2007年度JASRAC寄附講座
音楽・文化産業論U
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2007.10.6



講師:亀田誠治(かめだ・せいじ)先生

1964年6月3日、NY生まれ。
椎名林檎、平井堅、スピッツをはじめ、アンジェラ・アキ、スガシカオ、木村カエラ、175R、Chara、ROCK'A'TRENCH、秦基博などのプロデュース&アレンジを手がけている。
2002年からオリコン誌に「ヒットの理由 〜神のみぞ知る」を連載中。
2004年夏、椎名林檎らと東京事変を結成。

 

「ヒットの理由U」

 

1.「音楽=情報」という危機

  今日はポイントを絞って「ダウンロードミュージックについて」話そうと思います。日頃僕らが、どのようなことを考えながら音楽の配信について取り組んでいるのか。そんな現場の声をストレートに伝えようと思います。

僕は今、音楽の90%はダウンロードで買っています。ダウンロードできない音楽でも、アマゾンなどを使ってインターネット経由で買うので、CD屋さんに行くということがほとんどなくなってしまいました。CD屋さんに行くときは「東京事変の亀田誠治です」と言って、アーティストの宣伝活動としてしか行くことがありません。それにしても、なぜこうなってしまったのでしょうか。そもそもインターネットで音楽を買う「良さ」とは、いったい何なのでしょうか。

その一つめは「つまみ食い」、つまり視聴ができるということです。これはものすごく大きい。CD屋さんにも視聴機はありますが、それが家に居てもできる。こんな便利なことはありません。それから二つめは、ファンのみんなとつながっているイメージがあるということです。ダウンロードで音楽を買うときは、大抵ファンの人のレビューやコメントが書いてあります。良いコメントがあれば悪いコメントもありますが、アーティストと楽曲を通してファンのみんなとつながっているということは、買い物をするときの大きなモチベーションになっていると思います。

しかしここで気をつけなければいけないことは、この段階において音楽とは、「情報」にしか過ぎないということです。僕らは本当に情熱や丹精を込めて音楽を作っているのですが、その音楽が単なる情報として受け取られ、情報として流されているということは、すごく寂しいことです。音楽を情報として聴いている限り、皆さんは好きな人のことを想ったり、死んだ人のことを思い出すこともないだろうと思う。しかし僕は、音楽とは情報ではなく「+α」の存在として皆さんの生活の中に飛び込んでいって、その生活に彩りを与えるものだと思うんです。僕はダウンロード大賛成派ですが、今のまま進んでいってしまうのは危ないと思っています。

 つい先日、駅前の本屋に行って店の前に並んでいる雑誌を買おうとしたら、「この雑誌は有料です」という大きな張り紙がしてありました。どういうことかというと、今やほとんどの情報は無料になっていて、本屋さんですら無料で手に入るフリーペーパーがその店頭を飾っているという現実があるということです。僕らが一生懸命作っている音楽が無料で「つまみ食い」できて、簡単に「要らない」と言える単純な情報の範囲に納まってしまっているということに、僕は危険信号を感じたんです。そんな危機感から、今日はみんなに話をしに来ました。

 

2.配信音楽が売れる理由

 

 宇多田ヒカルさんが今年の1〜9月までの間に、ネットを通じてダウンロード販売した総計が、1,000万を超えました。これはものすごい数字です。1年ほど前でも、iPodや携帯電話で音楽を聴く人は増えてはいたけど、所詮それはCDをパソコンにリッピングして、自分だけのライブラリを携帯しているだけで、音楽のダウンロードはまだまだだという概念があったし、僕らもその認識で音楽を作っていました。しかし今や宇多田ヒカルさんの曲は1,000万ダウンロードです。

 ちなみに今年一番売れたCDをご存知でしょうか。そう、「千の風になって」です。これは100万枚を超えましたが、それでも100万枚。宇多田ヒカルさんの曲はこれの10倍です。つまりこれは、CDの時代からダウンロードの時代に完全に移り変わろうとしているということだと思います。

