第12回 2007.7.7
丸山 茂雄 先生(鰍ノ・よん・なな・みゅーじっく代表取締役、元ソニー・ミュージック・エンタテインメント社長)
テーマ「web音楽市場進化論」

講師:丸山茂雄(まるやま・しげお)氏

1941年に生まれる。
1966年、早稲田大学商学部卒業
1966年、株式会社読売広告社入社
1968年、CBSソニーレコード(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社
1978年、EPICソニーレコード設立、企画制作2部次長
1993年、ソニー・コンピュータエンタテインメント設立、代表取締役副社長
1998年、ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長
2003年、株式会社に・よん・なな・みゅーじっく設立、代表取締役

 

web音楽市場進化論」


はじめに

この講義では毎週ちがう講師の方々に来ていただいていますよね。しかしなぜじじいとばば…いや、レディしか来ないんだろうかと、みなさん思われると思います。それはまあ、私のように60年近くの記憶の歴史を持っている人からすれば、世の中の移り変わりや世界情勢などをつぶさに見ることができるからです。みなさんは二十歳くらいだと思いますので、持っている記憶は5歳前後からのだいたい15年間くらい、言ってみれば時間としての歴史は15年ぐらいしかないわけです。そのなかでもいろいろな経験があるかもしれませんが、私の年代にはかないません。

私が生まれたのは1941年。この年は日本がアメリカと戦争を始めた年でもありました。私が4歳のときに日本はアメリカに敗戦し、広島・長崎に原爆が落とされました。私は4歳ですから当然記憶はありませんが、後々にそれを知ることになる。そういった時間の流れや人の考え、あるいは経済の変動や文化の変化などには、ずっと振り返って見てみると、ある種の法則があったりします。それにずっと生きていると、どのように世の中が変化するか、また人の心はどのように移ろいやすいのかということを見ることができるわけです。だからこういう場所でお話をするときに老人が多いというのはやむを得ない。みんな私と同年代。いろいろなことを知っているという「経験」は、君たちと比べるとはるかに上。なので、偉そうにいろいろなことが言えるわけです。しかし、みんなはそれを聴くのに何も覚えてない。そしてそのうち年をとっていき、今の私や先週まで来て話してくれた先生方のような心境になるわけです。ようするに「せっかくだから、早いうちにこれをみなさんに伝授しよう」とか思うんだけど、若い人は無意味だと思って聴いてない。これが歴史ですよね。面倒くさいこと言ってますが、つまり私が何を言いたいかというと、私がこれから話すことが面白くなくても最後まで聞けよ、お前ら。ということです。

 

1.ブログを書かなくなった理由

 私はここ2年ぐらいブログをやっています。ブログなんて知らなかったのですが、「mF247」というサイトを始める当時、ある会社の女社長の方から「丸山さん、新しいことをやるんだったら“社長ブログ”というのをやったほうがいいですよ」と言われました。最初の2、3日は日記風の文章を書いてみたけど、ちょっと違うなと思いました。そして今はわりとまじめな、自分が仕事に対して考えていることを書いています。

すると梅田望夫さんという方から「あんたのやってること、面白いね」とコメントをもらいました。彼は去年『ウェブ進化論』という本を出して大ベストセラーになったのですが、その方のことを私はよく知らなかったんです。しかし梅田さんという人は、どうやらインターネットの世界では尊敬されている人らしく、そんな方からコメントをもらったものだから「丸山のやっていることはまともだ」という判断が出て、梅田さんを信用している人たちがみんな私のブログに来てくれました。そして「あなたが本当にやろうとしていることはこういうことだ」と教えてくれたんです。このとき初めて、インターネットの凄さと怖さを知りました。それから、その方たちに教えてもらったことを片っ端から取り入れてみたわけです。そして「mF247」という音楽配信サイトを立ち上げました。

