第4回 2008年5月3日 「沖縄音楽に魅せられて」

茂原先生

講師: 茂原 義晴 (しげはら・よしはる) 先生

昭和45年生まれ。
慶應義塾大学法学研究科政治学専攻修士課程修了。
平成8年より田園調布雙葉中学高等学校教諭。

「沖縄音楽に魅せられて」


はじめに

 はじめに反畑先生から講座の話を聞いたときは、軽い気持ちで引き受けてしまったのですが、実はまずいことが2つあります。1つは、私は音楽関係出身でもなんでもないということです。現在私が学校で教えているのも、現代社会と日本史です。果たしてこういう人間が音楽を語っていいのだろうかという心配があります。2つ目は、50分後が私の鬼門だということです。高校の授業時間である50分を過ぎると、急に黙ってしまうかもしれません。そのときは反畑先生に助けていただこうと思っています。

 沖縄には、週に2回しか船が行き来しないような場所もあります。船が来る前日には、お店から多くの商品がなくなってしまいます。こうした島で暮らしている人たち、あるいはもっと昔の過酷な状況のなかで暮らしていた人たちが、どんな思いでどんな歌をうたってきたのかということを考えながら、話をしたいと思います。


1.アーティストはなぜ沖縄出身が多い?

 みなさんから頂いている質問の中で多いのは、沖縄出身のアーティストが多いのはなぜか、という質問です。この問いに答える前に、私が撮った写真を見ていただきましょう。

画像:豊年祭1画像:豊年祭2

 この写真は、沖縄の黒島で行われている豊年祭という祭の写真です。先頭に立っているのは、七福神の布袋さんにそっくりですね。宇治の萬福寺に行かれた方は分かると思いますが、萬福寺の御本尊は布袋さんです。布袋さんは黄檗宗において弥勒菩薩の化身なので、沖縄の人たちは布袋さんのことを「ミルク/弥勒」と呼んでいます。この豊年祭は、普段はなにもない海岸に突然テントが張られ、始まります。しかも旧暦で行事の日程が決まるので、学校や会社の日程とぶつかってしまうことがありますが、沖縄では行事の方が優先されます。「行事があるから」ということで休みを取ることが、暗黙の了解として認められているようです。実際に竹富島の種子取祭の日には、小学生くらいの子ども達が舞台で踊りを踊るなどしています。このように、沖縄の祭には子ども達も全員狩りだされます。沖縄では小さい頃から行事に参加し、年を取ったらその行事を仕切る立場になるというシステムが出来上がっているんです。また行事には必ず踊りが出てきます。最後に全員で「カチャーシー」を踊ることもあります。沖縄で育った人は物心ついたときからこのような行事に参加しているので、基本的にみんな踊れるんです。僕が東京で会った沖縄出身の人たちは、僕がてきとうに三線で曲を弾くと、みんな踊りだします。「踊らずにはいられない」「体が動く」と言います。そういう点においては、沖縄の人たちにはアーティストの血が流れているような気もします。環境がそうさせているのかもしれません。


2.日本音楽と沖縄音楽

 日本音楽の源流は、北から入ってきたものと、大陸から入ってきたものと、南から入ってきたものがあります。そのうち南から入ってきたものを、黒潮文化論と言います。日本音階はヨナ抜き音階と呼ばれているもので、その言葉の通り4つ目と7つ目の音であるファとシが欠落します。沖縄音階は、レとラが抜けます。しかしこのような基本音階は、明治に入ると没落していきます。文部省の音楽取調掛にいた伊沢修二という人が小学唱歌を設定して、西洋音楽を学校教育に入れていったからです。西洋音楽を入れたことによって7音階が通常の音階となって、日本音階が崩れていったんです。

 沖縄民謡に「二見情話」という曲があるのですが、これとほとんど同じ曲を、なぜか九州の熊本で聴くことができます。

(「二見情話」演奏)

