4日目

ここからはぼく(スナ)がレポートするよ。
この日は早朝の出発だったので、蘭州市内の混雑とタクシーをつかまえるのが難しいことを考えて、前日ガイドさんに頼んで空港へ送ってもらう車を手配してもらった。ちょっと料金はかかったけれど、飛行機に乗り遅れることを考えたら正しい選択だと言えるだろう。

1時間程で空港に到着。チェックインをして、ホテルの朝食に間に合わないためガイドさんが前日フロントに頼んでくれた弁当を空港で食べる。蘭州から敦煌へは夜の便が多いのだが、週1で四川航空が出している9:30発11:20着という便があったので、今回はその便にあわせてスケジュールを組んだのだ。

←飛行機の中から見下ろした沙漠。甘粛省は東西に長く、沙漠地帯が多い。そういえば北京から蘭州までも沙漠がちらほら見えた。この砂が春先の強い風に巻き上げられて、遠く運ばれて黄砂になるのか…と思うと考えさせられる。

飛行機は遅延も無く、むしろ何故か早く到着した。敦煌空港は増築工事中だったがこじんまりした空港で、客引きなども無し。11:30頃ホテルに到着してしまったが、ダメもとでチェックインしたところ、部屋に入れてくれた。有り難い。

雨だった蘭州とはうって変って敦煌は晴天だった。湿度が低いので青空がきれい。洗濯物も夜に洗って干せば朝には乾くという乾燥っぷりだった。

敦煌は小さな町で、車もそこそこ走っているが結構静かなところだった。あちらこちらに飛天の像が見える。

飛天とは、敦煌の莫高窟に描かれている飛神を指し、敦煌のシンボルにもなっている。インドや西域、道教などいろんな文化の要素が混合して成ったものだそうで、壁画には、長い裾の服をはためかせながら空を浮遊しつつ優雅に楽器を演奏するなどの姿で描かれている。

蘭州博物館で売られていたシルクのスカーフなどにもこの飛天をモチーフにしたものが多かった。


チェックインした後はちょっと休憩して、近くの繁華街まで足を延ばし、そこで昼食にした。夜に露店が並ぶ「敦煌夜市」が近くにあり、その横には食堂街があり、お姉さんの呼び声に応じてそこのお店に入った。

写真は敦煌の名物だというロバの肉とねじり麺(名称を忘れた)を使った料理。
食べた人によればピーマンみたいのに(ししとう?)当りはずれがあり、唐辛子みたいなのがあって結構辛かったという。







鳴沙山

昼食の後、タクシーで鳴沙山・月牙泉風景区へ。厳密には鳴沙山という山は無いそうで、月牙泉付近の砂山一帯を指すそうだ。ちなみに、今回5名の旅だったので、いつも2・3と別れてタクシーに乗ったのだが、同じ道程なのに料金が異なるのが面白かった。

風景区の入場料は一人120元。だだっ広い観光センター内で入場券を購入して入場。

鳴沙山は空港やホテルの窓からも見えていたのだが、何か別世界のようで、写真をとってもどうも合成っぽく見えてしまう。左の写真は碑(複数あった)の前で。手前は周辺地域の地図になっている。

砂地を歩くので、事前にネットで調べて得た情報では、
・サンダルで行くな
・日焼け対策はとにかく万全にしろ
とのことだった。靴については、砂が入らないように膝まである靴カバーが貸し出されていた(利用しなかったが恐らく有料)ので、熱い砂に耐えられるのならサンダルでもOKだと思う。どんな靴でも砂は確実に入るので、後で洗える靴がいいよ。ちなみに同行したTさんによると、靴カバーをしていた人でも中に砂が入ってくるようで、振って出しているのを目撃したという…

日焼け対策は、時々強い風が吹くので日傘より飛ばない帽子がお勧め。手の甲も蔽えるラッシュガードと日よけのストールを用意したが、ストールは首回りの日焼けを防ぐのに重宝した(蘭州ではマフラー代わりにした)。同行した二人の女性はたびたび日焼け止めを塗り直していた。照り返しも強いので、サングラスかUVカットの眼鏡もあった方がいい。

それと、後で思ったが顔を覆えるマスクとかがあるとベター。乾燥しているので喉がやられるかと心配していたが、この翌日鼻の方がやられた(もともと鼻炎気味だったけど)。街中でもときどきカラフルなマスクをしている現地の女性を見たよ。これから行く人はご参考に。

この異世界っぽい風景にすっかりテンションが上がり、皆でラクダに乗ることにした。ちょっと乗って少し歩くくらいかと思っていたが、風景区をぐるっと一周して、結構な距離をラクダで移動するのだ。一人100元だが、これはお勧め。なお、グライダーでの遊覧飛行もあるようで、しばしば上空を旋回していた。

