2019/6/25
こんにちは! 2011年卒業の平山健太郎です。
私には視覚障害があり、強度の弱視です。産社在学中は先生方、大学職員の方、学生の皆さんからたくさんの支援をいただき、充実したキャンパスライフを送ることができました。たいへん感謝しています。
大学受験では、当時もっとも関心があった教育と、自分にもかかわりのある福祉、どちらを専攻するかで迷いましたが、先生方の助言と京都への憧れがあったことから、立命館大学産業社会学部を第一志望としました。オープンキャンパスに参加し、活気があり自由な校風に惹かれたことも決め手の一つです。
産社では、福祉系科目を中心に社会学を幅広く受講。特に、子供、高齢者、障害者、LGBT、生きづらさを感じている人などの実態や支援方法、諸制度について学習したことが印象的です。そうした人、一人一人に寄り添い、協力し合ってお互いの人生をより良いものにしていくことの大切さを学びました。これは今でも、私が仕事や日常生活を送る上での基本の考えとなっています。
大学時代を振り返り、改めて思うのは、「チャンスを生かすも生かさぬも自分次第」ということ。自分の気持ち、行動一つであらゆる学びが得られました。逆に言えば、自分から動かない限り何も得られないということです。異文化理解セミナーや国際平和交流セミナーなどを受講し、外国の文化や日本の戦争の歴史に触れたり、現地の人と交流できたことは、貴重な体験であり一生忘れられない思い出です。
私は現在、PHP研究所研究企画推進部で、パナソニック創業者であり弊社創設者の松下幸之助の理念を研究・普及する業務に携わっています。幸之助の肉声テープの文字起こしやウェブサイトのコラム作成などで蓄えた知識を生かし、最近は障害者の立場で講演するようにもなりました。2019年8月には松下資料館の教養講座で、「ハンディはプラスに転換できる! ―松下幸之助の行き方・考え方をヒントに―」をテーマにお話しします。
私の講演にまつわる業務には、大学時代の経験や学びが生きていると感じます。数年前、京都市人権啓発講座で初めて自分の就労事例、仕事のビジョンなどをお話しする機会をいただきました。それがきっかけとなり、以後も何度か講演の機会が得られています。困難もありますが、一度のチャンスを生かし、次のチャンスを得るというのはまさに大学時代の経験と同じ。また、視覚障害のある私自身が福祉を学んだことも役立っていると思います。私の講演には、障害のある人やその家族、支援者が出席されることも多く、皆さんに勇気や希望を与えられたらという思いでお話ししています。幸之助は実家が貧しい、学歴が低い、病気がちなどのハンディがありましたが、それをすべてプラスに転じる人物でした。こうした幸之助の前向きな考え方は、自分を含め障害のある人にも参考になる。このような私の思いを発信し続けていきたいと思います。
最後になりますが、私は現在、パラトライアスロンにも取り組んでいます。 2019年5月に横浜で行なわれた大会に出場した際には、立命館大学トライアスロン部の学生さんがガイドを務めてくれました。偶然にも、こうしてまた母校とのつながりができ、うれしく思います。産社現役学生の皆さん、入学を目指す皆さんも、大学生活でさまざまな活動に取り組み、より良い人間関係を築き、自分の可能性を広げてください!
●平山 健太郎(ひらやま けんたろう)
卒業年月日 | 2011年3月 卒業 |
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出 身 地 | 山形県 |
現 住 所 | 京都府 |
勤 務 先 | ㈱PHP研究所 |
ゼ ミ 名 | 深澤敦ゼミ |
所属サークル 団 体 |
関西Student Library(関西SL) |