「 和歌山オンリーワン政策 」
今回は、3回目です。2006年12月に知事になってから、3年半くらいになります。
1回目は、知事になってすぐに、講演しました。そのときは、和歌山県は前知事が捕まり、「公共調達をどうやって改革したのか」というお話をしました。
2回目は、政策のラインナップができあがってきたから、どういう政策をやってきたのかという話をしました。
3回目は、同じことを言ってもおもしろくないので、変わったことを話そうと思います。
和歌山県のオンリーワン政策。このちょっと変わった政策を、話そうと思います。
ここでは、常識のうそを浮き彫りにしたい。
@ 情報公開
情報公開は絶対に正しいことだと思っています。どんなにすばらしい政策も批判をうけながら反省し、おかしいところを修正していかないといつか腐っていきます。だけど現実はステレオタイプ的。決められた情報公開の価値尺度によって、新聞なんかが言うことにみんなが「そうだそうだ」という風になっていないかと思う。
嘘の情報公開を、ポーズをとってやることで人気を取りたいとは思いません。
そこで前知事がされていた「交際費」の公開をやめました。なぜやめたのかというと、こそこそ悪いことをやっているから隠した、というわけではありません。「交際費」とは何かということを、考えなければならないということです。
「交際費」と聞いて民間でするような交際費を思い浮かべられるかもしれません。例えばお得意さんとお酒を飲んで接待すると一般の人は錯覚されるでしょう。私も最初はそう錯覚していました。
前の知事さんも全部悪いことをしていたわけではないので、知事になるときに前の知事のHPなんか見て「こんなことをやっていらっしゃったのか」と確認するのです。そこに交際費も公開されていて「なかなかやるじゃないか」と思ったのですが、中身をのぞいてみると「ほとんど交際していないじゃないか」と思ったのですね。なぜなら今のような話がほとんど出てなかったからです。
県庁の交際費には、例えば慶弔としてのお葬式の時にお花を出す、これは交際費です。ただし、官々接待は今非常にたたかれているのですが、官庁の人が来たときに接待として食事をするのは食料費です。一般的に言われている交際費とはこの食料費のことです。
つまり、「交際費」という言葉に着目して、交際費を公開していれば「私は情報公開をしています」とするのは、嘘の情報公開だと思います。
ただこういうことを話すと、一般的には「仁坂さんは情報公開に対して積極的でなく保守的な人」という風に捉えられるのですね。こういう風潮に反発をして、意地を張ってやせ我慢していこうと思っていたのですが、よくよく考えて情報公開をするのは正しいのだから、「嘘でない情報公開」をしようと考えるようになったのですね。
先日、堀場製作所の堀場厚さんという会計顧問の方に、テレビ和歌山というところで立派な対談をお願いしました。そしてその後堀場さんが「ご馳走しましょう」とおっしゃられたので、堀場さんのご自宅で召し上がってきました。こういうことを全部公開しています。堀場さんにご馳走してもらったのは例えば「ご馳走していただいた」と、他にも実費、公費支出ときちんと書いています。これで何か文句があればさらに情報公開して「いつ、どこで」というのも公開します。
ただ、世の中には情報公開屋さんというのがいます。情報公開のときに意見を聞きに来て、情報公開をしてくれないと騒ぎ、答えてあげると「役目を果たした」とする人です。そして彼らは「私にもわかるように情報を整理して公開してください」と言います。そしてそういう人はマスコミに気に入られているため、行政も迎合します。つまり、そのとおりに情報加工をしてあげるということです。だけど、それによってとてつもないコストがかかる。同じコストを100万人の県民に尽くすのか、一部のその様な人に尽くすのか。現在の行政庁は何の批判もなくそのような人を受け入れる後者になっています。
それからオンブズマンというものがいます。新聞などのメディアが情報公開の記事を書く際には、オンブズマンの話を聞こうとなります。なぜなら簡単だから。オンブズマンに対して僕個人は評価しているけど、彼らは別に選挙で選出されたわけでも、大学教授のようにみなさんに受け入れられている人でもない。ただ「情報公開についてはオンブズマンに聞こう」というステレオタイプ的発想によって、彼らに聞けばいいというルートができあがっています。そして行政は彼らに迎合するけれど、これが本当に正義なのか。皆さん、お考えいただければと思います。
つまり、「理性とは何か。正義とは何か。」ということをいつも考えて行政をやっていかなければならないと思っています。
A 公共調達制度改革