 この「二見情話」と熊本の「五木の子守唄」のメロディラインは、ほとんど同じです。このことは沖縄文献にも多く見られますが、どちらがオリジナルかは分かりません。ただ、糸満の海人(うみんちゅ:漁をする人)は九州まで魚を売りに行っていたので、彼らは九州大陸と接触した際に曲を仕入れ、自分たちの土地で定着させていったのではないかということが言われています。


3.沖縄の風土と沖縄音楽―三線演奏とともに―

 沖縄の方言に、「いらっしゃいませ」を表す「めんそーれ」という言葉がありますが、この言葉は宮古島に行けば「んみゃーち」、石垣島に行けば「おーりとーり」になります。沖縄では島が違うと言葉が通じないので、島独自の文化が発達しています。「ありがとう」は沖縄本島では「にふぇーでーびる」、宮古島では「たんでぃーがたんでぃ」、石垣島や八重山諸島では「にーふぁいゆー(みーふぁいゆー)」になります。「にふぇー」や「にーふぁい(みーふぁい)」は「二拝(三拝)」という意味を持っています。このように沖縄の言葉はまったく通じません。沖縄に行くと、おじいおばあ(おじいさんおばあさん)と話す機会がたくさんありますが、そのときに絶対にやってはいけないことは、少し沖縄言葉を覚えたぞと思って、標準語で「そうだね」の意味に当たる「やさ」という言葉を安易に使うことです。そんなことしたら沖縄の言葉が分かると思われて、おじいおばあはものすごい勢いの沖縄弁で話してきます。まったく分かりません。たとえば、八重山方言でいうと「ちゅーや、立命館大学んかい、おーりとーらりてぃ、しかいとみーはいゆー」。標準語に直すと「今日は立命館大学に来ていただいて、ありがとうございます」という意味です。沖縄の言語は本当に難解です。しかし言語構造も完全に日本語ですし語彙も基本的には日本語なので、日本語であることは間違いありません。現在一般に使われている沖縄弁であるうちなーやまとぅぐちでは、沖縄方言と標準語が混在していたりもするので、よけいに分かりにくい場合があります。

 どれぐらい違うのか、「ちんさぐぬ花」の曲を例にしましょう。

(「ちんさぐぬ花」演奏)

 この曲は教訓歌なので、すんなり聞けない人もいるかもしれませんが、沖縄の人は必ず歌えると思います。題名にもある「ちんさぐ」とはホウセンカのことです。歌詞は、「1、ホウセンカの花を爪の先に染めなさい、親の教えてくれることを心に染めなさい。2、天の星はなんとか数えられるけれど、親の言っていることは後にならないと分からない。3、夜に船を走らせるときは北斗七星が目当て、私を育ててくれる親は私が目当て。……」となります。

 もう1曲、宮古島の「なりやまあやぐ」です。これも教訓歌です。

(「なりやまあやぐ」演奏)

 歌の意味は、「3、馬に乗ったら手綱を許してはいけないよ、みやらび(きれいな女の子)の家に行っても心を許してはいけないよ」です。つまりこの歌は、自分の旦那に対して「浮気をしてはいけないよ」という歌なんです。「ちんさぐぬ花」と「なりやまあやぐ」は同じ教訓歌ではあるものの、言っている内容もメロディも違います。宮古島は威勢がいいですね。たとえば「なんとかなるよ」という意味で使われる「なんくるないさー」という沖縄の言葉がありますが、宮古島では「あららがま」という言葉を使います。「なにくそ、頑張るぞ」という意味ですね。同じ沖縄でも、非常に地域性が出ていると思います。宮古島の人は実際に威勢のいい歌をよくうたいます。

 次は八重山の「でんさ節」です。「でんさ」とは、「伝承」とか「伝える」とか「言い伝え」という意味を持っています。非常にゆったりとした曲です。

(「でんさ節」演奏)

 歌詞は「1、上原(西表の地名)の言い伝え、昔からの言い伝え、私の心を言うので聞いてください。……3、親子の仲がいいのは子供から、兄弟の仲がいいのは弟妹から、家族の仲がいいのはお嫁さんからへりくだりなさい。……」という意味です。今の時代に聞くと語弊がありますが、当時は良いと言われていたわけですね。