 どうしてこんなに売れたのでしょうか。今の配信音楽の中心は「着うた」です。その「着うた」は、ひとつの曲をいくつかに切り出された結果できています。例えば1サビ、2サビ、大サビがあって、ラストサビがある。これらはすべて45秒サイズです。ドラマの主題歌などで使われた曲は、その放送時期に合わせていろいろな形を切り出していく。それがどんどん積み重なって、売上を上げていきます。僕が作った音楽も毎回のレコーディングでこの「切り出し」をして、それを小出しに発売していくという手法をとっています。そうすることで徐々に曲が刷り込まれていって、最終的にはCDを買ってもらうという仕組みになっています。しかも「着うた」は、音楽番組を見て気になったらその場ですぐにでもサビだけ買える。お店に行くという手間も要らないので、音楽番組やテレビの主題歌としてその曲が流れたその瞬間、ダウンロードの売上は一気に上がります。

 しかしダウンロードの存在を知っていても、実際に「ダウンロードする」というボタンを押すまでには、人間の心理はなかなか至りません。歌番組で歌う、あるいはドラマで流れるだけではだめで、そこに複数の情報が入ってこないと、そのボタンを押すには力不足なんです。だからわれわれは、他の情報も併せて発信していきます。例えば、色んなポータルサイトのトップページにアーティスト情報を載せたり、テレビのCMとタイアップしたり、東京では車両全体が広告になっている広告トラックなんかも走っています。そういったさまざまな宣伝活動を通じて、皆さんにアーティストや楽曲のイメージを喚起させます。情報量が多ければ多いほど、CDを買う人にとっては安心材料になります。しかもダウンロードミュージックはCDのようにパッケージという形がないので、ひとつでも多い安心材料を刷り込ませていくということが重要になってきます。「刷り込み」と言うと悪徳商売みたいですが、僕は音楽を「情報」ではなくきちんと聴いて欲しいと思うので、CDを買ってもらうためにいろいろな工夫をしているということです。

 

3.圧縮された音への挑戦

 

ところで配信された音楽の音質を気にする人はいますか? 例えば、CDをパソコンに落としてそれをiPodに取り込んで聴いたとき、音質がちょっと変わったなと思ったことがある人はいませんか?

CDは、AIFF(Audio Interchange File Formatなどと呼ばれていて、非圧縮の音、つまり僕らがレコーディングで録った音が基本的にそのままの音質として記録されています。一方でダウンロードしてパソコンに取り込んで聴く音、あるいはiPodや携帯電話で聴く音楽は「MP3」といって、情報量が10分の1から12分の1に圧縮された音質としてサンプリングされています。僕ら作り手としては一生懸命スタジオで良い音を作っているのに、実は違う音として聴かれていたということです。

圧縮についてもう少し説明をしましょう。1秒間にどれだけ細かく音をサンプリングするか、という数字を「kHz」という単位で表します。CDは44.1kHz、DVDはさらに細かくて96kHzでサンプリングされています。つまりDVDの音質はさらに良く、音のザラつきやでこぼこした音質も、より忠実に、きめ細やかにサンプリングされるというわけです。ところが配信音楽では音が圧縮されるので、CDのときはちゃんとサンプリングされていた音のザラつきやでこぼこ感が平らになって、のっぺりしてしまいます。分かりやすい例を挙げると、僕たちがよく使う写メールは画面が小さいからきれいに見えますが、それを大きく引き伸ばすと、ひとつひとつのドットが大きくなって画像が粗いことが分かります。これと同じことが音楽の世界でも起きているのです。圧縮された音楽は細かいところまではサンプリングできず、しかも耳の錯覚を利用して、ドラムを叩く音の余韻など人間の耳が捉えられないような細かな音は消してしまいます。iPodや携帯電話で音楽を聴く分には大差ないということになっているからです。しかし、生の音楽を作っている僕らのような人間からしてみると、ものすごく残念なことです。「今日、私すっぴんなんです」ならまだしも、その逆で、したくもない化粧をして、着たくもない服を着ているような音。

