第9回 2008年6月7日 
「音楽ビジネスと才能
須藤先生

講師: 須藤 晃 (すどう・あきら) 先生

音楽プロデューサー・作家
1952年8月6日富山県出身、AB型
東京大学英米文学科卒業
1977年、CBSソニー(現 株式会社ソニー・ミュージック・エンタテインメント) 入社
1996年、株式会社カリントファクトリー 設立
2006年、株式会社よしもとアール・アンド・シー 取締役副社長就任

尾崎豊、浜田省吾、村下孝蔵、玉置浩二らと音楽制作のパートナーとして数々の名曲を発表する傍ら、

作家としても活動中


「音楽ビジネスと才能」


はじめに

 先日、日本の国文学の名門一家である金田一家の、金田一秀穂さんという方に仕事でお会いする機会がありました。彼は大学で先生もしているし、テレビにも出ているので、ものすごく話がうまい。そこで、講義のコツがあれば聞いておこうと思いました。そのとき言われたのは、日本語は非常に難しい言葉なので、自分が話していることが相手に100%伝わらないことだってあるということでした。例えば、外国人に"刺身"を正確に説明しようとすると、「死んだ魚の切り身」と言うしかありません。しかし日本人が「死んだ魚の切り身」と聞くとちょっと違う。これ以上正確に説明しようとすると、「死んだ魚の、ほぼ生に近い切り身」です。つまり、正確な説明が必ずしも相手に伝わる手段ではないということですよね。

 あるいは、「ちょっと前のことだけど」なんていう表現はよく使われますが、"前"と"後ろ"という関係性から見ると、"前"という言葉は"先"、つまり未来のことを指しています。"前"とは基本的にポジティブな表現であり、"後ろ"とは時間的にも過去を表していてネガティブな表現のはずです。にもかかわらず、「あとでね」なんて言うと、時間的には"先"のことを表しますよね。日本語って不思議で、「前のこと」は過去のことで、「後のこと」は未来のことなんです。外国人が「前」と「後」を覚えても、このような表現が出てくるとごちゃ混ぜになりますよね。君たちと僕は同じ日本人ですが、それでも僕が話していることを正確に伝えようと思っても、逆に正確に伝わらなかったり、僕がイメージしているものとは違うものが伝わったりすることがあるわけです。

 喋ることは僕の仕事ではありませんが、大学や専門学校、企業の研修などで話をすることがあります。そのなかでも、大学生相手が一番話しやすい。この寄附講座にも何度か来ていますが、私が大学生の頃は、興味のある業界や企業で働いている人の話を聞くチャンスなどなかったので、おかしな言い方ですが羨ましく思います。それに、音楽業界の話を聞いていたら、音楽業界なんて入らなかったのになあと思います(笑)。著作権についての話や、音楽ビジネスの内情あるいは仕組みについては、本屋に行けばもっと分かりやすい本がたくさんあるので、今日はそういう話はしません。それよりも、普段は出会えない人の話を聞くことができたという印象だけが残るような講義をしたいと思っているので、教科書に書いてあるようなことは省略しつつ講義を進めたいと思います。


1.形あるものとパッケージビジネス

 CDやDVDなんかのいわゆるパッケージビジネスって、今は衰退していると言われていますよね。配信された音楽や映像のデータをパソコンや携帯電話でダウンロードして聴いたり見たりするので、わざわざパッケージを買わなくなってしまった。でもパッケージビジネスがなくなることはないと思います。僕から言わせてもらえば、パッケージがなくなるということは男と女が家庭を作らなくなることと同じです。つまり、会って話して楽しければ結婚なんかしなくてもいいじゃないかということと同じです。しかしそんなことはありえない。家庭を持って形あるものを育んでいきたいという気持ちは、人間の本能だと思うからです。それと似ている感じがする。"パッケージビジネス"というと商業の話だから異論もあるかもしれない。しかし形あるものに惹かれることは、人間の本能的な欲求だと僕は思います。

 知的財産というものがありますよね。そもそも"財産"とは、後々に残していくべき価値の蓄積です。一番分かりやすい例は"お金"ですね。その財産にも、有形物と無形物の両方があります。例えば、人間国宝とはその人物が長い間かけて培ってきたスキルですが、技術そのものには形がありません。その技術によって作られたものに形があるだけです。彫刻でも絵画でも文学でも作られたものは形として残りますが、作った人が持っている才能は形には残りません。簡単に言うと、その形に残らないものが知的財産です。しかし形に残らないものを、形として残したいという人間の欲求というものがあります。それが、パッケージビジネスの根幹にあると思います。

