第13回(最終回) 2007.7.14 反畑 誠一 先生(音楽評論家、立命館大学客員教授)
テーマ「国際音楽市場研究 〈アジア編〉 ―ヒット曲の創出と可能性を探る―」


講師:反畑誠一(たんばた・せいいち)氏

音楽評論家。
立命館大学産業社会学部客員教授(本講座の他「現代メディア運営論」を担当)。
 (社)全国コンサートツアー事業者協会 理事。
日本レコード大賞 常任実行委員。芸術選奨推薦委員。
音楽コラム「ヒットの周辺」(京都新聞など26紙掲載)など多数執筆中。
FMラジオ「反畑誠一の音楽ミュージアム」(全国コミュニティFM56局ネット)のパーソナリティ、テレビ情報番組「うたナビ21」(京都放送など13局ネット)のナビゲーターを務める。
アジア音楽市場調査・研究の第一人者でもある。


 

国際音楽市場研究〈アジア編〉
〜ヒット曲の創出と可能性を探る〜



はじめに

 これまでいろいろな先生が、西洋と東洋の音楽、あるいはそのマーケットの比較などについて説明されたと思いますが、私は国際音楽市場研究のなかでも「アジア」に的を絞ってお話をしようと思います。どうしてアジアをテーマにするのかというと、各先生方から「今はCDが売れない」とか、「日本の音楽市場は縮まっている」というお話をたくさん聞きました。ではどこへ市場開拓をしていけばいいのかというと、それはアジアだと思うのです。

去年、あるフォーラムで来日したマレーシアとタイの音楽関係者が「自分たちの国だけでは、アーティストは食べていけない」と言いました。日本のマーケットに進出しなければ、その国のミュージシャンは存在できない、と。日本には多数のアーティストがいますが、海外へ進出しなくても生活していけます。日本は自国の市場だけで完結してしまっている。しかしこれからは、日本だけで成功するのは難しいだろうと思います。今後のことを考えると、海外市場に注目しなければならないと思うのです。どのようにアジア市場を捉えていくかということですが、アジアと言っても非常に広い。そこで「ASEAN+3」をテーマにしようと思いました。私にこのテーマを与えてくれたきっかけになったのは、そのフォーラムだったのですが、端的には、アジアで「音楽のASEAN+3」をつくろうという考えです。

 アジアの市場規模はどのくらいかというと、人口は20億。この20億人の総生産高は、概算しただけでも880兆円になります。とてつもなく大きなマーケットですね。そのなかで私が考えたキーワードは「ネオコラボレーション」。つまり、アジアで新しいコラボレーションができないだろうか、という意味です。それによってアジアのオリジナリティをつくっていくこと。今までは、たとえば一緒にステージで歌うとか、あるいは一緒にCDをつくるといった「競演」が中心でした。しかしこれからは「アジア・オリジナル」の創出が求められている。そして、世界へ進出していく。以上のことをテーマに、今日は話を進めていこうと思います。


1.アジア

1)アジアとは

アジアというのは、いったいどこまでがアジアなのでしょうか。アジアとは、六大陸の一つであり、東半球の東部を占め、面積は約4400万平方キロメートル。世界陸地の実に3分の1を占めています。人口は約38億6000万人(2005年の調査)で世界人口(64億7700万人)の2分の1以上です。東は日本、北はシベリア、南はインドネシア、西はトルコ・アラビアにわたる地域(「広辞苑」より)から成り立っています。西側にはウラル山脈がありますが、この山脈より西をヨーロッパ、東側をアジアと定義付けています。アジアと一口に言っても、これくらい大きな規模の地域だということを、まずは頭の中に入れてください。


2)ASEAN

ASEANという言葉はよくニュースなどでもでてきますが、日本語では「東南アジア連合」です。国名はミャンマー、ラオス、タイ、ベトナム、カンボジア、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアの10カ国が加盟しています。1967年のバンコク宣言から地域連合がスタートし、1997年に日本、中国、韓国が加わり「ASEAN+3」になりました。ASEAN+3の国々のあいだで最も注目すべきは言語です。加盟している13カ国のほとんどが、それぞれ異なる言語を持っているのです。これは非常に重要な課題になると思いますので、ぜひ知っておいてください。それから宗教です。仏教を中心として、新旧キリスト教やイスラム教など多様な宗教があります。


