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2021/1/25

No.88「盆地生まれで盆地の育ち、下宿住所と北山杉と」
●1991年卒業:井上 照教さん

都会暮らしを夢見て上京

 1991年3月卒業の井上照教と申します。

 「さんしゃ」を卒業して早30年、現在まで生き続けられているのは、4年間の大学生活で培ったハングリー精神があったからに他なりません。

 大分県の山中(かの有名な「進撃の巨人」が生まれる素となった盆地)で少年期を過ごした私は、都会暮らしを夢見て京都に出ました。当時、バブル期真っ最中で、世の中は浮かれていましたが、こちらは苦学生、バイトで明け暮れる日々でした。

 特に将来の姿を描いていたわけでもなく、なんとなく4年間を過ごしたわけですが、今となっては多様な学び(ノンポリともいえます)を経験できたように思います。

産社の学びが活かせる職種に

 大きく言えば「社会学」を学んだわけで、経営コンサルタントとして何とか身を立てている者として基盤ができたように感じます。中川勝雄先生のゼミで研究した「ダム」の問題など(基本的には何を学んでもよかったのがよかった)、今となっては良い選択であったなあと感じています。

 卒業してからの30年もいろいろとありましたが、中小企業診断士(検索下さい)の資格に巡り合ったのも「さんしゃ」での勉強と何か因縁があったようにも思います。現在、何の因果か「熊本県中小企業診断士協会」の会長職を拝命していますが、これも多様な学びを活かすことができる職として懸命に務めております。

 当地熊本も盆地なので(東に阿蘇、西に島原)、私は生まれて52年間ずっと盆地に暮らしてきました。京都でも、祇園祭の頃の暑さを感じ、冬は大雪が降ったこともありました。夏の暑さと冬の寒さが頭と体を鍛えてくれたようにも思います。

うめまつり「北山杉」

 学生当時、下宿の住所は「七本松通り今出川下ル」でありましたが、この住居表示も京都に住まわなければ接することができない。「上ル、下ル、西入ル、東入ル」で理解できる合理性と複雑性は、経営を考える際のフレームワークにも通じる点があります。

 最近になって、「北山杉」を良く口ずさむようになりました。70年代のフォークソングなのですが、京都を想うときにはとても良い唄です。この歌詞のようにゆっくりと京都の町を歩いてみたいといつも思います。

 関係者の皆様、立命館大学での学びや京都での暮らしは、とても楽しく刺激的なものです。可能であれば、もう一度学生生活を送ってみたい。都落ちした道真公が大宰府で梅を想った心持にも通じるでしょうか。

 最後に、皆様のご健勝をお祈りします。コロナ禍で先行き見通しが利きませんが、「さんしゃ」で学んだ人間力で乗り切りましょう。

●井上 照教(いのうえ あきのり)

卒業年月日 1991年3月 卒業
出 身 地 大分県
現 住 所 熊本県
勤 務 先 井上中小企業診断士事務所
ゼ ミ 名 中川 勝雄ゼミ
所属サークル
団 体
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