第5回 2008年5月10日 「究極のレコーディング(録音)」



講師: 伊藤 八十八 (いとう・ やそはち) 先生

1946年岐阜県生まれ。早稲田大学在学中、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブに在籍し、ジャズに傾倒する。
大学卒業後、日本フォノグラム(現ユニバーサル・ミュージック)へ入社。洋楽ポピュラー編成部に8年間所属し、ポール・モーリア、スコット・ウォーカーなどのポップス・アーティストを担当する。また、ジャズ・レーベル「イースト・ウィンド」を設立し、渡辺貞夫や日野晧正、ザ・グレイト・ジャズ・トリオ等のプロデュースを手掛ける。
1978年CBS/SONY(現ソニー・ミュージック)へ移籍。当初は洋楽企画制作部に所属し、マイルス・デイビスやウェザー・リポート、ハービー・ハンコックといった洋楽系ジャズを担当しつつ、ザ・スクェアやマリーン、笠井紀美子等の国内JAZZ/FUSION系アーティストのプロデュースを手掛ける。その後、森山良子、久保田利伸、五輪真弓、松田聖子、鼓童等の国内制作部門を担当。
1995年洋楽部門に復帰し、レガシー&ジャズとアジア・マーケティング部を兼任し、ケイコ・リーやTOKUといった国内のジャズ/フュージョン・アーティストを発掘育成。また、国内アーティストのアジア・マーケット戦略を推進する。
1999年からは録音技術本部長を兼務し、スーパー・オーディオCD(SACD)などの開発やソニー・ミュージック・スタジオの設計、管理に携わる。
2001年には、自己の名前に由来したジャズ・レーベル「エイティ・エイト」を立ち上げ、注目を集める。
2006年8月ソニー・ミュージック・グループを定年退職し、株式会社88を設立して現在に至る。
現在までのプロデュース作品は国内外を合わせて約450点。
スイング・ジャーナル誌主催ジャズ・ディスク大賞金賞、録音賞、制作企画賞やミュージック・ペン・クラブ賞など受賞多数。また、多くの作品が米国、欧州、アジアの海外でも発売されて、大変高い評価を得ている国際的音楽プロデューサー。
「究極のレコーディング(録音)」


1.録音の歴史

 まずはじめに、歴史的な事柄について話したいと思います。1877年、発明王エジソンが蓄音機「フォノグラフ」を作りました。録音の原理は、簡単に言うと糸電話、つまり振動です。円筒形の蝋管に振動を刻み、縦に回転します。これが最初のシングル盤です。今日は私の友人であるアメリカのプロデューサーからコロンビア・レーベルのフォノグラフを借りてきたので、みなさんに回します。実際に手にとって見てみてください。フォノグラフなんてあまり目にする機会もないと思います。このようなかたちで蓄音機ができて、音を録音することと再生することが可能になりました。その後ベルリナーが、エジソンが発明したものに改良をくわえて、回転を平面にした円盤型の蓄音機を発明します。これが、古くはトランスクリプションと言われる流れを作り出しました。もともとトランスクリプションとはなんのために使われたかというと、アメリカのラジオ放送の際に使われていました。当時は無線などないので、現在のいわゆるLPよりも少し大きめの円盤型ディスクに音を刻んで録音し、それをラジオ局へ運んで、再生して放送したというわけです。たとえば、ニューヨークで録ったものをロサンゼルスでもオンエアできたということです。アメリカではそれまでシングル盤などはなく、音楽の頒布はすべて楽譜でした。今は、ヒット曲といえばみんなシングル盤を買ったり、ダウンロードしますが、当時は楽譜を買ったんです。だから楽譜屋さんは非常に儲かったのです。そんななか、放送局が各地にできるようになりました。しかし現在のように、音を空中に飛ばす無線という技術などありませんでしたので、音を物に固定したんです。その記録物が、原盤です。その原盤を各地に輸送し、放送に使いました。またこの円盤型ディスクは、円筒形の蝋管と違って大量生産しやすいものでした。プレスしていくだけで枚数が増えるので、その便利さからビジネスにもつながっていきました。現在のレコード産業は、そういうところから生まれてきたんです。