3)アジア音楽市場の変遷

 以下がざっとまとめたここ30年の歩みです。この30年の間でも、これだけ様々なことがアジアの音楽市場で起こっています。

1970年  日本万国博覧会EXPO’70が大阪千里丘陵で開催。
1972年  冬季オリンピック札幌大会開催。→ オリンピックとは、近代国家に近づくための大きなイベントです。来年の北京オリンピックに注目。
1970年代 日本企業のアジア進出。「NHK紅白人気」。第1期J-POPブーム。
1980年代 第2期J-POPブーム(アイドル&ニューミュージック)。
1984年  @「PAX  MUSICA」。谷村新司(日本)、チョー・ヨンピル(韓国)、アラン・タム(香港)が、ソウル、香港、東京で音楽交流イベントを開催。
1980年代 ワールドミュージック(非西欧的音楽)ブーム。
1990年代 日本の「トレンディドラマ」ブーム。第3期J-POPブーム。
●中華圏四天王=アンディ・ラウ(劉徳華)、アローン・クオック(郭富城)、ジャッキー・チュン(張学友)、レオン・ライ(黎明)ブーム。
1992年  Aオリエンタル・ポップ・オペラ「NAGRALAND」。シンガポール、香港、日本で上演。
1993年〜 日本のバブル崩壊。
1995年〜 IT時代へ。インターネットの普及。香港MIDEM開催。
1997年  香港中国返還。アジア通貨危機(タイ、インドネシア、韓国)。
2002年  サッカーW杯日韓共催。韓流ブーム。→ これが元になって韓流ブームが始まる。
2004年  韓国・「日本語」全面解禁。●還流防止措置施行。
2005年  B「反海賊盤追放コサート」。上海八万人体育場
2005年  愛知万国博開催。
2007年  日中国交正常化35周年記念「日中スーパーライブin北京」開催。著作権「認証機関」発足。
2008年  夏季オリンピック北京大会開催(予定)。


 2.アジアのオリジナリティ

1)「パックス・ムジカ」

 「パックス・ムジカ」とは「パックス・ロマーナ」を語源にして、音楽を通じたアジアの仲間たちとの交流イベントとして企画されたものです。発案者はキョードー東京の故内野二朗社長で、主旨に賛同した谷村新司(日本)、チョー・ヨンピル(韓国)、アラン・タム(香港)というスーパースターのコラボレーションが実現しました。東京の後楽園球場(現東京ドーム)を皮切りに、香港コロシアムやソウルの88体育館へ巡回しました。また内野氏は1980年、アリスとともにタイ・バコクのサマート大学でチャリティ・コンサートを行っています。このアリスとはどのような音楽なのでしょうか。ちょっと聴いてみましょう。

●視聴曲@アリス「遠くで汽笛を聞きながら」1976年、作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄

 

 この曲は、韓国で上演された際異常なほどの反響を呼びました。日本語、つまり外国語であっても彼らには伝わるものがあったのだと思います。私は、日本の音楽がどのようにアジアに伝わっていったのか、あるいはその音楽がアジアの人の心をどう捉えたかということを考え、「日本発アジア行き創作ミュージカル3作品」にスポットを当ててみました。上演作品は「NAGRALAND」(1992)、「香港ラプソディー」(1993)、「李香蘭」(1992)です。このなかの「NAGRALAND」について少しお話をします。

 

2)日本発アジア行き創作ミュージカル「NAGRALAND」


●音楽/原作/主演=ディック・リー(シンガポール)
●演出=クリッシェン・ジット(マレーシア)
●振付=マリオン・D・クルーズ(マレーシア)
●衣装=ヤン・ディロン(シンガポール)
●音楽監督=フェビアン・レザ・パネ(インドネシア・日本)
企画/制作=PROMAX Inc.(日本)
協賛/企画協力=三菱電機(日本)

 

