ちびてこちゃん旅行記4

2017年夏、ぼく(ちびてこちゃん)は中国の甘粛省の蘭州市・敦煌市に行ってきました。今回はぼく(白色8号)と沙漠対応てこちゃん(通称スナ)との二人(二頭?)のレポートをどうぞご覧あれ。

1日目


関西国際空港から北京、北京から蘭州へ飛行機を乗り継ぎ。蘭州への飛行機は事前のネット情報だとよく遅延するとのことだったが、今回は出発が10分早まったりすることはあったが遅延が無く順調だった。なお、中国は国内線・国際線ともに充電池などのチェックは厳しいので、事前に空港のホームページなどで確認しておくといいよ。チェックの時にはリチウム電池入りのカメラ、スマホ等は見せられるよう別にしておこう。

夕方、蘭州に到着。蘭州中川空港から市内まではタクシーで1時間半ほど移動。今回の旅では正規と思われるタクシーでもほぼ最初に値段を決められるという状況だった。

この日の蘭州の気温は20℃以下。家から最寄りの駅まで15分歩くだけで汗だくになっていた京都とは大違い。
ホテルにチェックイン後、蘭州に来たら蘭州拉麺だろうということで、さっそくホテルのすぐ近くにある麺屋さんに行く。

麺は受付で注文、支払いをして厨房にレシートを渡すという、なんか学食(?)っぽいスタイルだった。麺の太さや辣椒(ラー油)、香菜を入れるかどうかをそこで伝えるのだが、麺の太さはよくわからず、お店の人が適当にやってくれた。出来たら受け取って自分で席に持っていく。

←これは辣椒無し。奥にあるポットには黒酢が入っていて、好みでかける。他のお店もだいたいこのスタイルだった。
牛肉拉麺だったが、肉は少な目。こういうものらしい(入れたい人はトッピングで別に頼むらしい)。

あとで聞いたところによると、蘭州の人は朝か昼に拉麺を食べて、夜はあまり食べないそうだ。このお店も夜は結構空いていて、食べ終わる頃(9時)には閉店時間だった。

2日目

甘粛省博物館

ホテルから甘粛省博物館までタクシーで移動。蘭州市は南北の距離はそれほどでもないが、東西に長い地形で、東にあるホテルから西にある博物館までは結構かかった。

甘粛省博物館は甘粛省で出土したシルクロード関連の文物や、20億年前~の海だった頃からの古代生物の化石・骨などの展示が揃った、蘭州に来たら必ず行っておきたい博物館。2012年には中国の国家第一級博物館に認定されている。

2008年より無料で開放しており、身分証があれば無料で入れる。入口で安全検査があるので荷物を機械に通そう。写真撮影はフラッシュをたかなければOK。




←これは1969年に武威市の雷祖廟雷台漢墓から発掘された銅製の「奔馬」。博物館の公式サイトのトップページにも出てくるよ。思ったより小さかったが、躍動感あふれる素晴らしいつくり。見学の人々も熱心にガイドさんの説明を聞いているね。これのレプリカが売店で沢山売られていた。

個人的には武威磨咀子漢墓から出た木製の式盤のレプリカが欲しかったが(写真は撮った)、それは売られていなかった。あったらそれなりに売れる(?)と思うのだが…

ちなみに博物館の売店は2Fにもちょっとあったが、博物館の出口が店舗になっていて、絵葉書やシルク製品などが売られている。おしゃれなハンカチや甘粛省の遺跡の地図を図案にした大判のスカーフなどもあって心ひかれた。


博物館を出て近くの書店に寄った後、結構この日涼しかった(最高気温17℃)のもあって、昼食に火鍋を食べることにした。

この鍋は周りが辛くて、真中が辛くないスープというタイプ。調子に乗って周りの部分にたくさん具を入れたらすごく辛かった…
どおりで、甘い味のポップコーンやら甘いお茶やらヨーグルトやらをサービスしてくれるわけだよ…

席にはスプライトの大きなペットボトルも置いてあったが、お茶をどんどん入れにきてくれるので、結局開けず。何故かくじびきをやっていて、引かせてもらったらでかい車の洗剤をくれた。如何ともしがたいので、移動のタクシーの運転手さんにあげた(というか押し付けた)。