 レコードの歴史は、SPと呼ばれる3〜4分の円盤型ディスクが誕生したあと、やがて1950年代にはLP時代を迎えます。LPになると、片面20分ぐらい録音できるようになりました。この時代には、レコード産業も全盛期に入っていきます。EPと呼ばれるドーナツ盤も生まれ、これが今で言うシングル盤です。録音の方法も、はじめはディスクに直接カッティングして音を刻んでいましたが、テープ・レコーダーが開発されて磁気録音が可能になりました。録音技術はどんどん進化して、現在ではステレオやマルチなどがあり、チャンネルをいくらでもつなげることができますが、この多チャンネルのもとにあるのはモノラルです。人間の耳は2つあるので、ステレオが生まれて音が立体的になったような感じがしますが、その原型はモノラルにすぎません。

 1960年代に入るとメディアも多様化し、LPだけではなくコンパクト・カセットやエイト・トラックなども生まれました。1970年代にはビデオ・テープ、つまり映像付きの録音物が出てきました。この段階で、録音はアナログ方式からデジタル化していきます。その後1982年にCDが商品化されました。この頃はまだLPとCDが共存する流れがあり、CDが本格的に普及し始めるのは90年代に入ってからです。録音も、テープにかわり、ハード・ディスクと呼ばれるものが出て、ハード・ディスクに記録した音で原盤をつくっていくという時代になりました。CDもそのあとSACD(Super Audio CD)が1999年に登場し、現代音楽メディアのハイ・クオリティなサウンドをキープしています。このSACDが誕生してまもなく10年が経ちます。

 以上のように録音の歴史とは、エジソンの蝋管蓄音機からはじまり、100年余りの時を経て、SACDというメディアに至っています。


2.音と音楽

 耳に入ってくる「音」があってこそはじめて、音楽が生まれていく。だから私は、音楽の前に音があると思っています。この「音」は非常に大切です。いい「音」があってこそ、いい「音楽」ができる。コンサート・ホールなどでもそうですが、今は原音や生音を実際に聴くことはできません。室内楽でも屋外のライヴでも、PA(Public Acoustic)を通しています。今私が話しているこの声も、PAシステムを使っています。それが本当にいい音なのか、悪い音なのかは、なかなか判断できません。私のこの声は、ワイヤレス・マイクロフォンを使って無線で飛ばしていますが、音的には有線のほうがいい音になります。つまり、有線の方が私の肉声に近いように思います。しかしどちらにしても、擬似音にすぎません。レコードやCDも擬似音ですね。つまり録音とは、本物をつくることではなく擬似音をつくることなんです。それをいかに生音に近づけるかということをやっている。そのためにスタジオなどもできました。音をいかに美しく、きれいに、生々しく録るかということです。

 本物に近い音を作るためには、ソフトも必要ですが、良い再生装置も必要です。録音技術が進むにつれ、レコード・プレーヤーなどのさまざまな再生装置も次々に発展していきました。今日は、SACDの再生装置を持ってきました。これは当然SACDの再生もできるのですが、CDも再生できるいわゆるハイブリッドです。今のSACDはほとんどがハイブリッドになっています。SACDは0.6ミリの薄いディスクが2枚貼り合わさってできています。SACD層のディスクの内周には2チャンネル、外周にはマルチ・チャンネルのエリアがあり、その上にCD層があります。SACD層0.6ミリとCD層0.6ミリ、合計で1.2ミリの厚さを持っています。つまりこのなかには3種類の音が入っています。CDの音とSACDの2チャンネルの音とマルチ・チャンネルの音です。しかし3つの音を同時に聴くことはできません。


3.CDサウンド

 1982年、LPに代わってCDが登場しました。CDのサンプリング・レートは44.1kHz、直径は12cm、容量は16ビットで74分です。この74分という数字はどうやって決まったかご存知ですか? CDは、ソニーとフィリップス社の提携によって開発されたものです。ベートーベンの「第九」(約74分)を1枚のCDで聴きたい、しかもポケットに入るサイズというソニーの大賀氏の個人的な願いがまかり通り、74分という長さで、直径12cmのパッケージになりました。現在の技術では78分30秒くらい、厳密には80分近く収録可能になっています。当時は74分くらいが限界だったんですね。スペックはこのようにして決まりました。ただ、音質的には20kHz以上の音はカットされています。なぜかというと、人間の可聴範囲は約20kHzだろうと言われているからです。しかし実際に20kHzまで聴こえる人はほとんどいません。人はだいたい、12〜15kHzくらいが限界で、20kHzまで聴こえる人は稀だと思います。CDは、それ以上の音を切ってしまった。人間の可聴範囲がそれ以下だからいいだろうということで決めたことでしたが、ここに非常に大きな落とし穴がありました。実は、音には倍音というものが出ているんです。もっと高い音です。人間の耳には直接聴こえませんが、20kHz以上ある音とそれ以下の音を聴き比べてみると明らかに違います。実際にソニー・ミュージックで実験をしました。そうしたらやはり、20kHz以下で録音したものと、100kHzまで録音したものでは、再生すると明らかに音として違うのが分かりました。CD、つまりデジタル化に伴って失われたものは、そういうところにあると思います。

