JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論1 立命館大学産業社会学部

11月26日

 第九回目は、放送評論家の鈴木典之氏より、『テレビのなにが「文化」か、どこが「公共性」か〜番組批評の現場から〜』ついての講義が行われた。(以下はその要約)

テレビが、外圧と内圧に揺れている。外圧とはフジテレビ対ライブドア、TBS対楽天の資本の論理による”放送と通信の融合”の動きで、内圧とはNHKの不祥事や民放の内部矛盾の露呈などの”制度疲労”の弊害である。ライブドアの堀江氏は「インターネットの掲示板でのやり取りの中で正しい情報だけが出回り、それが世論となるはずなので、今の放送はいらなくなる」と主張し、それに対しフジテレビは「放送は”公共性”があり、”文化”価値がある。”私”の交信が基本のインターネットとは信用度が違う」と提携を拒んだ。テレビの”公共性”や”文化”とは何か、インターネットとは”融合”できないのだろうか。テレビのアイデンティティが問われている。

「テレビがつまらなくなった」という声をよく聞くようになった。ドラマはメルヘンタッチで現実味が薄くバーチャル化しており、お笑いはタレントのふざけ合いが多くなり低俗化している。その理由として、”視聴率”だけが評価される対象になってしまっていることが挙げられる。視聴率を第一に考えるため、作り手が冒険することなく最大公約数な番組を作ることしかできなくなっているのだ。その為作り手は、閉塞感・虚無感・鬱憤を持つようになった。そしてその苦悩は、”砦なき者”という一本のドラマで表現されている。ストーリーはテレビを武器に殺人までも犯して有名になろうとした若者と、一人のニュースキャスターが命を懸けて戦うというものだ。このドラマの中にはその当時に起こった事件の数々が取り込まれていて、大変考えさせられる作品だ。また作り手だけでなく、見る側にも訴えかける作品だ。

テレビの長所は短所でもある。テレビの魅力は魔力でもある。つまり、テレビは両刃の剣なのである。その為テレビを生かすも殺すも視聴者の手にかかってくる。実のところ、「テレビがつまらなくなった」のではなく、もともとテレビには良い番組と悪い番組も混ざっており、情報を正しく読み取る力が視聴者に求められるようになったのだ。テレビの賢い利用者になるためには「アクティブオーディエンス(能動的な視聴者)」になることだ。そして、作り手には視聴者の反応から番組作りに何が必要か、予め読み取る能力の必要が問われ始めたのだ。またこの能力は、新しいメディア環境に対応するための生き残り策となる。



「テレビがつまらなくなった」
  ・ニュースがワイドショー化
  ・ドキュメンタリーが絶滅危惧種


「ジャ−ナリズムの姿勢」
  ・公共性と多様性を保つ
  ・最大多数の最大幸福
  

 「著作権について」
  ・映像の著作権はまだ未確立
  ・今、確立しつつある
 
     


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