この「NAGRALAND」は、アジアのオリジナリティをなんとかして創ろうというディック・リーの情熱がみんなを動かした作品です。ここで注目してほしいのは、参加者の国籍です。シンガポール、マレーシア、インドネシア、日本など、様々な国から人々が集まりました。企画/制作は日本の企業、資金協力も日本の三菱電機です。この時代は、ちょうど日本企業がアジアに進出し始めた時期と重なっています。主な主演者は、ディック・リー、ジャシンタ、リム・ケイ・シュウ(シンガポール)、ジュディス(フィリピン)、サマンサ・フー(マレーシア)、日本からは宮沢和史(THE BOOMのボーカル)が出演しました。さらに、コーラスでもシンガポール、フィリピン、マレーシア、香港などから人々が参加。楽器もピアノ、ドラム、フルート、ヴァイオリン、パーカッション、サクソフォンなど多彩な編成でした。

この「NAGRALAND」の成果をいくつか挙げてみましょう。テーマは「アジア人としてのアイデンティティを築こう」というものですが、これを元にして西欧文化の影響に対する新たなアジア人としての生き方の構築をしようという試みだったといえるでしょう。アジアの人々が力を合わせてオリジナル・エンタテインメントを創り出したのです。またアジア各地の踊り、音楽、衣装などの要素を西欧風と対比させ、ポピュラー音楽で革新的なスタイルによるオリジナル音楽劇の創作を行いました。出演者のオーディションはシンガポールとフィリピンで行い、上演前にもシンガポールで2ヶ月間の合宿が行われました。共通言語は英語です。この作品は、シンガポールで5回、香港で2回、日本で13回、合わせて20回もの公演を実現しました。私もこの公演を2度ほど観るチャンスがありましたが、今でも鮮明に覚えています。

この「NAGRALAND」と「香港ラプソディー」、「李香蘭」などの日本発信の創作ミュージカルの共通の魅力とは何かと言いますと、@英米など先進国のグランドライツ(*1)作品とは異なるオリジナルの作品であること、A演出・スタッフ・キャスト・台本・音楽・歌詞はすべてアジア人で多彩なコラボレーションであったこと、B制作・運営・資金・上演劇場にいたるまで完全にアジアの作品だったこと、などが挙げられます。このことによって、民族色や言語の障害を超えた総合舞台芸術が誕生したのです

 

*1)グランドライツ――オペラ、ミュージカル、バレエ作品の歌詞・楽曲を上演する場合に、音楽を「演劇的」に演奏する権利。欧米では、その権利は音楽出版社、作詞・作曲家本人、あるいは専門の団体(オリジナル・パブリッシャー)にある。海外の作品を日本で演劇的に上演する場合、その権利はそれら海外の音楽出版社などが管理しているため、権利者との契約交渉を要する。

 

3)アジアで好まれるメロディー

ここで日本人の作品がアジアの人々の心をとらえ、カバーされた楽曲の一部を聴いてもらいましょう。

●視聴曲A周華健(エミー・チョー)「心中之花(花〜すべての人の心に花を〜)」1993年、作詞・作曲:喜納昌吉
●視聴曲B五輪真弓「恋人よ」1980年、作詞・作曲:五輪真弓

ここで重要なのは、日本人の曲をアジアの人たちが歌っているということです。喜納昌吉の「花」はアメリカやアルゼンチンでも歌われています。それだけカバーされるということは、この楽曲が国境を超えてもなお魅力的だったからだと思います。五輪真弓の「恋人よ」も韓国や台湾、香港などでカバーされています。彼女が香港島サッカー場で行った野外コンサートを私も現地で観ましたが、香港ではこの曲が大ヒットしてプラチナ・レコードになった時期です。紹介した2曲はともに1980年に生まれた作品ですが、この時代は日本のシンガー・シングライターがニューミュージックというジャンルにチャレンジし、作品を貪欲に作り、歌った時代でもありました。

ではなぜJ-POPがアジアで受け入れられたのでしょうか。この理由には、楽曲の魅力とアジアで好まれるメロディーのふたつが挙げられます。日本の曲をアジアの人気俳優や歌手が歌うというケースが増えました。ここでは中島みゆきが歌った「ルージュ」という楽曲を中国の人気歌手であるフェイ・ウォンがカバーしたものを聴いていただきます。フェイ・ウォンと日本とは縁があり、彼女が16歳のときにソニーレコードが行ったオーディションへ中国代表で受けに来ました。その時彼女は日本に来ることができませんでしたが、今や中国の歌姫です。そのフェイ・ウォンと中島みゆきの歌を、実際に聴き比べてみましょう。