白塔山

白塔山は蘭州の北に位置する山で、元の時代にチンギス・ハンがサキャ派(チベット仏教の一派)の僧を招いた時、その僧が蘭州に至った時に病気で亡くなり、それを紀念するためにもともとあった白い塔を修復させたという。現存する塔は明代景泰年間のもので、清代の康煕年間には寺の規模も拡大したということだ。寺の名は慈恩寺だが、俗に白塔寺と言われている。

ところでこの白塔のある山は全体的に公園になっているのだが、ぼくたちは先に黄河をロープウェイで渡っててっぺんまで行ってしまったので、結局寺のある辺りをじっくりと見る時間も体力も無くなってしまった…
 
白塔山に登るロープウェイ(索道)。タクシー移動の際、「黄河索道」と言ったらわかってくれた。乗り場の近くの道端に「道教用品」というお店があって気になったが、その後行く機会が無かった。
 
ロープウェイの中から見下ろした黄河。この日は8月にしては雨が続いたせいで水かさが増しているようだ。砂浜のようになっていて人々が川岸を散歩していた。近くにはモーターボート乗り場もあり、ひっきりなしにモーターボートが行き来していた。

この色、天気のせいか、昔山東省の済南市で見た黄河とは違う気がする…なんというか、個人的に感じたのは、「味噌汁っぽい」。
ロープウェイ乗り場を出たところには謎のカラオケ店などがあったが、近くにあまり何もなく、「蘭州碑林」なるところに行ってみた。こちらも身分証を見せたら無料で入れたが、特に古い碑があるわけではなく、近代の書家が蘭州やシルクロードに関係のある詩や文章を書いたものが碑として展示されているところだった。

寒いのでトイレに入りたかったが、建てられてからあまり管理されていないようで、トイレの電気がつかず真っ暗で入れなかった。

仕方がないので階段のある道を通って山を下りる。ロープウェイからは山肌に沿った細い歩道も見えたのだが、かなり怖そうな感じだったのと蛇行していて時間がかかりそうだったのでパス。

階段は結構急で、途中には特に何もなし。ただ、黄河を含め蘭州市内の景色はよく見えた。

地上に下りる頃になって同行のYさんの靴底がはがれるというハプニングがあったが(階段が続いたせいか?)無事に下りる。地上にはいろいろ店舗とおぼしき建物があったが、閉まっていて廃業しているところが多かった。再開発の途中なのかもしれない。
しばらく黄河にかかる鉄橋、中山橋に向かって歩いて行くと、中山橋のところに白塔山公園の入り口があった(写真左)。思えば、このあたりから入れば慈恩寺にも行けたのだ。失敗した…

奥の山の上にちょっと見えるのが白塔。

中山橋は「中山鉄橋」「蘭州黄河鉄橋」ともいい、昔は「鎮遠橋」という名前だったそうだ。古い橋の一部が岸のところに展示されていた。そもそもの始まりは明代に浮橋が造られたことによるもののようだが、鉄橋は清の光緒33年(1907年)に建設され、増強工事が重ねられたそうだ。

1919年に戦火によって大部分が壊されたが、後修復され、再び通れるようになった。1942年、孫中山の名にちなんで「中山橋」と名付けられた。

1949年には爆薬を運ぶ国民党の車が通過中に爆撃を受け橋も破損、その後、1954年に全面的に修理されたのをはじめ、数回の修復を経て今に至るとのこと。いろいろあったが地元の人に大事にされてきた橋なんだね。この濁流の黄河に橋をかけようと思った明代の人たちに敬意を払いたい。

全長234メートル、幅は7.5メートルと結構あるが車両止めがあって車は通れないようになっており、歩行者専用で通りやすい。下の黄河もよく見える。夜はライトアップされるらしい。

この日はこの後百貨店やスーパーに寄ったりして繁華街をぶらぶらしたが、雨もあって帰りのタクシーがどうにもつかまらず、結局1時間半余り歩いてホテルまで戻り、ホテル内のレストランで夕食。

3日目

この日は蘭州市郊外の永靖県にある炳霊寺石窟に行くため、ガイドさんと車をチャーターした。

石窟に行くには劉家峡ダムをボートに乗って移動する必要があり、ボート乗り場までは市内の渋滞のせいもあって、蘭州市内から車で2時間くらいかかった。この日も寒かったのもあり途中道端でトイレに行く羽目になった。途中ICとかは無いので、トイレが近い人はそれなりに覚悟しよう(というか最初に運転手さんかガイドさんに頼んでおけば良かったと思う…)。

