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序 章   「新文選學」の創建

元來、「文選學」というと、初唐の曹憲に始まる『文選』收録作品に對する注釋學を指す【注1】。それは、近代に至るまで千年以上の長きにわたり、そのまま繼承され續けてきた。具體的には、殆ど音義・典據に據る字句の解釋及び各版本の校勘に據る正文の追究に没頭して來た。つまり、從來の「文選學」は、終始所謂訓詁學および版本學を中心とした研究に專念して來たと言っても過言ではない。勿論、それは個々の收録作品を深く且つ正確に解釋し、評價・鑑賞すると言った點においては、紛れもなく非常に重要且つ必須の學問研究であった。

しかし、本來、「文選學」と稱する以上、當然詞華集としての『文選』全體像の究明に努めるべきである。舊來の「傳統的文選學」の如く、いつまでも個別的收録作品の解釋・鑑賞に腐心するのみの研究に止まっていたのでは、所詮正當な「文選學」とは言い難い。

唐・宋朝に盛行した「文選學」は、元・明朝に於いては一時的に沈滯していたが、清朝に入ると再び活況を呈し始める。張之洞の『書目答問』に列擧されている錢陸燦・何焯・余蕭客・汪師韓・朱など十五名の所謂「文選學家」はそれぞれ專書を著し、『文選』の諸問題の究明に努め、「文選學」の進展に大きな貢獻を果たしている【注2】

しかし、彼らもやはり「傳統的文選學」のしがらみを脱することができず、結局詞華集としての『文選』全體の性質を総合的に研究することなく終わっている。ただ、阮元などはさすがに單に個別的作品の解釋・鑑賞のみに終始することなく、包括的に收録作品全體の性質を論じ、『文選』は專ら「文」(美しい修飾性)を有する詩文をのみ選録した詞華集であると規定している【注3】。しかし、遺憾なことには阮元の究明法は決して個々の收録作品を一々綿密に分析檢討して歸納したものではなく、實は唐朝より始まり、宋朝には既に科擧試の指南書として不動の權威を確立していた『文選』の威光を借りて、反古文辭學派のキャンペーンを展開したものであった。そのため意識的に『文選』に收録されている美文的要素の強い詩文を取り上げ、ことさら美文の優越性を強調するといった傾向が強く、およそ『文選』の全體像を實事求是的精神によって客觀的に究明しようとする研究法とは言い難いものであった。

民國に入ると、專心『文選』研究に情熱を傾けた駱鴻凱は、漸く詞華集としての『文選』の全體像を総合的に究明しようと試み、終にはその名も『文選學』なる書を公刊している。彼の『文選』研究に對する情熱と成果は並々ならぬものがあり、現在においてもなお相當高く評價されている。しかし、その究明法は甚だ遺憾ながら依然として舊來の「傳統的文選學」の方法を超克できないままに終わっており、その成果である『文選學』自體も殆どあたかも舊説を蒐集整理し、集大成したものの如き觀を呈している【注4】

1949年の「解放」以降の中國においては、『文選』研究はそれ以前よりかえって悲慘な情況を迎えることになる。『文選』は社會主義リアリズムからかけ離れた、内容空疎な貴族主義文學の代表的詞華集と判定され、文化大革命が終焉を告げる1978年以前には、論著の發表は勿論のこと、研究對象とすることすら差し控えられた。「文選學」はこの間全く閉塞状態に陷ってしまっていたのである。

いつの時代においても、文學研究が現實的には政治・經濟・社會の情況に多大の影響を受け、左右されることは免れ難い。しかし、現代に至るまで傳存して來た歴代の古典文學には、多樣な人間の生き方、信念・情念などが描き出され、不易の人間精神の諸相を表す名作が多數存在している以上、たとえいかなる獨裁的な爲政者がいかなる壓力を加えたとしても、一概にそれを否定し、抹消することは不可能に近い。多彩な人間精神の諸相を描出し得た古典作品は、必ず壓制を超克し、いずれは正しく見直され、再び活況を取り戻すことになる。

極左思想の横行した「文化大革命」が終息して以後、彼の中華人民共和國においても改革・開放政策が進展するに從って、やはり一旦排除されていた『紅樓夢』・『文心雕龍』等といった優れた古典文學の研究が「紅學」「龍學」と呼ばれ、再び活況を取り戻してくる。こうした情況の變化につれ、貴族文學として排斥され、閉塞状況にあった『文選』研究も「選學」の名の下に漸く復活を遂げ、徐々に盛行し、1986年には全國規模の「中國文選學研究會」が設立された。

そして1989年には、この學會が中心となり、廣く歐米や日本の代表的な文選研究家を始め、中國國内の著名な學者を多數招聘し、吉林省長春市において第一囘「昭明文選國際學術研討會」が盛大に開催され、多種多樣の劃期的な成果を擧げている。以後、1992年には再び長春市、1995年には鄭州市において、それぞれ第二囘・第三囘「昭明文選國際學術研討會」が實施され、「文選學」は着實な發展を遂げている。

これら三度の「昭明文選國際學術討論會」においては、毎囘『文選』の諸課題について多彩で斬新な研究成果が多數報告されたのみならず、今後の「文選學」の在り方・課題についてもかなり眞摯な議論が交わされて來ている。その成果は、その都度、「昭明文選研究論集」として丁寧に総括され、公刊されている【注5】。その結果、斯界においては漸く舊來の「傳統的文選學」(「舊選學」)の限界性が痛感されるようになり、日中兩國において期せずして「新しい文選學」(「新選學」)創建の必要性が強く提唱されるようになってきた【注6】

いまや新しい『文選』研究の時が來たのである。この時機に當たって、世界の『文選』研究家は相互に研鑽討論を重ね、訓詁學的傾向の強かった「傳統的文選學」の權威と壓力を超克し、これとは異なった視點に立脚した、詞華集としての『文選』全體像の総合的究明を目指すべきである。これこそまさしく眞の「新文選學」の創建であり、王國維の所謂「一代には一代の學問有り」の實現なのである。

いまここに、私はこの提唱に呼應し、「新文選學」の課題と方法を論じつつ、實際になお未解決の多樣な『文選』の諸問題について具體的な解明に努め、『文選』全體像の究明を試みてみたい。


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