンスを貫いている。これは情報学科での苦 い経験から得た教訓。でも、受験生集めとなると、超然とばかりもしてられな いんだよね。

2004年3月12(金)
<<おかえりなさい!>>
相変わらず春はまだ遠しって感じの肌寒さ。巨大野暮用にて、朝京都を発ち夜 戻る。行き帰りの近鉄特急の中で、昨日コピーしてきた短い論文を読了しよう としたけれど、証明の怪しさと、ここんところまた起こってきた眠い眠い病の 病魔(睡魔)のため、あまり進まず。昨日のような何から何まで 思惑外れる調子の悪 さは、一晩寝たら何とか解消されたようだ。

夜、山科に帰ってくると、自宅への通り道にある、一度だけケーキを買っ たお菓子屋さんの看板代わりに使われている、こういう冗談のような巨大ソフ トクリームが、「おかえりなさい!」とニコニコして私を迎えてくれているよ うで、一寸嬉しい。

そういえば私は、並外れて大きな物を喜ぶ傾向があるな。実は15年程前 から、数10メートルぐらいの巨大招き猫気球が晴れた空をぼわーっと飛んで いて、その巨大な瞳に見つめられて腰を抜かしてみたいものだと、夢見ている のだ。

2004年3月11(木)
<<今日はおかしいみたい>>
午後の教室会議に出るために出勤。 昨日とは一転して悪天候。何故かそれに伴って私も調子が下り坂。 山科駅の改札口の手前で定期券を忘れた(*1) 事を思い出したのを皮切りに、 公私こもごも面白い程ありとあらゆる思惑外れが重なる珍しい一日。私、何だ か今日はおかしいみたい。

「数学21世紀の7大難問」(中村亨)は、「そこんところをちゃんと 知りたい」と思っている部分に限って、何言ってるかよくわからない ゴニョゴニョゴニョっとした説明があちこちに散りばめれていて (*2) 結局何だかよくわからない。しかし、すくなくとも 「K川先生=代数的整数論、I井先生=解析的整数論」という 素朴な認識が誤解(*3) である事はよくわかった。

*1 午前中に野暮用で外出し、その流れでそのまま大学に向かった事が 直接の原因。いずれにせよ、定期券を忘れるなんて 学校を卒業して以来、否、生まれて初めてである!

*2 まるで伏字だらけの本を読んでいるみたいである。 作者の前書きにも書いてあったけれど、 「そこんところをちゃんと知りたい」のならば、ちゃんとした本を読め、 ということか。いずれにせよ、ブルーバックス一冊で、技術的な詳細を 除いて本質的な事は全て正確に理解させてもらおうという虫の良い 魂胆は、見事に はぐらかされたような感じである。

*3 この「誤解」は、先日の採点打上げの二次会にてK川先生によって初めて指摘され、 私と夢見るH先生は「え!?そうじゃなかったの?」と顔を見合わせて驚いた のであった。

2004年3月10(水)
<<西へ>>
ずいぶん暖かくなった。持病の強迫神経症に起因するドイツ出張準備中毒症候 群に対処するため、本日もまたふらりと街に出る。今日は何処に行こうかなあ、 などと考えながら、とりあえず山科駅へ。その辺で適当に昼食を済ませ、電車 に乗って何処かに行こう。東に行けばどんどん田舎になり、西に行けばどんど ん都会になる。よし、今日は西へ行ってみよう。高槻から快速の普通列車に乗っ て、居眠りをしたり数学の本を読んだりしながら一時間半ほど。ふと窓から外 を見ると、海が見え、明石大橋が見えてきたので、そこで下車してそのまま逆 方向の電車に乗りなおし、また数学の本を読んだり居眠りをしたりしながら京 都駅に戻る。それからホテル京阪ラウンジで2時間ほど過ごし、アバンティー ブックセンターに一寸寄って、以前全力疾走のO坂先生に教えてもらった ブルーバックス「数学21世紀の7 大難問」(中村亨)を買ってから帰宅。

