知事リレー講義
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    2008年5月22日         
 


地方自治の王道を目指して〜黄金の國から〜

 達増知事のお名前は「たっそ」であり、これは岩手県下でも10人ほどしかいないとのことである。達増知事は1964年盛岡市生まれで、東大を卒業された後、外務省へ入省。96年に小沢一郎氏に誘われるかたちで国会議員に、そして2007年4月に岩手県の知事になられた。









T.はじめに


 京都へきたということもあり、東山にある霊山歴史館へいってきた。京都といえば、やはり幕末である。ところで、いま『銀魂(ぎんたま)』という漫画が流行っている。これは、また後で触れる。

U.改革と分権を振り返る


 @グローバル化と地方の危機
 現在グローバル化が進んでいるが、地方はとても疲弊している。日本全体では国民所得がH18年から少しずつ回復しているものの、それに5年もかかっている。しかし、岩手県は日本の国民所得が回復する5年の間も、所得は落ち込んだまま。現在、いざなぎ景気をこえるといわれるものの、このような状況である。景気の回復は実感できていない。また、人口も減少している。仕事を求めて、県外へ出ていった状態だといえる。
 格差については昔からあったといわれるが、しかし今は違う。かつて高度経済成長期には何年かすれば、地方も全国平均に達することのできるものであった。しかし、現在、下のほうはどんどん格差が開いている。先に行けば行くほど、悪化している。これには、新自由主義、新保守主義の考え方が影響している。かつてイギリスのサッチャー元首相がこれで成功している。そして、「金持ちの足を引っ張るな」という言葉を残している。これは、金持ちが社会や産業の新しい分野を開拓するので、下の人たちの働く場所もそこに生まれるのである。しかし、今の日本はそうでなくて、上下の差がどんどん広がってしまっている。また、非正規雇用も広がっている。同じ能力、同じやる気があっても、正社員であるかどうかで保険の問題や将来への不安も起こってくる。これは、実は成熟した先進国経済でなくて、植民地経済の姿なのである。私は、これまで公職を仕事としてきた立場のものであるが、今のこうした経済の姿に忸怩たるものがあるし、何とか変えていきたいと強く思う。
 実は、1986年に内需拡大型の経済を志向する「前川レポート」が発表された。内需拡大とは、輸出主導の反対で、日本国内で財・サービスを増やして消費し、景気をよくしていこうという考えである。国内の景気がよくなった結果、外国からの輸入も可能になる。しかしながら、内需拡大は進まないままで、しかもバブル経済の崩壊があった。そして、景気低迷と内需の縮小。このような場合、経済政策としては国が一時的に公共事業をするか、もしくは銀行の利息を下げるかのどちらなのであるが、どちらもできていない。国としての主権が使えない状態なのである。
 ここで、先ほどの『銀魂』の話に戻る。この漫画は、明治維新に失敗して半植民地化した日本が舞台。しかし、日本は黒船でなく、宇宙人に支配されているという設定。これは、グローバル化に適応できず、
またフリーター・ワーキングプアが起こり、そして外国資本に取り入った一部の特権層だけが潤うという状態で、まさに今の日本の特質を捉えていると思う。
 また、アントニオ・ネグリの『帝国』という本がある。これは、次のようなことをいっている。それは、いま世界は一つの帝国と化しているものの、コントロールできる中枢はない。しかし、甘い利権をすえる特権階級が存在してしまって、ルールや制度の変更ができなくなってしまっている。だから、これを変えるには、日々の仕事、生活の現場で人間としての尊厳を取り戻していくしかない、というのが結論である。そして、知事としての私からみれば、それは地方なのだと思う。

A第一次「改革派知事の時代」
 ところで、第一次改革派知事と呼ばれた人たちについて整理してみたいと思う。批判ではなくて、その時代背景や改革の内容を探りたいからである。
 まず、改革派知事の第1号は、91年の橋本大二郎高知県知事だと思う。そして、93年に宮城県の浅野知事、95年の三重県の北川知事、岩手県の増田知事。さらに、99年に鳥取県の片山知事、東京の石原知事が登場してくる。この人たちに共通しているのは、官官接待の廃止、情報公開、行政評価、マニフェスト選挙の導入などで、まとめれば「脱金権腐敗」と「政策本位」ということである。
ちなみに、同じ頃、国政でも93年に細川非自民連立内閣が成立し、同じことを主題として取り組んだ。細川内閣は政治改革関連法案を最重要課題として、選挙制度の改革に取り組んだ。なぜ選挙制度かというと、それまでの中選挙区制の下では一つの政党から複数の候補者が出るために、過剰なサービス合戦に陥っていたからである。そのため、小選挙区制+比例代表を導入することで、金権腐敗をなくそうとした。
 しかしながら、細川内閣は1年半でつぶれてしまい、自民党へ政権が戻ってしまったために、国政での政治改革は進展しなかった。そのため、改革派知事への期待が高まったという側面はある。改革派の知事に共通しているのは、非自民、TVになじむ、政策論があるという点。石原都知事のように、途中で自民党の協力を仰ぐ場合はあるが、最初の選挙では非自民である。
 ちなみに、小泉元総理もこれらの特色を備えていた。自民党なのに非自民というのもおかしいが、「自民党をぶっ壊す」と自分を対極においていた。そして、その結果、改革派知事への期待は、小泉さんへともっていかれてしまったのである。その小泉改革というのは、内需拡大とは反対である。内需の拡大が進めば、地方の経済は栄え、それが全国へと広がる中で国全体の所得も上がっていく。しかし、小泉改革によって、地方の疲弊、輸出主導、一極集中が進んでしまった。そして、第一次改革派知事たちは、この流れにのみこまれてしまったのである。
ところで、地方分権というのは、先の細川元総理がまだ熊本県知事をされていた91年頃に『雛の論理』を出されてから、盛んにいわれるようになった。地方への規制を緩和することで、民間も個人も自由に動けるという発想である。また、93年には小沢一郎氏も『日本改造計画』を出版し、構造改革を提唱した。このあたりに改革の原点があるのだが、しかしこの頃はまだ国にも地方にもお金のあった時代である。したがって、今は多少、その頃とは違う改革が必要となってくる。


