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2012/10/29

No.12「プロレスと産社に共通する精神」
●2011年修了:塩見 俊一さん

講義とサークル、青春の日々。。。

 こんにちは。産業社会学部2001年度卒業の塩見俊一です。

 私は大学卒業後、立命館大学大学院社会学研究科に進学し、2012年度からは産社に非常勤講師として勤務しています。また大学院在籍時から、フリーランスのプロレスラーとしても活動しています。今回はこの「さんしゃびと」で、大学時代の思い出や、そこで感じたこと、学んだことを述べさせていただきます。

 私の学生生活は、講義とサークル活動がその中心でした。産社の講義内容は多岐に渡っており、そのなかには好奇心や向学心を刺激し、満たしてくれるものがたくさんありました。私がとくに熱中したのは、スポーツの歴史や、社会との結びつきに関する講義で、それは後にゼミを選ぶ際にも大きく影響しました。図書館の蔵書の多さも、立命館の魅力です。興味にまかせて、冷暖房の効いた館内で背表紙を眺め、心惹かれた本を読みました。

 課外活動が活発なことも、立命館らしさ、そして産社らしさでしょう。私は立命館プロレス同好会(RWF)に所属し、副会長として先輩方、後輩と切磋琢磨し、ときにはハメをはずして、楽しい青春時代を過しました。学園祭では学内にリングを組み、悪役として盛り上がりに一役買ったことも、いい思い出です。

 大学生時代は、少し気恥ずかしい気もしますが、青春という二度と訪れない、大切な時間でした。校友のみなさんも、将来への不安や葛藤、そして希望や夢と向き合うことのできる機会や仲間と出会われたのではないでしょうか。

夢を叶えてくれたゼミという絆

 そんな大学生活のなかで最も大切なものを選ぶとすれば、私はゼミを挙げます。私は学部、大学院ともに有賀郁敏教授のゼミに所属し、ご指導いただきました。

 ところで、私がプロレスラーとしても活動していることは先にも述べましたが、大学院の修士課程を休学して渡米したことがそのきっかけです。なんのコネも伝手もなく渡ってしまったアメリカでしたが、英語を学びながら、現地のプロレススクールになんとか潜り込み、トライアウトを経て、長年の夢だったプロレスラーとしてデビューしました。そして現在も、日本国内の地域密着型団体の大会や、さまざまな興行に参加しています。

 アメリカでのプロレスデビューから約2年のあいだ、私は日本とアメリカを行き来する生活を送ることになりました。その際、有賀教授には心身への配慮だけではなく、「時間があるときは大学にきて、ゼミに参加して先輩や後輩と交わり、勉強、研究を怠らないように」と、温情溢れる対応をしていただきました。私は、いうなれば自分の身勝手で休学をし、いつドロップアウトしてもおかしくなかったのですが、ゼミによって大学とのつながりをなくさずに済んだのです。

 そして2年後、私は復学し、修士号、博士号を取得することができました。もちろん、学位の取得は一筋縄ではいきません。ゼミでの指導は非常に厳しいもので、自分の力不足を嘆いては何度も落ち込み、諦めかけたことも一度や二度ではありませんでした。しかしその度に、熱心に指導してくださる先生や、先輩の叱咤激励、後輩のサポートに報いようと、そして何かを掴み取ろうと足掻きました。研究者としてはようやくその出発点にたどり着いたばかりですが、そこになんとか立てたのも、ゼミという絆あってのことだと感じています。

ネバーギブアップ!

 私は2012年度から、産社で「プロジェクトスタディ」という課目を非常勤講師として担当しています。まだ教育者としては「グリーンボーイ(新人)」ですが、2回生の学生の皆さんに、自分自身が産社で学んだ「考える力」の大切さを伝えられるよう、頑張っています。またプロレスラーとしての活動を通じても、お客さんに笑顔と元気を渡していきたいな、とおもっています。どんなに失敗しても痛めつけられても、何度でも立ち上がるという、プロレスと産社に共通するようなネバーギブアップの精神を胸に、これからも挑戦していきます。

 産社のホームグラウンドである京都は「学生の街」とも呼ばれ、大学生がその力を発揮することのできる風土が根付いています。学生、そして校友のみなさまが、京都、立命館、そして産社での経験を礎にした、素晴らしい人生を送られることをお祈りしています。

●塩見 俊一(しおみ しゅんいち)

卒業年月日 2011年3月 博士課程後期課程修了
出 身 地 京都府
現 住 所 京都府
勤 務 先 立命館大学産業社会学部・非常勤講師、プロレスラー(フリーランス)
ゼ ミ 名 有賀郁敏ゼミ
所属サークル
団 体
立命館プロレス同好会(RWF)