2004年3月9(火)
<<シロウト侮るべからず>>
自宅に居ると、何となくドイツ出張準備関連のどうでも良いような仕事をほじ くり出して、そればかりに時間を費やしてしまいそうなので (*1)、 意を決して本日放浪の旅に出る。寒さの緩んだ晴 天につられて、河原町三条ゼスト、新京極六角通り平野屋改めSbux,京都 駅前ホテル京阪ラウンジなどを彷徨いながら数学。 途中、京都駅前アバンティー・ブックセンターへ。来 年度後期に文系数学の講義を担当するのだが、何か良いネタ本でも無いかしら、 と数学書を物色するも、特に見つからず。

文系数学などのシロウト向けの数学の講義と言えば、初等整数論モノが定 番かと思い、暗号の話なども交えて数学の功利性も多少は宣伝して、などと考 えていたのだが、どうも気が乗らない。純粋数学至上主義者の私としては、シ ロウト相手だからこそ尚更、数学の功利性を宣伝するなどという下品な事はや りたくないし(*2) 、何よりも整数論の話というのはわざわざ勉強してまで教えてみ ようかという気が起こらないのだ (*3)。

自由に話題が選べる講義は、自分が楽しめる話にすることが鉄則である。 教師が楽しめない講義を学生が楽しめるわけがない。それに、学生達が期待外 れの反応しかしてくれなくて講義が失敗に終わった時でも、「少なくとも自分 は楽しめたからいいや」と諦めがつくからである。

ということで、来年度の文系数学の話題は私の好きなトポロジーの入門と いうことで、『閉曲面の分類定理』の話で行こうかしら。

*1 持病の強迫神経症に起因するドイツ出張準備中毒症候群である。 つまらない事はせっせと準備するが、肝心な事は案外忘れていて、土壇場に なって大慌てする。この傾向は小学生時代から変わっていない。

*2: 理工系の 玄人相手だと、彼らの専門に関係した直接的功利性を刺激して、「ヤクに立つから 価値がある」と思い込ませれば良いが、自分は数学とは無関係な人生を歩 んでいるのだと誤解している(?)シロウト相手の場合は、侮れない。 彼らには安っぽい実利性よりも、むしろ 何かしら知的な楽 しみ--- これこそが数学の本道だと私は考えているのだが--- をアピールして欲得抜きで面白がらせる方が、長期的な数学支持者を獲得 できるのではないか、と考えているのだけど。。。

*3: ただ、整数論には独特の思想があるらしいけど、それを理解してみたいという 興味はある。それがわかると、何で整数論の専門家達が、代数多様体の何とか サイクルだの、ゼータだの、保形形式だの、何とか級数だのと、シロウト目に は全然整数と関係無さそうに思えるものを調べているのかが分かるような気が するからだ。そういう事が丁寧に、かつ、シロウト向けにレベルを 落とすことも整数論の一部の話題に限定することも無く書いてある、寝っ転がっ て読めるようなせいぜい200ページ程度の本は無いかしら。もっとも、こう いう話は勿論文系数学の講義のネタとしては使えない。

2004年3月8(月)
<<勝手に言ってろ、ばーか!>>
今日もWebでドイツの歯科医事情を調べたり、出勤して旅行保険だの航空券の 確認だの運送会社への問合せをしたり、歯医者に行ったりと、やはりドイツ出 張準備関連で何となく一日が潰れる。出勤途中の電車の中だけは、心おきなく数学。 大学では、情報学科の新しい建物への引越し作業が本格的に行われていた。 とうとう連中がここを去るのか(と言っても数百メートル先の建物に 移るだけだけど)と思うと感慨無量である。

「情報学科にはずいぶん酷い目に合わされたな。」その事を最近私はとん と言わなくなったけれど、別に忘れた訳ではない。しかし、情報学部への拡大 に伴って新しい教員が大量に入って来ている今の情報学科は、私の居た頃のそ れではない。記憶は今も生々しいけれど、もう過去の事なのである。

