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2008年11月22日 講師: 冷泉 為人

京都御所と公家町の被災

 現在の京都御所は江戸時代も末の安政二年(1855年)に御造営されたものである。それは、嘉永7年(1854年)、女院御所の局からの出火による焼失後の再建。その当時は、京都御所(江戸時代までは内裏(禁裏)御所といった)や仙洞、大宮御所などを中心にして摂関家、宮家が要所に住置し、それらの間に公家が集中的に住居(すまい)していた。これが江戸時代の公家町である。東は寺町通、南は丸太町通、西は烏丸通、北は今出川通で、一周するとほぼ4kmになる。
 安政度御造営以前の江戸時代における内裏造営は、@慶長度、A寛永度、B承応度、C寛文度、D延宝度、E宝永度、F寛政度の七回で、安政度をいれると八回の新造宮が行なわれている。これらのうち、@Aの慶長度、寛永度の造営は旧殿を取壊した新造営であり、残りの六回はすべて火災の焼失による新造宮である。
 今回はこれらの京都御所の火災と再建をまず見る。その再建をさらに防災の観点から考察することにする。

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