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(傳)焦循『詩話粹金』について

一 は じ め に

北京圖書館(現國家圖書館)が主宰する雜誌「文獻」1999年第一期(總79期、99年1月發行)に中國社會科學院の蔣寅氏の「東瀛讀書記」が掲載された。これは蔣氏が97年に京都大學大學院の要請を受けて來日され、一年間の講學のあいだに京都・東京の多くの圖書館の藏書を調査された訪書記である。清代の稀覯本を主とし、17種の文獻が取り上げられている。氏の調査研究の御蔭によって、存在は知られておりながら、その内容については十分には認識されていなかった貴重書の資料的價値が明らかとなり、それが廣く國際的に紹介されたことは意義深いことと思われる。

この蔣寅氏「東瀛讀書記」に立命館大學文學部文獻資料室の所藏本も紹介されている。『立命館大學漢籍分類目録』頁362著録の『詩話粹金』がそれである。本書の内容についての要點は、次に引く「東瀛讀書記」の一節にほぼ盡くされているのであるが、蔣氏の解題に導かれて改めて本書を調べたところ、見解の相違を一點抱いたので、ここに疑義を呈して氏の垂教を乞い、併せて本書の一部分を抄録して資料紹介としたい。

 

二 蔣寅氏「東瀛讀書記」の解題と本書の書誌事項

はじめに本書についての蔣寅氏の解題の全文を訓讀文をもって引用しておこう。なお、後述するとおり本書書名は、原表紙に「詩話金」、後補表紙に「詩話金」と題されて異なっている。蔣氏は後補表紙の題を取られるが、拙文は原表紙の題に從うこととする。

焦循鈔《詩話碎金》稿本不分卷
稿本六册、江都の焦理堂訂稿と題す。立命館大學文學部圖書館藏。該館目録は著録して清末鈔本と爲すも、未だ据る所を知らず。竊に以爲へらく乃ち是れ理堂の手稿と。其の内容は則ち袁枚《隨園詩話》を摘抄するものと爲す。卷一より補遺卷十徳清蔡石公先生會試の一條に迄
(およ)ぶ。間々眉批有り、均しく文字の訓詁と爲す。讀書の時、手に隨ひて施す所に似たり。後に司空圖《二十四詩品》を附す。亦訓詁若干條有り。應に是れ該書最早の注釋なるべし。末に《古詩十九首》より隋の無名氏《送別詩》(楊柳青青滿地垂)等に至るまでの先唐詩を録するは、《古詩源》より鈔出するに似たり。全書の構成に据りて之を觀るに、焦循抄録して留めて讀本と作して用ふる者と爲すに似たり。後人、其の批注有るを以て、乃ち焦理堂訂稿と題するなり。焦循、著述極めて豐かにして、身後遺す所の稿本も亦夥しく、臺灣曾て其の手稿多種を刊す。呉宏一の《清代詩話知見録》(《清代詩學初探》)に焦循《雕菰樓詩話》鈔本を著録するも、何所に藏せらるるかを知らず。余、初め立命館大學圖書館の目録を見て、詫(おどろ)きて呉氏著録の本と爲すも、既に其の條目を觀て甚だ眼の熟するを覺え、《隨園詩話》を取りて之を覆按して、乃ち其の實を得たり。

右の解題に據れば、本書は『隨園詩話』『古詩源』の拔粹に併せて『二十四詩品』を附録した清の焦循(字は理堂、里堂。乾隆28年、1763~嘉慶25年、1820)の手稿本ということになる。實は『隨園詩話』『古詩源』の部分には抄出した書名が記されていない。それを明らかにされた蔣寅氏の學識には感佩せざるを得ない。筆者が往年、『立命館大學漢籍分類目録』を編修した際、十分には本書の内容を把握できなかったが、今回それを知り得、また編撰者の本姓名を取らず字のまま「焦理堂」とした過ちも正すことができた。蔣氏の示教に感謝申し上げる。

ただし、本書が『孟子正義』の名著や數理的な易學で有名な清代中期の大儒、焦循の手筆本と蔣氏のごとく認めてよいかは、本書の價値をも左右する大きな問題である。また、筆者は書物として受ける印象から、書寫年代を「清末」と判斷したのであったが、蔣氏はこれを「未だ据る所を知らず」と指摘された。書寫年代は當然、焦循手筆本か否かによっておおよそ定まる。そこで、これに關しては後に檢討することとし、ひと先ず次に本書の書誌事項を記しておきたい。