 もう1つの例は、自分の忘れられない体験です。僕の祖父と祖母は田舎に住んでいたので鶏を飼っていて、毎朝卵を採って食べていたのですが、たまに生きた鶏も絞めて食べたりもしていました。そんな鶏も自然に死ぬことがあります。でも死んだという事実に変わりはないので「食べよう」と言うと、祖母は「自然に死んだものは食べたらだめだ」って言ったんです。天寿をまっとうした生きものを食べると罰が当たるということなのでしょうか。その言葉を言った瞬間の祖母の顔や寂しそうな表情は、今でも僕の心に焼きついています。あるいは、僕が若い頃に彼女に言われた生涯忘れられない言葉があります。僕が「ほかにもやりたいことがあるし、人生は一度しかないから別れよう」みたいなことを彼女に言ったことがあるのですが、そのとき彼女は泣きも怒りもせずに「私の人生も一度しかないんだけど」って言ったんです。その時の彼女の表情が忘れられない。彼女の「人生は一度しかない」という言葉は辛辣な意味でインパクトがありますし、祖母の話もめちゃくちゃいい話で、もう一度再生して見ることができればいいなぁと思いますが、録画もしていなければコンテンツとして保存もしていないので、できません。コンテンツビジネス、パッケージビジネスって、その発想なんです。さきほどの祖母や彼女の話のように、自分にとってインパクトがあったものや楽しかったものを、もう一度見たいと思ったときにいつでも見られるようにしようという発想が、パッケージビジネスの始まりだと思います。

 みんなデジカメや携帯電話で写真を撮ったりすると思いますが、それをパソコンに取り込んでも、再び見るということは少ないと思います。昔は、写真と言えば紙に焼いていたから、アルバムに挟んだり壁に貼ったりして、何かの機会に取り出して見るということもありました。しかしデジタルになってから、一度撮った写真をもう一度見るなんてことはしなくなったんです。容量がなくなったら古い写真が消されていくだけ。これが、パッケージビジネスがなくならないという理由です。絶対になくならない。形あるものに人は惹かれるから。遠距離恋愛で相手と1年に1度しか会えないとすれば、どんなに愛し合っているカップルでも無理です。触れられなかったらつらい。息を感じられないということはつらい。だったら、ちょっとぐらいイマイチでも毎日話せる人に惹かれていくのが普通です。対人間の関係って、形である肉体が存在するから確認し合えることってたくさんある。精神上だけで生きていくなんてことなんて無理です。宗教も、気持ちだけの信仰ももちろんあるかもしれないけれど、仏像や十字架はお守りみたいなもので、物に対するこだわりなんですよね。人は形のあるものに非常にこだわるんですよ。大切なものは手元に置いておきたい。音楽のソフトビジネスも同じだと思います。

 お友達のお家に行くのに、お母さんから「このお豆、持って行きなさい」と言われたとします。でもそこで、「持っていけば」と豆を投げてくる母親はいません。僕は、パソコンを使った配信音楽が日本で普及しなかった理由はここにあると思います。パソコンで音楽を買うという行為は、せんべいや豆じゃないけれど「やるよ」と投げられている感じがするんです。携帯電話はそこまでいってない。皿の上に置いてあるから自分で勝手に食べるという手軽な感じです。パソコンだと、お金を払って音楽を買っているのに「ありがとう」すら言われない。コンビニへ行けば100円の商品を買っただけでも「ありがとうございました」って言ってくれます。これは日本人気質によるものだと思いますね。いくら外国人みたいな格好して街を歩いても、中身は日本人だから。そこからは逃げられません。パソコンで配信音楽を買うことは、日本人には向いていないんですよ。日本でパソコンでの音楽配信が普及しなかった理由はここにもあると僕は思います。


2.T.S.エリオットの言葉

 君たちはこれから社会に出ていく人たちなので、自分の将来について、迷ったり決めかねたりしているかもしれません。そこでちょっとアドバイスをしたいと思います。

 『サタデー・ナイト・フィーバー』で有名なジョン・トラボルタという俳優が、別の映画のなかで言ったある言葉を紹介します。アメリカの映画って、有名な言葉を引用したりするんですが、この言葉は僕が大学生のときに勉強していたT.S.エリオットという詩人の言葉です。簡単な言葉ですが、とても含蓄があるんです。はっきりとは覚えていないのですが、次のような言葉だったと思います。