 またCDの音は、実は1枚1枚違うんです。なぜなら同一マテリアル、同一条件でプレスすることは不可能だからです。同じCDを2〜3枚比較視聴するとよく分かります。もしお友達が同じCDを持っていたら、借りて聴き比べてみてください。いいと感じた音のCDを自分のものに、悪いと感じたほうを友達に返すのもいいかもしれません(笑)。本当なので、ぜひ一度やってみてください。それぐらい、音はデリケートなものです。たとえば、アメリカの電圧は117V、日本は100V、ヨーロッパは220〜230Vが一般的ですが、このボルテージによっても音は変わります。空気や湿気なども、録音の際に大きく影響します。日本国内でも、サイクルは関東が50、関西が60と違うので音も違う。ちなみに関西のほうがいい音です。このように、いろいろなものが音に影響しています。


4.デジタルは及ばざるが如し

 僕は、デジタルは及ばざるが如し、やっぱりアナログだと思います。人間はアナログで聴いている。どんなにデジタル化が進んでも、再生するときにはアナログに変換してあげないと音は聴こえないんです。それに実際に音が出ているものもアナログです。私のこの声も、みなさんの声も、ぜんぶアナログなんです。最近はデジタル・マイクロフォンというものもありますが、音はまったくダメです。擬似音でも生音とかけ離れた擬似音しか録れない。いずれアナログにより近いデジタル・マイクロフォンができたとしても、そんなに重要なものではありません。デジタルの一番いいところは、記録・保存が非常に便利であるということ。それがすべてです。磁気テープは経年変化を起こすので、20年くらい経つと劣化します。また磁性体は湿気を帯びてべたつき、再生できなくなります。そうなってしまうとアナログテープはもう聴けません。保存状態がよければ40年経っても問題なく聴けますが、保存状態が悪ければ10年でダメになります。デジタルの場合、理論的には1と0しかないので変化しません。しかしその通説も、どうやら間違っているようです。デジタルでも聴こえなくなるものもあるんです。デジタルとは理論だけで、実際はデジタルをとりまく環境は全部アナログなんですね。たとえばCDにはデジタル信号がピットで刻まれています。このデジタル信号は、理論上は非常にピュアなものですが、経年変化によって劣化してしまいます。つまりCDもアナログだということです。

 音というものは、すべてアナログを中心に考えなければなりません。デジタルが登場した当時、デジタルの音は変わらないと言われていました。しかし実際はそうではないことが起きています。たとえば、レーザー・ディスクは糊で貼り合わせてあります。時間が経つとその糊に化学変化が起き、聴こえなくなったということも起きています。要するにすべてアナログの問題がからんでいる。そういう意味においては、必ずしもデジタルがいいとはなかなか言えないと思います。

 また最近は、アーカイヴというものが盛んに行われています。つまり保存をしていくわけですが、アナログでもデジタルでも、同じように経年変化が起きると僕は思います。それを避けるためには、10年に一度くらいの割合で保存をしなおすことを繰り返す必要があります。現在では各レコード会社でもアーカイヴという作業を進めています。古い磁気テープを次々とデジタル化し、それをハード・ディスクに保存していきます。しかしこのハード・ディスクも、だいたい10年ごとにフォーマットが変わるので、そのたびにアーカイヴしなおすことで音の文化を残していく努力をしています。どんなにデジタルが普及しても、実際にアナログに変換しないと音は聴こえないんです。