『詩話粋金』表紙画像
原表紙(白黒)

〔詩話粹金〕 不分卷 〔清焦循〕編 清寫 六册
 後補暗褐色表紙(27.5×16.0糎)。左上に「詩蒼碎金」との外題、右下に「幾 共六册(「六」字修正の筆迹が認められる)」という墨書がある。第一册のみ丁子色原表紙(26.0×16.0糎)を存する。これには左上に「詩話粹金」、右上に「共六本」、右下に「江都焦里堂訂稿」と墨筆をもって題されている。本文料紙は、欄上を1.5糎ほど出して裏打ち補修が加えられる。竹紙。字面高さ約19.6糎。毎半葉無界9行、各行21字、小字雙行、一筆書きの精鈔本。

本書は本文中に書名、編撰者名を記すことがなく、また序跋題識の類いも見えない。ただし内容は蔣寅氏の解題の通り、『隨園詩話』の拔粹、『二十四詩品』全文鈔録、『古詩源』の拔粹になっている。すなわち第一册(28丁)には『隨園詩話』卷一から卷五の半ばまで、第二册(31丁)は、その後半から卷十まで、第三册(28丁)は卷十の末から補遺卷一の半ばまで。第四册(27丁)は補遺卷一の後半から補遺卷六まで【注1】。第五册(29丁)は補遺卷七から補遺十までを收め、續いて21丁裏から「司空表聖二十四詩品」を25丁裏まで録す。さらにその後「古詩十九首」と蘇武詩四首の撰者名・詩題を録す。第六册(32丁)は蘇武詩の本文に始まり隋の無名氏「送別詩」に至る。第五・六册に收められた詩と評注は、沈徳潛『古詩源』に一致しており、蔣寅氏の見解のごとく『古詩源』から選録されたものである。全册、隨所に頭注が施されている。筆迹は本文と同一。また朱圈をもって斷句、評點が本文・頭注に加えられている。

 

『詩話粹金』
立命館大学文学部所蔵『詩話粹金』(白黒)




三 本書は焦循の手筆本か

さて先に引用した蔣寅氏の「東瀛讀書記」に「焦循、著述極めて豐かにして、身後遺す所の稿本も亦夥しく、臺灣曾て其の手稿多種を刊す」と言及されている臺灣出版の手稿本とは、民國63年(1974)文海出版社影印の『清代稿本百種彙刊』所收『雕菰樓經學叢書』五十卷(舊國立中央圖書館、現國家圖書館所藏)を指しているようだ。この底本は楷書、行書取り混ざった自筆本で、焦循晩年の筆録にかかる箇所もある。左右の拂いの終筆を鋭く延ばす筆勢に特色がある本書とこの影印本の筆迹とは、一致するようには思われない。

また『國立中央圖書館・善本題跋眞迹』(民國71年、該館刊)には焦循手筆として、『東海雜劇目録』の識語(嘉慶2年、1797。該書3,212・3頁)、『程氏演繁露』の識語(同5年。1,405頁)、鈔本『席帽山人遺集』および識語(同11年。2,759・6頁)の圖版が見られるが、これらも本書の筆迹と異なっている。京都大學人文科學研究所にも焦循手識本の清潘耒『類音』が藏せられているが、やはり筆迹の一致を見ない。さらに最近、『北京圖書館古籍珍本叢刊69』として影印された、焦循自筆稿本『里堂道聽録』四十卷【注2】(嘉慶19年序、20年修補)と對照しても合わない。

焦循手稿本『雕菰樓經學叢書』 焦循手稿本『席帽山人遺集』
焦循手稿本『雕菰樓經學叢書』 焦循手稿本『席帽山人遺集』

筆迹の鑑定は容易でなく、往々、同一人でも年代によって著しく變化することもある。本書も焦循の乾隆年間(彼の生年は乾隆28年、1763)の若書きゆえに、上記の管見に及んだ嘉慶以降の手寫にかかるものと相違するという推定があるいは可能であるかもしれない。しかしながら、本書には『隨園詩話』補遺卷十の嘉慶丙辰(元年、1796)の記事を録しており、本書は嘉慶以降の『隨園詩話』に基づく拔粹と考えられる【注3】。したがって本書が焦循手筆本であれば、右に列記した嘉慶年間の諸種の筆迹と大差ないはずであろう。しかるに既述のごとく筆迹が合致しないからには、本書を焦循手筆と判斷することはとてもできないのである。

