神戸 海知代

1992年3月

神戸 海知代

株式会社かんべ笑会

あなたにとって、
「国際関係学部」はどんな存在ですか?
からだの一部、見えない翼。1988年春、国際関係学部のキャンパスに集まった仲間たちは、誰もが強烈な個性を放っていました。まさに異文化交流の毎日。互いを刺激しあい、切磋琢磨しながら、わたしたちは限界という壁を越える丈夫な翼を手に入れたのです。留学生と全日本一周団を立ちあげたり、ゴルバチョフ元ソ連大統領が日本の学生と語るイベントで司会進行をつとめたり。その体験のすべてが、いまもわたしの原動力になっています。
あなたの「今」を国際関係学部で学んだことと
関連づけて語ってください。
大学卒業後は、広告代理店の大広に入社、広瀬広告事務所、アサツーディ・ケイを経て、2016年1月株式会社かんべ笑会を設立。独立した現在も、コピーライター、コミュニケーションプランナー、クリエイティブディレクターとして活動をつづけています。国際関係学部には6000人を超えるOB・OGがいるそうですが、まだ仕事の現場で卒業生に遭遇したことはありません。この30周年をきっかけに会えることを楽しみにしています。立命館で学んだことは、直接的にも間接的にもさまざまなところで役立っています。たとえば、日本の企業が中国のラジオ番組内で放送するためのCMを制作したことがあります。日本語の原稿を日本人の担当者がチェックして、ネイティブのスタッフと連携しながら中国語にリライトする。数十本ほど企画制作しましたが、思った以上にたいへんな作業でした。言葉だけでなく、文化もちがう、考え方もちがう。そのまま翻訳すると意図が伝わらなくなったり、どこが面白いのかわからなくなったり。何度も話しあいを重ね、北京での収録当日も現場で書きなおしていましたね。中国語も未熟でなにかと苦労が絶えませんでしたが、そのぶん収録を終えたときのチームの達成感はひとしおでしたよ。
あなたの「越境」体験を教えてください。
まさにいま越境しているところだ、といっても過言ではないかもしれません。2014年クリスマス・イブに初めての出産を体験し、2015年秋には福岡へ引っ越し新生活をスタート、2016年1月に独立開業しました。3年前には想像もしなかったことばかり。慣れない毎日を気負うことなく楽しんでいこうと考えています。子どもを育てることも仕事をつづけることも、わけへだてなくやっていけばいいし、できるんじゃないかと。福岡でも少しずつ交流がひろがって、2016年8月には市民の有志によるチームでイベントを開催しました。テーマは、混ぜる=人を混ぜる、知を混ぜる、未来をつくる。立命館アジア太平洋大学の今村副学長をゲストにお迎えして、トークイベントと交流会を行いました。福岡という国内外のさまざまな地域から人が集まる場所で、人と人が混ざりあい、なにかが生まれ、未来をつくりだす。混ぜることが生みだす新たな可能性について今村副学長の体験を聞き、みんなで意見を出しあいました。実際にやってみて気づいたことですが、混ぜるという感覚は越境とたいへんよく似ている。国際関係学部で学んだことを活かせば、さらに面白いことができるかもしれませんね。2017年は、クリエイティブをモノづくりからはじめてみようと挑戦しているところです。わんぱく世代の子どもたちが思いきり汚して遊べる環境づくりに着目、手ぬぐいでつくったパンツの「ぐいパン」を普及しようと活動しています。