第1章-2へindexへ第1章-4へ

 

第一章  『文選』全體像の概觀

三、各王朝の存續年數及び遺存作品數と採録作品との關係

(注)梁朝は『文選』編纂完成年と推定される大通2年までの26年とする。
王朝名 存續年數 年數割合 割當篇數 實際採録數 到達率 全收録中
の割合
漢王朝 409年 57% 274篇 95篇 35% 20%
 前漢 214年 30% 144篇 42篇 29% 9%
 後漢 195年 27% 131篇 53篇 40% 11%
魏呉蜀 45年 6% 30篇 55篇 183% 11%
晉王朝 155年 22% 104篇 126篇 121% 26%
 西晉 52年 7% 35篇 104篇 297% 22%
 東晉 103年 14% 69篇 22篇 31% 5%
宋王朝 59年 8% 40篇 104篇 281% 22%
齊梁朝 49年 7% 33篇 86篇 260% 18%
 齊朝 23年 3% 15篇 31篇 207% 6%
 梁朝 26年 4% 17篇 55篇 324% 11%

全體年限の30%に當たる約200年間存續した前漢の採録作品が全收録作品數の9%足らずの42篇74首、同じく約200年間存續した後漢が11%の53篇66首に過ぎず、約50年間續いた三國時代は11%に當たる55篇94首の採録である。

これに對して、三國時代とほぼ同じ期間で、全體年限のわずか7%の約50年間に過ぎない西晉の作品が實に全收録作品數の22%を占める104篇223首も採録、更に60年間に満たない宋代の詩文の採録も西晉同樣21%を超える104篇128首に及んでいる。更に、これに續く約50年間の齊梁代の詩文までも18%86篇125首という比較的多數の作品が採録されている。つまり63%を超える約450年間という長い存續期間を有した漢・魏の詩文が全體の31%に當たる150篇234首しか採録されていないのに對して、37%未満の約260年間の晉代以後の詩文が全體の66%に相當する316篇504首も採録されているのである。

また單純な方法ではあるが、假に存續期間の割合によって採録數を割り當て、實際の採録篇數と比較してみても、假想割り當て數304篇の漢魏は實際にはその約半分(49%)の150篇の採録に過ぎない。これに對して、177篇の假想割り當て數の晉以後は實に約2倍(179%)の316篇の採録となっている。これらの事象から見て、王朝存續年數を勘案した上においても、『文選』の撰者は確かに西晉及び宋代、次いで齊梁の詩文を重視していたことは明白である。

また遺存する「別集」の部數という側面を勘案してみるとどうなるであろうか。まず『文選』の編纂された梁代の時期に存續していた「別集」の部數を『隋書』經籍志の記載に據って計算してみると、次表のようになる。

王朝名 遺存部數 遺存割合 割合篇數 實採録篇數 到達率 對遺存數
割合
漢王朝 100部 12% 58篇 95篇 164% 95%
 前漢 27部 3% 14篇 42篇 300% 156%
 後漢 73部 9% 43篇 53篇 123% 73%
魏呉蜀 63部 8% 38篇 55篇 145% 87%
晉王朝 373部 45% 208篇 126篇 58% 34%
 西晉 121部 15% 72篇 104篇 144% 86%
 東晉 252部 30% 144篇 22篇 15% 9%
宋王朝 168部 20% 96篇 104篇 108% 62%
齊梁朝 125部 15% 72篇 86篇 119% 69%
 齊朝 56部 7% 34篇 31篇 91% 55%
 梁朝 69部 8% 38篇 55篇 145% 80%

其の際、實際に『隋書』編纂時には亡佚していても、「梁有向秀集二巻」などと記載されている「別集」は『文選』編纂當時に存在したものとして合算してある。また、「別集」の遺存部數は大體個別作家集數に該當するので、これを利用して比較檢討するのであるが、例えば『魏武帝集』・『魏武帝逸集』・『魏武帝新撰』などのように同一人の「別集」が複數存在している場合は、一人一部で計算している。

晉代全體では確かに373部2,574巻もの「別集」が遺存しており、100部355巻の漢代と比較すると三倍以上の格差がある。それ故、『文選』の撰者が晉代の作品を最も多く採録しているのは一概に晉代文學を高く評價した結果ではなく、大量に遺存する「別集」の割合に據った結果であるという可能性も考えられないことはない。

しかし、『隋書』經籍志が「別集」を前漢と後漢とに區別して記載している事實からも分かるように、梁代には、既にたとえ同一名の王朝であっても切れ目があったり、國領が異なったりしている場合は、これを區別して分類する方法が支配的であった。『文選』の撰者も當然、この方法に從い、漢王朝は前漢・後漢、晉王朝は西晉・東晉に區切って認識していたようなので、この王朝の區別法によって比較してみる必要があろう。

この區別法によって統計してみると、わずか27部67巻(全遺存部數の3%)の「別集」しか遺存していなかった前漢の採録數が實に全收録作品の9%に當たる42篇74首を數え、また73部288巻(9%)の別集が遺存していた後漢の採録數も全收録作品の11%に當たる53篇66首にも上っている。これに對して、逆に252部1,985巻(全遺存部數の30%)もの「別集」が遺存していた東晉の採録數がわずかに22篇28首(全收録作品の5%)に過ぎない。また、西晉の「別集」は全遺存數の15%に當たる121部589巻で、突出して多いという程の部數ではないにもかかわらず、全收録作品の22%にも上る104篇223首の詩文が採録されている。これらの事象から見る限り、『文選』の撰者が必ずしも單純に遺存する「別集」の數量に應じて採録していないことは明確であると言えよう。

たとえ「別集」の存續數を勘案した上においても、121部遺存する西晉が104篇223首の採録、168部遺存する宋朝が104篇128首の採録、125部遺存する齊梁朝が86篇125首の採録という結果が出ているように、遺存する「別集」が格別に多いわけでもない西晉・宋朝・齊梁朝の採録數が他の王朝のそれと比較してとりわけ多いという現象が見られる以上、『文選』の撰者はやはり西晉及び宋代、それに續く齊梁の詩文を高く評價して選録していると判定してよかろう。勿論、單に遺存部數に對する割合だけを取り出すと、156%に上る前漢が突出しており、『文選』の撰者はこの時代の詩文を最も重視していたと見ることも可能であろう。しかし、魏呉蜀の87%、西晉の86%、梁の80%もかなり高率であり、前漢に比較して實際の採録作品數が絶對的に多數であるから、全體的な採録數や個別作家別の採録數の統計などを総合的に勘案すると、遺存部數に對する採録割合が突出して高いという理由だけで、『文選』の撰者が前漢を最も重視していたとは言い難い。

以上、單純な方法ではあるが、ひとわたり『文選』收録作品の多寡を通觀することを通して、『文選』の撰者はどの時代を重視して選録していたかを見てきた。その結果、統計的には『文選』は大凡の外郭としては晉以後(東晉を除く)の詩文を重視して採録されている傾向性を有していることが判明した。

しかし、上記の『文選』收録作品を賦・詩・散文の區別もせず、單純に一篇は一篇として計量する統計的分析は、いくら『文選』の大雑把な輪郭を把握するにしても、少々大まかに過ぎるのではないかという懸念が存在する。

そこで次には全收録作品を各分野別に分けて統計する方法に據って更に密度の高い軌跡を追究し、より鮮明な『文選』の輪郭を把握していきたい。


次へ