●視聴曲C中島みゆき「ルージュ」1977年、作詞・作曲中島みゆき
●視聴曲D王靖?(フェイ・ウォン)「容易受傷的女人」1979年

 次にアジアで生まれた楽曲を、反対に日本の歌手がカバーしたものもあります。カーン・リーというベトナムの歌姫が歌った曲を聴いてみましょう。ちなみにピーター・マニエル著、中村とうよう訳『非西欧的世界のポピュラー音楽』によると、ベトナムのポピュラー音楽は「中国の影響を受けているものの独自の味わいがあり固有の理論的基盤に立っている。1世紀以上のフランス植民地支配、ベトナム戦争などを体験しているにもかかわらず西欧音楽の影響をほとんど受けておらず、真の国民的で土着的でしかもダイナミックなポピュラー音楽を育てることに成功した」と評価されています。

●視聴曲Eカーン・リー「美しい昔(雨に消えたあなた)」1961年、作詞・作曲:ティン・コン・ソン

 日本発アジア行き創作ミュージカルのひとつ「香港ラプソディー」の原作は、西木正明さんという日本人の作家の方が書いた「スネークヘッド」をミュージカル化したものですが、そのテーマ曲もディック・リーが書いています。歌はマリーンというフィリピン出身の女性歌手。舞台の演出と振付は、今ではブロードウェイでも活躍している宮本亜門です。

●視聴曲F「チャイナ・レイン」1993年、作詞:竜真知子、作曲:ディック・リー

 ディック・リーは幼少からピアノを勉強し、高校時代をロンドンで過ごしましたが、ここで書いた曲はやはりアジアの曲ですね。アジア人に共通して好まれるメロディーというのは、ほとんどが美しいバラードです。一方ではフォーク&ロックというジャンルはなかなか浸透しません。しかし若い世代は憧れとともに、そちらの方へシフトしている傾向もあるようです。

 
3.アジア音楽市場の特殊性

1)「海賊盤」市場

 2003年に中国で「2003アジアスーパースター 反海賊盤コンサート」が開かれました。参加したアーティストはカレン・モク(莫文蔚)、フェイ・ウォン(王靖?)、ワン・リーホン(王力宏)、F4(朱孝天・呉健豪)、ツァイ・イーリン(蔡依林)、ジェイ・チョウ(周傑倫)、ルー・イー(陸毅)、ダディ(大地)、ハン・ホン(韓紅)、シン・スンフン(韓国)、アドゥ(阿杜)、日本からは中島美嘉とCHEMISTRYも参加しています。

中国国内で売られているCDの90%は海賊盤だと言われています。それは中国当局も認めていて、今はようやく改善されて85%ぐらいになりました。中国以外でも海賊盤が出回っている国はたくさんあります。マレーシアに行ったときですが、映画「タイタニック」が公開された直後なのに海賊盤が出ていました。しかもその映像には人の頭の影が映っていたのです。つまり映画館で撮影したものを海賊盤として売っていたわけです。それと同じものが香港でも出回っていました。台湾のレコードショップに行っときも、正規盤の隣に海賊盤が並んでいました。海賊盤専門のレコード店もありました。このように、海賊盤は改善していかなくてはならない世界的な問題です。


2)CD価格の格差と還流防止措置

 アジアではCDの価格に大きな差があります。たとえば中国では外国盤は567円、国内盤だと405円です。日本へ輸入されると、この405円が2800円になります。タイも同じくらい安いです。あまりにも価格が違うため、日本では「還流防止措置法」という法律が定められました。この法律は価格差による市場の混乱を避けるため、日本の市場に安い商品が入ってこないように保護する法律です。この措置が適用されるには幾つかの条件があり、例としては「国内で先に、または同時発売されている音楽レコードと同一の音楽レコードであって、国内における頒布を禁止しているものであること」や「還流により権利者の得ることが見込まれる利益が不当に害されること」、また「国内で最初に発行されてから4年を経過していないこと」などがその条件となっています。しかし考えなければならない問題もあります。まず、日本のCDの値段設定です。以前、他の大学の講義したとき、「日本のCDはどうして高いのですか?」と質問をされたことがあります。これは大きなテーマですね。日本のCDの値段は果たして安いのでしょうか、それとも高いのでしょうか。