和歌山県では、私の前の知事さんが、また宮崎県や福島県でも知事が捕まっています。これはすべて官製談合のためです。当然、独禁法違犯になるし、公共調達の仕組みを妨害し、贈収賄となるため罪は重いのです。そしてこれを退治するのが「公共調達制度改革」という風に世の中がなっていました。もちろん私も退治しなければならないと思いますが、退治した後何が残るのか、行政として考えなければならないことです。
つまり「あーすればこうなる」を考えなければならない。時代に単に迎合した政策では、後で弊害がでる。例えば官製談合をやめようとし、厳しい競争だけを目的とした制度を作るとどうなるでしょうか。厳しい公共調達に耐えかねた企業が、手抜き工事をすることに繋がり、弱肉強食で競争に負けていくことで地域の企業がなくなることに繋がり、例えば災害のときに助けてくれる企業がなくなるかもしれないということになります。はたしてこれでいいのか。そういうことを考えなければならないのが政府の役目です。
一般的には、一般競争入札をどれくらい入れるのかばかり考えています。そして、全国知事会というところでリコメンデイションというものを決めました。私はこれに対して馬鹿馬鹿しいと思います。だけどマスコミは全国知事会のリコメンデイションは絶対となり、「それにいかに早くキャッチアップするか」ということが評価ものさしになります。
昔は一般競争入札によって談合をするといのは当たり前のようだった。しかし20年ほど前から独禁法違反として捕まるようになりました。つまり、談合を悪と見なすのは法律です。独禁法は県庁が決めたことではありませんが、スムーズに独禁法を施行させなければなりません。だけど、先ほど言ったこともじっくり考えなければならない。
我々は1年かけてじっくり制度を考えました。京都大学の先生、そして元県議の方、非常にバランスの取れた良い公共政策に対する議論をされていたので、このような人を集めて制度に関する議論をしました。そしてその議論を制度化したときに、「あーすればこうなり、こうなったらどうなるか」という何か弊害が出なないか、と考えました。
そして一般競争入札は建設に関する全てに導入する。この試みは全国で和歌山だけです。例えばハードも、その建設物の掃除などといソフトも、どちらともです。指名はゼロです。ところが指名をゼロにするとどうなるのか、「あーすればこうなる」の思考ですね、指名というのは紳士クラブであり、出来ると思う人を指名するわけです。ところが一般競争入札にすると、ヤクザさんや能力がない人が入ってこられることもあります。そのような弊害を防ぐために、入学試験を設けました。このような制度を考えるのに1年ほどかけ、今も微修正を行っています。
その結果どうなったのかというと、詳しくは県庁HPをご覧いただければわかるのですが、当初の予定をまあまあ達成したという感じです。
そして、落札率について話して、常識の嘘について話してみたいと思います。落札率というのは、予定価格対実際の調達価格です。実際の調達価格が、昔は78%だったのが、87%に上がり、落札率が上がった。しかし、私からすれば競争率が100%保障されているということです。よって落札率が高いことが悪ではない。
ただし、オンブズマンは落札率が高いと「何か悪いことをしているのではないか」と考えるのですが、きちんと中身のふたを空けて議論をしてほしい。私は適正に競争が行われているのであれば、100%でいいと考えています。
なぜなら落札率100%になるというのは、まず建設に必要な材料費を積算してマージンをちょっと載せます。そうやって計算するとちょうど100になるんです。つまり100でとってなんら不思議はない。そしてマージンがマイナスになると、これはダンピングと言います。つまりまともな事業をやらせようと思ったら、落札率を下げるような政策は間違っているのですね。つまりこれが理性の建設です。
B 直轄負担金と市町村負担金
我々は直轄負担金を払うことに反対しています。この直轄負担金という名前こそ、我が国の地方自治の貧しさをあらわしていると言えます。国の公共工事をするときに、直轄事業と言うのですが、なぜ国がやっているのに直轄というのでしょうか。それは、「国が支配している」という考えの表れではないでしょうか。
この直轄工事ですが、地方自治体も直轄負担金として負担しています。しかし、国がやるんだから国が100%すべきではないでしょうか。そしてこのお金は工事事務所や退職金に化けていますので、こんなことに県は払いたくない。国も譲って負担金は少し減りましたが、残っている部分もあります。
しかし、同じことを我々は市町村に対してやっています。県の工事に対して市町村から負担金をいただくという制度を我々は行ってきています。一方で国に対して直轄負担金支払いを拒み、一方で市町村に対して悪代官のような顔をして負担金をもらう、これは全く間違い、正義に反していると思います。ということで、和歌山県では、市町村から負担金をもらわないことにしました。
これは財政的に非常に厳しいことですが、正義に反することであるとし、この政策を行っています。
