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2014/8/26

No.34「国と国、人と人、文化と文化の架け橋に」
●2002年卒業:幡山 洋子さん

なんとなくから・・・

 私が産業社会学部人間文化コースに入学したのは1998年です。

 当時の私は社会学という学問についてほとんど知識もなく、なんとなく「社会の仕組みを学べるかな??」また、立命館宇治高校時代のアメリカコロンバスハイスクールへの短期留学経験より、「ほかの国の人達や文化とか学べたら楽しそう!!」「大学を卒業したらなんとなく海外との架け橋になれる仕事につきたいな!!」と、今から思えばぼんやりとした弱い野望をもち、なんとなく私の大学生活がスタートしました。入学してもなんとなく周りの友人がとっている科目を履修し、とりあえず興味が持てそうな授業を履修する平凡な学生となりました。

恩師との出会いを経て

 学生時代は休みになれば友人と大好きな旅行やコンサートに行く傍ら、山下ゼミに所属し、レジャーと余暇の社会学を学びました。ちょうどその頃は日韓ワールドカップの開催前でワールドカップと社会について先生から分厚い英文のワールドカップ・フランス大会の本を渡され、授業内で読みすすめて行くうちに、社会の構造等様々な角度から社会を見ることを学びました。

 卒業後は山下先生のすすめで、これからの社会は英語を極めなければ世界に通用する人材にはなれないとのお言葉を受け、イギリスの南部ブライトンに語学留学に行きました。ブライトンでは世界中からの文化、職業、年齢、目的等の異なる人々との出会いがあり、非常にいい意味で衝撃的な日々を過ごしました。その後もさらに海外の文化に興味をもち、英会話教室や学習塾で働いては資金を蓄え、再びイギリス北部マンチェスターに旅立ちました。

 そこでは英語プラス人間力、社会を分析する力が必要ということに気づきました。いつも何かを探し続けていました。日本に帰国後は25歳で自分が学んできた沢山のことを伝えようと、英会話教室を立ち上げました。今から考えると3歳から70歳までの約60人もの生徒さんを抱える大きなプレッシャーもあったのか、惜しまれながらも4年後に閉校し、再び渡英しました。

 イギリス滞在中には再び恩師の山下先生からお声がけをいただき、 社会学研究科GP の立ち上げもお手伝いさせていただきました。ランカスター大学、韓国中央大学、立命館大学の三大学をテレビ会議システムを使って行う授業で現地コーディネートや通訳、翻訳業務を行い、沢山の経験を積ませていただきました。イギリスと日本との時差や、使用機材の違い等沢山の問題もありましたが非常に大切な何より、まだ日が上がらないうちにマンチェスターよりランカスター大学に向かって車を走らせる日々はとても充実したものでした。

紆余曲折、人生を楽しみながら

 その後もアメリカの大学院で働き、ただいまは大阪にあるインターナショナルスクールで働いています。学生時代に思っていたなんとなく国と国との架け橋になりたいという夢から、自分自身が本当に国と国、人と人、文化と文化の架け橋になりつつあるのだと日々感じます。最初からなんでもパーフェクトではなくていいんです。紆余曲折、人生を楽しみながらゆっくり自分のペースですすんでいくことも大切ですね。

●幡山 洋子(はたやま ようこ)

卒業年月日 2002年3月 卒業
出 身 地 京都府
現 住 所 京都府
勤 務 先 大阪YMCAインターナショナル
ゼ ミ 名 山下高行ゼミ
所属サークル
団 体
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