ラクダは5人ずつで出発するので、まとめて券を買おう。ただ、タイミングが悪かったのか、何故かぼくたちは知らない人+4人と、1人+知らない4人に分けられてしまった。
 
待機中のラクダ。おとなしい。
 
こんな感じでラクダにゆられて砂山を上がっていくのだ。唐代の人なども辺境に行くのにこうやって移動したのだろう。
 
よろしくね。
 
乗るとこんな感じ。結構揺れるが(後日変なところが筋肉痛になった)、慣れると片手でカメラを使えるようになった。
ちなみに途中でラクダを引く係の人にカメラを渡して撮ってもらうこともできるよ(別料金だけど)。

昔の人が砂漠を移動する際の主な交通手段はラクダだったという。辺塞詩人として有名な岑参などは、ラクダに揺られて体幹も鍛えられて、日に焼けていただろうから、長安にいるその辺の官僚と違ってさぞや色黒のイケメンになっていたことだろうと同行していた人たちと冗談を言い合った。

周りは本当に見渡す限り砂の山と青い空で、こんな砂漠をずっとラクダに揺られながら長い距離移動するのは大変だ。詩句も練り放題だろう。

もしここで星空を見たらさぞかしきれいだろうな(寒そうだけど)。この風景区は19:30に閉まるので、この時期日没は20:00頃で星が見える時間に入ることはできない。滞在中、一度夜中に目が覚めてホテルの窓から星空を見たが、それでも十分きれいだった。安全面を考えるとやはり外国なので夜中に外に出るのはお勧めしない。ホテルの窓から楽しもう。

月牙泉

「砂漠第一泉」といわれる景勝地で、漢代に武帝が天馬を得たという「渥洼池」がこの月牙泉ではないかと言われている。泉の傍らには楼が建てられ、鳴沙山や月牙泉が見渡せるようになっている。

言い伝えによると、昔この地に雷音寺という寺があり、ある時浴仏節(日本で言う「花祭」)の時、住職が寺に伝わる釈迦から与えられた聖水を持っていたところ、突然道士が現れ、方術の勝負を挑んできたという。道士は方術で寺院を砂に埋めてしまったが、どんなに頑張っても聖水には一粒の砂も入らず、そのままであった。諦めて道士が去った時、聖水は泉になり、道士は岩に変えられてしまったという。

また別の伝説では、三蔵法師が砂漠を通りかかって水不足に苦しんだ時、観世音菩薩が恵んだ水が泉になったという。

いずれにしてもこの砂漠に忽然と現れた泉は不思議なもので、どうやって出来たかには諸説あるそうだ。
 
砂地の中に忽然と現れる泉と緑。昔の人だったら駆け寄るだろうな。
 
「第一泉」の碑。ぼくがどこにいるかわかるかな?
 
泉と建物。今年は雨が多かったらしく水量も多いそうだ。
なお泉の周りには柵があり、入れないようになっている。中に入ると係員さんから拡声器で怒られるぞ(目撃した)。
 
泉の傍らの楼閣。中は売店などになっている。
この付近で、特産「杏皮水」を飲みながら休憩した。水を忘れた人は楼の下にある売店で買えるよ。
ここでは月牙泉を歌った所謂ご当地ソング(?)がエンドレスで流されていたが、後で調べてみたら田震の「月牙泉」という歌だった。
さて月牙泉を見たあとは、いよいよ鳴沙山に登ることにした。

ついでかい写真にしてしまったが、この青空!この砂!この日差し!
遥かに見えるちいさな影が人だ。ここを登っていく。

階段に見えるのは太いワイヤーと木でできた梯子で、そこに足をかけて登って行くのだが、下に固定されているわけではなく、時々下の砂が減って浮いていることもあって怖かった。

最初ははしゃいで振り返って写真を撮ったりしていたが、上の方になると結構急斜面になり、怖くて足元の砂だけを見ながら登ることになった…。はげましあいながら何とか登頂。

横ではそり滑りに興じる人たちがいた。途中で止まってしまっていたけど…。ちなみにそり滑りは別料金だが、そりは貸出しているのかもしれないが、外の売店でも売っていた。でもここ以外での用途がなさそう。記念品にするのだろうか。

下りる時には別の道を通って下りた。たまに梯子のないところを駆け下りようとするツワモノもいたが、下で待機している係員さんに怒られていた……

山の上。ずっと奥まで砂山が続く。
コーンがあるのは、ロードバイク(これまた有料)のための境界線らしい。

左の写真とは逆の方向、上から月牙泉を見下ろしたところ。奥に見えるのは敦煌市街。

たまに強い風と砂が吹き付けて来て、「これが砂嵐か…」と感激したが、後で靴とか服とか鞄とか何もかもに砂が入っていたので辟易した。
 
鳴沙山から下りて景区出口に向かう途中、「鳴沙山」の碑があったのでその上に乗って再び山を望む。
ぼくが米粒のようだ。
 
出口付近でふりかえると、またラクダに乗って出発する一行が見えた。古代の人々もこうやって砂漠に旅していったんだろうね。もっと重装備だっただろうけど。

ホテルに戻ってから、ホテルの向かいのレストランで食事。

写真はパパイヤの桂花で香りづけしたオレンジ果汁ソースがけ。これがとても美味しかった。

他にもほんのり甘いお粥(?)のようなスープも美味しかったよ。

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