S藤先生と何度も手に手を取って喜び合った事だけど、情報学部に巻き込ま れる事無く、ぎりぎりのタイミングで数理科学科に移れたのは危機一髪と言う か、九死に一生と言うか、「いやあ、私って運が良いのね。また助かっちゃっ た!」って感じである。しかし、私がプログラム理論を中心とした理論計算機 科学だけしかやりたくない、あるいは、やれない人間だとすれば、今頃数理科 学科で心安らかにやっていられたかどうかはおおいに疑問である。

理論計算機科学は表面的には数学の顔をしているが、思想的には(純粋) 数学とはかなり違う。少なくとも純粋数学とは「地続き」ではない。純粋 数学を基本として成り立っている数理科学科で、毛色の違う”少数民族”で居 ることは、たとえ情報学科時代のような理不尽な仕打ちを受ける事は無いに せよ、それなりに大変であろう (*1)。 少なくとも、学問的には教室 の同僚教員全員を敵に回して渡り合ってやろうというぐらいの覚悟が必要だと 思う。

私は、自分にそんな覚悟が無いことをよく知っている。何故なら、 理論計算幾何学よりも純粋数学の方が断然面白いと思う気持ちは誤魔化せない からである。数理科学科に移ってそのままプログラム理論などを続けていたら、 私は今頃自滅していただろうと思う。かと言って、情報学科に残っていたら皆 に寄ってたかって潰されるしか道は残されていなかったし。どう転んでも、あわ や高山幸秀は一巻の終わり。。。だったはず。

だから、嘘でも純粋数学に転向して俺は(純粋)数学者だ!って風にやっ ていくのが、好む好まざるにかかわらず (*2)私に残 された唯一の道だったのである。自分が大学人として生きるか死ぬかの瀬戸際 なのだから、(大昔に)大学院入試に落ちたくせに数学者を名乗るとはけしか らん!とか、大学院入試に落ちた奴がまともな数学者になれる訳がない。まと もでない数学者は生きていてはいけない等々色々言われようが何だろうが、言 いたい奴は勝手に言ってろ、ばーか!なのである。

しかし、そういう事がどうにかこうにか出来たのも、学生時代に さんざん馬鹿にされながらも (*3) 、特に懲りる風でも無く、相変わらず一所懸命(よ くわからない)数学を勉強していたからである。別に褒められたから勉強する、 腐されたからやる気を無くすという手合いのものでも無いしね (*4)。

2回目の院試に落とされて会社勤めが決まった時、「一所懸命数学勉強し たけれど、結局何にもならなかったな」と思ったけれど、意外な所で命拾いし たって感じだな。

*1: 理論計算機科学よりももっと数学に近い計算機代数が専門の、そして、 「世界は自分を中心に回っている」 という素朴な感覚を、知恵と知識と経験でかろうじて打ち消しながら生きている、あの S藤大先生でさえ、数理科学科での”孤立した立場”を常々気にしていたのであ る。ましてや、「自分は世界の端っこをふらふらと漂いながら生きている」と いう世界観の私が平穏無事な状態で理論計算機屋でおれるとは思い難い。

*2: 実は「好んでいる」のだが。

*3: 具体的には、 「お前の証明はどん臭い!」と親切にもわざわざ私のノートに大きな×(ペケ) を書き込んでくれた友人や、 「高山君の『(試験が)出来た出来た』というのはアテにならんからなあ」と 指導教官に揶揄されたことや、 院試に落とされた上に 「君が落ちるのは何の不思議も無いね」と先輩に言われたりしたことを指す。 ロクに人の名前を覚えられない私が、こういう事を20年以上経っても覚えて いるのだから(それは惚けの兆候だという説はこの際一蹴しておく)、特に教師 たるもの学生に対する口の利き方には十分注意しなければならないと思う。 別にいつも学生に甘い言葉だけを掛けるべきだとは思わないけど、 特に学生の根本的な資質について何か否定的な事を言う時は、 これを言ったら若しかしてこの学生は生涯覚えているかも知れない という覚悟無しに、軽々しく言うものではないと思う。 私も京大育ちだから、本当は結構口が悪いんだよね。気をつけなくっちゃ。

