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1月7日
第十三回目は、立命館大学産業社会学部教授の木津川計氏より、「文化のかつてない世代間ギャップはなぜ起こったのかー演劇・漫才・音楽の場合ー」ついての講義が行われた。(以下はその要約) |
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近年、文化状況の変化に順応する若者と遅滞する老人の二極は、世代間のギャップをますます大きくし、いつの時代でも見られる世代間のギャップとはいえなくなってきた。この「世代間のギャップ」は、若者はもちろん子どもまでも巻き込んで、若者層一極の中の個別化をも進行させている。 演劇の二分について、若者世代が支持するのは「小劇場」であり、それに対するもう一極は「新劇」である。この二つは全く価値観を違えている。新劇ファンには小劇場がくだらなく感じる。そのくだらない理由が小劇場ファンにとっては面白い理由なのである。例えば、新劇ファンが「小劇場の『リアルでない』点が嫌いだ」と言うことに対して、小劇場ファンは「小劇場の『嘘・虚像が良い』点が好きだ」と言うのである。高齢化し減少する新劇ファンと若者主体で増大する小劇場ファンという構図で演劇文化の二極分解(世代間ギャップ)を鮮明にさせたのである。 漫才の二分について、この国最初の漫才作家・秋田實はしゃべくり主体の漫才を育て、「家中誰もが安心して笑える笑い」を作笑術の基本に、笑いの平和主義を終生貫いたが、60年代、70年代と年を経つにつれて崩れていった。そして80年、東京ではツービート、大阪では紳助・竜助が人気スターとなった。その笑いの特徴は「強者が弱者を笑う暴力的な笑い」であり、笑いの平和主義は粉砕された。 音楽の二分について、日本における作曲の原則は「言葉のアクセントをメロディととらえ、アクセントに従って作曲する」というものだ。山田耕作の「からたちの花」や本居長世の「赤い靴」はその原則をしっかり守って作曲されている。しかし、ビートルズ以降その原則は崩れ、アクセントを一切無視しての作曲が現れ始めた。近頃のJポップの歌手たち、例えば、浜崎あゆみ、大塚愛などの曲は、大きな音差と早いテンポでアクセントにとらわれない奔放さを売りにしている。しかし、その奔放さだから高齢者はとても歌えなく、覚えられず、音楽の世代間のギャップは広がっている。 若者と高齢者がすべて通じ合えることは不可解だが、同じように全く通じ合えないということも不可解である。本も読まず対面の会話もない若者たちだが、やがて社会人になれば不必要な内容のメールの存在に気づくだろう。他者を思いやる心を喪失してしまわないように、高齢者は若者に優しく、若者は高齢者にあたたかい、そんな人間的つながりの回復につとめたい。子どもは文化を食べながら成長するのである。おとなも文化の影響を受ける。だからやさしさとしての文化を地上にあふれさせよう。そんな地上の構築も今ならまだ間に合いそうなのだ。 |
「1970年という年の重要性」 「団塊世代の犇き合いによる激発」 「Jポップ」 「少子・高齢社会の困難」 「CDが売れなくなった理由」 |
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