4.八重山民謡

 私の得意とする歌は八重山民謡なので、ここから先は八重山民謡にしぼって話を進めたいと思います。

  「安里屋ゆんた」は沖縄の歌のなかでは一番有名だと思います。旅行で沖縄に行っても必ず耳にしますし、このあたりの沖縄料理屋でも流れています。

(「新安里屋ゆんた」演奏)

 この歌は数十年前に作られたわりと最近の歌です。「ゆんた」はもともとは労働歌です。「ゆんた」とは「結(ゆい)」のこと。沖縄本島では現在でも「結」や「結丸(ゆいまる)」という言葉が残っているのですが、これは隣近所で助け合うことを意味しています。「結」、つまりみんな総出で仕事をしているときは単調だとつまらないから、みんなで歌ったんです。「結」のときに歌うから「結いうた」。それがなまって「ゆんた」になったという説が、一般的に言われています。
 竹富島の古い「安里屋ゆんた」もありますが、歌詞も少し異なります。

(「安里屋ゆんた(旧)」演奏)

 歌の意味は諸説ありますが、安里屋に「クヤマ」という美女がいて、首里から来た役人に求婚されたが、クヤマはその求婚を断り地元の男と結婚したのでクヤマは偉い、という美談がこの「安里屋ゆんた」になりました。明るい曲ですね。

 「新安里屋ゆんた」もそうですが、この歌も二手に分かれ掛け合って歌います。私が歌うと相手が「サーユイユイ」や「ツィンダラ カヌシャマヨ」と返して唱和します。沖縄本島には、このゆんた形式の歌はあまりないのですが、なぜか八重山地方にはたくさん存在しています。これも独自の地域性です。

 沖縄本島が尚巴志によって統一されるのが1400年代です。1470年に尚円(金丸)がクーデターを起こして沖縄を統一していき、1500年代には宮古諸島や八重山諸島が琉球王国に服属していきます。このとき、もともと違う文化を持っていた場所が服属させられるので、支配者を派遣していきました。そこで面白いと思った人や文化を現地から本島へ引っ張ってくる。そんな中で変化していくものもたくさんありました。沖縄本島の曲でも、もとをたどれば違う曲だったというものがたくさんあります。「鳩間節(はとまぶし)」もその典型です。西表島のすぐ北、一周3キロしかない鳩間島の歌です。

(「鳩間節」二曲演奏)

 もともとの「鳩間節」に比べると、沖縄本島の「鳩間節」はテンポが速くなります。このように、本島の人の好みに合わせて曲のテンポなども変化していきました。オリジナルの曲が人と人との交流によって、変化しながら複雑になっていくという現象が、実際にいくつも起きているんです。

 次の曲は、月がきれいだったことから生まれた曲です。

(「月ぬかいしゃー節」演奏)

 沖縄では子守唄のようなものです。この歌は1・2番と3・4番では違うメロディになっています。このように途中でメロディが変わる歌の形式を「じらば」と言います。この特殊な形式が存在しているのもまた、八重山諸島だけのようです。

 与那国島では、役人が数年に一度交代します。その役人の方に対して歌った曲が「しょんかね節」です。

(「しょんかね節」演奏)

 歌詞は「1、もうこれでお別れだと思うと、手に持つ盃に涙があふれて飲めません。……3、与那国から帰るときの渡海は池のような水です、心安く渡ってください。……」です。「池のような水」とは、波がないということですが、そんなこと絶対にありません。波はかなりすごく、荒れた日に舟に乗るような人は死ぬ確率のほうが高い。そういう人たちに対してうたうお別れの歌がこの「しょんかね節」です。
 島の特性によりできる曲もちがいますね。


5.現代の沖縄の歌

 次に、現代の沖縄音楽も聴いてください。

(「オジー自慢のオリオンビール」演奏)

 BEGINの曲「オジー自慢のオリオンビール」です。アップテンポな曲ですね。続いて、沖縄に行ったことがない人でも必ず知っている、「ハイサイおじさん」という曲を聴いてください。