 大切なのでぜひ覚えておいて欲しいものに、AD/DAコンヴァーターというものがあります。アナログからデジタルへ、デジタルからアナログへ変換する際に必要なものです。ほとんどのCDプレーヤーに搭載されているもので、これがないと音楽が聴けません。デジタルの場合はこのAD/DAコンヴァーターが音質を決めます。値段もこれで決まります。高いプレーヤーは、このコンヴァーターにお金がかかっているということです。 


5.再生装置の正しい利用法

(1)正相と逆相

 音には「正相」と「逆相」があることを、みなさんご存知でしょうか。たとえば、2つのスピーカーの両方から同時に音が出れば正相、互い違いに出れば逆相です。これはほとんどの家庭では無頓着になっています。昔、私がジャズ喫茶めぐりをした時も、半分くらいの店が逆相でした。逆相の場合、ストリングスなどが非常に広がりをもったように気持ちよく聴こえるときもありますが、それはただボケているだけです。配線が間違っていると逆相になってしまうので、これを正相に戻すことが非常に大切です。正相と逆相の見分け方は簡単です。片方のスピーカーからもう片方のスピーカーまで歩いていき、ちょうど真ん中で音が消えれば逆相です。正相だと音は消えません。それから逆相の場合は、左右の低音が非常に大きくなり、中心になるとなくなります。コンサート会場でのPAシステムも、逆相の場合があります。みなさんも、ライヴなどで音が変だなあと思ったときは、スピーカーがひっくり返っているときだと思います。スピーカーがたくさんあるときはもっと複雑です。10のうち3つがひっくり返っているなんてときでも、音が変わってきます。どうやったらいい音が録れるかということを考える前に、まずこのようなことを考えてみるのもいいと思います。音は正相でなければ、いい音はしないんです。

(2)電流の+−

 電流にはプラスとマイナスがありますよね。アメリカのプラグにはピンが3本あるのでコンセントに差す方向を間違うということはありませんが、日本のプラグも、長いほうと短いほうがあることをご存知ですか? つまりどちらかがプラス、どちらかがマイナスなんです。電流はプラスからマイナスに流れるという原理を持っているので、これが逆になっているといい音はしません。これを見分けるためには、検電ドライヴァーというものを使います。これは普通のドライヴァーではありません。先端部をコンセントの片方の穴に入れてみて、ランプが光るか光らないかでプラスとマイナスが分かります。それをたどって配線していくことで正しい配線になり、いい音になります。一般的には、配線が逆になっていても音は出るのであまり気にされていませんが、音にノイズが混じることもあります。検電ドライヴァーは300円くらいで売っているので、もしも興味がある方は家で試してみてください。いい音は、なにも高い機器をそろえるということだけではありません。

(3)BGMの音量

 喫茶店では必ずBGMが流れていますが、ボリュームが一定以上の大きさになると、耳障りになります。それを利用して、駅前の喫茶店はだいたい音量が大きいことが多い。なぜならお客さんの回転がよくなるからです。理論上は、音が小さくても大きくても音質は変わらないはずなんですが、どういう訳か実際はそうではありません。音量は大きいほうがいいんです。実際に大音量で音楽を聴くと、いい音に聴こえると思った経験はありませんか? 小音量よりも大音量のほうがいい音がするんです。これは私の持論ですが、音量を上げることで電気の流れが開放されるのだと思います。ときどきCDのキャッチ・フレーズに、「窓を閉めて、できるだけ大音量でお聴きください」などと書いてありますが、それも同じ理由によるものだと思います。電流は常に100%流れたがっているんです。それを自然に戻してあげることが、ボリュームを上げるということなんです。

(4)基本を見直すこと

 デジタル化によって一番変わったことは、非常に便利になったということです。それまでオーディオ機器の扱いが苦手だった人にとっても、デジタルになって操作が簡単になったので、みんないい音で音楽を聴けるようになりました。しかし同時に落とし穴もありました。便利になると人は考えなくなるんです。車のカーナヴィを使っていると、道をぜんぜん覚えられないのと同じですね。便利なことは、人のクリエイトな行為を奪ってしまう。人間は、工夫したり考えたりしなければいけないと思います。高額のアンプや良質のプレーヤーを買う前に、基本に忠実になるということは大切です。そうすれば、そんなに悪い音はしない。たとえば家の中でも、畳の部屋やじゅうたんが敷いてある部屋で音楽を聴く、あるいは幕を張る、レンガの上にスピーカーを置くなどして、みなさん工夫します。こういうことをどんどんやってください。プレーヤーだけではなく、空間全体のアコースティックについて考えいくことで、いい音が生まれます。ほかの場所にはない音を作り出せます。高いもの、便利なものだけにいい音を求めるのではなく、今あるものを工夫していい音を生み出していくこと。それが音作りにおいて大切なことです。

