退化した猫


まじめと諧謔味がそこはかとなく調和している、はんなりとした薄味の京都人 である。嬉しそうに尻尾を降るポチ を連れて胸を張って歩いている姿は、「東 京上野の足長大仏」の趣がある。しかしながら、規律正しい関東の規律ゆるや かな国立研究所勤務が長いので、果たしてこの人が、「関西名物電車の割り込 み」をやる人かどうかは知らない。
ちなみに、電車のホームやバス停での「関西並び」や、京都や大阪 のおじさん、おばさん達による、関東文化圏の視点から見れば厚顔無恥としか 言いようのない割り込みテクニックについては、近年多くメディアで詳細に報 告されているのでここでは書かない。ただ、京都大阪の人は子供の時から割り 込みテクニックの英才教育を親から伝授されているらしい事、乗物の割り込み は良くも悪くも関西文化の深層に深く根ついているようだと指摘するにとどめ よう。若い時ロックだジャズだと言っていた人が、中年になって「いやあ。やっ ぱり演歌は日本の心ですよ。」と言い出したりするように、若い時に関東文化 の洗礼を受けた関西人でも、中年になったら「いやあ。やっぱり割り込みは関 西の心ですよ。」と言い出すのだろうか。

それはともかく。

「退化した猫」の命名の由来は次のような会話である。

A君 「○○さんって意外と鬚が濃いのですね」
○○さん 「そうやねん」
A君 「そういえば、ほっぺたのところにも鬚が生えていますね」
高山乱入! 「そういうのを猫鬚といいます。○○さんが ミルクかなにか飲んで、猫鬚に雫を一滴付けて満足そうにしている 姿はさぞかし美しいでしょう。とにかく○○さんは猫が退化して 出来上がった人間なのです。」
○○さん 「ようそんなしょーもない事をパラパラと思い付くもんやな?!」