だからと言って、飲み会の席で写メールを撮ろうとしているときに「おいおい、ちゃんとしたカメラで撮れよ」なんて言う人はいない。なぜならその場の空気を伝えるのには、写メールでも十分だからです。だから音楽においても、その楽曲が伝わればそれでいいという気持ちは分かります。それでもやっぱり、僕たちのように生の音楽を仕事にして本当にいい音を知っている者にとっては、不本意な音には違いありません。

ではどうするのかというと、圧縮されてでこぼこを平らにされてしまった音を、CDの音に近づける努力をしています。これは主にマスタリングという工程で、EQ(イコライザ)によって本来の細かな音に近づけ、作り手が作ったときの印象により近づけるという作業が行われています。これは結構有効で、ヘッドフォンで聴いている限りでは、圧縮と非圧縮の音の違いはもう感じられないところまできています。特にU2やヒップホップ系など一部の洋楽アーティストは、レコーディングの段階から「ヘッドフォンで聴かれる音」を前提にして曲を作っています。しかしこれには当然時間とお金が伴うので、すべての作品がそうではありません。普段皆さんがダウンロードしたりiPodに入れて聴いている音楽は、CDと聴き比べてみるとまったく変わってしまっていることが分かると思います。

配信で聴かれる音楽は基本的にヘッドフォンを通して聴かれます。10年ぐらい前までは、CDラジカセで聴かれることを前提にして音楽は作られていましたが、今はヘッドフォンで聴かれるということを想定して音が作られています。どう違うのかというと、通常、音は空気の振動で伝わりますが、ヘッドフォンの場合は骨の振動で伝わっていきます。これはものすごく大きな違いです。空気伝導で聴こえる音には周囲の音―空調の音や家族の声、台所の音などのさまざまな音―が混ざり、そのなかで限定された音を聴こうという意志によって聴きたい音に集中し、それを選び出して聴いています。しかし骨伝導の場合は振動が先に骨に伝わるので、身体が先に音楽を認識します。この、空気の振動で音が伝わるスピードと、直接骨に音が振動して伝わる音の速さにはものすごい違いがあるので、僕たちがスタジオの中で非常にデリケートな部分まで気を使って音を作っても、聴く人がヘッドフォンだとは限らないので、このさじ加減が難しい。

その中で今僕らが重要視しているのは、この音をヘッドフォンで聴くとどのように聴こえるのだろうかということ。そしてもうひとつ、ヘッドフォンでは聴く人と歌う人が密接な関係で結ばれているということです。つまりヘッドフォンの中では「1対1の関係」が生まれているのです。そのような音楽は、パーソナルな部分に入っていかないと届かない。単純に「I love you」と言うよりも「I love youと言えて良かった」のような、一歩踏み込んだ言葉じゃないと、薄っぺらく感じてしまう。僕がプロデューサーとして音楽をつくるときに非常に気にしているのは、ヘッドフォンで聴かれるということは、今まで以上に「1対1の関係」に踏み込んだ言葉や歌い方を相手に届ける必要があるということです。これがヘッドフォンで音楽を聴くということに対しての、一番難しいところでもあり、挑戦しがいのあるところでもあると思います。

 高音低音を調整してCDの音に近づけるとは言っても、音質は聴く人の好みで勝手に調整されることもあります。大抵の日本人はドンシャリの音を好みます。ドンシャリの「ドン」とは低音域、「シャリ」は高音域ですが、日本人はこの低い音から高い音にかけてのカーブを好んで聴く。カーステレオのEQやiPodなども、ほとんどはドンシャリが強調される設定になっているはずです。僕たちがどんなにヘッドフォンで聴こえる音を少しでも良くしようと思って音楽を作っても、聴くときに音が変えられてしまったら、作る側からしたら全然狙い通りの音じゃなくなってしまうんです。だから結局は、ヘッドフォンで聴かれようが、スピーカーで聴かれようが、みんなのところに届いていく音を作りたいと思います。