「人間は冒険をやめてはいけない 長い冒険の果てに出発点へ辿り着くのだから
 そしてはじめて居場所を知るのだ」


 よく"自分探し"とか"アイデンティティ"とか言いますよね。その本当の意味はいまだに僕も分かりませんが、"自分の居場所"とは"自分が何であるか"という意味なんだと思います。"冒険をやめてはいけない"とは、"一箇所にとどまって安泰するのではなく、変わろうとしなければいけない"という意味です。変わり続ければ、ある時、最初にいた場所に戻ってくる。この言葉は、非常に含蓄のある言葉です。だからみなさんもぜひ覚えておいてください。いつか「ああ、こういうことだったのか」と分かる瞬間がくるはずです。君たちの歳ではまだ分からないと思います。君らはまだ冒険を始めたばかりか、始めてもいないぐらいです。家の隣にあるコンビニに行くことは、冒険ではありませんよ。冒険とは、ちょっと萎縮してしまうようなところに向かって行くことです。「こうしておけば親も喜ぶだろう」とか、「自分はそんなにたいしたことないけど、まあまあいいほうかもな」とかは、ぜんぜん冒険していない。そこから一歩踏み出さなければいけない。そういうつもりで、これから先のことを決めてほしいと思います。T.S.エリオットは、難解ですが非常にすばらしい詩人なので、もしも興味がある人は彼の詩も読んでみてください。

 T.S.エリオットのついでに、僕の言葉もみなさんに紹介したいと思います。ボートって、進む方向に対して後ろ向きに漕ぐんですよね。だから自分は後ろ向きに進む。これなんですよね。つまり自分が今までやってきたことを見ながら一生懸命やれば、前進できる。前だけを見て漕げば後ろにさがってしまう。これは実感です。君らはまだ20歳くらいですが、若いときって自分の人生に対して否定的になることが割と多い。そうではなくて自分の過去、自分の歩んできた道を見て一生懸命やれば、結果的に前に進むんです。何だか"音楽・文化"の話ではなくなってきましたが、僕は音楽業界においてある程度の実績を残してきましたし、その人間が今まで生きてきて感じたことを生の声で伝えるということに、多少の意味はあるかなと思いますよ。

 人が求めている文化に対する欲求って、非常に気まぐれなんです。君たちが何の仕事をすることになっても、時代性は意識したほうがいい。つまり君たちの親や先生が教えてくれたことは、もう古いんです。だからその価値観やテイストにこだわらないほうがいい。君たちは自分で感じたようにやればいいと思います。T.S.エリオットなんて、もう誰も注目していないかもしれない。それでも彼の言った言葉は今も輝いているから、僕は紹介しました。時代性は、文化やビジネスに影響を及ぼすんです。

 時代が持っている3大要素というものがありますね。"3S"と言えば、昔は"スクリーン、セックス、スポーツ"でした。しかし今は"サーチ、スピード、サービス"が、キーワードになっているような気がします。"検索"が最大のエンターテインメントになっている。


3.尾崎豊さんについて

 僕が思っている尾崎さんの一番すごいところは、つねに「どうして自分が生まれてきたのか」ということを考えていたというところです。彼はいつも、ある種の使命感にとり憑かれていたんです。僕も頑張って生きてきたつもりですが、自分がどうして生まれてきたのかなんて若い頃に考えたことはありませんでした。そういう意味で、尾崎さんは基本的に、精神的に病んでいる感じがした。でも彼がラッキーだったのは、音楽という解放的な表現媒体を選んだところと、彼を理解する僕のようなパートナーと出会えたこと。そして時代です。

 彼が活躍した1980年代という時代はバブルでした。人の心は浮ついて反省なんてしないし、若者は毎日パーティーやって、どんちゃん騒ぎを繰り返していました。そんな時代に尾崎さんは、「人はなぜ生まれてくるのだろう」なんて考えていた。だから彼は場違いな感じで受け取られていたんです。そんな時代のなかで高校生だけは大人たちが馬鹿騒ぎしているのを冷ややかな目で見ていて、尾崎さんはそんな高校生だけに支持された。彼はものすごく売れたみたいに言われていますが、彼のレコードを買った95%は高校生でした。だから新譜が出ても、最初の2〜3週間だけすごく売れてあとはあんまり売れなかった。

 彼は凄まじい人でした。例えば、自分が高揚したら空を飛べると本気で思い込んでいた。『十七歳の地図』という最初のアルバムのジャケットにも、それが表れていると思います。ライブ中も、数メートルの高さから飛び降りて骨折したこともあった。僕は彼のプロデューサーだったから、彼のそんな姿を見ていて怖いというか、根源的な気持ち悪さを感じていて、コンサートもまったく楽しめなかった。ナイフ投げのショーを見ているみたいな感じかな。こんな話していいのだろうか・・・。

