1970年代は、「情報化」が始まり、低成長と資源問題・環境問題に象徴されるように、経済と社会のこれまでの発展パターンの転換が意識されてくるときであった。立命館大学では、全学部を衣笠キャンパスに移転させる「衣笠一拠点」が学内的な政策目標の中心に置かれていくときである。
このなかで、あらためて戦後の大学において教育(研究だけでなく)がもつ固有の重要性が認識され、その中心に学生の自主的な成長を促すという視点が据えられてくるようになる。1970年に経済学部カリキュラムの大きな改革がおこなわれ、経済学の理論的体系にもとづく整序化(理論―構造―政策―歴史―現状分析の類別編成、基礎―展開―応用による回生配当)がはかられる。学生の自主的学習・研究活動の活性化が重要視され、学部学生自習室・学生センター・学生談話室や学生共同研究室、蓬莱や宇多野セミナーハウスなどがつくられていく。小クラス運営費、コピー施設、クラス・ロッカー、クラス掲示板などが設けられたのもこのときである。
ALBUM: 1970-1979










「スタグフレーション」のなかで、巨大企業(とくに製造業)の採用が減り、家庭からの仕送りが困難になって、アルバイトの負担が問題とされるようになる。度重なる授業料の値上げはその限度に達し、公費助成運動の全国的な運動の盛り上がりを背景に、1970年より私学に対する経常費助成が始まるようになる。
1978年、二部の衣笠移転と二講時制がおこなわれ、13年にわたった経済学部の一部と二部の分断がようやく解消されることになった。
TIMELINE: 1970-1979
- 1970年 武藤守一総長を選出武藤総長の死去により、細野武男総長を選出産業社会学部衣笠に移転経済学部カリキュラム改革(経済学の理論的体系にもとづく整序化、理論―構造―政策―歴史―現状分析の種別編成、基礎-展開-応用による回生配当)蓬莱セミナーハウス竣工
- 1971年公費助成全学連絡協議会を結成
- 1972年ニクソン訪中田中角栄の日本列島改造論
- 1973年変動相場制へ移行、石油ショック学生会館竣工
- 1974年戦後初のマイナス成長(-0.5%)志学館竣工
- 1975年アメリカ、ベトナムで敗退公労協スト権奪還スト192時間 宇多野セミナーハウス竣工
- 1976年わだつみ像再建
- 1978年文学部衣笠へ移転、天野和夫総長を選出
- 1979年第二次石油ショックソ連、アフガニスタンに軍事介入 経済学部30周年記念式典
SONGS: 1970-1979
- 男はつらいよ
- おふくろさん
- 瀬戸の花嫁
- およげ!たいやきくん
- 北国の春
- ヤングマン