途中で天気が良くなってきて、ダムに着くころには(といってもボート乗り場まではまだまだ遠かったが)晴れ間も見えてきた。

←これは劉家峡ダムの東端あたりか。黄河の一部をせき止めたと思えないくらい水が青い。このダムが出来る前は石窟にも地上から行くことができたそうだ。ここは絶景ポイントで、きれいではないが有料トイレ(1元)もある。右に見えるのは劉家峡大橋。

この辺りは昔海底だったところが盛り上がったところで、切り立った崖のようなところが多く、岩肌に時々穴があいているような地形だった。降水量は年間を通じて少なく雨季は5~6月とのことだが、今年は珍しくこの数日間雨が続き、道路に結構落石がごろごろ転がっていた(!)。何か嫌な予感。


やがてどこかの集落に入ってゆき、舗装されていない泥の道を通り抜け、船着き場に着いた。あらかじめ調べた時は、もっと観光地化されている場所かと思っていたが(この船着き場の写真に至るまではすごく辺鄙なところ)いきなりぽつんと船着き場だけ現れた感じ。ボートは9人乗りの貸切が1200元。相乗りしますかとガイドさんに事前に訊かれたが(その場合他の客が来るまで待つ)、貸切をお願いしていた。その判断は正しかった。だって、他の客は一人もおらず。

その場で現金払いして、係の女性の運転でボート出発。酔ったらどうしようかと思って酔い止めも用意したが、景色が良かったので杞憂だった。

途中、黄河の濁流が流れ込む場所があり、そこから上流の方へ上っていくのだが、ダムの青い水と二色に分かれて見える(左の写真)。

窓を開けていると景色がよく見えるけど結構風が強く、また場所によっては飛沫がかかるので注意して。それも楽しみといえば楽しみだけどね。

途中、切り立った山に囲まれた地点を通り、放牧されたヤギや何か書いてある碑(読めなかった)などを通過し、楽しみながらあっという間に炳霊寺に到着。

ところが、到着してみると連日の雨により地盤がゆるんでいて、落石の危険があるということで、この日から10日間ほど閉鎖することが決まったところだった。途中でガイドさんが電話でなんかやりとりしているのを聞いて、悪い予感はしていたが… でも山の様子を見るとさもありなんということで(途中落石も見たし)、仕方なく諦めた。立っていた係の人も、写真を撮ったら危ないからすぐに離れなさいと言っていた。
 炳霊寺

 ←炳霊寺入口。

→帰りに船から見た石窟。このように黄河北岸の崖に長さ2キロ(だいたい350メートルほどに集中しているそうだが)、上下4層にわたって大小の石窟が掘られているそうだ。入場券は50元だが、特別窟に入ると別料金(最大300元)がかかるそうで、特別窟は梯子を上ったり下りたりでかなりの規模のようだ。

もっとも古いものは西秦(385~431年)の頃のもので、それから北魏・北周・隋・唐・宋・西夏~清代の仏像・壁画が残されている。大変貴重なもので、各時代による仏像・壁画の比較もできる。

この地域は年間降雨量が少なく、雨季は5~6月だという。それが今年は珍しく8月に大雨が降って、ちょうどその時に来てしまったということだ。残念。
 世界遺産登録の碑があったので、入っていないけどとりあえず記念撮影。思えばこの旅行を通して全員で写真を撮ったのはこれだけだった…→

この後トイレに行って(観光客用のきれいなのがある)、すぐそばの資料館で修復・調査の様子などの写真と解説を見、せっかくなので図版を購入した(ただし、後で知ったがここでしか買えないというものでもなかった)。
船着き場には一応食事を提供する屋台やお土産を売っている屋台もあり、ボートに乗る直前に現地の人がしきりに絵葉書を勧めてきたり、食事を勧めてきたりした。しかし長居をしても仕方がないのでボートに乗って戻った。

それにしても、閉鎖が決まったというのに、連絡がうまくいっていないのか、後から後から観光客がモーターボートで到着しては説明を受けてがっかりしていた。

ぼくたちがボートに乗って戻ってきた時にも、タクシーから欧米人の一行が下りてきて、ぼくたちのガイドさんが運転手さんに「閉鎖されたから石窟は見られないよ」と声をかけてあげていたが、運転手さんは「言葉が通じないんで」と言っていた…いいのかそれで。
まあ景色が良かったので、石窟が見られなくてもそれなりにボートからの景色を楽しめるかな。