(5)金・銀・アルミ

 同じ音源でも、ディスクのメッキ素材がアルミと銀と金では音がどのように違うのか、今日は実際に持ってきたので聴いてください。

【3種類のCDを試聴】

 金は、下のほうがちょっと足りない感じがしますが、中高域はすごくきれいです。銀は全体的なバランスも崩れていないし、リバーヴ感や奥行感も出ていい感じです。このように同じ音源でも、メッキを変えるだけで音が変わるんですね。音というものは非常に微妙なんです。1枚1枚違う。それにいろいろな工夫によって音を改良することができる。常にこういうことに挑戦することが大切だと思います。


6.音楽プロデュースとは

 僕は仕事上、つねにアーティストの人たちと対峙しています。アーティストの人は一般の人たちよりもはるかに、歌うことや楽器を演奏することに長けています。しかし持っていないものもたくさんあります。それを身につけられれば、彼らと対等に話ができる。アーティストは、自分にないものを持っている人のところへ寄っていくんです。アーティストが持っている「一芸」に対し、「多芸」を身につけるということは大事なことだと思います。たとえば美的感覚、あるいはジャケットを作るアイデア、ライナー・ノーツを書く能力などを持っているほうが、アーティストとうまくいくことが多いように思います。

 演奏する楽器によっては、ミュージシャンの性格も違います。これはあくまでも統計的な話なので、もちろん例外はありますが、たとえばドラムスとトランペットは、非常に陽気な人が多い。キーボードやギターは理論派。ベースやヴァイオリンなどの弦関係は、ちょっと意地悪な人が多いですし、管楽器はだいたい明るい人が多い。とくに明るいのはトランペット、トロンボーン、サクソフォン。弦でも、バイオリンやチェロやベースなどによっても、性格が違う。コーラスは相性が問題で、相性が悪ければいくら上手な人が集まっても良くありません。また、コーラスの人がソロで歌ってもあまり良くありません。不思議なものです。

 音楽をプロデュースするということは、感動することから始まります。感動なくして、ものは作れません。感動の度合いが大きければ大きいほど、それをプロデュースするエネルギーや情熱に変えてものを作っていく。最初は新人のアーティストを発掘するところから始まるので、上手じゃない人のほうが多い。そんななかから原石を見抜くということが一番大切です。今は輝いてなくても将来必ず輝くだろうということを見極める必要がありますが、これが非常に難しい。ものを作るため、アーティストを育成していくために必要なことは、すでに完成された人に感動するのではなく、未完成のアーティストの魅力を見抜くということです。

 ちょうど私が録音技術本部長に就任したときに竣工に関わった、乃木坂のソニー・ミュージック・スタジオがあります。バブル期に作られたので、凄い設備投資をしました。今ではこんなスタジオは作れません。現存するスタジオのなかでは、おそらく世界一だと思います。このスタジオには、いわゆるコンサート・グランドという一番大きなピアノをリフトで5台入れて、笹路正徳さんという有名なピアニストであり、プロデューサーでもある方に弾いてもらいました。そして一番いい音のピアノを2台選んでもらい、残りの3台は返しました。各スタジオにはガラス扉のブースがあり、同時録音の場合などに各ブース間でアイ・コンタクトしやすいようになっています。閉塞感がないように窓も付けて、みんなが一体感を感じるような空間にしました。壁紙をはじめ、ほとんどのものはロサンゼルスから輸入しました。電源設備は特注したものでしたが、1年半後に新しいものに作り直しました。また設計上、下を通る地下鉄の音は入らないはずだったのですが、実際にできあがってみると微かに入っていたので、これも3ヶ月かけて工事しなおしました。スタジオといえば機械が充実しているイメージがありますが、このスタジオは居住空間を充実させようと思い、リラックスできるリヴィング・ルームやキッチンなども付けました。長期滞在されるアーティストも多く、浜田省吾さんは3ヶ月くらい、大滝詠一さんは半年ちかくスタジオを押さえます。レコーディングのスタッフはそんなに多くありません。通常はエンジニアとアシスタント1人です。音は瞬時に消えていくので、瞬時の判断をするのに大人数はかえって不必要です。またレコーディングが終わったときに、「いいですね」とか「もう一回いきましょう」とか言ってあげないと、アーティストは不安になる。OKなのかそうでないのかがすぐ分からないと嫌がります。アーティストとコミュニケーションをとること、これは結構大きなポイントです。