*4: かと言って、馬鹿にされたから発奮するという訳でもないけど。

2004年3月7(日)
<<平常時の生活>>
真冬のように寒い日曜日。朝はゆっくり起き、午後は久々のスポーツクラブ。 最近ちょっと不調だった体調がやや回復。夜は出張関係の調べものなど。

「ドイツ出張の準備はそれほど大変ではないし、四六時中やっているわけ ではない。しかし、一時にわっとやって、はい、これでオシマイ!という訳に も行かない。何時も何となく気にし続けなければならない。こういう案件があ ると、どうも他の事に集中できないな。」

上の括弧内の文章で、「ドイツ出張の準備」を「数学(の研究)」に置き換えてみれ ば、それは私の平常時の生活そのものである。何とかうまく頭を切り替えて、 少しでも数学をやらないといけないな。

今日の一枚は、近所の銀杏の怪木。 毎年落葉の季節になると、あたり一面がフカフカの金色絨毯が敷かれたように なったものだが、最近枝が全て切り取られて、ゴジラがウルトラマンにのされて 頭からドブの中に落ちたような 形にされてしまった(写っているのは、”腰から下”の部分)。もう金色絨毯は 見られまい。

この怪木のすぐ近くに京都薬科大学があり、学生時代の私の下宿もすぐ近 くで、今もやっている。身の程知らずの野心と根拠不明の自信と無駄に屈折し た心に満ち満ち溢れたアブナイ学生高山の目には、化学が好きで薬剤師な どの実務家を目指してよく勉強する京都薬大の学生達を、「ノーベル化学賞を 目指している風でもなければ、(少なくとも見た目には)さしたる屈折も無く、 世の中と自分の人生をやけに上手く切り結んでいる器用な連中」として胡散臭 く思っていたものである。

今は薬大の学生達を、ただただ「良さそうな子達だな」と思って見てるだ けだけどね。

2004年3月6(土)
<<頭が純代数的>>
時折みぞれが時化降って相変わらずの寒い日。ほぼ終日、Webでドイツ出張に 関する下調べなど。夕方散歩に出て山科駅前Sbuxへ。

Webでフランクフルトとデュッセルドルフの空港を調べていて気づいたのだ が、どうも何処に何があるかを詳しく示した空港の見取り図らしきものが見当 たらない。実際、空港の構内でも、右に行けだの、こちらに行けば何番ゲート だのといった表示はあるが、例えば関空などでは至るところに見られる現在地 表示付きの案内図は、構内のあちこちで手に入る案内パンフレットの中にもほ とんど見当たらなかったように記憶している。見取り図があれば全てが一目瞭 然になるのに、何で言葉だけでごちゃごちゃ説明したがるのだろう。きっと連 中の頭の中は、すこぶる純代数的ではあるが幾何学的ではなくて、見取り図の必 要性などハナっから感じていないのであろう。大先生からの「高山さんは、ど ういう数学が好みですか?」の問いへの答にもあるように、代数的なものに幾 何学的意味を見出したがる私としては、見取り図が無いのは多いに不満である。

2004年3月5(金)
<<キョロキョロする>>
昨日の夕方から今日の午前中にかけて、阪大の国際シンポジウムに参加。可換 環論の講演を3つ聞く。本日午後は大学に戻り、色々雑務。