そのブログには、私が音楽ビジネスという世界で生きてきて思ったことを書いています。音楽ビジネスにはレコードビジネスもあれば配信もある。その配信にも携帯電話とPC系があります。レンタルの問題なんか20年くらい考えてきました。ほかにも、アーティストのコンサートやライブハウスのビジネスなどもありますね。カラオケビジネスなんて、レコード会社からすれば関係のないものと思っていたのに、今やレコードビジネスが束になってもかなわないくらい大きなビジネスになってしまいました。そしてこのなかでも一番大事なのは、モノをつくっている人たち。なぜかというと、歌をうたうことよりも曲をつくることのほうが尊敬されると、古今東西が考えているし、そういう風に決まっている。それが著作権です。以上を全部ひっくるめたものが音楽のビジネスで、私はこの音楽ビジネスを40数年間やってきました。それを全部まとめて考えたときのことをブログに書いているわけです。

ところがこの2ヶ月間、ブログを書いていません。どうしてかというと、「音楽というものは一体なんなんだ」というものすごくプリミティブな疑問にぶつかっているからです。私はもうすぐ66歳ですが、この年にもなると世の中のことはだいたい分かるだろうとみなさん思っているかもしれない。しかしまったくそんなことない。この年になってもみんなが悩んでいるのと一緒です。私の家内なんかは、私が「煮詰まってるんだよね」とか言うと「それはあんた、老人性うつ病よ」とか軽く言っちゃう。「そんなこたねえだろう」とか、「そういうこともなくはないかな」とか思いつつも、一応自分の愛してきた音楽のビジネスがこれから一体どうなっていくのか、どういう風に考えるべきなのか、ということについて悩んでいるわけです。その悩みの背景には何があるかというと、歴史です。

 

2.音楽の歴史は音量の歴史

 僕らの歴史は恐ろしくヨーロッパに影響されています。世界の歴史には日本の歴史、中国の歴史、韓国の歴史、インドの歴史など、いろいろな歴史があります。それにアメリカ大陸が発見される以前にもアメリカには先住民がいたけど、そのような歴史はあまり重要視されない。われわれは明治維新このかた、良い悪いはともかく西洋の歴史をベースにして世界を見る「癖」があります。産業革命以降、世界のどの地域よりもヨーロッパとアメリカが経済的に世界をリードしてしまった。だから、世界史というと基本的にヨーロッパ・アメリカの歴史だとみんな勘違いしていますね。

産業革命は1750年以降の話だから、ここ約2半世紀は、ヨーロッパ・アメリカがものすごく強い期間だった。その間に僕ら、あるいはほかの世界の人たちは「歴史というのは常に進歩する」という時代に生きていました。科学技術の進歩があり、経済理論の進歩があり、農業生産技術の進歩があり、人口がどんどん増えるにもかかわらず、生活の向上は一応ある。とくに20世紀に入ってみたらそれはもっとはっきりとした。もちろんその間に戦争もあったけれども、その戦争もある種の科学技術の進歩だよね。ミサイルというのはもともと第2次世界大戦のときにドイツがロンドンにロケットをぶっ放したことから始まった。これが今の、月のほうに飛んでいくという方向に移行したわけです。自動車だってそうだけど、基本的には技術の進歩があった。でもまあ、ここではそういうものは抜きにして、音楽の歴史だけにしましょう。

みなさんは音楽というものを2つに分けていて、それはクラシックといわゆるポップスです。だけど、みなさんが好きなヒップホップも突然出てきたわけではなく、さかのぼればラモーというヨーロッパのオペラの作曲家にたどり着くわけです。そこから現代まで来ている。そのことをわれわれは忘れがちですね。ラモーといえば、私は去年の10月にラモーのオペラを観に行きました。彼が活躍したのはバッハやヘンデルの時代ですから、1700年代前半の作曲家の一人です。そのオペラを聴いていて気付いたことは、音楽の歴史とはある側面では、音量をどれだけ大きくできるかとう歴史だったということです。音楽の歴史というのはいろいろな角度から見ることができますが、僕のいう「音量の歴史」をちょっと説明します。

 


(上の資料は丸山氏が講義中に使用したものです)

