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2014/12/25

No.38「産業社会学部のアイデンティティーに目をむけて」
●1981年修了:石倉 康次さん

中学校時代の恩師の推薦を受け

 高校時代の私は、学校での受験準備の平常授業に嫌気をさし、図書館に通って興味をもった本を読み漁る生活をしていました。そのため受験準備はたいしてせずにいました。そんな私を受け入れてくれたのが唯一産業社会学部だったのです。本に埋没して現実遊離の高校生活をしていた歪みを自覚しはじめていた私は、大学に入ったら現実に学ぶことを重視しようと、当時子ども会活動をしながら貧困や差別の問題にとりくんでいたサークル「部落問題研究会」に入部しました。学生時代は、講義に出席するよりも地域の子どもや青年たちとの交流や、そこでぶつかった現実の社会問題や物の見方について、サークルの仲間と議論することに学生生活の大半を投入していました。当時、学園紛争は下火になっていましたが、ベトナム反戦運動や沖縄の本土復帰の運動、部落問題の解決をめぐる研究者の論争や運動や政策の矛盾・対立など、大学の外は様々な刺激に満ちていたのです。

 サークルの先輩の助言で、社会的現実と向き合った研究活動をすすめる道があることを知り大学院に進学しました。大学院時代は古典的な文献の学習や現実の問題の調査研究に没頭する貴重な時間を過ごしました。大学院修了後は、公的機関をサポートする都市計画コンサルタント会社を友人と立ち上げました。子どもや高齢者などを配慮したまちづくりの新しいコンセプトを提起する新しい都市計画コンサルタントとして打ち出したのです。

 5年後に民間の福祉現場の人たちに支えられた研究所の主任研究員に転職し、福祉現場の研究・学習運動に6年間携わりました。42歳で広島大学総合科学部の福祉社会学担当教員として採用され、2005年に産業社会学部の教員として赴任しました。真田先生の「研究面から社会と関わるには大学が一番条件が整っている」という助言に従ってのことでした。

学部、大学院時代を経て、「一番社会と関わる条件が整った」教員へと

 いざ大学生活が始まると、高校時代とは比べものにならないくらい刺激的な毎日でした。なにせ産社にいる人は個性的です。いろんな価値観を持った人が混在する、まさに十人十色。そんな産社で過ごした4年間で出会った友人たち・先生方は自分にとって今でもかけがえのない存在です。基礎演クラス、サークル、バイト、ゼミetc..、様々なコミュニティの中でたくさんの出会いがありました。

 私が産社で学んだことの一つはこの「出会い」の大切さです。たくさんの人と出会って、たくさんの価値観に触れて、その中で自分だけの価値観を磨き上げることができました。就活に苦労しながらも、自分が魂を込めて取り組める仕事「市民参加型スポーツ」という分野を見つけ、いま働くことができているのも「産社での出会い」があったからこそだと思っています。

 在校生のみなさんにはぜひ、産社で繰り広げられる出会いの数々を大切にしていただきたいです。

産業社会学部のアイデンティティーの核とは

 今の日本は、私の学生時代と同様、貧困・格差問題の世代連鎖や、少子化・高齢化と社会保障の整備、グローバル経済下での税収確保と安定した若者の職の創出、アジア地域の中での歴史の反省に立った信頼の確立など、多様な課題が山積しています。産業社会学部は、このような多様な現代社会の課題に対して、一人一人の生きざまと社会の在りようとを結び付けて考えることをそのアイデンティティーの核として形成してきていると思います。また、卒業生たちも、多分野に進出していますが、そのようなセンスを共有している点が貴重な持ち味なのだと思います。後輩達には、そのことを強調したいと思います。

●石倉 康次(いしくら やすじ)

卒業年月日 1981年3月 博士課程後期課程修了
出 身 地 奈良県
現 住 所 奈良県
勤 務 先 学校法人立命館 産業社会学部
ゼ ミ 名 真田是ゼミ
所属サークル
団 体
立命館大学部落問題研究会