レコーディングスタジオで聴く楽器の音って本当に素晴らしいんです。ボーカルの人が息を吸う瞬間の音とか、首からぶら下げているアクセサリーが触れ合って聴こえるチャリチャリした音、ギターの弦と指がこすれる音や、ピアノのペダルから足を外した瞬間に聴こえる音。僕はそうやってスタジオで生まれる音楽の真実、つまりこんなにいろんな音が溢れているんだということをみんなに届けたい。結局それしか僕らにできることはないからです。その過程でハードウェアが変わったり、音が圧縮されたりもするけれど、どれだけスタジオで込めた音が失われないようにできるかということに気を使っています。そのためには、スタジオで“気”のつまった強いテイク、強い歌を録らなければいけないと思う。ハードウェア以前の、人が出す歌詞や楽曲や演奏に、結局は立ち返っていくしかない。どんなにテクニカルなサポートをしていても、音楽を作っていくことというのはそういうことだと思うんです。

 

4.それぞれのいいところ

 

CDと配信音楽のもっとも違うところは、形があるかないかです。CDは12cm四方のパッケージのなかにジャケットや歌詞カードが付いてくる。でもダウンロードにはそれがない。そこをどんなふうに補っていくかということは、とても重要だと思います。僕らは音楽だけではなく、音楽から広がっていく映像のイメージも伝えたいと思っているから、これまでは「こんなに面白いCDジャケットができた」と、多方面で自分のことを表現できていたけれど、配信になると音だけになってしまいます。最近はダウンロードミュージックにも、「デジタルブックレット」などのジャケット写真までは見られるようになったので幾分かはマシです。それでもCDのときは12cmあったものが、ダウンロードになると3cmぐらいになってしまう。この違いはジャケットを作るクリエイターからしてみれば、非常に大きい。言い換えれば、これまで12cmの大きさで描いていたものを3cmで表現して伝えなければいけないということは、本当にしんどい。

そんななか、最近はアーティストの顔だけのジャケットなどシンプルなものが増えてきています。これはジャケットが小さくなってしまったということとあながち無関係でもなく、たくさんの情報をジャケットに詰め込むよりも、アーティストの顔だけといったシンプルなジャケットのほうが、小さくなっても見て分かるし伝わります。また、シリーズもののように一連のイメージが続いているジャケットも増えていますが、これも配信時代になってからの特徴だと思います。イメージをつなげることで、ジャケットが小さくなっても「これはあのアーティストの新譜だな」と分かるという仕掛けだったりするわけです。そしてデジタルブックの良さは、いろいろなものへリンクして飛ばすことができるということ。例えば、音をダウンロードしながらそのアーティストのホームページにいって、さらにツアーのスケジュールまで見れてしまう。この「つながり」という意味において、配信音楽はものすごいアドバンテージがあると思います。ジャケットもないし味気ないという結論に達するのではなくて、配信であればどれだけイメージをつないでいくことができるか。そんな方向に広げていければ、新しい時代のハードウェア像も見えてくると思います。

今年はCDが誕生してから25周年だそうですが、アナログ版からCDに移行するときは、ものすごい賛否両論だった。あの大きさのジャケットがなくなってしまうということにおいては、ジャケットを作っている人にとっては死活問題だという話もあったし、音はいいかもしれないけれども味気ないと言われたりもしました。このように、ハードウェアの進歩にはあらゆる不都合や困難が付きまとう。しかしそのたびに、それにつきまとう不都合や困難を乗り越えていかなければいけないし、聴く人がそれを選ぶのだったら、音楽を作る側もそれに見合った魅力的なものを作らないと、何も届けられないということになってしまうだろうと思います。

ダウンロードミュージックのいいところを挙げてみましょう。

@スピード性…音楽番組を見ていて「いいな」と思った瞬間にダウンロードすることができるんですから。これは絶対にはずせません。

Aポータブル性…iPodなんかものすごく小さいのに何千曲も入ってしまう。CDだったらそんなに持って歩けません。

Bアクセサリー性…ダウンロードミュージックはデータなので場所をとることがありません。だからこそ、携帯電話の中に詰め込んだり、形あるものと一緒にすることができる。いろいろな形のハードウェアで、音楽を聴くことができる。さまざまなところにアクセサリーとして音楽を忍び込ませることができるという良さもあります。

以上の3つは、音楽を聴く人にとってのいいところです。一方で僕たち音楽を作る側にとっても、いいところはたくさんあります。

CCDよりもコストがかからない。CDは盤に焼き付けたり、ジャケットを作ったりと、それにまつわるエトセトラを作らなければなりません。しかしダウンロードは、録音さえすれば音を飛ばすことができます。