C 高速道路料金と地デジ政策
「自分がしでかしたこと自分で始末をつけろ」ということについて述べます。
地デジ政策自体に対しては間違ってはいないと思います。しかしこの政策をやる際には電波を出している人に、地デジを出させなければなりません。だけど地デジとアナログどちらとも出す際には、両方の設備投資・管理をしなければならないため、来年から「地上アナログ電波は出さなくていい」としたのです。
放送業界というのは規制産業ですから、今の総務省の責任は非常に重い。「あーすればこうなる」と考えると、次のような問題が出てきます。京都でも山に囲まれているところはあると思いますが、山の中は電波が届きにくく、アナログが届かないところはデジタルも入りません。アナログ時代に山に住む住民は協調アンテナを建てました。しかし、総務省と大テレビ局で「アナログを出さない」と合意すると、彼らはテレビを見ることができなくなります。地デジ化するのは結構ですが、「地デジ化することで山間住民がテレビを見ることができなくなる」と予測し、そのことに対する保証が必要です。
それをしていない総務省は無責任ではないか。クレームをいいにいったら対策が増えてきたのですが、まだ100%ではありません。これは100%国の責任のはずだから、国が負担すべきだと考えています。ただクレームを言っているだけでも仕方ないので、地方自治体と、山間住民とで協力してアンテナを建てているところです。
次に、高速料金を下げる政策についてですが、次のような問題点が「あーすればこうなる」で出てきます。
1つ目に財政に対する不安。2つ目に収入が減ることで次の建設ができないということ。3つ目に競争する公共交通機関に対する影響は大丈夫か。これらに対し、国は責任ある答えを用意しなければならないのですが、用意しているとは言えないため各地で問題が起こっています。
現在の政権だけに言える事ではなく、前の政権でも同じことが言えます。和歌山と徳島を結ぶ「南海フェリー」というのは、改定前の高速道路料金をベースにして運営してきたけど、前政権政策で一気に乗客が減りました。公権力が競争条件をいきなり変え、期待する利益を奪うことは認められるのでしょうか。このことについて国に対してクレームを言いに言ったのですが、対策を打とうとしないので、徳島県と和歌山県で助成策をして、競争条件を同じようにした。
政策は良い影響をもたらすだけではなく、「あーすればこうなる」と全部を見通した上で政策を施行しなければなりません。
@ 地方分権屋と国際経済屋
私は、地方分権屋です。地方分権によって責任が我々に来ることは、地方分権とは責任と考えているため、とっても素晴らしいと考えています。地方分権とは責任と考えているのは、私が何かをするのに別のところに決定権限があるのはおかしいためです。
地方で行われていることの何らかの事については国のコントロール下、あるいは庇護の下で行われ、無責任に放置されることもあります。そのため地方分権は大切だと思います。
しかし、何でも地方分権していいのでしょうか。例えば、経済制度、基準認証、公害政策などです。京都府内では京都府のルールが敷かれ、それに従うというのは地方分権を推進する人は賛成するでしょう。しかし、その地域の政策がほかの領域に及ぶ際にどういうことが起こるのか、ということを考えないといけません。
もう1つの領域から考えますと、EUを挙げることができます。EUはなぜ統合しているのでしょうか。制度を統合したいためです。5000万人のフランス、イギリスやイタリア、8000万人のドイツ、これらの国々が1980年代には日本に負けていたのです。というのは、1億2千万人をベースにするのと5000万人をベースにして市場展開するのでは、前者のほうが圧倒的に有利だからです。
制度を統一しなければならない、と実験が始まったのがEUで、今や3億6千万人の市場経済圏ができています。日本は明らかにその勢いに遅れました。アメリカは北米圏でNAFTA、メルコスールが南米圏で、東南アジアではASEANと同じような制度があり、日韓も自由貿易協定をすることで制度を自国と同じようなシステムとして及ぼしています。
日本では、経済連携協定EPAというのを一生懸命やっています。なぜ一生懸命やっているのかというと、制度を統合しておかないと企業がマザーカントリーにおいて活動できる範囲が限られてくるからです。例えば研究開発を例にとりますと、小さな京都でしか適応できないような研究開発をするのか、日本で適応できる研究開発をするのか、世界中どこでも通用する制度で研究開発するのか、後者のほうがたくさんのコストがかけられます。つまりコストパフォーマンスがよくなるのです。そのためEUができ、自由貿易協定ができ、経済連携協定ができていくのです。そしてこういうことを考えているのが国際経済屋。