(「ハイサイおじさん」演奏)

 「ハイサイおじさん」は、志村けんの「へんなおじさん」とそっくりですね。「ハイサイ」とは挨拶語で、英語の「ハロー(hello)」にあたります。男性は「はいさい」と言い、女性は「はいたい」を使います。この曲を作ったのは、喜納昌吉さんです。喜納昌吉さんの「花」という曲も、非常に有名です。

(「花」演奏)


さいごに

 沖縄の人は本当におおらかで、「ウチナータイム(沖縄時間)」が存在します。たとえば飲み会の約束なども、1時間以内であればだいたいセーフです。11時集合と決められているものでも11時59分までに来れば通常許されます。遅刻したと怒っても、「まだ11時台だよ?」なんて言われます。それに、沖縄は非常に人情味があります。最近では那覇もずいぶんと都会化しましたが、田舎では食堂に1人で入っても、1人で出てくることはありません。「お兄さんどっから来たの?」と必ず声をかけられます。以前行った居酒屋では、隣のおじさんが「おまえ食え」と、沖縄独特の料理を注文して食べさせてくれたこともありました。1人で飲んでいても、1人で飲ませてくれない。それくらい、沖縄は人情が濃いんです。

 私たちが沖縄音楽に惹かれる理由とは、いったい何なのでしょうか。演劇評論家である渡辺保さんによると、古典が古典であるためには、2つの要素があるそうです。1つは、実際に古いこと。つまり歴史性があることです。もう1つは、それが今の時代でも共感できなければ、古典とは言えないそうです。以上を定義としてみたとき、沖縄音楽は古典と言えるでしょうか。代表的な楽器である三線が沖縄に来たのは、14世紀頃だろうと言われていますので、当然歴史性がありますね。そしてその三線を今でもBEGINやりんけんバンドや喜納昌吉さん等、さまざまなアーティストが実際に使っているので、現代性もあるだろうと考えられます。BEGINの「オジー自慢のオリオンビール」は最近作られた曲ですし、毎年多くの新しい曲が作られています。沖縄音楽は、現代でも作られ、愛好されているんです。ということは、それだけ需要があるということだと思います。需要がなければ、新しい曲が生まれても世に出ることはないでしょう。僕らは沖縄音楽の持つ、現代性と古典性に惹かれるのではないでしょうか。



―以下、質疑応答―

Q. 先生が沖縄音楽に惹かれるきっかけは何だったのでしょうか?

A.実際に沖縄滞在中に、いろいろな場所で沖縄音楽を聴き、沖縄の風土と音楽に魅せられたことがきっかけになりました。音楽と風土とが結びついて、自分にとっての癒しに感じられたことが、その理由なのではないかと考えています。


○先生が実際に三線を演奏しながら歌ってくださった曲
「二見情話」「ちんさぐぬ花」「なりやまあやぐ」「でんさ節」「新安里屋ゆんた」「安里屋ゆんた(旧)」「鳩間節」「月ぬかいしゃー節」「しょんかね節」「オジー自慢のオリオンビール」「ハイサイおじさん」「花」

【参考文献】
・『琉球王国の歴史』 佐久田繁、沖縄出版
・『声楽譜附八重山古典民謡工工四』(上下巻) 大浜安伴、三ツ星印刷
・『沖縄三線で弾くビギンの島唄 オモトタケオ』(1・2巻) ドレミ楽譜出版社
・『はじめての三線―沖縄・宮古・八重山の民謡を弾く』 漆畑文彦、晩声社
・『ちんだみ 工工四百選集』 ちんだみ工芸
・『海上の道』 柳田国男、岩波書店


三線を演奏される茂原先生
写真1 写真2 写真3
講義後、三線を「分解」
写真4 写真5 筒が抜けるときに”スポン”という音が教室に響いて、受講者の笑いを誘いました
先生が使用された三線と打楽器の三板(さんばん)
写真6 写真7 写真8



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