D誰でも音楽を発信できる。最近の例を挙げると、ボブ・ディランのアルバムが30年ぶりに全米で1位を獲得しました。60代後半のおじいさんがインターネット上で自分のページを立ち上げ、そこから自分の過去の楽曲を広めていって、今回のアルバムを全米1位にしたんです。配信音楽とは、いろいろな事情でメジャーシーンで活躍するのが難しい人や、契約が切れてしまった人、またアマチュアも含めたすべての人に、音楽を届けるチャンスを均等に与えていると考えることができると思います。そういう意味では、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にもものすごい威力があります。ネット上で音楽や映像を流すことができるからこそ、生き返ったアーティストやチャンスが与えられたアーティストがいるという事実も、無視できません。このSNSは、聴き手やファンがコミュニティをどんどん形成して広がっていくので、僕らの普段のプロモーションを経ずして、音楽を全世界に、しかも同時多発的に広げていく可能性を秘めていると思います。これにまつわる権利などの関係で、必ずしもいい方向に使われているわけではありませんが、草の根から音楽を広めていくことができる強みがあるという点において、配信は見逃すことのできないツールです。最近では、YouTubeやマイスペースなどで目にする、あたかもアマチュアあるいはインディーズ的発想のアーティストの中に、実はもともとメジャーからSNSにアプローチをしてプロモーションしていたという例もあります。このように、人に情報を伝えていくということに関しては、ビジネスとして節操のない状態が増えつつあるように思います。

配信の話ばかりしていますが、次はCDのいいところも考えてみたいと思います。

CDとダウンロードの一番の違いは、CDには形があるけれど、ダウンロードミュージックには形がないことだとさきほども言いました。しかし形あるものを残したいという気持ちは、音楽ファンの心理として絶対にあると僕は思います。だから今も、最終的にはCDを買ってもらうために配信で音楽を流しています。それに形あるものに対して安心するという気持ちは、すごく自然な流れだと思います。ただ、作り手が反省しなければならないのは、CDを買ってもらうために初回限定盤とかDVD付きといった「おまけ」を付けすぎる傾向画があるということです。そうしないと売れないんじゃないかという不安感が、僕らのなかにはあるからです。でももっと必要なのは、「このアルバムをCDで買ってよかった」と思わせる何かを、CDに込めないといけないだろうということです。

 ひとつの例は、先日出たミスターチルドレンの「HOME」というアルバムです。このアルバムは全14曲で、タイアップでシングルヒットした曲は「箒星」、「フェイク」、「しるし」の3曲です。しかしこの3曲より多く流された曲があります。「彩り」です。このとき僕は、ミスターチルドレンというバンドはこの「彩り」という曲を、アルバム発売の前に皆さんに聴かせることによって、「このアルバムを聴いてくれ」と自分たちが伝えようとしているメッセージであると感じ取りました。これは本当に素晴らしいことで、僕たちはCDを買ってもらうために、簡単に「おまけ」をつければいいとか、大きな宣伝を打てばいいとすぐに思ってしまう。でも本当はCDのなかに、アーティストとして伝えたいメッセージを込めるという原点に立ち返らなければいけないんじゃないかと、このミスチルの「HOME」を聴いたときに思いました。

 

5.伝えたいこと―「音楽≠情報」

 

 CDの時代から配信音楽が登場して、それでも「まだ大丈夫だろう」と思っていたら、今年の宇多田ヒカルさんの1,000万ダウンロードをきっかけに、完全に配信の時代が来たと僕は感じました。しかしそれ以前に、より多くの人たちにいい音楽を聴いてもらうためには、発信するメディアにかかわらずみんなに伝わる作品を作っていかなければいけないということが大切です。根っこにある作り手としての想いや、アーティストのメッセージを見逃しちゃいけないと思います。僕にはアナログ時代もCD時代も、配信時代も経て、スタジオで経験してきたノウハウや経験値があるのでいろんな作戦を考えてしまいます。けれども作戦を考える前に、アーティストのメッセージをどこまで届けられるかということを見据えた作品作りをしていかなければならないだろうと思っています。