3)著作権認証制度

もうひとつの問題は、中国の権利認証制度です。海賊盤の製造業者が正規盤であると虚偽の権利主張をするケースが多発していたことから、1995年に導入されました。これによって中国で日本のプロモーションビデオなどを放送したいと思ったら、その商品関連のすべて、たとえば歌詞の一語一語にいたるまで入念にチェックされていました。しかもそのチェックに一年間もかかってしまっていたのです。ということは日中同時発売ができません。これではいけないとうことで(社)日本レコード協会が窓口になり、今年の4月から権利の申請書を出して認証書が発行されるまでの所要時間が従来の2週間から1〜2日間に短縮されました。


4)相互管理契約

 それぞれの国でライセンスした商品については、お互いに著作権使用料を「徴収し支払う」という約束事があるのですが、韓国とはこの「相互管理契約」が結ばれていないので、包括ライセンスができません。しかしCD1枚については「払ってください」というお願いはできます。一時期「冬のソナタ」が日本で流行りましたが、「冬ソナ」については韓国の著作権管理業者が、「自分が権利者だ」といって文化庁に届け出てきました。その後、日本の放送局にいちいち請求書を送り始めたのです。しかも1回放送するたびに5万円を請求したのです。そんな無茶な話はありません。だからいつの間にか、「冬のソナタ」という曲は日本のメディアから流れなくなってしまいました。台湾や中国とは相互管理契約を結んでいます。とはいえ、中国から日本に入ってきた著作権使用料は最新の事例では800万円。中国が日本の楽曲をどの程度使用しているかは不明ですが、1年間で800万円しか支払ってきません。それでも徴収して払い込んでくれるようになったのです。


5)「韓流」「華流」「HANSTYLE」

 先日、韓国の文化院の方々とお会いしましたが、これからは単なる「韓流ブーム」ではだめだと言っていました。「HANSTYLE」に拡大が必要だ、と。どういうことかというと、「チャングム」を想像してもらうと分かりやすいのですが、衣装や食べ物を含め、知財としての「HANSTYLE」を広めていきたいということです。


6)インターネット(ブロードバンド)の進化

 アジア地域でも緊急かつ重大な課題が、インターネットというメディアです。環境が整備されていないのに進化だけはとまりません。韓国ではCDの市場規模が、インターネットの普及によってあっと言う間に10分の1に縮まってしまいました。


7)著作権、著作隣接権と国際基準

この講義で何度も出てきましたが、著作権と著作隣接権の違いが重要です。著作隣接権とは、実演家とレコード製作者と放送事業者、有線放送事業者が持つことのできる権利ですが、この隣接権はアジアやアメリカには存在しません。したがって著作隣接権に関しては非常に理解されにくいのですね。著作権のルールは、「@それがあなたの権利なら、一定の利用をコントロールできる、A著作権は、著作物について、それを創作した人に与えられる」(福井健策著『著作権とは何か』より)です。著作者は著作物を創作した人のことですが、著作権者とは、著作権を持っている人のことです。シンガーソングライターは、作詞・作曲家として著作権を保持しますが、歌手としては著作隣接権を持っているということになります。この違いはよく覚えておいてください。

 この著作隣接権の歴史は、1961年の隣接権条約(ローマ条約)から始まっています。日本は1989年に隣接権条約に加入しましたが、アジアでこの著作隣接権条約に加入していない国がたくさんあります。それも、アジアの音楽市場の特性の中でも大きな問題だと言えるでしょう。

 
4.中国音楽市場の特性

  中国の音楽市場の特性ですが、ここではカラオケとインターネット音楽に絞って考えてみることにしましょう。カラオケは、今や中国では年齢を問わない国民的娯楽になり、使用料送金規則や10数都市で版権費の徴収が始まりました。MTV問題というのもありますが、これはテレビのMTVの映像をそのままカラオケに無断で使ってしまったことが国際問題になったという事件です。