短いシンポジウム参加でも色々得る所はある。今回、ひとつ気づいたこと は、数学者というのは大体一貫したテーマを深く深く追い続けるもので、私の ように次々と違うテーマに手を出している浮気者は珍しいということである。 そういう事もあってか、某大先生には会う度に「高山さんは、どうい う数学が好みなんですか?」と聞かれる。その度に、自分は代数幾何学的に明 確な背景を持った可換環論が好みだというような茫洋とした事を答えをして誤 魔化している。

私が「浮気者」なのは、一つのテーマで粘っていてもなかなか良い発見が 出来ないので、「視野を広げる」と称して、別のテーマで何か面白い事は無い かしらと、どうしてもキョロキョロしてしまうからである(隣の芝は美しい症 候群)。あるいは、自分はまだこれぞ自分にぴったりだというテーマに出会っ ていなのかも知れないと考え、自分捜しをしているのかもしれない(青い鳥症 候群)。そうこうしているうちに、思わぬめっけものに出会えれば良い のだけど。そんな調子で、今まで5つぐらいのテーマに手を出しているのだけ ど、そろそろこの辺で腰を据えるようにしないといけないかな、とも思う。

もうひとつ気づいたことは、立命館は日頃 私が思っている以上に学問や研究を大切にする良い大学かも知れないということ である。この4月から2度目のドイツ留学をさせてもらえるのだが、こ のような制度が充実している大学は、実は有名私立大学の中でもそう多くは無 いようである。そうか。せっかく研究のできる良い大学に居るのだから、 目一杯研究に励まなければバチが当たるな。

写真は、見学者や入学手続き者などの来客がある時にだけ作動する、立命 館びわこ草津キャンパスの通称「いらっしゃい噴水」。ここぞという時は、水 を抜いて係員が綺麗に池の掃除をしてから噴水を上げる。「一事が万事で、こ のような気の使い方の積み重ねが『学問や研究を大切にする良い大学』に繋がっ ているのだ」という説と、「こんなことばかりに気を回して雑用を増やしてい るような、落ち着きの無さとの長く苦しい戦いの結果『学問や研究を大切にす る良い大学』がかろうじて保たれてるのだ」という説がある。どちらの説が正 しいのかよくわからないが、どちらも正しいような気もする。

2004年3月3(水)
<<作戦を練る>>
少なくとも私の学生時代からそうだったけれど、京都は例年2月の終わり頃に ずいぶん春めいた日が何日かあるものの、3月の初めの数日間はぐっと寒くなっ て、小雪が舞い散ったりもする。そしてそれ以降は順調に春が近づいてくる。 今日はその「数日間の寒い日」の一日のようだ。

午前中は自宅で仕事。午後は出勤してドイツ出張に関した雑務を色々。3 年前のドイツ・テレコムや日本から送った荷物の通関関係の郵便物やファック スの文書などをもう一度読み返し、作戦を練る。夜帰宅後も、出張関係の調べ 物など。

今日の一枚は、私がよく利用する山科の某スパゲッティー店の灯り。一応、イ タリア風のデザインなんだろうけど、昭和30年代をリアルタイムで知ってい る私としては、小津安一郎の映画に出てくるような、昔の日本の家屋でごく当 たり前に使われていた、どうってこともない灯りに見えてならない。私の親の 世代になると、灯火管制が敷かれ、この灯りを黒い布で覆って光が広がらない ようにし、夜間のB29の空襲に備えたという。しかし昔の日本で使われてい た灯りにしては、一寸ばかり傘の部分のデザインが洒落ている。さては当時モ ダンなものとしてもてはやされた「文化住宅」で使われたタイプかしら。 等々と、つまらない事を考えながらスパゲッティーを食べるのも、オツなものである。

明日は研究集会に出席して阪大の近くに一泊する予定。日誌更新は明後日 以降。

2004年3月2(火)
<<ナガタの弟子?>>
本日午後は、阪大で開かれている代数幾何学と可換環論の国際研究集会の講演 を聞きに行く。今日の講演は、ヒルベルト14問題の反例を世界で初めて発見 した頃の永田雅宜先生の思い出話など。肯定的であると信じて証明を試みてい るうちに、反例が見つかったとのこと。ちなみに、私は反例があると信じて、 それを探しているうちに証明が出来てしまった事はあるけどね。

