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2015/11/28

No.49「『こころ』の先に浮かび上がる『社会』-高垣ゼミでの学びを通じて-」
●2015年修了:藤本 美貴さん

研究活動の原点になったゼミで学び

 2007年に産業社会学部を卒業した藤本美貴(ふじもとよしたか)です。学部創設50周年おめでとうございます。

 私は学部を卒業後、大学院社会学研究科へ進学し、今年3月にようやく博士学位を取得できました。学部入学から数えて12年間もお世話になったことになります。

 アルバイトにサークル活動、講義への出席と、学部時代はとにかく忙しかった思い出しかありません。そんな中で、一時は30人を超えたゼミでの学びは、その後の研究活動を支える原点となっています。

 私が所属したゼミでは、広く「こころと社会」をテーマに掲げていました。臨床心理学がご専門の高垣忠一郎先生の下で、自己肯定感、心の教育の是非、不登校、引きこもり、若者たちの死生観など、ありとあらゆる話題について熱く討論しました。当時は「心の時代」や「心理主義」と呼ばれていたこともあって、自らの内面を惜しみなく吐露する学生とそれを優しく受け止める先生、じっと状況を見守る仲間との、まるで集団カウンセリングのような不思議な時間がたびたび訪れました。

「心の傷」とは・・・JR福知山線脱線事故を通して

 そうした雰囲気の中で私は、徐々に「トラウマ(心的外傷)」という問題へと惹かれていきました。直接のきっかけは、三回生の春に起きたJR福知山線脱線事故です。

 多くの尊い命が失われたこの事故では、大怪我を負った方々だけでなく、凄惨な現場を目の当たりにした周辺住民や救急隊員の方々までもが「PTSD(外傷後ストレス障害)」に悩まされたといいます。日常生活を一気に破壊する「心の傷」とは一体何なのか、どのように理解すべきなのか、どうすれば癒すことができるのか――。

 一方で、私の関心は事故を引き起こした側にも向けられました。自らも命を落とした運転士は、日勤教育と呼ばれる厳しい管理研修を過去に受けており、それへのストレスや恐怖心が事故につながったと言われています。彼の心もまた、追い詰められていました。

 単純な「被害者/加害者」といった割り切り方ではとても捉え切れないような、複雑な背景があることを知りました。つまり「トラウマ」という概念は、単に心の傷や悲鳴というものを個人的な経験談として見るためではなく、そういった経験に集約されざるを得ない複雑で多面的な「社会的本質」を明らかにするためのツールなのだと思いました。こうした着想を得ることができた理由は、何よりも高垣ゼミが、単に「こころ」だけではなく、その背後に広がる「社会」というものにも多大な関心を寄せていた点にあると思います。ただ独りよがりに自らの内面だけに向き合い、医学マニュアル片手に一時の安らぎを探し求めるのではなく、「他者」や「外部世界」との間の如何ともしがたい軋轢や葛藤の中で、自らのこころが発してやまない「社会的意味」を掴み取り共有しあうこと。これが、高垣ゼミの中で自然と実践されていた学びの型だったと感じています。

産社での学びのポイント

 大学院進学後も、引き続きこの「トラウマ経験の持つ社会的意味」について研究を進めました。とりわけ「家族関係」という文脈でのトラウマ経験に集中して取り組みました。DVや虐待、ネグレクト等に起因する家庭内でのトラウマ経験は、大事故や大災害によるそれ以上に、背景にある人間関係や社会状況は複雑です。私は、種々の治療論や援助論へと飛びつく前に、そもそもこの家庭内トラウマというテーマが、これまで学術的にどのように語られてきたのか、そしてその中で、いかなる社会問題的な意味が見出されてきたのかを探ることとしました。博士論文を執筆して以降も、この課題は継続中です。

 産業社会学部での学びのポイントは、言うまでもなく「社会」との接点を探ることにあります。それは具体的な他者との相互関係というレベルから、法や秩序といった抽象的なレベルまで様々です。私の場合は主に前者に関心がありましたが、一見個人が抱え込んでいると思しき苦悩を「社会」という尺度を通して見つめ直すとどう映るか、そこにどういった意味や本質が浮かび上がるのか―― そのような問題意識を、今後も持ち続けたいと思います。

●藤本 美貴(ふじもと よしたか)

卒業年月日 2015年3月 博士課程後期課程修了
出 身 地 京都府
現 住 所 京都府
勤 務 先 専門学校非常勤講師
ゼ ミ 名 高垣忠一郎ゼミ(学部)
景井充ゼミ(大学院)
所属サークル
団 体
立命館大学陶芸部