音楽というのはもともと贅沢なもので、バッハの時代なんかは基本的には貴族のため、王様のためにありました。宮廷などの大広間で音楽を演奏するときには、聴いている人が100人いてもそれなりの大人数で演奏できたので、一応音は聴くことができた。ところが1760年代に産業革命が起こってから、王様や貴族とは違う別の金持ちが出てきた。その人たちも音楽が聴きたいと思ったんだけど、大広間に招待されるのは特殊の人だけで彼らは招待されない。というわけでコンサートホールをつくった。このとき、音楽を1000人単位で聴くというかたちに音楽文化が変化した。1000人に聴かせるには音のボリュームを大きくしないと聴こえない。ということでまず、オーケストラの人数を30人から80人くらいに増やした。それから楽器を改造した。バイオリンでも形そのものは同じなんだけど、「駒」という弦を支える板を高くしたりと、音を大きくするための改造がなされました。ピアノなんか一番極端で、チェンバロからピアノフォルテになった。そもそも「フォルテ」って「大きい」という意味だからね。音を大きくしたら、ショパンやリストなどの作曲家が名人芸を披露できる曲をつくり始めた。楽器から地味な音しか出ない時期は地味な曲しかつくられなかったのに、楽器の音が派手になったら、その音に合わせて彼らの名曲が生まれたというわけ。この講義でもマイクロフォン使いますよね。マイクなしで喋ったらみんな聴こえないんだけど、マイクを使えば何人でも聴こえる。野外コンサートだって何万人でもオーケーでしょ。何万人でもいい上に、楽器がエレキになった。こんなふうに、たくさんの人に聴こえる音楽というものがどんどん出てきました。

 

3.新しいテクノロジーは生まれるのか?

1950年代にエレキができてロックが生まれました。ところが、ロックは1970年代の終わりにはもう限界が来ていた。ビートルズ、ストーンズなどいろいろと出たものだから、次に出てくる人たちはやることがないわけです。やることがなくてロックはどうなったかというと、パンクになった。当時私はエピックソニーという会社をつくって、日本のロックを始めました。そのころの音楽界をつくったのは何かというと、コンピューターです。この時期は日本も進んでいて、坂本龍一らのYMOあたりが世界とほとんど同じ時期にコンピューター音楽を始めました。コンピューターという新しいテクノロジーを使った音楽を、世界と同じ時期に、世界と同じレベルでスタートするという史上初の快挙を成し遂げたんですね。1868年の明治維新以降、西洋文化を取り入れながら進んできた日本が、約100年経ったところでついに、西洋と同じスタートラインに立つことができたわけです。

しかしそれから20年以上経っても、コンピューターに代わる新しいものは出てきていません。エレキも1950年に出てきて1970年後半には煮詰まっていましたが、同じことがコンピューターにも起こっている。次のものが出てきていないんです。簡単にいうと、今つくられている音楽の大部分というのは、ロックの時代でいうとパンクと同じです。パンクに明日はあるのだろうか。僕は、音楽というのは完全に煮詰まっちゃっていると思ってます。1970年代の後半にロックが煮詰まってパンクに移行するしかなかったのと同じことが、今また起こっていると思う。これを突破するには、新しいテクノロジーが出てくるか、新しい楽器が出てくるか、これひとつしかありません。でないと、パンクをやり続けるしかない。俺はいいんです、悪いけど。だって早ければ4、5年、長くても20年くらいでどっちにしろ死ぬわけですから。それに大変申し訳ないけど、私は非常にいい時代に生きているのでビートルズを聴けば涙が出るし、プレスリーを聴けばキュンとくる。だけどきみたちのようにパンクから聴き始めた世代には、貧しい音楽の歴史しか残っていない。さて、言い切ってしまったので、一体どうしたらいいのかということを一生懸命考えているんだけど、その答えがどうしても出ないんです。