ボート乗り場から車まで戻る途中、ちょうどヤギをボート乗り場付近の湿地に放牧しにくる人がいて、鞭をふるいながら近づいてくる様子に皆で一斉に写真を撮ったよ。のどかだね。
その後途中の街へ行って昼食。左の写真はその店で注文したアロエとジャスミンの餅。外側にはゴマがまぶしてあり、何も入っていないがもちもちして甘い。 

さて、本来の予定だとこの日は炳霊寺見学だけだったのだが、炳霊寺が閉鎖ということで、ガイドさんが手配して、代わりに蘭州市内の五泉山公園に連れて行ってくれることになった。

五泉山公園

蘭州市の南側、皐蘭山の北鹿に位置する公園。なお蘭州の蘭はこの皐蘭山にちなむという(「皐蘭」は匈奴の方言という説が有力で、植物の蘭とは関係が無いそうだ)。ここは漢代、武帝お気に入りの武将霍去病(前140-前117)が元狩3年(前120年)西征の際、軍が水不足で困窮した時に、鞭で地面を叩いたら水が湧いて出、ついに5つの泉になったという伝説があるそうだ。

霍去病の墓は西安郊外の武帝の墓、茂陵の横にあり、芸文研の旅行でもかつて行ったことがある。彼は武帝の夫人、衛子夫の弟である名将衛青の外甥で、優秀だったが若くして亡くなったので武帝がずいぶん嘆いたそうだ。

ちなみに公園は無料で入れるようになっていて、市民の憩いの場になっているようだった。ペット持込禁止の看板もあったが、犬がたくさんいて散歩の場になっているようだった。

←霍去病の像。名前の「去病」を触ると病気が治るといわれているそうで、観光客が来ては触りながら写真を撮っていた。だいぶ前に四川省成都の杜甫草堂に行った時も杜甫像の髭がみんなに撫でられてぴかぴかになっていたけれど(あれは何の効能があったのか…)日本でも世界各地でも、像には何かご利益が求められるね。面白い風習だと思う。誰か研究してそう。

五泉山公園には甘露・掬月・摸子・恵・蒙の5つの泉(五眼泉ともいわれる)があるのだが、この日は時間がやや遅かったせいか甘露泉は建物が閉まっていて入れなかった。他は見ることができた。いずれも山の中腹にあるので、坂や階段を上ったところにある。右の写真は恵泉。
なお、皐蘭山の上には崖に建設された千仏閣や文昌宮などがあり、下から遥か上に見えていたが、そこまでは上らなかった。
 
公園内のやや高い所から臨んだ公園内。遠くに蘭州市街のビル群が見える。この写真では見えないけれど、公園内には小さな遊園地もあってアトラクションなどもあるのだ(その音楽が鳴り響いていた)。
 
摸子泉の中(洞窟のようになっている)。昔は暗い中、妊娠中の女性が入って行って、泉のところでしゃがんで手にとったのが何かで生まれてくる子供の性別を占ったという。

それにしても蘭州は犬が多かった。おとなしかったけれど、公園内にもうろうろしていたよ。飼い犬のようだったけれど、飼い主の姿は近くに無かった。
 
公園内にいた、水で書道の練習(?)をするおじさん。風流ですな。
 
馬子禄拉麺

観光地ではないが、ガイドさんに教えてもらった有名な蘭州拉麺のお店。この日の夕食に行ってみた。システムは1日目に行ったお店と同様で、先に料金を払って厨房にレシートを渡す。

ガイドさんの話だと、お店によって麺が美味しいとか、スープが美味しいとか、特徴があるそうだ。他の省にも蘭州拉麺のお店はあるけれど、やはり使われている小麦・肉・水が違うので蘭州の味は出ないそうだ。

ちなみにこの馬子禄拉麺は東京にも支店があるそうだ。東京は日本風にアレンジされるのかな。いつか機会があったら食べてみてね。

 次のページへ→


 

このコンテンツは全て立命館大学中国文学・思想専攻の著作物です。
無断複製や転写は厳にお断りします。
(c) Ritsumeikan University Chinese Literature Major, since 2000


中国文学・思想専攻トップページへ

 

お問い合わせはこちら