以上の考察の通り本書は焦循手筆本ではなく、また彼の識語の類いも録されていないので、資料的價値を保證する面において不安を抱かざるを得ない。しかし、原表紙の「江都焦里堂訂稿」という題署を信ずるならば、本書は彼の拔粹本を轉寫した重鈔本と見なし得る可能性が十分に殘されている。それゆえ全く資料的價値が乏しい鈔本と速斷することは避けねばなるまい。

焦循は著述に勵むかたわら、廣範な讀書を行うだけでなく、丹念にその要點を書き拔いている。それを編集したのが、先にも擧げた『里堂道聽録』である。その自序の一節に、

經史子集を論ずると無く、以て小説詞曲に至るまで、必ず詳讀して再に至り三に至る。心に契する所有れば、則ち之を手録す。二三十年を歴て、二尺許りに盈つ。

という。さすがに鴻儒だけあって『里堂道聽録』には經學類の拔粹が多いが、右の序にもいう通り詩文集からの摘録も少なからずある。たとえば卷二十四「詩賦」の條は、費錫璜の作品集から序を拔き書きしたもので、本條の冒頭には彼の古文の「專録本」も作った旨が記されている。また卷二十九には李調元の『雨村詩話』から抄出した條もある。なお焦循は、拔粹のみならず、樣々な書籍の寫本も多くのこしている。先に擧げた『席帽山人遺集』のほか、湖北省圖書館にも『焦理堂先生叢鈔四種』が藏されている(1998年、華中理工大學出版社『館藏古籍稿本提要』1,655番)

このように焦循が拔粹や手鈔を廣範圍かつ數多く行っていることを顧みるならば、『隨園詩話』『古詩源』を拔き書きしたとしても、何ら不思議ではないであろう。『二十四詩品』においては、少年の頃に焦循が父から意義深い書物であることを教えられ、「受(さづ)かりて之を録し、諸(これ)を篋中に藏すること二十餘年」であったと「刻詩品序」(『雕菰集』卷一五)に記されているから、手鈔を行ったことは疑いない【注4】。また、これら三書は坊刻本もあり、とりわけ『隨園詩話』『古詩源』の場合、わざわざ節略本を轉寫する必要はないように思われる。それにもかかわらず後人が重鈔を行ったのは、大儒焦循の手筆に着目したこともさることながら、その注を重んじたからであったと推測できる。原表紙に見える「江都焦里堂訂稿」という題署は、決して妄りに書き加えられたものではあるまい。本書『詩話粹金』に收められた三書の鈔録がもと焦循の手になったと確實に證明することは困難であるが、かといって「江都焦里堂訂稿」という傳來を否定し去ることもできないであろう。

性靈説を唱えた袁枚の『隨園詩話』、王士禛の神韻説を導いたとされる『二十四詩品』、そして格調派の沈徳潛編『古詩源』が拔粹鈔録をもって一書にまとめられたのは、あたかも清代を代表する詩論を説いた三人が一堂に會するかのようで誠に興味深い。ただし、かように三種を編して「詩話粹金」と題したのは、この外題も焦循筆ではないので、後人の考案するところであったと思われる。したがって本書は、(傳)焦循『詩話粹金』と見なすのが穩當であろう。なお、本書が清代中期、乾嘉の學者である焦循手鈔に基づく後人の重鈔本となれば、その轉寫時期を清末と推測したのはあながち誤りであったとはいえまい。ただし、時代を下げ過ぎたきらいもあるので、年代の幅をもたせ、清代後期と修正しておきたい。 




それでは最後に『二十四詩品』に施された頭注を附録し、本書の一斑を紹介しておこう。

附 録

凡 例
品目の次第および句讀は原本に從う。原文の小字音注は( )で括り、蟲損による缺字は□で示し、文字が推測できれば〔 〕を附し補った。また○印を加え適宜、注文を區切った。