ただ、地方自治選挙の際、人気をとりたいからといって単純に地方分権推進を掲げると制度が各地域でばらばらになり、上のような不利益が起こります。一方で国際経済屋は地方分権屋のすることに対しては興味がありません。つまり縦割り思考の弊害です。そしてこれを乗り越えないと、君たちが高齢化したときの日本は未来がないと思います。
A 教育委員会の人事権について
「地方にできることは地方で」というのは地方分権のフィロソフィーです。そのため、「やりやすいやつからやろうか」ということで、教育委員会の人事権の移動が挙げられます。これはみなさんご存知ではないかもしれませんが、府県の教師は府県の教育委員会がいっせいに採用しています(京都市は政令指定都市だから違うと思いますが)。
和歌山全体で教員を採用して、希望を聞きながら人事異動を行います。それを中核都市、例えば和歌山市(40万人)の人事配置と和歌山県とで分けてしまおうというのが、地方分権改革推進委員会の中間報告、そのため最終的にどうなっているかは知りませんが、に意見としてありました。これは地方分権屋からすると非常にいいと言いますが、「和歌山市以外で働かなければならないという人がどれだけ和歌山県に奉職してくれるだろうか」という問題があります。
私は和歌山市の子供も、北山村の子供も、同じように優秀な先生によって教えてあげたいと思っています。そうするとできるだけ、和歌山で働いてくれる人を集め、その人の状況(家庭を持っているから、若いから、都市の生活に疲れたからなどなど)に合わせて、いろいろ人事を回せるようにしたい。これを和歌山市と和歌山県とで分けると、これまでのような立派な人が和歌山県に奉職してくれるかどうか、みなさんはどう思われますか。
私は、これがステレオタイプからしたら反逆する流れではありますが、声をだしていかなければ田舎の子供を守るために必要だと考えています。
時間が短くなってきたので新しい経済政策について述べます。
@ 「和歌山で働きませんか」プロジェクト
平成22年のリーマンショックによって景気が冷え込み、大変な就職難に陥っています。不正規雇用の人が一気に世の中に放り出されました。そしてこの人々を助けようかということで、日比谷公園のテント村が現れました。ただ、本当に飢えそうな人であれば行ったらいいじゃないかと思うのですが、日本ではそうじゃなくて、非正規雇用の人が今食べられないわけではなくて数ヵ月後に職がなくなり、蓄えもなくなることで本当に難民になる、こういう人に対して、そうなる前にどうやって次の職を見つけてあげるのか、そういうことを考えてあげることは、為政者のやるべきことだと思います。
和歌山はあまり流行っていないので、いい企業がないのではと思われているのですが、結構あります。だけどイメージで損している。これまでは大企業にいい人を奪われて雇えなかった。だからこそ、今こそチャンスと捉えています。和歌山のHPでは求人募集をしている企業を紹介して、全国から働く人を募集しています。もちろんちゃんと面接してですけどね。これが「和歌山で恒久就職をしてみませんか」というプロジェクトです。
その姉妹編が、「和歌山で農業をしませんか」や、「和歌山で福祉企業に従事しませんか」「和歌山で匠になりませんか」といった広告で出して、みなさんの仕事を恒久的に生み出しています。
行政官がしなければならないのは、「今何に困っているのか?」ということを考え、困っている人を恒久的に救うことが大切だと思います。人気取りのためではありません。そしてこの「和歌山で働きませんか」プロジェクトだけで、300人ほどの雇用が創出され、まだじわじわと増えています。まだ募集しているところもありますので、興味ある方は県庁のHPをご覧いただければと思います。
A ターゲティングインダストリーポリシー
皆さんは「官僚たちの夏」という佐藤耕市さんが出演されていたドラマをご存知だと思います。私は昔、通産省の官僚をしていたのでその立場から評語すると、城山三郎さんの原作に対して「ちょっとセコイ解釈をしているな」と思いました。城山さんの原作ではいいやつも悪いやつもなく、ただ国際派でいくか産業派でいくかとう方向対立があって、その男の戦いの話を、負けた立場つまり産業派の風越信吾という人物を通して描いています。
結局、通産省は国際経済の中で生きていかないといけない、いくら産業を保護しても国際経済のなかでは死んでしまいます。だから国際経済に適合するような産業政策をしなければならないというプロセスに入ったのですね。1970年代後半から80年代にかけて、21世紀あたりまであったかもしれませんが、基本的な政策は「強いところを伸ばしていく」ということです。当然負けてくるところが出てくるので、それについては保護をしないで、産業調整をして、弱い企業から強いところへ移動できる、ポジティブアジャスメントポリシーをやってきました。これが基本的な通産省の政策だったと思います。こういった政策もあり、80年代の日本の産業はうんと持ち上がりました。
