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2007年度研究会報告

第2回(2007.6.15)

テーマ 『満蒙牛の対日貿易について-満鉄の東亜勧業株式会社による輸出構想を中心に-』
報告者 河端 正規(経済学研究科)
報告の要旨

1920年、大連から満蒙冷蔵組合(南満州鉄道系)により開始された満蒙牛肉(満洲牛・蒙古牛)の対日輸出事業は、数年後国策企業東亜勧業会社(在奉天)により強化された。

事業は人口食糧問題とも関係したが、日本の対満蒙政策に依拠する方が大であった。即ち、需要は伸びないにも拘わらず採算無視の経営が継続され、1927年対中強硬政策推進者田中義一が組閣すると、満洲の経済的施策の基調をなすのは満鉄であるとして、同政策推進者の山本条太郎・松岡洋右が社長・副社長として送り込まれた。山本は東北軍閥張作霖を利用して5鉄道を建設し、満蒙を日本の支配下に置く政策に着手するとともに、実務経験豊富なメンバーによる社長直属の臨時経済調査委員会を立ち上げ、交通・実業・資源・民政にわたり広汎な経済調査を実施した。満蒙牛調査は輸出事業の知識や参考として完成したが、関東軍が田中儀一の政策を軟弱として張作霖を爆殺し満蒙政策推進の主導権を握った。満蒙牛調査は1929年山本の更迭により起業の立案には至らず、輸出構想は進捗しなかった。遂に関東軍は満洲事変を引き起こす。

事変後、満鉄は関東軍命令で経済調査会を設置し、満蒙開発の立案と資源調査書類を作成、満蒙牛も改良増殖方策と対日輸出方策が立案された。殊に後者は東亜勧業株式会社を再編成し、その輸出統制下に具体的に事業を展開するものであったが、1937年同会社は朝鮮人の満洲移住強化策を目的とする国策企業満鮮拓殖会社の設置(在新京)により解散し、満鉄の莫大な投資と労力による立案調査は結実されることはなかった。

河端 正規

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