あとはこの集会に講演者として招待されているHerzog先生に会い、4月か らのドイツ滞在について少し打ち合わせ。「お前、またドイツ・テレコムとの いざこざに巻き込まれたいのか?」と聞かれたので、「今度はドイツ語も上達 しているし、テレコムとの闘いの準備は万端です!」と胸を張って答えておい た。本当は全然自信は無いのだけど、人間心意気が大切である。

ところで研究者の世界では、「あなたは誰の弟子ですか」という事を聞き あう風習がある。これは勿論大学院生時代の指導教員を聞いているわけである。 計算機屋時代もそういう事を聞かれて閉口した事があるし、数学に転じた後も 外国の研究者にたまに聞かれる。私は大学院を出たわけではないので誰の弟子 でもない。しかし、そういう事情を色々説明するのも面倒なので、「私はナガ タの弟子だ」と答えることにしている。単に「私はナガタ先生(が勤務してお られた学科)の(学部)学生だった("I was a student of Prof. Nagata.")」 と言っているだけなので、別に嘘をついているわけではない。学生時代の愛読 書は永田「可換環論」(紀伊国屋書店)だったし、ちゃんと永田先生の代数の 単位も取ったしね(成績は悪かったけど)。

「私はナガタの弟子だ」は便利な言い方である。代数幾何学屋でも可換環 論屋でもナガタを知らない者はこの業界には居ない。誰でも「ほー、ナガタの 弟子か」と一瞬驚いてくれる。「お前、ナガタの弟子のわりにはアホだな」と いう身も蓋も無い言い方は、(私の学生時代の経験から推測して)京大の数学 教室なら十分にあり得ると信じるが、幸いそれ以外のところでは面と向かって 言われたことはない。

で、ナガタの弟子か!と驚いてくれた後、「俺はアビヤンカーの弟子だ」 と切り返してきたりする。アビヤンカーを知らない者はやはりこの業界には居 らず、勿論私も知っているので、「ほー、アビヤンカーですか」と一応驚いて 見せる。親分の偉さを驚き合ったところで、一体何になるのかという疑問は確 かに残るけれど、お互いに同じ思想の下で生きている同胞であることの 確認にはなる。

今日の一枚は、阪大のキャンパスの一風景。私はどういうわけか阪大の豊中キャ ンパスが嫌いで、いつもなるべく行かずに済まそうとしている。阪急石橋駅前のゴ チャゴチャした雰囲気も好きになれないし、モノレール柴原駅前の殺伐とした 感じにはいつも気分が滅入るし、キャンパスは広々として落ち着いた ところだけど何となく 肌が合わない。まあ、兎に角大阪が嫌いなんだから、しょうがない。 ♪大阪へはーようー行かーんー♪

2004年3月1(月)
<<それ程多くはない>>
午後一番の教室会議のために出勤。ドイツ出発を1ヶ月後に控えて、出発準備 を含めて色々やることが出てきた。1時間程で終わると予想していた会議が案 外長引いたので、途中で抜け出して部屋で色々作業。電話を掛けたり、 生協のトラベル・カウンターに行ったり、図書館に本を返したり、プレプリント の最後の仕上げをして投稿したり、書類を書いたり、事務に行ったり。

特に、プレプリントの件が片付いて、とりあえず肩の荷が 下りたって感じ。気分もちょっとすっきりした。

さて、ここに示したのは、夕方になると何十個と灯り、キャンパスを彩る ランプのひとつである。真っ暗になってからよりも、まだ陽の光がわずかに残っ ている夕方ごろが一番美しい。こういうものが「ちょっと綺麗だな」と素直に 思える今日のような日は、それ程多くはないのだけどね。