知事リレー講義
ライン
    2008年6月5日    
     
NPO法人地方自立政策研究所理事長 穂坂邦夫様
 


成熟社会に対応する新たな行財政システムの構築

 穂坂様は、埼玉県志木市の市長を務められた後、現在のNPOを立ち上げた。そして、実は、今回で3回目のご登場である。地方自治を語れる方として、出版社のぎょうせいよりご紹介いただいた方である。










T.はじめに


 私は、生まれも育ちも埼玉で、ずっと地方自治に参加してきた。そして、市長にどうしてもなりたかったというわけではなく、当時の市長が引退することになり、一期だけならということで引き受けた。


U.市長の就任に当たって



 市長になって決めたのは、次の3つである。
@都市の経営として値上げをしないこと
A自治体として、そこに住む弱い立場の人たちにも配慮すること
B前例主義を改めること

 具体的な施策としては、25人の少人数教育をやった。40人以下ならすぐにやれると思ったのだが、実は教育の均等の機会が損なわれるということで反対にあった。それならということで、志木の市長として、職務としてやると決めて、半年かかりようやく実現することができた。



V.成長期から成熟期へ


 市長を一期務めた後、今はNPOをやっている。地方は自立しないといけないと私は考えていて、このNPOではそれを広める活動をしていきたい。
 よく言われるように、現在は転換期である。高度成長期から成熟期へと社会は変わっているのに、実のところ、変化についていけていない。急激な少子高齢化が進み、国と地方には莫大な借金がある。このまま、借金の利息が膨らんでいけば、我々の生活とも無関係ではない。税収がすべて借金の利息にまわってしまえば、もしかすると公務員の給与は下がるかもしれない。そして、もっと国債を発行するという状況になれば、更にインフレが進む恐れもある。
 また、地域の格差も進み、限界集落なることもいわれている。これはもしかすると、首都近郊が危ういのではないか。なぜなら、東京に住む多くの人たちが高齢化し、子供も増えない、自治体財政も火の車、そして施設もない。もちろん、地方も安泰というわけではない。バブル崩壊後、就職の大変な時期があった。その頃に公共事業を増やしたが、それは国だけでは追いつかないので、地方も追随することとなった。しかし、今、公共事業が減って問題が顕在化しつつある。これが、地域の格差に結びついている。
 このように厳しい状況なのに、依然として同じ仕組み。中央集権型のまま。中央集権のマイナス面は、コストとして行政の経費がかかること。もちろん、中央集権のやり方は、日本が近代化する過程で大いなる成果を発揮した。それは確かである。しかし、今は無駄が多くなってしまっている。例えば、護送船団方式という言い方がある。行政の仕組みだけが変わっていない。
 なぜ変わらないかといえば、一つは住民が無関心だからである。自分のところの首長が何をやっているのか、どれだけ知っているだろうか。住民、有権者が主役なのに、関心をもっていないのである。
 また、地方にも国への甘えがある。国が何とかしてくれると思っているところがまだある。一方で、国も権益にとらわれて、地方の細かいことにまで口を出している。これが、無駄と非効率のオンパレードとなっている。


W.ピンチをチャンスに、地方から国を変える


 しかし、このピンチはチャンスでもある。なぜなら、お金があるうちは何とかなると思って、誰も関心をもたないからである。ひずみが顕在化すれば、例えば後期高齢者医療制度や道路財源のように、人々はどうにかしないとならないと気づき始める。
 分権というのは"Near is best."で、自分で責任をとって自分でやるという、自己決定・自己責任・自己負担の考え方である。例えば、病院での妊婦のたらいまわしという残念な問題が生じている。これは、行政上の責任者の不在という問題から生じている面もある。現状、「医師がいない」といってしまえば、それは誰を責めることもできず、誰も責任をとらなくていいのである。だから、地方の公立病院を自治体に任せてしまえばよい。そうすれば、首長が責任を問われることになるので、地方は問題が起きない仕組みを考えるようになる。
 このように、役割分担の明確化によって、地方への分権を進めていけるのではないだろうか。
 ところで、小泉首相の時代や平成の大合併によって、機関委任事務や三位一体改革などがあったから、改革は進んだといわれる。しかし、実際は主権が移っていないので、分権は進んでいない。権限は変わっていないので、実感がない。名前だけ変わったのではないか。そこにも、中央の省益、権益がみられる。
 しかし、地方も自覚をもたないといけない。そして、現場からのフィードバック。更には、中央のパターナリズムによって交付税・補助金が仕切られているが、このような住民にとっては専門的な難しいと思われることでも、望ましくない仕組みであるのなら、住民の側が知っていかなくてはならない。



X.最後に

 分権を考えるにあたり、この講義に来られる各知事に聞いてみてほしい。知事の仕事のうち、市町村でできるものは全て任せてみてはどうかと。そして、都道府県にしかできない仕事に集中してはどうかと。そうすると、都道府県は小さくなって、ほとんどする仕事はなくなってしまうというのが実態だろう。
 これも、皆さんのような学生に関心を持ってほしいことである。実証されたら、どうなっていくだろうか。だから、関心をもって勉強していってほしい。そのことが、行政やシステムを変えていくことにつながる。
 また、女性にも期待している。変革は大きなことばかりでない。生活の小さなことが積み重なっていく。経済と行政はつながっているのである。
 いま不況なのに、金利が上がっている。これはスタグフレーションであり、こうなると企業も困る。このように、社会は連動して動いている。ぜひ皆さんには、自分の身近なところ、関心のあることから始めていってほしい。
 限界集落の問題に対して、コンパクトシティという言い方がされるようになっている。それは、正しいのだろうか。高齢者しか住んでいないからといって、放ってしまっておいて良いのか。環境、伝統、文化の放棄ではないのか。こういう問題に対して、誰かがやるじゃなくて、微力でもやってみてほしい。
 このような知事リレーの話も、そこから一つだけでいいから何かを感じ取り、身近なところへとつなげていってほしい。


質疑応答


 最後に、学生よりいくつかの質問があった。
@行政にも競争を取り入れようとする考えがあるが、弊害はないのか。
→現在、市場原理主義は良くないという言い方がある。このうち、施策の市場原理化はよくない。政治・行政の役割は、社会の弱肉強食を防ぐところにある。ただし、行政であっても、仕事やサービスというのは効率化していかなくてはならない。したがって、施策・政策を市場原理に任せることは間違いで、その実施・手法に効率化を求めるということになると思う。
A行政とNPOのパートナーシップについてどう思うか。
→現状では、どちらともあまりよくないのではないか。行政はNPOを安い労働力とみて、うまく使っていない。また、NPOも行政に対しておんぶにだっこで、ミッションが大事なのに擦り切れてしまっている。






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