 これは何も音楽に限った事ではありません。20世紀というのは常に、明日は新しいものが生まれて世の中が進歩すると思ってた。でも2000年に入ると、どうも違うらしいと分かってきました。新しいものはもう生まれないんじゃないか。たとえば携帯電話は前世紀の終わりに出てきたけど、「すげーっ!」と思ったよね。最初は会社が買ってくれた重い携帯電話を、誰も持ってないから偉そうに使ってた。ここにも来てくれた、音楽業界で一番有名なあのユニバーサルミュージックの石坂さんなんかも、すぐそばに普通の電話があるのに会社のなかでも携帯使って、業界で「あいつ、かっこつけすぎだよな」とからかっていたくらい携帯はかっこよかった。でも今は全員持ってますよね。持ってない人なんかいない。それに機能はどんどん良くなる。着メロがあって、着うたができ、着うたフルになり、動画も見れるしゲームもできる。ところが次に出てくる新しいものはみんな予想できる。今新しい携帯電話が出ても、みんなの頭の中ではこのくらいに進化するだろうという予測が勝手にできちゃってるわけです。で、発売されるとやっぱりそのくらいの進化しかしていません。かっこいいと思わないですよね。単なる当たり前の進化でしかない。

プレステも同じ。1代目がデビューしたとき、3Dのキャラが動くというのは13年前では考えられなかったことだったから、それを実現できた上に5万円を切る値段で発売できたということは、当時としては驚異的なことだったわけです。だからかっこいいといわれた。ところが今回発売したプレステ3になると、確かにきれいだけど携帯電話の進化と一緒です。つまり、3代目はこの程度だろうとみんな思っているからびっくりしない。「うん、きれいになったよね」の一言で終わり。テレビもそう、新幹線もそうです。あらゆる進化は、もう「想定内」なんです。進歩もしてるけど本当はしてない。着うたが出てきて、着うたフルになっても、たいした違いはありません。これから先、一世を風靡する新しい技術なんて出てこないと僕は思ってます。音楽でも新しい技術が出てこないから、同じところをぐるぐる回っているわけです。ヒップホップをやっている方々は新しいものやってると思うでしょうが、はっきりいって別に新しくないですよね。

何を偉そうにと思うかもしれないけど、言っとくけど日本で初めてヒップホップとかラップ音楽をやったのはこの俺ですからね。私は1988年に、藤原ヒロシ、高木完、工藤昌之屋敷豪太、中西俊夫、いとうせいこうなどを一気に集めて、メジャーフォースというレーベルをつくりましたが、このレーベルは結構有名だったんですよ。ロンドンとか世界でも有名。今でもメジャーフォースをつくった人ということで、私は結構尊敬されてます。そのメジャーフォースを始めて20年が経っているけど、何も変わりません。やばいですね。

 

4.「聴く音楽」

この間ある女の子が「最近の曲は難しいし長いから着うたでサビだけ聴いている」と言うので、「それだと一曲全部歌えないんじゃないの」と聞くと「うん、歌えないからカラオケではサビだけ歌ってる」と言うのです。本当にびっくりしました。音楽産業に携わっている私としては大変なことが起こっていると思ったんです。たしかに最近の音楽って長いし難しいですよね。僕は「うんだらくんだら」という言い方をするのですが、最近の曲は7分も8分も「うんだらくんだら」やっている。ビートルズなんかを聴くと1コーラス、2コーラス、3コーラスという展開はありますが、基本的に1コーラスは1分以下です。サビなんてない。サビがないということは、Aメロ、Bメロがいいからそれでも立派な曲になっていたということです。当然日本の音楽はビートルズやプレスリーの影響を受けています。

ちなみに影響を受けているということは、ある意味で「パクってる」わけじゃないですか。でも「パクる」ということは、モノをつくるということの原点ですよ。この講座はJASRACの寄附講座だから大きな声では言えませんが、あらゆる文化というのは必ずコピーから始まっているわけです。「パクる」と言うから下品なだけで、「インスパイアされた」とか「刺激を受けた」とか言えばいいわけですね。しかしそのように影響を受けた場合にも、全体のバランスを考えることが必要です。全部が引用されたものだとだめ。そうしてできたものが、新しいものとして認められる。

