ストライキとストライク
ストライキの使用例野球のストライク
  ストライキもストライクも、同じ英単語の"strike"を表示したものです。しかし、労働争議の場合にはストライキと書かれ、野球用語としてはストライ クと記述されます。これは、労働争議としてのストライキの用語が早い時期から使用されていたことによります。朝日新聞の使用例ですが、左の図は、労働争議 のストライキを始めて使用したもので、1879年(明治12年)1月29日の紙面です。まだ、ストライキという用語は定着していなかったのか、「傭人相集 て傭主に抗ひ傭賃を引き上るの強談」との語註が付されています。ちなみに、朝日新聞の創刊は1879(明治12年)1月25日ですから、左の写真には「第 3号」と付されており、新聞創刊の最初期から「ストライキ」の用語を使っていることになります。それに対して、右の図が野球用語のストライクを初めて使用 したものですが、1907年(明 治40年)6月26日の紙面です。
 いわゆる文明開化の前までは、日本語に子音で終わる言葉がなかったため、日本人は子音で終わる単語の発音がで きませんでした。そのため、当初はイで発音したようです。その後、外国語が流入する中でウで発音するようになりました。例としては、インキとインク、ス テッキとスティックなどがあげられます。また、現在もイで発音し続けているものとしては、ブリキ、デッキなどがあります。ストライキという言葉は、明治期 のいわゆる外来語の中では比較的早い時期に日本語となったことを示しているのです。
 また、朝日新聞の記事ですが、ストライキの語註として、賃上 げに特化した註を付けています。実際には、雨宮製糸場でのストライキは労働時間管理が課題でしたし、甲府で昭和初期に起こった製糸場でのストライキの中で 最大のものであった1929年の矢島第三工場での争議も「現業長の酷使への不満を直接の原因」としていました。1919年に起こった最初のサボタージュを 「同盟怠業」と誤訳した点は、「最初の8時間労働制」のページに記載しましたが、正確に伝えられていないことが、その後のストライキやサボタージュのイ メージ形成につながっていったように思います。

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