■さんしゃびと »

2017/6/29

No.66「フレ―フレ―、さんしゃ!」
●2012年卒業:難波 しのぶさん

決め手は、エンターへの憧れ?

 「演じますは~、岡山県私立金光学園高等学校出身 産業社会学部4回生~、 平成23年度立命館大学応援団 団長を務めます、難波しのぶでございます~」 これは、私が学生時代に応援団で団長を務めた際の常套句です。氏名だけではなく、出身高校名、そして学部名も発表されるため、伝統ある産業社会学部生として恥じない姿勢を意識せねば…と、毎回気が引き締まる思いがしていたのを昨日のことのように思い出します。

 大学を考えるにあたり、一人っ子の私は、県外への進学は、当初の選択肢にはありませんでした。しかし、産社独自のダブルメジャー制度を知り、他専攻の科目も履修して自由にキャリアアップ出来るという柔軟なカリキュラムに惹かれ、「ここだ!」という思いになりました。現代社会を総合的に捉える学びプラス、心理学や福祉の観点からも学びを深めたいと、好奇心旺盛な私には魅力的な学部だと感じました。

 そして、何よりの決め手は…オープンキャンパス。素敵なエンターのユーモアを交えた、粋な大学紹介の姿に憧れを抱き、衣笠キャンパスで生き生きと過ごす自分の姿をイメージしただけでワクワクし、受験に挑みました。その時に、産社の先生から「あなたは、とても楽しそうですね。毎日がさぞ充実しているのでしょうね。」と声をかけて頂いたことも大変嬉しかった思い出であり、合格通知を手にした日の喜びと、胸が躍るようなドキドキ感は忘れられません。

文武両道の難しさを痛感する中、皆さんが私の"応援団"

 小学5年から、中学、高校…と吹奏楽部に青春を捧げて来た私は、もちろん大学でも「応援団吹奏楽部」に入団しました。週6日の練習で、ほとんどの土日は体育会の応援活動に勤しむ生活です。それは、かなり過酷な体力勝負で、文武両道は日々悩みの種でした。今だから言える話ですが、実は大事な4回生前期の定期試験で「論題に対し、考えを述べなさい」という問いに、全く回答することが出来なかった私は、応援団への熱い思いと、両立の難しさから勉学が疎かになっている現実をぎっしりと書きなぐりました(笑) 結果は、当然不合格でしたが、後日、この講義担当の先生から「応援団への思いや、勉学への気持ちは伝わって来た。合格にしてやれない僕の器が小さいのかも知れない。でも、だからこそ頑張って合格を勝ち取って欲しい。僕は、応援団の応援団です。」と励まして頂きました。今考えても、多様性にも程がある(笑)…と、恥ずかしくて自分に呆れます。(ちなみに、後期に同じ授業を学び直し、何とか無事に合格致しました。)

 冒頭にも挙げましたが、4回生時は応援団長を務めさせて頂きました。

 創部62年の歴史の中で、女性応援団長の誕生は史上初のことであり、当時は就任にあたり周囲からの視線が怖くもありました。しかし、その不安は杞憂に終わり、OBの先輩方をはじめ、校友の皆様、大学関係者の皆様、全ての皆様がとても温かく見守り、支えて下さいました。そのおかげで、土砂降りの雨の中で全身ずぶ濡れになっても、真夏の炎天下に意識が遠のきながらでも、寒さで震えて泣きそうな時でも、絶対に他大学には負けないという闘志を燃やし、声が潰れても応援を続けることが出来ました。

 前例のない挑戦ばかりでしたが、立命館に関わる皆さんが「私の応援団」で居て下さり、乗り越えることが出来ました。この4年間での出会いや出来事は、かけがえのない一生の宝物です。

今の私、これからの私

 現在、母校愛を燃やした「学校法人立命館」で勤務し、はや6年目となります。

 今の配属部署は研究部BKCリサーチオフィス。研究部のミッションは、先生方の奇抜な発想や研究を民間企業との受託研究、共同研究へマッチング、そして、公的研究開発事業などのプロジェクト立ち上げから世界中への成果発信まで、トータルにプロデュースを行い「社会貢献」へ繋げることです。業務は幅広く難しい分野ですが、学生が前向きに学ぶために、先生方がスムーズに動けるようにするために、言葉や行動で火をつける「職員」としての業務は、とてもやりがいを感じています。これからも、産社での学びを糧に、産社出身のプライドを胸に、積極的でキラキラした"人"になれるよう、笑顔で頑張ります!

●難波 しのぶ(なんば しのぶ)

卒業年月日 2012年3月 卒業
出 身 地 岡山県
現 住 所 滋賀県
勤 務 先 学校法人 立命館
ゼ ミ 名 -
所属サークル
団 体
応援団吹奏楽部