そうこうしながら、日本音楽において独自の「サビ」ができました。今や、サビの次にさらに「大サビ」まであります。諸外国ではほとんど見られない独特な発展を、日本はしてきたわけです。つまり、ずっと「うんだらくんだら」やっているわけです。

今一番ポピュラーな音楽は、ダンスミュージックです。このダンスミュージックというものは、音楽を聴くのが目的なのか、ダンスをするのが目的なのかどっちでしょうか。たしかに踊るためなら短い曲だと踊れません。ビートルズの時代は「聴く音楽」だったから短くてよかったけど、今は「踊るための音楽」だから長いのかもしれない。とするならば、「聴く音楽」もあるはずです。そして、それはどのようなものか。とういことで、俺がつくったやつを聴いてください。(以下の4曲が流れました)

●『わおん』饗庭純(あいば・じゅん)
●『予想通り』秋山羊子(あきやま・ようこ)
●『風に寄せて』パウンチホイール
●『となりの寝顔』妃田智(ひだ・とも)

 これは全部、47秒です。これじゃ踊れませんね。「聴く音楽」です。どうして47秒にしたかというと、配信するのに1分以内だと音質を劣化させずに配信できるんです。だからといって「サビ」だけなんて、頭にきますね。音楽は「フル」じゃないといけない。一応音をつくっている側の人間としては、美味しいところだけつまむなよ、という感じなんです。言いたいことを47秒という「尺」のなかでつくれないことはない。そして47秒でグッとくるためには歌詞を大切にしているわけですが、そうこうしているうちに、詞といえば短歌があるなと思いつきました。

俵万智は『サラダ記念日』で20年前に鮮烈なデビューをしましたが、その後も短歌を書き続けています。彼女の短歌は、短歌でも万葉集や平安時代のものではなくて、現代短歌です。それを歌ったらどうなるか、ということでつくったのがこれです。これが、くるんですよ。(『チョコレート革命』より3首が流れました)

 ●「TANKA」俵万智(たわら・まち)『チョコレート革命より』歌:舩木真弓(ふなき・まゆみ)

  これも「聴く音楽」です。「聴く音楽」というのはすごく短くてよくて、同じことを繰り返す必要もない。この『チョコレート革命』というのは全部で43首入っているのですが、簡単に言うと不倫の歌です。これも配信しますが、さらにプレゼントする機能をつけますから、ここにいるみなさんのなかで年上の彼氏がいる方は相手にポンと送りつけるだけで、男はこれを聴いてほとんど悶絶状態に入ります。余計なこと言う必要もなく、男をひどい目に合わせるのにうってつけです。非常に便利ですね。私の頭の中では『チョコレート革命』ではなく、『ブラックメール』ですね。

 

5.メディアにあった音楽のかたち

 音楽というのは今、主役の座を降りてしまっています。みんな、携帯からイヤホンやヘッドホンを通して聴いています。でもそれは、首から下を無視してますよね。僕たちは「音波」を大切にしているんです。たとえば「音圧」で楽しむ音楽ならばライブやクラブで聴く音楽でもぜんぜん構わないと思っていますが、「聴く音楽」というのは、ほとんど聴こえないような「音波」も音楽の有効な部分のひとつとして扱っている。音楽は、音圧を感じて踊るための音楽と、詞をじっくり聴くための音楽という2つに分かれつつあるんだろうと思っています。「聴くための音楽」ならば、ハード面ではiPodや携帯電話などになるだろうと思います。そして「それに合わせた音楽とは何なのか」ということの実験が、この「47(ヨンナナ)」です。

新しいメディアによって新しいソフトができる。新しい技術によって、新しい音楽ができる。この繰り返される歴史を振り返ると、今のメディアは携帯電                                                                  話なんだから、これにあった音楽形態はなんだろうということを考える必要があります。もっとも新しく、そして一番便利なものはなんだろう。そのメディアに何が一番向いているのか。音楽だったらどういうかたちものが一番携帯電話に向いているんだろう。どういうものがみなさんを一番楽しませることができるんだろうか。そんな風に、僕は考えています。

 

―参考ホームページ―
mF247 http://www.mf247.jp