そして今日皆さんに伝えたかったことは、「音楽を情報にしないで欲しい」ということです。情報に踊らされず、耳で聴いて、身体で感じて、心で聴いて欲しい。そして、自分の好きな音楽を選んでいってもらいたいと思います。

 

以下、質疑応答

Q.亀田先生が曲を作るとき、時代の流れに合わせた曲を作るのか、それとも時代を作るような曲を作ろうと思うのか。またどちらのほうがヒットの可能性があると思うか。

A.僕の場合は、時代のことは考えていない。みんながいいと思う曲には何かしら共通したエッセンスがあると思うし、そのワビサビのツボや泣き笑いのツボを、僕は共有できるのだと感じるから、そこを素直に出すことだけに集中する。「今はこういう時代だからこういう曲を作ろう」とか「次の時代を作ってやろう」という気負いから曲を作っているのではなく、初めてギターを握ったときのような音楽の初期衝動の原点に戻って、音楽に正直に曲を作っているつもり。ただプロデューサーとして曲を外に出していくときは、聴かれ方やスピード感を徹底的に研究している。
 ヒットの可能性についてはなんとも言えない。もし「ヒットの理由」が分かっていれば、僕が作る曲は全部ヒットするはず。でも僕が作った曲には250万枚売れた曲もあれば、2,000枚しか売れない曲が今でもある。それにどちらも同じ時間と努力と情熱をかけて作っているので、どうしたらヒット曲が作れるのかは何とも言えない。

 

Q.YouTubeやニコニコ動画に自分が手がけた映像や音楽が投稿されることをどう思うか。やはり複雑な気持ちなのだろうか。

A.さきほど節操のない人たちの話をしたが、このニコニコ動画もすごい。オフィシャルな発表より先に出ているんじゃないかと思うぐらいすごい早さなので、驚くことがある。しかし権利の問題さえクリアできれば、著作物がいろんな人たちに伝わっていくということはとても健全なことだと思う。ただ誰でも勝手に流せて、しかもそこにソサエティが形成されて交換し合うというのは問題。僕個人は、自分の動画が流れているということに嫌悪感を覚えるというよりも、音楽が情報の範囲内で終わってしまうということに危機感があるので、自分の作るものは情報で終わらせたくないと思う。

 

Q.最後のほうで、配信の世界ではプロアマ問わずに自分の作ったものを発信できるという話があったが、もし亀田先生が今からバンドを始めるとしたら、どのようにプロモーション活動をするか。

A.僕が若い頃は今のSNSみたいなものは存在していなかったから、デモテープを持って回るということしかできなかった。今はそれをSNSに置き換えればいいのではないだろうか。ただ昔は生の音と生の人間同士で会話ができる環境があったが、ネット上だと音楽を発表するだけで満足してしまう。それは、コミュニケーションとしては不完全だし未熟であると思う。もっとインタラクティブな仕方で、アーティストとしての力量を磨いていかないといけない。少なくとも僕は一方的に発信するだけじゃ満足できないと思うから、ライブももちろんやるだろうし、レコード会社にも売り込みにいくだろうと思う。ちなみにデモテープを持ち歩く人へのアドバイスは、歌詞を付けといたほうが絶対にいいということ。あと、言い訳はいらない(笑)。

 

Q.先日ZAZEN BOYSの夏のツアーで、ライブ音源や映像を無料で公開していたのだが、そのことについてはどう思うか。

A.「伝える」ということについては、無料でもいいと思う。大切なのは情報以上の何を残すか。とくにZAZEN BOYSはライブに自分の存在価値を置いている人たちだと思うので、そういう彼らが自分たちのライブの映像を積極的に公開していくということは良いことだと思う。作り手にとっては「まず伝えたい」という気持ちがあるし、キレイ事ではなくお金の回収はあとから付いてくるもの。もちろん彼らには綿密に練られたシステムがあるのかもしれないけれど、それでも無料で出していこうという心意気は間違っていないし、彼等らしいと感じる。



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