知事リレー講義
ライン
    2008年7月10日           和歌山県知事 仁坂吉伸様
 


知事の仕事〜地方分権のうねりのなかで〜

 仁坂知事は2003年にブルネイ大使を3年勤めた後に、前知事のスキャンダルに伴い、立候補、知事に就任された。











T.はじめに


 私の知事としての目標は、和歌山県を元気にすること。具体的には、

 @経済復興
 A汚名返上と清潔な行政
 B安心と人づくり

 そして、これらの実施のために個別、長期的な政策、計画がある。それに際しての知事としての心構えを今日はお話しようと思う。


U中国での驚き



 以前、私は通産省で働いていたが、そのとき中国も担当地域の一つだった。その中で、例えば、中国がWTOに入ったらどうなるのかという議論はもちろんあった。実際に、中国がWTOに加盟することが発表されれば、きっと大きな批判が起こっただろう。しかし、中国はそういう事態を予期してかわからないが、さっさとWTOに加盟してしまった。
 そして、私が驚いたのは、中国では政府の経済センター自らが自国のWTO加盟に伴うデータを、デメリットも含めて表に提出しているということ。これが、まず驚きだった。彼らは、どのような人たちなのだろうかと。
 日本であれば、官僚が政策を主に担っているが、中国のようにマイナスまで含めて表に出すということはないだろうし、それらの克服まで含めて政策を考えられる評論家、学者もいない。
 中国では、メリット・デメリットの両方を徹底的に出させて、それを行政の仕組みの中にあげて決定したら、具体的に実行していく。日本だと、官僚が立案して、政治家が選んでいくという仕組みしかない。これは、よくない。
 日本の政策でよくないのは、まず、その政策が手段として実行可能なのかどうか、コストまで含めて調べられた議論がないということ。次に、政策がもつ副作用にまで留意していないということ。片方の悪影響まで分析して、実行を口にする人はいない。
 だから、県庁の行政では、評論家なんていらない。デメリットまで含めて提示できる行政官が必要なのである。



V.時流に棹差す


 地方分権推進委員会の第1次勧告に対するアンケートを新聞に求められたので、素直に「評価しない」とコメントした。しかし、評価しないというのは、全国47の知事の中で、私一人だけだった。
 ただし、そうコメントした理由はちゃんとある。なぜなら、地方分権の視点からすると議論が物足りなく、もっと国の形まで含めて議論するのが地方分権推進委員会の役割だろうと思ったから。
 ムードに乗るのは簡単だし、乗らないとつまはじきにされる。しかし、リーダーはそれでは駄目だと思う。正しいことを論理的に伝える。それがリーダーである。


W.行政は論理だ


 行政は掛け声だ、といわれる場合がある。しかし、私は行政で成功するのは論理だと思う。「命をかけてやれば何とかなる!」という人がいるが、何ともならない(笑)。
 例えば、中心市街地の衰退化。これは、70%は都市計画で説明できる。都市計画法では、人の住んでよい地域とそうでないところの区分けがあるが、その運用は市町村に任されている。これを、良い行政をしたいと思って頼みを聞いてばかりいるから、安い郊外を住んでいいですよとしてしまった。だから、中心地がスカスカになるのは当たり前。これを防ぐには、都市計画をきちんとするしかない。
 ただし、現に郊外に既に住んでいる人たちの生活というのはある訳で、主権を制限するかどうかは民主的に決めないとならない。それを説明していくのが、行政の仕事であり、それが論理である。
 法律というものだって、何でできているのかを考えてみれば、それは論理でできている。先ほど、政策はデメリットももつとお話したが、そのデメリットを説明するのだって、論理に頼ることになる。
 例えば、介護福祉のコムスンの事件の時だって、不正をしていたのに名称だけを変えて取り潰しから逃れられる法律というのはおかしい、と正直に私は言った。そうしたら、厚労省の人たちも追随してくれた。彼らも、気持ちとしてはわかってくれていた。論理の元になる規範というのは、我々が理解できるものでなくてはならない。


X.県庁のエートス

県庁というところは、権限を中心にできている。だから、「何の仕事をしているのか」と聞かれると、権限を中心とした答えをしてしまう。そういう考えになっていると部分がまだある。
 県の場合、仕事の担当レベルが国だったり、また市町村の担当になったりすると、それは自分の仕事、担当ではないと逃げてしまうことがある。だから、権限でなくて、任務で仕事を考えるべき。そうすれば、困って来た人たちに教えてあげることができる。
自分の仕事じゃないという仕掛けが必要。仕事を任務型にしてしまう。そうすれば、縦割りといわれる行政の弊害だって、少しは変わると思う。
また、「友を討ち死にさせない」ということも大事。ここでいう友とは、部下や県民のこと。何かあったときに、「それは部下がやったことだから」というのは駄目。責任はとらねばならない。


Y.東京との間合い

先のコムスンの事件の時に、なぜ私がおかしいということができたか。それは、一つには、私が省庁の出身者で脱法行為、法律にかかわる経験をしてきたからというのはある。
 中央省庁も論理で動いている。その論理の大きさ、小ささで結論は変わってくる。だから、コムスンの時も「規制が脱法行為によって駄目になってしまえば、厚生労働の行政だって根幹から駄目になってしまいませんか」と言ったから、省庁も動いてくれた。彼らだって、きちんとした論理で伝えれば動いてくれる。それを例えば極端な話、紙切れ一枚を用件として、形式的に出したって動いてはくれない。どんな論理で動いているのか、その論理に合った要求の仕方をすれば、向こうもちゃんとやってくれる。
 「役人は論破すればよい」とある人が言ったが、そのとおりだと思う。役人がもっている理屈を崩さずに、外から批判しているだけでは、役人もその理屈をもったまま立ち往生してしまう。結果、抵抗勢力になるしかない。だから、彼らのもっている論理を理解して、そこを論破すれば、彼らだって理解し、動いてくれる。


Z.地方分権とは何か

私の考えていることについては、経済企画庁が出した『地方経済レポート』の1997年版の後ろのほうをみてもらえれば、大体わかると思う。
 地方分権で大切なのは、何を地方に渡して、何は渡さないのか、そこの議論。国は国にしかできないことをやればよく、それは手放してはならない。そうでないと、日本が分裂することになってしまう。
内政にかかわることはすべて地方へという言い方がされる場合がある。しかし、必ずしもそうだとはいえないと私は思う。例えば、義務教育。財政が弱いからといって、手放してはいけない分野である。
一方で、国全体として取り組まないとやれないこともある。それは、例えば、国際経済における日本の競争力。これは、一国として統合していくことであって、内政で分裂していたら取り組んでいけない。こういったことも踏まえて、地方分権を考えていくべきだと思う。


質疑応答
 
  




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