 また尾崎さんは、僕が今まで会った男性のなかでも、もっとも綺麗な顔をしていました。とてつもなく綺麗だった。彼には音楽的な才能もありましたが、存在そのものも美しかったんです。

 彼とはよく一緒にスポーツジムに行ったりもしました。彼はサウナと水泳しかしないんですが、彼のお尻には全然肉がついていないから、水着を着ると2サイズくらい大きなおしめをした子供みたいになっていました。スタイルのいい男性ってお尻が小さいんですよ。あのひとは特に小さかった。あと、サウナに入ったことのある人はわかると思いますが、サウナって頑張っても15分も入れないですよね。尾崎さんは30分くらい入っているんです。こんなやつ絶対長生きしないと思っていたら、本当に長生きしなかったですけど。とにかく、ものすごくストイックな人なんですよ。サウナに30分入る精神力って、本当にすごいです。みなさんも一度試してみてください。もし30分耐えられたら、メールくださいね。あと、証拠も。何かあげますので。私はいったい何を言っているんでしょうか(笑)。誰も知らない尾崎さんの話のほうが面白いかなと思って話しているんですけどね。くだらない話ばかりしているうちに、もう時間になってしまいました。


―以下、質疑応答―

Q.パッケージビジネスはなくならないという話が出たが、現にパッケージビジネスは衰退している。この先パッケージビジネスはこのまま衰退していくのか、それとも発展させていく方法はあるのか?

A.確かにパッケージビジネスはなくならないと思う。しかし以前のように活性化を帯びるかは、僕にも読めない。例えば、バイクや自動車ができたからといって自転車はなくならなかったし、最近は逆にブームになっている。自転車は環境にも健康にもいいという点で見直されているけど、そこには時代性もある。音楽も、配信に押されて衰退していることも事実。しかしまた活性化するかどうかは分からない。なぜならパッケージも自転車も消費されるものであり、CDよりもアナログ盤、自動車よりも自転車のほうがいいという人もたくさんいる。だからといって音楽を配信している会社側が、パッケージビジネスの衰退を食い止めるための何らかの対策をとっているかといえば、そうでもない。なぜなら、努力してなんとかなるものではないから。大きな流れのなかにいる。ただはっきりしていることは、パッケージビジネスはなくならないということだけ。

Q.尾崎さんがまだ生きていたら、どんな曲を書いていたと思うか?

A.尾崎さんが亡くなる直前に、僕と尾崎さんで次にやろうとしていた作品のイメージがあった。その時点の話から答えると、彼は静かなものをやりたいと言っていた。つまりもっと内省的なもの。あらゆる飾りを捨てて、自分の考えていることだけを淡々と伝えていく音楽。そういうものをやろうと話していましたが、結局叶わなかった。もしもまだ彼が生きていたら、全然売れなくなっていたかもしれないね。

Q.尾崎さんを売り出すとき、彼が売れるという確証はあったのか?

A.ありません。僕は、尾崎さんに限らずミリオンセラーを何枚も出しているが、どれひとつとして売れる自信があったものなんてない。アーティストを売り出すときに、何をどうしたら売れるのかなんて分からない。しかも会社側も最初は尾崎さんのことを、「こういうやつは売れない」と言っていた。でも結果的にああいう方向にいったのは、僕みたいな人間と一緒に仕事をしたからだと思う。僕はただ、彼がシブがき隊と同じ歳だということにこだわった。「ナイナイナイ〜」と歌っているシブがき隊と、「校舎の窓ガラス壊して回る」と歌っている尾崎さんの、どっちがすごいと思うかということにこだわった。「スシ食いねェ!」なんて言いたい17歳なんているはずがないし、尾崎さんのほうがよりリアルな17歳に近いと思った。僕は芸能界が持っている緩い空気感に反発心を持っていたので、「本当のアイドルはこれだ」と若いながらに思っただけで、尾崎さんという才能と存在がそれに答えうるだけのすごさを持っていた。そういえば、尾崎さんはルックスがいいのに顔写真をアルバムのジャケットに使わないから、会社に怒られたことがあった。僕の答えは「ルックスがいいから使わない」だった。そう考えると、どこかで売れると思っていたのかもしれない。でも正直、何千万枚もレコードを売るような人になるとは思わなかったけど。


【参考HP】
・カリントファクトリー 須藤晃オフィシャルサイト http://www.karinto.co.jp/




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