 またインターネット歌手の存在です。中国のインターネット歌手、楊臣剛(ヤン・チェンガン)はインターネット上で無料配信をしていました。ところがダウンロード回数は600万回に達したのです。実際の正規盤で売れたのは60万枚でしたが、仮に海賊版CDに換算すると600万枚に当たる驚異的な数です。私は彼が来日した際会う機会がありました。彼は「歌が広まればそれでいいんです」と言っていました。そんな彼が歌った「老鼠愛大米」は「ねずみが米が好きなように、私もあなたが好きです」という意味のラブソングなのですが、この曲を元に映画化もされ、テレビ化もされ、本まで出ました。この著作権の使用料をぜんぶ合わせると計算上では「使用料収入は3億円になるだろう」と言っていました。それでも彼はみんなに聴いてもらえた満足感をしきりに話していました。ちなみにこの曲は日本でもカバーされ、NHKの「みんなのうた」になっています。

中国ではインターネット歌手が出現するかと思えば海賊盤もたくさん出回っています。ではレコード市場の規模はというと、推定で330億円。人口は日本の約10倍ですが、この数字は日本の10分の1です。まだそれだけの市場レベルです。携帯電話は3億人市場。インターネット市場は、925億ドルで、3年後の2010年にはアメリカを抜くだろうと言われています。ネットの広告市場も広まるだろうと考えられます。中国は、本当に日進月歩で進化していると考えて間違いはないと思います。

 
5.アジアのオリジナル・エンタテインメント

 まずASEAN諸国のエンタテインメントは、シルクロードを経て東西が融合した内陸型の文化・芸術とは異なる伝統文化が存在しています。そしてこの地域の良いところは、時差がないところですね。あっても2時間くらいです。時差とはいえません。これは大きな長所です。それから、人材と才能の宝庫でもあります。しかし新しいコラボレーションには多民族、多言語の障害を克服する必要があります。しかもそれは単なるオムニバス形式ではない、斬新なオリジナリティに溢れた作品をつくることです。その目標として、アジア人による、アジア人のためのアジアのエンタテインメントの創出が必要だといえるでしょう。また、デジタル時代ならではの新たなビジネスモデルや、有能な総合プロデューサーの存在とスーパースターの発掘も必須です。そして新たな創作と活動を続けるには、著作権保護と啓発が待たれるところですね。

それでは最後にあるひとつのプロモーション映像を観て終わりにしましょう。彼女の名前はサー・ディンディン。中国音楽シーンの新星です。私は直に彼女に会いましたが、身じろぐほど魅力的な中国人の女性でした。彼女の作品から衝撃を受けたことが二つあるのですが、一つはこの映像。CGを使っているのですが相当高度な技術で制作されています。メイクは京劇をモチーフにしています。そして何より、この音楽の摩訶不思議さ。この言葉は中国語なのですが、中国人も分からないような「自我語」も入っているのだそうです。彼女はユニバーサルミュージックに所属していますが、2006年に世界のユニバーサルから一斉に発売されました。そしてなんと映画の祭典グラミー賞の授賞式に、中国人で初めて招待されたのです。この映像が撮影されたのは、地上5000メートルの天山山脈の近くです。どことなく桃源郷のような雰囲気が漂う場所でもあります。日常から離れた不思議な魅力は、未知なるものへの魅力でもあります。そして新しいものをつくることの重要性が、ここには隠されているような気がします。

●視聴曲Gサー・ディンディン「Alive」DVD、2007年

 わたしたちは、音楽とは7音階からできているということを学校の授業で習いましたが、リズムにしろ、音階にしろ、アジアには不思議な音楽がたくさんあります。それから楽器も不思議な音色の伝統楽器がたくさんあります。新しいものに触れてみたい、あるいは作ってみたいと思ったとき、アジアにはまだまだその要素があるような気がします。

 

―参考文献―
●ピーター・マニエル著・中村とうよう訳『非西欧世界のポピュラー音楽』(ミュージック・マガジン刊)
●青崎智行著『コンテンツビジネスin中国』((財)デジタルコンテンツ協会刊)
●福井健策著『著作権とは何か』(集英社刊)
●千野直邦・尾中晋子著『著作権法の解説』(一橋出版刊)
●月刊『コピライト』((社)著作権情報センター発行)

 ―取材協力―
(財)音楽産業・文化振興財団、(社)日本レコード協会、日本貿易振興機構、ヤマハ音楽出版社、潟vロマックス、ソニー・ミュジックエンタテインメント、コロムビア・ミュージックエンタテインメント、ユニバーサルミュージックほか