さいごに

 ではみなさんにいただいた質問にいくつか答えながら、話していきましょう。

Q.レコーディングがどのような手順でどのように行われているのか興味があります。

 レコーディングは、まずアーティストを見つけ出すところから始まります。僕が一番注意するのは、声質です。歌は練習すれば誰でも上手になりますが、声質は持って生まれたものなので変えられません。美空ひばりがひと声歌えば、美空ひばりと分かります。あるいは楽器で言うと音色。マイルス・デイビスがトランペットをひと吹きすれば、マイルスだと分かる。渡辺貞夫が『マイ・ディア・ライフ』を演奏すれば、渡辺貞夫と分かる。そのアーティストが持っている声=音色を、僕は一番大切にしています。

 アーティストが決まれば、楽曲を作ります。その人が自分で作曲できる場合もありますが、できない場合はプロの作曲家にお願いします。そしてデモ・テープを作り、レコーディングをします。それからマーケティング・プランを考えたり、プロモーションをしたり、ジャケットを作ったりします。今はノンパッケージの時代に入りましたが、だいたいこのような手順です。期間も一日で作る場合もあれば、半年〜1年ぐらいかかる場合もありますし、かかわる人たちも、プロデューサーやディレクター、作曲家、アレンジャー、レコーディング・エンジニアなど、たくさんの人たちが関わります。

Q.バンドで宅録をしています。詳しいレコーディング方法やコツを聞きたい。

 宅録のコツは、さきほどの基本を全部チェックすることです。またマイクロフォンの位置には必ずスイート・スポットがあるので、そのスポットを見つけてください。マイクをどの位置に立てるかということが非常に重要です。一番いい音が出る場所が、必ずあります。

Q.携帯電話やiPodなどの音楽についてどう思うか。

 これらの音楽は圧縮音源です。食べ物にたとえるなら、ファースト・フードみたいなものでしょうか。それでも満足できる人はいいですが、なかにはちゃんとした料理を美味しく食べたい、愛情のこもった家庭料理を食べたいと思う人もいるでしょう。圧縮された音源を否定はしませんが、たまには美味しいものを食べるのもいいと思いますよ。そしてありとあらゆる音楽に興味を持って、とにかくたくさん音楽を聴いたほうがいい。どんなことにもチャレンジして、人よりも多く音楽を聴くことによって感性も磨かれます。たいていのミュージシャンやプロデューサーはみんな努力しています。そういうことを人一倍努力することが、最終的には活きてくるんですね。


 音楽というものはどこにでもあるものです。大切なことは、漫然と聴くのではなく注意深く聴くこと。自分でどこがいいのかをつねに考えて「聴く」ということが、非常に大切です。現在はノン・パッケージ化が進み、圧縮された音源が多く聴かれていますが、僕はいい音楽をいい音で聴いて欲しい。もっと考えて聴いて欲しいと思います。デジタル化とはアナログを圧縮することにすぎません。人間そのものもアナログ、音楽を聴く耳もアナログ、やっていることすべてはアナログなんです。デジタル化によっていろいろなものが便利になったように見えますが、ただ簡略化しているだけなんです。そのことによって音楽の濃さもなくなってきています。単純にデジタルに移行するだけでは、考えるという行為が奪われてしまいます。それよりももっと緻密なもの、心に訴えかけるもの、ヒューマンなものを大切にしたい。それはやっぱりアナログなんです。そういうことをぜひ考えていただきたいと思っています。




フォノグラフ ←先生が見せてくださったフォノグラフ
蝋管(写真左)に溝が刻まれている
講義風景
銀メッキのCD 金メッキのCD アルミメッキのCD
銀メッキのCD 金メッキのCD アルミメッキのCD




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伊藤先生