附司空表聖二十四詩品【注5】

【雄 渾】腓(肥)易咸二爻。咸其腓。程傳曰。腓。動之義。如足之腓。身動則隨而動。腓。脛後肉。腓膓也。又倚也。詩小雅。四牡騤騤。小人所腓。言卒徒隨車如腓也。○渾。水流聲。○武力過人曰雄。○充。塞也。滿也。○健。強有力也。○荒荒。視不明。○寥。空虚也。○超。越也。○躍。過也。
【纖 濃】采。始求之也。○蓬蓬。盛貌。蓬生最繁。往往彌望。故凡叢茂者似之。詩小雅。維柞之枝。其葉蓬蓬。○窈窕。幽深間靜之意。○乘。御也。駕也。登也。○凡事物微細者曰纖。
【仲 淡】機。要也。密也。後漢馮衍傳。達萬機之變。○荏苒。侵尋積漸也。魏書彭城王傳。離違清挹。荏苒至今。李順傳。荏苒之間。遂及〔于〕此。○載。承也。勝也。○脱。〔或然〕之辭。○沖。〔玉〕篇。虚也。○淡。濃與鹹之反。説文。薄味也。
【沈 着】無注
【高 古】度人經。惟有元始〔浩〕劫之家。部制我界。註。浩劫。宮殿大階級也。杜甫玉臺觀詩。浩劫因王造。平臺訪古遊。註。浩劫。階級也。○窅(杳)深遠貌。佇。説文。久立也。○畦。説文。田五十畝曰畦。又區也。○落落。不相入。後漢耿弇傳。落落離合。
【典 雅】無注
【洗 錬】磷(隣)。去聲。石相歴毀磷也。○儲。也。(庤)池上聲。具也。○載。屢也。小雅載號載呶。
【勁 健】茹。噬也。詩大雅。柔亦不茹。又啜也。禮運。飮血茹毛。(如)○蓄(旭)蓄積也。詩邶風。我有旨蓄。亦以御冬。○喩。學記。善教者其言約而達。罕譬而喩。註。比方辭少。感動意多。梵言。阿波陀那。此云譬喩。文句云。譬者比況。喩者曉訓也。○勁。説文。強也。増韻。堅也。
【綺 麗】殫。(單)説文。殛盡也。増韻。竭也。
【自 然】大鈞。天也。賈誼傳。大鈞播物。
【含 蓄】淥。水清。○忽。禮樂志。清風軋〔忽〕。註。〔長遠〕貌。韓安國傳。迺益東徙。意忽忽不樂。○悠。遠也。思也。憂也。
【豪 放】無注
【精 神】漪。廣韻。水文。
【縝 密】縝。(軫)結也。縷也。密緻也。禮聘義。縝密以栗。知也。○晞。乾也。
【疎 野】不羈之士。言才高識遠。不可羈係也。○率。大略也。漢宣帝紀。率常在下。註。顏師古曰。率者。總計之意。又約數也。綱目。秦〔衞鞅〕定變〔法之〕令。民有軍功者。各以率受爵。爲私鬪者。各以輕重被刑。正誤云。率。數也。猶差等也。
【清 奇】無注
【委 曲】杳。説文。冥也。廣韻。〔深〕也。寂也。○靄。説文。雲貌。○羌。語端辭。○漩。與同。(旋)水回也。水之〔流〕緩則直。急則曲。又霰韻。旋去聲。義同。韋莊峽程記。急流有漩。舟緩櫂隨漩乃得出。不與水爭。爭則舟沒入水。○洑與澓同。(服)水回流也。一曰。伏流。○翔。回飛也。
【實 境】無注
【悲 慨】摧。挫也。○憩。息也。○浩。大水盛貌。禮王制。有餘曰浩。註。猶饒也。○彌。益也。久也。甚也。遍也。易繫辭。彌綸天地之道。
【形 容】嶙峋。山厓重深貌。師古又曰。節級貌。言山有起伏也。○契。合也。
【超 詣】無注
【飄 逸】矯矯。高擧貌。漢書敍傳。賈生矯矯。弱冠登朝。○絪縕。元氣交密之状。易繫辭。天地絪縕。萬物化醇。○垠。岸也。○落落。不相入。後漢耿弇傳。落々難合。
【曠 達】峩。山高大貌。
【流 動】輨。(管)説文。轂〔袈沓〕也。増韻。車轂耑鐵。

 

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