V.地方からの改革第二ステージ


 @グローカル・ポリシー
「グローカル・ポリシー」とは、グローバル(地球的な)とローカル(地方)の合わさった言葉。"Think globally, act locally"という言葉があるが、これこそ地方を変えていく真の考え方である。
 現在、日本では国、地方ともに借金をしている状態だが、世界ではお金が余っている。そのため、例えば、原油や小麦、トウモロコシへの投機があり、それが日本でのガソリンやパンなどの値上がりの背景にある。それでは、このようなマネーゲームに陥らないようにしたら、どうすれば良いのか?それは、人をきちんと雇って、ここで価値が生まれるという本来の流れをつくることだと思う。しかし、今、日本でも世界でも事業が不足している。バブル経済もマネーゲームであったが、お金は株、土地リゾートへの投機にまわっていた。この頃から、事業が不足していたのである。そこで、地方にどのように事業を起こしていくのかが課題となるが、これこそが真の構造改革なのではないだろうか。
 今やITによる情報化が進展しているが、これは中央集権から分権へという流れを生み出している。この本質は、個人の力の極大化である。このような個人の力が大きくなってくるところでは、何をやるのかという気持ちの問題が大切になってくる。そうでないと、悪弊がかえって増してしまう。例えば、望ましくない事柄について知ろうとすれば、その方法だけでなく、仲間まで集まってしまうのが今の情報化の側面でもある。だから、道徳、倫理の確立が問われてくる。それさえもっていれば、ITは実現のための手段となりえる。地方の分権ということをいうが、それもこのような流れが背景としてあるから、正当性を持ってグローカル・ポリシーとなるのである。

A「岩手希望創造プラン」の二大戦略
 そのような流れに沿って、岩手県では「岩手希望創造プラン」を策定した。一つは、「新地域主義戦略」である。これは、コミュニティづくり、その育成にあたる。市町村に任せるだけではなく、県としてもかかわっている。例えば、市町村どうしが交流するには、県がその立場から促進したほうがやりやすい。ちなみに、コミュニティには、町内会や自治会などの地域の組織やNPOがある。岩手県には、約3000ほどのそうした組織がある。
 また、二つ目として「岩手ソフトパワー戦略」を掲げ、岩手のブランド化をめざしている。「買うなら岩手の物、雇うなら岩手の人、行くなら岩手県」といわれたい。ちなみに、今日お配りした岩手県の広報のパンフレットにも用いた黄金は、奥州藤原氏にちなんでいるが、黄金は信頼を示している。このように、岩手県は信頼されることを目指しているのである。具体的な例として、ワカメがある。たとえばワカメは真剣に作ってきたからこそ、去年、中国での食の問題が起こって中国からの輸入が減った結果、岩手のワカメにチャンスが生まれている。

W.地方自治の王道


地方自治の本旨は、団体自治と住民自治であるが、団体とは自治体であり、住民自治とは住んでいる人の参加を指している。これが言わんとするのは、市町村合併を進めていっても自立できなければ意味がなく、また合併をしないとしても、それでは自立して残っていくことができるのか、ということである。また、住民にとっては自立というだけでなく、助け合い、協力が必要である。
 これは、共生ということになるが、道州制が議論される中でも、経済的に貧しい地域をその他の地域が支援していけるのかどうか。このように、地方自治には、自立と共生の両者が理念として、必要である。


X.終わりに


 地方分権というのは、実際には、政党が国政と地方政治の線引きをしてしまえば、決めることができるという側面がある。政党がある事柄を政策として出して、それを我々が民意として選べばよいのである。どのレベルを国がやるのか、地方がやるのか。政党の中で決めてしまえばよい。しかしながら、政治の力でやればよいものが、官僚の綱引きに任せてしまっている側面がある。地方で済む政治の話も、全て国のレベル、国政に結びつけようということになってしまっている。
 今の知事は政党色を出さないほうがいいということになっているが、それではずっと国政に従うということになってしまいかねない。地方も政党として、地方での政治をやっていくんだという気概、覚悟が要る。それがなければ、地方分権というのはないのではないか。



質疑応答


 最後に、会場より以下の質問があった。
@三位一体などの財政改革は、地方分権を進めているのか。
→地方分権というは、地方の自由度を高めるということ。三位一体改革は、費目が増えただけで、地方への財源は減少しており、自主財源は量として減っている。地方分権を進めていないと考えている。
Aグローカル・ポリシーで、その他にどのような取り組みがあるか。
→例えば、中国の大連と交流して、干しなまこを中国の人でも食べられるようにと養殖をしている。この例からいえるのは、事業の取り組みを当てずっぽうでやろうとするのでなくて、自治体間のことをきちんと調べてやることが必要だということ。そして、これは国際化、情報化を兼ねた話でもあると思う。






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