しかし貿易摩擦が起こってしまい、そのときのアメリカからの中心的なものの言い方が「日本はtargeting industry policyをしてunfair trade
practiceである」ということです。確かに、積極的に産業助成をして出るところは伸ばすというのは、表で言えないということもあったんですね。
ところで、和歌山では正面からこれを宣言してやっています。和歌山に資源があり、伸びるような芽がある、そういう企業を、技術開発で支援して、プロジェクトを作って、その成果を企業に利用してもらうことで、企業成長を図るということを考えています。
これでつらいのはお金がないことですね。なので、国の協創的開発助成費などを利用して、和歌山は10分の1だけを負担するようにしています。
時間が参りましたので、話はこれまでにします。後半は、何かに疑問に思った方は、私はまだいますので、話に来てもらえればと思います。
最後に、なぜ勉強するのかについてお話したいと思います。それは、真実を見抜く力を身につけるためです。もしくは真実を追究する力です。人の言葉に踊らされるのではなく、自分で見抜く。そのためにはたくさんの経験と、勉強が必要です。
これからも多くの知事が来て色んな話しをされていくと思うのですが、みなさんは「何が真実か」と見抜いてください。
問 : 文学部日本史選考、政治史について勉強しているので、優れた政治家の資質について興味があります。知事がお考えになる優れた政治家の資質とは何でしょうか。
答 : 優れた政治家はよく分からないのですが、優れた政治行政というのを県民に説明行くとき、PR風に述べていることがあります。
1つ目が、愛情がなければならない「和歌山に対する愛情」県民がすべてという愛情がなければならない。
2つ目に、行政をすばらしいものにしようという熱意。
3つ目は、持続可能性。頑張ろうという意思が持続しなければならない。これは愛情・情熱の関数かもしれませんが、何事もすぐに成果が表れるわけではないし、いろいろ批判されて嫌になるかもしれないが、紆余曲折するのではなくて持続して頑張れる力が必要になります。
4つ目は、洞察力と構想力。
政治家は上2つ、特に1つ目があれば十分に人気が取れます。
しかしそればっかり考えていたら、困っている住民を助けることはできない。つまり「何で困っているのか。どうやって取り除くことが出来るのか。」ということを、考えられる洞察力が必要です。そして、構想力ですね。例えば段取りでここに先に話をつけておかなければならないとか、法律改正が必要か、和歌山県だけで解決できるのか、といった風にです。こうやって考えなければ、いつまでたっても問題は解決しません。
これは政治家だけでなく、全ての行政官にとっても必要で、特にトップにとって必要だということです。
問 : 知事のお話の中で、最初のほうで情報公開をすることで、どんなにいい政策でも批判にさらされないと腐ってしまうというお話と、人気取りではなく恒久的な政策をしなければ人は救えないとおっしゃられました。これら2つを合わせて、将来に向かってどんな展開をしていこうとされているのでしょうか。
答 : たぶんこんなことでいいんじゃないかなということで答えさせていただきます。真実を見抜ける力が必要だと皆さんにお話ししましたが、まずは「物事を見る」ということです。本を読むことも大事だけど、私の場合は県民がいる。何が問題として起こっているのか知るためには、直接その場に行くことが大事です。例えば和歌山の南の方に行くと畑の周りが金網で囲まれていることがよくあり、何だと思ったら猪・鹿・猿によって畑を荒らされることが問題になっているんですね。そういうことを、田舎を散策しているとわかる。次は考えることですね。これに対する政策をしたらこうなる、「あーしたらこうなる」で考えるのです。そして実行していく。山のようにある問題を優先順位をつけて、地道にやっていくしかないんじゃないでしょうか。
問 : 情報公開屋に対して1人に対して多大なコストをかけることになると批判の態度を取っていらっしゃいました。ただ、本当に情報を必要としている人と、そうでない人、これをどうやって見分けるのでしょうか。
答 : うるさく言ってくる人を情報公開屋と言ったわけではなく、その情報でお金を得ている人のことです。あなたが分けた、必要としている人していない人は、同じだと考えています。全員に情報をあげたらいいと思っています。ただし、その人が分かるように情報を加工することでコストがかかるため、加工していないものを提供しています。紙代もいただきます。だから特定の人に媚びて、加工した情報を提供することに対して批判をしているという分けです。
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